9-1.夢の中であなたは
あれは幼い時だった。
クロエがまだ、社交界にデビューもしてない頃。もちろんルーカスだってしていなくて、ベンジャミンだってしていなかった。
お茶会にも出ず、クロエたちは庭の端で遊んでいた。主催者の子供だけは出なくてはならなくて、ルーカスが面倒そうに自分を探す使用人たちから逃げるのを、クロエたちは面白がってサポートした。だが、さすがに出なければならなくなって、それでも嫌だと不機嫌になるルーカスに、クロエはおまじないをした。
唇にそっと指を押し当て黙らせると、ルーカスはクッと喉を鳴らし、赤くなって口を捻じ曲げる。
『大丈夫。ルーはきっとできる。面倒なんか言わないで。あなたは私たちの自慢の幼馴染なんだから』
クロエは言って、ルーカスのおでこに、自分のおでこを当てて目を瞑った。
『ほら。こうすれば伝わる? 面倒くさくないってわかるでしょ』
『……うん……』
『だからね、ルー、怖くないのよ』
ルーカスが行ってしまうと、ベンジャミンが呆れたように肩をすくめた。
『お人好しだなぁ、クロエは。ルーはクロエにあれをして欲しくて、わざと嫌がってるんだよ』
『そんなことないわ。ルーは嘘つきじゃないもの。優しくて人気者だし。ほらね』
クロエが指さすと、ルーカスはすでに人に囲まれ、笑顔を振りまいていた。さっきまでの泣き顔が嘘みたい。
『……ルーはゲンキンだよな。クロエが見てるから頑張ってるんだ』
『ううん。ルーはいつだって頑張ってるわ。だから疲れちゃうのよ。ベンもよく見てあげてね。侯爵家の跡取りなんて、きっと大変なんでしょうね』
『クロエはよくわかってるね』
『内緒よ。私、ルーが笑顔でいるのが一番好きなの。だって、笑顔がとってもかわいいでしょ』
『年下に言われちゃうなんてなぁ』
『だから、内緒なの』
クロエが笑うと、ベンジャミンは頭をかいた。
『内緒、ねぇ……』
懐かしい、子供の頃のかわいらしい思い出だ。
なんでこんな夢を見たんだろう。
クロエは起き上がって伸びをすると、傍の影にふと目を留めた。そして言葉にならない声をあげた。
「なっ?! の?! ル?!」
ルーカスだ。ルーカスが寝ている。
慌ててベッドから出ようと這い出して、ふと我に返った。
そうだ。思い出した。
クロエは風邪をひいて、熱を出していたんだった。
それと、ここでルーカスが寝てしまっているのと、全く結びつかないが、とりあえず、心配かけたのだろうということはわかった。
「……ルー?」
クロエが恐る恐る話かけると、ルーカスがうっすらと目を開いた。神話に出てくる美少年みたい。実在するんだなぁ。
「……クロエ?」
クロエはホッとしてルーカスの頭に手を当てた。
「ルーカス、心配かけてごめんなさ」
「クロエ、大丈夫? もう痛くない?」
「……はい?」
ルーカスが起き上がって、クロエの乱れた髪を耳にかけてくれた。
「クロエに元気がないと僕も寂しいよ……もう寝込んで一週間も経ったんだよ。早く元気になって、また遊んでくれるだろ?」
「遊ぶ?」
何かがおかしい。子どもっぽい口調に、甘えた声。夢の中と同じだ。ルーカスが十歳の時とまったく同じに聞こえる。姿だけ大人で、中身は子ども? でもちょっと待って。クロエは大人のままだ。見た目も。中身も。
「お嬢様!」
ドアが開いて、クロエの侍女、ニーナが慌てて入ってきた。
「こちらに若旦那様……あぁ、いらっしゃったのですね!」
「なんだよっ……僕はクロエと一緒にいるんだって言ったろ?!」
すぐにルーカスが不機嫌に怒鳴り返していた。普段見かけない姿なだけに、クロエはビクリとした。不愉快な場面があっても、いつもルーカスは冷静だった。穏やかで皮肉っぽくすらある口調で、その場をおさめるのは、いかにも侯爵令息らしく立派だったのに。
「ですが、若旦那様もお嬢様も、お二人だけで過ごすには」
「でも、クロエは僕の婚約者なんだろう? それなら、二人きりでも大丈夫なはずだよ」
「坊っちゃま!」
執事のジェイコブがひどい形相で入ってきた。これは何かあった。しかも、”若旦那様”ではなく、”坊っちゃま”と呼ぶなんて、久しく聞いていなかった。
「後生ですから、お部屋におもどりください。クロエお嬢様にはこれから説明いたします。ほら、困惑なさっていますから」
「でも」
「ルー……」
クロエが思わず語りかけると、ルーカスは嬉しそうに振り向いた。キラキラの目で、何もかも面倒くさそうに世の中を見ていた最近のルーカスとは、全く違う。
……なんて表情豊かで可愛いいんだろう!
「何?」
「……説明を……聞きたいから……あとでまた来てくれる?」
どうしよう。
幼い頃の夢を見て目覚めて、昔と同じように”ルー”と呼んだから? ルーカスの頭がおかしくなってしまった?
だが、ジェイコブが説明すると言っていた。ということは、……何か理由があるということ?




