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彼女は悪役令嬢であって探偵ではない  作者: 霞合 りの
case08.国賓の令嬢と森を愛する少女
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side story08 彼は勘違いをしていただけで誤解していたわけではない ージェイコブの安堵ー

執事のジェイコブ視点のサイドストーリーです。

森の研究所へ行くちょっと前の出来事です。


ベルベットのように艶やかな花びら、矢のように尖った葉、すらっと伸びた茎、エレガントな三つの頭。


ケルベロスフラワーを表現するのに、かの令嬢、クロエ・ソーンダイクはそう言った。


だが、どう見ても、毒々しい赤い花、地獄の番犬の舌のように長く垂れる雄しべ、トゲトゲしい葉、なんとも形容しがたい不気味さのある食虫植物。そうとしか表現できない。


ウェントワース侯爵家の執事、ジェイコブはその珍妙な花を眺めながら、ため息をついた。


ジェイコブが尊敬してやまない若旦那様、ルーカス・モファットの最愛の令嬢、クロエ・ソーンダイクは、おそらく人より植物を愛しているような、不思議な令嬢である。


「……ケルベロスフラワー様……今日もお加減はよく……」


言いながら、ジェイコブは水を与えた。


ジェイコブは知っていた。誰もいない時、クロエがケルベロスフラワーに向かって、ケルちゃんと声をかけていることを。さすがにジェイコブは愛称では呼べなかったが、将来の女主人を倣い、声をかけることにしていた。


あぁ、それにしても。


ジェイコブは喜びにホッと息をついた。


あの、無気力でやる気のなかったルーカスが、ここまでやる気を出して頑張ってくれるとは。


それゆえ、クロエがどんな令嬢であろうと、ジェイコブはついて行こうと決めていた。


☆☆☆☆☆


「誰でもいいよ」


かつて、母親であるウェントワース侯爵夫人に結婚相手を問われた時、ルーカスは冷めた目で答えた。


「どうせいつかは結婚するんだし、それらしい令嬢なんて、適当にいるでしょ」

「ルーカス……そうじゃないの。あなたはどんな人がいいって聞いてるの」

「僕が侯爵家の嫡男で、選べる立場だから?」

「違うわ。より良い結婚生活を送って欲しいからよ」

「誰でも同じだよ。興味ないんだ」

「結婚生活に? 女性に?」

「どっちも。どうでもいい」

「ルーカス、でも結婚はするのよ?」

「どうせ、その時には、適当な人を見繕ってくれるんだろう? その人でいいんだ」


そう言って、母親との言い合いから何度も逃げていくルーカスに、母親のレオナはため息をつく。その光景を、ジェイコブは何度も見ては心を痛めていた。


ジェイコブには不思議だった。


ルーカスは、たくさんの貴族を見てきたジェイコブでさえ、稀に見る完璧な人物だった。


ちょっと癖のあるセピア色の髪、星の輝きのある榛色の瞳から始まり、その恵まれた体躯も独特の輝くような雰囲気も、明晰な頭脳も特別で、様々な人から尊敬されていた。


ただ、幼い頃は笑顔でいっぱいだったその表情も、年が上がるにつれてあまり変化がなくなり、ついには冷徹と言われる時も出てくるようになってしまった。


本当は、笑うと可愛らしく親しみの持てる雰囲気になるのに、かように無表情では、人は遠巻きに見るばかりで、親しい友人は少なくなる。おかげで、幼馴染のクロエだけが、結婚相手の候補だ。それも、ルーカス様は乗り気ではない。何かあるのだろうが、ジェイコブには見えなかった。噂話は好きだが、詮索することは許されない。


ただ、時折、テーブルの引き出しから何かを取り出しては、ため息をついているのは気づいていた。一度だけ確認したことがあったが、輝く宝石をちりばめた、女性用のジュエリーだった。


これを誰かにあげるつもりなのか?


相手が誰なのか、ジェイコブは考えあぐねていた。


ルーカスの花嫁候補、クロエ・ソーンダイク伯爵令嬢はとても感じのいい令嬢だった。幼い頃からこの家と付き合いがあるからか、非常に馴染んでいて、ジェイコブも親しみを感じている。


元来、貴族令嬢というものは、ちやほやされることが多く、ましてやルーカスのお相手だなんて噂されれば、使用人なんて足蹴にされようものだ。だが、クロエは違い、誰に対しても必要以上に偉そうにはしなかった。ウェントワース夫人を訪ねてくる時も、分をわきまえていて、立場をよく理解していた。だが、ルーカスとは疎遠で、うまくいっている様子はない。


ルーカスはといえば、気軽に話しかける様子もなく、クロエがきた時は、二階の窓からその様子をずっと眺めていたくらいだ。何時間も眺めているのなら、お茶会に参加すればいいのにと思う時はあったが、幼馴染の郷愁だけで、仲良くするつもりはないらしい。


ならば、その贈り物のお相手は、マリアンヌ嬢かも知れないと、ジェイコブは考え直していたところだった。


マリアンヌ・クラーネ男爵令嬢はウェントワース夫人が親しくしている令嬢の一人だ。ウェントワース夫人が親しくしている令嬢は何人かいたが、中でも、クロエとマリアンヌは特に仲が良かった。家に呼ぶのも二人だけ。彼女も分をわきまえ、好感度の高い令嬢だった。彼女なら、とジェイコブも思うことがあった。


そして、ルーカスはマリアンヌがくると、終わる頃に必ず会いに行っては話していた。クロエがくる時は、ただ上から見ているだけなのに。その上、マリアンヌと会った後は機嫌がいい。これはロマンスを期待できるのか。そう思った矢先だった。


「執事さん?」


声をかけてきたのは、マリアンヌだった。まだ来たばかりの時間に、直接夫人のいる庭園に行かないのは珍しい。もしや、ルーカスとの逢瀬の約束を?


「あの……実は、こちらをルーカス様に渡してほしいんです」

「これは」

「ハンカチなんですの。あの……クロエ様の」


恥ずかしそうに言うマリアンヌは愛らしかった。だが待ってくれ。クロエ様?


「と申しますと、クロエ・ソーンダイク令嬢様のハンカチでよろしいのでしょうか」

「ええ、そうなんです。こちらは、クロエ様が私にくださったものなのです。紅茶をこぼしてしまった時に……ここにシミがあるでしょう? 洗っても取れなくて……ではなくて、ほら、こちらにC・Tとクロエ・ソーンダイクのイニシャルが刺繍されてるので、わかると思うのですが、正真正銘、クロエ様のハンカチなんです」

「こちらを……どうして若旦那様に?」


回り回って、ルーカスから返せと? マリアンヌとクロエは仲が悪いのだろうか? だが、お茶会で時折一緒に話している様子は、仲が悪いとは到底思えないのだが。


「その……誰にも言わないでくださいませね。ルーカス様はクロエ様の持ち物を欲しがっていて……というかですね、以前、私が頂いたんですの。それを羨ましいとおっしゃってたのですが、クロエ様にねだるわけにもいかず……」

「若旦那様が、クロエお嬢様には声をかけるわけにはいかなかったというわけですね」

「まぁ、執事さんったら。ルーカス様は恥ずかしくってクロエ様にお声がけできないのでしょう? ですから、仕方ない……知っておりますわよね? 先日、侍女さんもおっしゃってましたわ」

「……はぁ、えぇ、そうでございます」


侍女たちめ。全く下世話なものだ。


クロエ嬢に声がけできないって? 小さい頃はあれほどに仲が良かったのに?


「それで、でもやっぱり何かあった方がいいかと思って。クロエ様大好き同盟としての、おすそ分けですの」

「大好き同盟」

「えぇ。これは秘密なんです! クロエ様は謙虚でらっしゃるから、そういうの、とっても嫌がるのは知ってるんです」


嬉しそうにマリアンヌは言う。


ジェイコブは思わずふっと笑った。


「ぼっちゃまはお小さい頃、それはそれはクロエお嬢様の事を大好きでらして、なんとかして家に来てもらおうと、珍しい花を旦那様や奥様にねだったり、庭整備を心がけてらっしゃいました。もちろん今でもお庭の整備は大切にしておりますが……」

「まぁ。お花は夫人の趣味だけではありませんのね。ルーカス様ったら、よく頑張ってらっしゃいますわ」

「そう……です」


来てもらえばずっとそばにいて、帰るときは馬車が見えなくなるまで見送って。


考えてみれば、クロエがみえる場所から動かず、何時間もずっと見ていられるなんて、好き以外に何があるというんだ。


ジェイコブは驚愕した。自分自身の考えが、あまりにルーカスからかけ離れていたことに気づいたのだ。


それは、ウェントワース夫妻についても言えた。ジェイコブの考えのもとは、主人によってしまう。つまり、長いことルーカスを見て知っていると考えていたのに、いつの間にか心は離れ、何もわかっていなかったのだ。



☆☆☆☆☆


その後、ジェイコブは、引き出しのジュエリーがクロエのためのものだと気付き、それとなく、引き出しの中身について夫人に話したのだが。


まさかそれをクロエ本人にしれっと渡してしまうとは、ジェイコブもわからなかった。おかげでどれだけの長い間、胃の痛い思いをしたことか。


だが、こうしてルーカスとクロエが婚約して気づいたことだが、二人はとてもお似合いだった。


多少強引に思えたルーカスのプロポーズもその成約も、今となっては大したことではない。クロエもルーカスを嫌がっているようには見えないし、ともかく、ルーカスに笑顔が増え、幸せそうにしているのが何よりも嬉しい。


このまま末長く、幸せにやっていってほしい。


「ジェイコブ! お手入れありがとうございます!」


ぴょこんと顔を出したのは、笑顔のクロエだった。


「これはこれは、お嬢様。お元気そうで何よりです」

「ジェイコブはお出かけにならないの? あ、先日は、ワインの手配、ありがとうございました。ハンカチなど、産地の刺繍をした贈り物も素敵だったわ。きっと、みんな喜ぶと思うの」

「それはようございました」

「それに、植物! ルーカスは、家に私用に温室を作ってくれるんですって。そのためにこちらからも、植物を送ってくれたの」

「何よりでございます」


クロエが幸せそうで。本当に植物の話ばかりだが。


すると、急にクロエはジェイコブの様子を伺うような仕草を見せた。


「あの……ジェイコブは、私に仕えるのは嫌じゃない?」

「そのようなことは決してございません」

「本当? あなたは優秀だもの、本心を隠すのも優秀そうだからあまり信じられないけど……ルーカスが私と婚約解消するって言っても、驚かないわね、きっと」

「まさか……そんなことを? 誰が?」


ジェイコブは青くなった。あの幸せそうなルーカスの笑顔を再び凍らせるようなことが、あってはならない。


「別に……誰も何も言ってないけど……ルーカスは、私に求婚したのは間違いだったと気づくのかもしれないと思って」


間違いなんて。そんなはずはない。今までどんな間違いを犯してこようと、これだけは間違いはない、ルーカスが愛する相手はクロエで、求婚は正しい。


「お嬢様……若旦那様は戻ったら温室を作られると、お嬢様にお約束致しました。つまり、お嬢様が屋敷で暮らすことを考えてらっしゃるということです」

「……そうね? なんでかしら?」

「結婚なさるからでしょう」


だが、クロエは不思議そうに首を傾げた。


「私、結婚していいのかしら? 侯爵夫人になれると思う?」

「充分でございます。お嬢様は聡明でお美しゅうございます。今まで誰ともお約束がなかったのが不思議なくらいだと、私めは思っております」


すると、クロエは目を丸くしてジェイコブを見た。


「まぁ。優秀な執事って口も上手なのね」

「本心しか述べておりません」

「うーん。すごいわ。……でもありがとう。ちょっと自信がついてきたわ」


少し照れたように微笑むクロエの姿を、このままルーカスに見せたい、とジェイコブが思っても不思議はない。本当に謙虚で可愛らしいお方だ。


「お嬢様、明日のご予定は、アッカーソン夫妻と森の外れの研究所にお向かいになるということですが、馬車の手配は夫妻にお任せでようございますか? こちらでも手配は可能ですが」

「えぇ、大丈夫。お借りしている馬車なので、山奥に行くには気がひけるの。アッカーソン夫妻はよく知ってらっしゃるし、安心してお任せできるから。ちょっと緊張するけど、ルーカスの数少ない友達だし、私も人見知りをしている場合じゃないし……」


素晴らしい。未来のルーカスの妻は、ルーカスにも配慮し、関わってくれようとしている。


「若旦那様をよろしくお願いいたします」


ジェイコブは頭を下げた。


早く”若奥様”と呼びたいと、呼べる日を心待ちにしていると、切実に願いながら。




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