8-6.少女との約束
「ねぇ、数日で出て行くから。お願い。誰にも言わないで。ねーちゃんたちの気持ちが落ち着くまででいいんだ。楽しい気持ちもぶち壊したくない。密猟者のせいだと言うなら、あいつら、密猟者を皆殺しにしかねない。ねーちゃんも旦那のにーちゃんも、みんなに愛されてるんだ」
自分を助けてくれた人に対して、無情な真似はできない。クロエは動揺しながらも、心を決めた。
ルールはルール。でも最初に破ってくれたのは、少女だった。そしてそのおかげで、クロエは生きている。それなら、恩を返さなければ。
「それなら……約束してくれる?」
「……なんでも。あたしができることなら」
彼女の真摯な瞳に、クロエは息苦しくなった。
クロエは植物が好きだ。森も好きだ。その中で生きる動物たちも。当然、自分たちが生きるためには、守るだけでは意味がないが、必要以上に獲ってしまえば、荒れ果てて森は消えてしまう。
だが、彼女たちは森を草原を海を、移動しながら生活している。荒らして生きるのが彼女たちの生き方だ。後のことなど気にする必要もない。そんな彼女たちに、こんな願い事が伝わるのかしら。
クロエは少女の顔に視線を留めて、勇気を奮い起こした。
「この森を荒らさないで欲しいの。移動していれば、きっとあれもこれも、素敵なものが見つかるだろうし、蓄えも必要だから採ってしまうのだろうけど……でもね、なるべく必要な分だけ、森からいただくことにして欲しいの。……お願いよ」
言い終えたクロエが様子を伺うと、彼女は目を丸くした。
「それだけ?」
「ええ、そうよ。大変じゃない?」
すると、彼女は優しい笑顔を浮かべ、クロエの手を握った。
「ううん。とても簡単だよ」
「そう?」
「あたしたちの生き方そのものだ。……トラップなんて、あんな危なくしなくても良かった。今まで、ひどい人もいて、あたしたち警戒しすぎてた。でも、そう、……あんたみたいな人もいるんだ。あたしたちみたいな人もいるように」
クロエは微笑んで頷いた。彼女もにっこりと笑った。
「服は乾いたね。良かった。泉のあっち側は、あたしたちがいるのがバレちゃうから、こっちから帰って。わかる?」
「わかるわ」
「きっとあんたを迎えに誰かが……きた! それじゃ!」
彼女は言いかけて、そのまま姿を消してしまった。
さすが。もうどこにいるかわからない。それに、クロエには誰が来たのかもさっぱりわからない。本当に誰か人が来たの?
クロエは立ち上がって、背後の木々の間を覗いた。馬は、当たり前だが、きちんと繋がれたままだった。
「クロエ?」
「わっ」
「大丈夫?」
「……ルーカス」
クロエはルーカスのきょとんとした顔に胸をなでおろした。ルーカスはクロエが元気そうなのを見て取ると、笑顔になった。
「密猟者は見つかったよ。動物も僕らもみんな無事だった。こっちにはいなかったようだね?」
「えぇ、いなかったわ。動物が数匹きただけ。可愛かった」
「そうか。よかった。疲れたろう」
「……うん。久しぶりに馬に乗って、緊張してしまったわ」
言いながら、クロエは腕がひどく重くなっているのを感じた。これでは手綱を握ることも難しそうだ。
「それなら、こっちに乗る?」
ルーカスのからかうセリフが、今はありがたかった。クロエはその言葉に思わず乗っていた。
「お願いしていいの?」
ルーカスが目を見張った。
「も……もちろん!」
そうして、クロエはルーカスの前に抱えられ、ルーカスはもう一頭の馬を慣れた手つきで誘導しながら、来た道を戻り始めた。
クロエは急に、ドッと疲れを感じた。頭も体もひどく重い。泉に落ちたのと、流浪の民テプラの少女と話したせいだろう。思った以上に緊張していたのかもしれない。ルーカスに会えて、安心したのもある。
気持ちが落ち着いてくれば、自分のことを考える余裕もできた。
名前も知らない彼女が、この森にいる。そして自然と共に生き、植物を身近に感じて暮らしている。その生き方こそ、クロエの憧れの生活だった。
でも、羨むほどでもなかった。なぜだろう。今まではきっと、羨ましかっただろうに。
クロエを抱えて馬を乗りこなすルーカスをそっと見上げた。視線が合い、ルーカスが安心させるように、にこりと微笑んだ。
そうか。ルーカスがいるからか。いつも肯定してくれて、助けてもらえるから。甘えさせてくれて、甘えてくれる。ううん。婚約者が有力者だから? 頼りになる”ルーカス”だから?
いつだって、最後までやり遂げてきたはずだったのに。自分に足りなかったのは、きっと甘えない意志だったんだろう。貴族令嬢から抜け出せないのは当然だ。何もかもが中途半端で、呆れてしまう。
もっと素敵な令嬢はたくさんいるのに、こんな自分と婚約するなんて、ルーカスったら、やっぱりずれてる。
「なんであの時、人前でプロポーズなんてしたのよ……」
クロエが思わずつぶやくと、ルーカスはクロエの耳元で囁いた。
「気づいたからだよ」
「何に?」
クロエの質問に、ルーカスはあっけらかんと答えた。
「この五年、君と過ごす時間を削ったのは間違いだった、ということにだ」
「はぁ……?」
「思えば、五年間ずっと、君の話は耳にしてたし、どうしてるか気にしてた。君の推理だけじゃなくて、君が誰かと婚約したり、恋仲になったりしないかって、ずっとモヤモヤしていた。でも君が嫌がるからといって、こわがって、会わずに見てるだけだった」
「急に何を」
「つまり、僕はずっと君に夢中だったってことだよ。僕が結婚したくなかったのは、独身主義だったわけじゃなくて、クロエが良かったからだ」
クロエは目が点になった。矛盾が過ぎる。




