8-1.森の外れの研究所へ
「まぁ、マリアンヌ様が?」
森外れの大きめの小屋のような建物を背に、クロエとルーカスは中規模の菜園を眺めていた。しゃがんで丁寧に植えられた花を真剣に観察していたクロエは、驚いてルーカスに振り向いた。その様子を見ながら、ルーカスが鷹揚に頷いた。
「あぁ。近いうちに近隣に来るそうなんだ。どこかで会うかもしれないね」
「それは楽しみね」
「ホントにそう思ってる?」
「当然よ。厄介ごとがなければいいなとは思っているけれど、マリアンヌ様のことは好きですもの、お会いしたいわ」
クロエがニコニコしながら嘘偽りなく言うと、ルーカスは柔らかく微笑んだ。
「クロエはマリアンヌ様が本当に好きだな……」
「え? えぇ、まぁ……」
マリアンヌは、クロエとは友人の男爵令嬢で、天使のような令嬢と賛美される、美しく可愛らしい令嬢だ。会いたいに決まってる。どうしてそんなに優しく笑ってるんだろう?
「また舞踏会かしら?」
「そのようだよ。マリアンヌ嬢は人気があるんだね」
「そうなのよ! すごいでしょう? この間なんて、視察に来てた遠国の使者から、『我が国の王妃に』なんて言われてたのよ! お断りしてたけど、さすがマリアンヌ様よね!」
クロエは人のことなのに偉そうに胸を張った。するとルーカスは、首を傾げた。
「羨ましいと思う?」
「何が?」
「『我が国の王妃に』。夢のような話じゃないか」
「まさか! 私がなりたかったものを知ってる? プラントハンターよ。王妃になんてなったら、庭に出るのも一苦労じゃない。無理だし、絶対になりたくないわ」
「変わってるね」
「あなたこそ変わってるわ」
「どこが?」
「私と結婚しようなんて。誰も思わないわよ」
クロエはルーカスをじっと見た。
ちょっと癖のあるセピア色の髪、星の輝きのある榛色の瞳。しっかりした体躯に、憂いを帯びた佇まい。めったに見せない笑顔はかわいくて、それを見れば、どんなに冷めた気持ちでいても、とろけてしまいそうになる。その上、頭脳明晰で事業の運営に長けているし、人望も厚い。国がひとつ買えるほどの人材だと言われ、クロエもそれに異論はない。腹立たしいことに。
「あなたもマリアンヌ様と同じくらい人気があるのに。お似合いなのに……」
「この僕と? 本当にそう思う?」
クロエはマリアンヌとルーカスが絶対的にお似合いだと思っていたし、今でもそうは思う。だが、現実問題、本当にそうかどうか、最近よくわからなくなってきていた。
「マリアンヌ様だって、あなたの性格を多少は知ってらっしゃるでしょう。仲がいいのだから」
「僕がボロを出すとでも?」
ルーカスがニヤリと笑った。意地悪な顔も見とれるほど綺麗だなんて、ひどい話だわ。
「あなたほどに怠け者で面倒くさがりな人もいないのに、みんなの前ではボロを出さずにいられるなんて、素晴らしい才能ですわ! そのような才能のない私があなたと同じ態度だったら、きっと牢屋につながれるくらいの罪状になるでしょうね」
「何の罪?」
「怠惰よ」
クロエがにこりと微笑むと、ルーカスは明るく笑い、クロエのごく近い隣に、同じようにしゃがみ込んだ。
「それなら僕も一緒に牢に入るさ」
「お上手ですこと」
甘い吐息を直に感じ、クロエは離れようと反対側へ体を移動しかけたが、次の言葉に気を取られ、それも虚しく終わった。
「あぁ、それで、ベンジーもね、こちらの大学に呼ばれたそうだよ」
”ベンジー”ことベンジャミン・クールは、伯爵令息でクロエとルーカスの幼馴染だ。先日、他国での留学を終えて国に帰り、そのまましばらく国にいるはずだ。
「あら。ベンも? 留学は他国ではなかった?」
「そうだったんだけどね。そちらの博士が特別教員として、こちらに滞在しているらしくて、協力を求められたそうなんだ」
「ベンって何の勉強をしてたんだったかしら?」
「経済学だったかな」
「二人とも同じ国に来ているなんて、偶然ね」
「うん、まぁね。でも、ベンジーもマリアンヌ様もよく呼ばれるから。同じ時期に滞在なんて、そう珍しくもないと思うよ」
言いながら、ルーカスがクロエの髪をくるくると指に巻いた。おそらく無意識だろう。幼い頃はよくそれで遊んでいたから。でも今はいい大人だ。そうそう髪に触っていい年齢ではない……と怒るところだが、クロエは別のことに気を取られていた。
何だろう。不思議だ。ベンジャミンはマリアンヌを知らないと言っていたのに。
マリアンヌは国内外を問わず人気のある令嬢で、他国によく呼ばれているのは知っていた。だからタイミング良くこの国に来るのは、不思議でもなんでもない。だが、考えてみれば、ベンジャミンだって外国に留学していた。そしてこうして、国をまたいで研究をしているのだから、同じくらい、いろんな国へ行っているはずだ。そして、同郷なら、すぐに知り合うと聞いたことがある。
どこかの舞踏会で会っていてもおかしくないのに、本当に会ったことがないのかしら? 噂だけを知っているなんて、あのベンジャミンが、そんなことあるかしら?
「……エ? クロエ?」
「え?」
「何を考えてた?」
ルーカスがクロエの顔を覗き込んでいた。恐ろしく綺麗な顔が数センチ前でクロエをじっと見ている。
近すぎて却って表情がわからないんじゃないかしら。
クロエは思ったが、幼い頃からのクセだから、今更嫌がって、意識してるのがバレるのも悔しい。クロエは距離感をなるべく考えないようにして、話を続けた。
「ベンはマリアンヌ様に会ったことがあるんじゃないかと思うんだけど、どう思う?」
「……何の話?」
「私には会ったことがないって言っていたのよ。でも、留学中に会っていてもおかしくないわ。もしかして、マリアンヌ様のことが好きなのかしら? だからルーカスをマリアンヌ様から離すように仕組んだのでは? ルーカスはベンに騙されてるんじゃなくて?」
そういうことは頼まなくても推理するんだな、とルーカスがなにやら小さくぼやいていた。クロエには半分も聞こえなかったが、あまり好意的な意見ではないことは伝わった。はっきり言えばいいのに。




