side story07 彼女はまだお嬢様であって若奥様ではない ーニーナの自負ー
クロエの侍女、ニーナ視点のサイドストーリーです。
使用人達との会話です。
我がソーンダイク家のお嬢様は、どちらかというと貴族たちより、使用人に評判がいい。
「ニーナさん、若奥様って、悪い方にしてはとっても指示が的確で、お仕事しやすいですね! びっくりしました!」
どこを突っ込もう。クロエはまだ若奥様ではなく、ソーンダイクの令嬢であるとか。自分の主人を悪い方とは思ってても言ってはいけないとか。言うなら、こんなに人がいる使用人の食堂ではなく、二人きりの時にすべきだとか。
だが、クロエの侍女、ニーナは、ただにっこりと微笑んだ。ルーカスの仕事である隣国の周遊のため、クロエについてきたのは自分だけで、他は侯爵家で雇われた人間だ。そんなことを指摘したところで、圧倒的に分が悪い。
「そうなんですか?」
「えぇ、以前お仕えしていた別のお嬢様は、指示されたことが違うと言って怒るので、ちょっと怖くて……評判のいいご令嬢でもそうでしたから、悪役令嬢だなんて、もう、どんな方にどのような指示をされるのかと、実際にお会いするまでは不安で仕方なくて……」
そこまで言って、ニーナの同僚のパウラは、慌てて頭を振った。
「ごめんなさい! 私ったら! もとからあなたのご主人様のことをそんな風に」
「いいんですよ。うちのお嬢様は人見知りで笑顔が少ないですから、いい印象がないのには慣れています。でも、お口は慎んでくださいね」
先日、ニーナの主人、クロエ・ソーンダイク伯爵令嬢は、ウェントワース侯爵家の長男、テンバリー伯爵ルーカス・モファットと婚約した。
貴族たちの間では、誰もが憧れる侯爵令息として有名だったルーカスが、社交界では悪評ばかりが目立って、本人らしさはほとんど目立たなかったクロエと婚約したことは大きな衝撃だった。幼馴染みだからといってずるい、と言い出す令嬢もいた。
だが、ニーナにとって、クロエは良い主人で、優しくて素敵な令嬢だった。面白くて、興味深い人でもあった。飽きることのない発想と、その行動力、そして聡明さがニーナは好きだ。
だが貴族社会では必ずしも受け入れられず、クロエはよく、生意気だと中傷されていた。きわめつけは、悪役令嬢という、まるで根拠のないレッテルだった。よくよく知れば、クロエが、みんなに愛される令嬢に対し、ただ心配で注意をしていただけに過ぎないのに。
そしてパウラは、クロエがルーカスと婚約し、周遊に出るとなってから、侯爵家が雇ったまだ若い侍女だった。仕事はしっかりできるが、気を抜くとすぐに口が緩くなる。相手がニーナだったから良かったけれど、もう少し注意できるようにしてあげなくては。
「はい……本当にごめんなさい。今は私のご主人でもあるんですもの、気をつけないとならないですよね。とにかく、若旦那様と仲がよろしいようで、本当に良かったです」
パウラの言葉に、他のメイドがウフフと笑った。
「あの若旦那様がデレデレになっちゃって、素敵よね」
「あの、って?」
ニーナが首をかしげると、その場にいた他の同僚たち、十人ほどが全員、顔を向けてきた。そして、口々にニーナに訴えてきた。男女関係なく、まるで、今まで箝口令が敷かれていたかのように。
「若旦那様は、以前はとっても無気力で、淡々と仕事だけこなしてるような方だったんです」
「だなぁ。もともと出たがりじゃなかったけど、舞踏会なんかも好きじゃなくて、最低限しか行かなくてな。俺も靴を磨いて何度無駄になったか」
「それなのに人気があるのが不思議よね」
「そうそう。でも! 若奥様とお過ごしするようになってから、毎日が本当に楽しそうで」
「仕事にも張りができたみたいですし、ね!」
「そう! 笑顔がとっても素敵になりました」
「これまではとっつきにくかったんですけど、ジョークも言ってもらえるし、雰囲気もやわらかくなって、私たちも仕事がしやすくて」
「いやぁ、本当にもう、若奥様が来てくださってスゲェ良かった!」
「若旦那様が無理に若奥様と婚約したって従者のギャレットが言っていたけど、本当なんですか?」
「ひどいなと思うけど、あれだけ嬉しそうにしてるのを見ると、何にも言えないっていうか……」
「若奥様も楽しそうにはしてると思うわ。きっと大丈夫よ」
その中の一人が、ニーナの顔を覗き込んだ。
「ね、だから教えて下さらない? 若旦那様は、いつからあのように若奥様を大好きに?」
みんなが一斉にニーナの言葉を待つ。もう若奥様は定着してしまったのか。移動が多く、イレギュラーなことが多い周遊では、家の中での仕事がメインで、使用人達は、ゴシップに飢えていた。
ニーナは思い返したが、記憶になかった。
ルーカスがクロエを大好きでない日など。
クロエと一緒にいない時のルーカスを、ニーナは知らない。ニーナの前、すなわち、ほぼプライベート空間になると、ルーカスはいつだって、クロエの気を引こうと一生懸命だった。大人になるに従って、それは礼節を伴ったが、いつだって変わらなかった。疎遠になった時期を除いて。
「……わかりません。昔からあの様子でしたので、それが普通だと思っていました」
すると、パウラが感激したように叫んだ。
「まぁ! ロマンスですわね!」
「そうですね! 長年の片思いを実らせた美貌の侯爵令息……! いい話になりそう!」
「では、若奥様も?」
さて困った。これだけ好感度の高い彼らをがっかりさせるのは気がひける。『正直、結婚などまるで考えておらず、プラントハンターになりたくて、諦めた日には、その元締めになろうと勉強を始めた』とは言えない。
「どうでしょう……そこらへんは、私もよくわからなくて……」
でも、これだけは言える。
「でも、うちのお嬢様は嫌なことは嫌ですから、もし、若旦那様との結婚が嫌でしたら、何があっても婚約なんてしませんよ。お嬢様は、あれよあれよという間に決まってしまったと言ってましたけど、本当にその気がなければ、速攻で断って、話をする機会もなかったでしょう。ですから、ただ驚いていただけで、お嬢様も喜んでおられたんだと思いますわ」
「あらぁ……でも驚かれるなんて、どうしてかしら?」
「それは、若旦那様がわかりにくい方だったからです」
「まぁ。それは本当? だってあんなに大好きオーラが出ているのに?」
「でもそれも、今だからですよ。ちょっと前まで、お二人とも疎遠でしたし、お嬢様は若旦那様を苦手としてらしたので」
ニーナの言葉に、使用人達は、また口々に憶測を唱え始めた。
「まぁ! どうしてかしら!」
「好きすぎたのが原因かしら? いつでもどこでも、あんな風にうっとりと見つめられたら、ちょっと恥ずかしいわよね」
「えー、でもあれくらいされたいわ」
「でも若奥様は苦手なのかもしれないわね! 奥ゆかしくて優しい方ですもの」
「ね、睨まれると怖そうだけど、されたこともないし」
「しっかりしてらっしゃるし、とっても素敵な方よね」
悪役令嬢の噂は、使用人達には結局のところ、何の影響もないらしい。外国に来ているのだから当然とはいえ、クロエが正しく評価されるのは、ニーナにとって嬉しいことだった。
彼らの話を聞いているうちに、ニーナは、クロエが幼い頃、ルーカスと会うのをとても楽しみにしていたのを思い出した。あの時と、二人とも全く変わっていない。ニーナはずっと、クロエが植物にしか興味がないと心配していたが、ルーカスだけは別だったのだと、今回の周遊で認識したのだった。
ニーナとしては、ベンジャミンとルーカスがクロエを取り合うくらいでも、もったいないと思っていたくらいだが。
「でもちょっと、張り切りすぎかもしれないですね。お疲れがたまらないように、気をつけないと」
ニーナが最近のクロエを憂慮して言うと、途端に使用人達の顔が曇った。
「……大丈夫でしょうか、若旦那様は、嫌われたりしないでしょうか?」
不安そうなメイドの声に、次々と賛同の声が出た。
「疲れてらっしゃるのに……若旦那様に本当のことが言えなくなってしまっているのでは?」
「だって若旦那様の勢いは相当に凄いもんでしたよ? 強引もいいとこだった。若奥様もよくついてこれたもんだと感心したくらいだ。疲れない方が難しいな、うん」
「そうですよねぇ。婚約したと思ったら、落ち着く暇もなく外国の周遊。若奥様だって、そんなにお得意でなさそうなのに、舞踏会にお茶会に訪問に、人と会う仕事ばかりで」
「慣れない生活で、ストレスになってらっしゃらないかしら?」
「病気になってしまうんじゃない? 私たち、気をつけないと」
「そうよね、私たちがケアしていかないと。やっぱり若旦那様は若旦那様。私たちは私たち。視点が違うんだから、もっとできることがあるはずよ」
「そうよ。人は愛するがゆえに、盲目になりがちですもの」
そんなつもりはなかった。ただ、植物を見て回るのが楽しくて、あれこれと時間を詰め込みすぎだと考えてただけなのに。
「大丈夫です。お嬢様は植物が好きですから、それを見ていれば心は休まります。ただ、そればかりに気持ちを注いでしまって、他が疎かになるんです」
だが、ニーナが言ってもあまりピンとこないようだった。これが執事のジェイコブや従者のギャレットなんかだと、だいぶ伝わるんだけど。まだ日が浅かったり、接する時間が少ないと、それはわからないか。
仕方なく、ニーナは伝えるのを諦めた。クロエの植物好きがどのようなものかは、時間をかけて実感してもらうしかない。
「それよりね、」
ニーナは微笑んで、彼らに告げた。
「若奥様なんて呼ぶと、気負いすぎて頑張ってしまうかもしれないから、お嬢様ってお呼びしてね」
そう。クロエはまだまだソーンダイクのご令嬢だ。ソーンダイク家として、みすみす簡単に手放したい娘ではない。父親である伯爵からすれば、ずっと手元に置いておきたいくらい、大事な娘なのだ。クロエが本当に逃げ出したかったのなら、とっくにニーナが手を貸している。この先だって。
すると彼らは神妙な顔で、真面目に頷いたのだった。




