7-2.ワインの飲み方
踊りを終えると、ルーカスはすぐにクロエをエスコートして歩き出し、そそくさと広間の端に向かった。自分に向かってくる視線や足音は気づかないふりだ。さすが面倒くさがり屋。
「クロエ、この後はどうする? 疲れたろ? バルコニーへ行かないかい?」
「あなたは踊らないの?」
「踊らないよ。クロエがもう一度踊ってくれるなら踊るけど」
「他の方と踊ってよ……そういう会でしょう」
「今日は、近くに来たから誘っていただいただけで、僕のために開かれたわけじゃない。一度踊れば充分だろう」
「でも、あの体験を味わえない令嬢がいるなんて……」
惜しい、惜しすぎる。クロエは夢のような感覚を思い出して目を瞑った。クロエでさえ、もう少し練習してみようかと思ったくらいだ、ルーカスと踊ることでそんな気になる令嬢がどれだけいることだろう。きっとダンスが苦手だった令嬢が踊ることができれば、みんなの助けになるだろう。もったいない……
「それはクロエだけにして。まさか、クロエが他の男と踊りたいなんて言わないだろうね?」
ルーカスがクロエを腕をぐっと引き、クロエは否応なく現実に戻った。そう。ルーカス以外とまともに踊れる気がしない。それこそが問題だ。
「踊るわけないでしょ。ダンスは苦手だもの」
「なら、問題ないだろう。一緒にいても」
「でも、あなたとは踊る価値があるわ。私とはないけど」
「あるよ。君はとても素敵だから。僕が離れた瞬間に、申し込まれる。それは絶対に阻止したい。君の手を取るのは僕だけだ」
「何言ってるの、そんな申し込みなんてあるわけないわ……」
誰もが探偵になりたいわけでもないし。というか、探偵じゃないし。
そもそも、探偵になって欲しいからって結婚を申し込むのがおかしいし、植物を見るために婚約するのもおかしい。
ルーカスもクロエもおかしいと思えば、お似合いなのかもしれない。
いや。ちょっと待って。その考えもおかしい。ルーカスに感化されてしまったのでは?
クロエが怯えた、その時だった。
「キャァ!」
誰かの叫び声が聞こえた。
「毒よ、これは毒だわ!」
ルーカスが顔を上げ、人だかりの方に向いた。そして颯爽と声の方向に足を向ける。
「見に行ってくるよ、クロエ」
「ダメよ。面白がるなんて」
すると、ルーカスは申し訳なさそうにクロエに目を向けた。
「あぁ、ごめん。仕事だよ。僕は視察を任されてる身だから、ここで揉め事が起きたのなら、治安の問題も考えなければならないし、相手によっては外交問題だ。友好関係を確認するには、行かなければならないんだ」
「……そうだったわね」
「それに、毒なら危ないだろ? 他に被害がないか、確認しないとならない。みんなの安全が大切だ。君はここにいて」
「私も行くわ」
真面目な顔のルーカスは、すっかり仕事の顔だ。
ルーカスはすぐに切り替えられたのに、クロエは自分のことばかり考えていた。ルーカスだって本気で何か起こって欲しいと思ってたわけじゃないのに。恥ずかしい。その上、めったに見ないからって、仕事用のルーカスの顔にときめくなんて、危機管理能力が足りないわ。
この状況を心配するより前に、面白がっていると勝手に考えてしまったことに、クロエは自己嫌悪を感じた。
ルーカスの後をとぼとぼとついていくと、座り込んでいる令嬢と、蒼白の給仕たちがバタバタと走り回っていた。令嬢は顔色が悪く、ひどく歪んだ顔をしていた。主催者と話し、代理を仰せつかったらしいルーカスが、給仕たちに指示している間に、クロエは思わず駆け寄り、彼女に寄り添った。
「大丈夫ですか? 何を口に入れたのです?」
彼女は震える指で何かを差した。
「……ワイン?」
彼女は震えながら頷いた。クロエは躊躇なくそのワイングラスを手に取り、匂いを嗅いだ。
「……! 酸っぱい」
ツンとした匂いがした。周囲に置かれていた中でも手近なワインボトルを手に取り、蓋を開けて嗅いでみる。
これは違う。ではこっちは?
嗅いでみて辿り着いた。
これかしら?
クロエはそのボトルから新しいグラスにワインを注ぐと、改めて香りを確かめた。多少の知識はある。毒草だって薬草だって、社交界デビュー前に植物学の教授に教わっていたことが役に立つなんて、思わなかった。
うん。これだ。
これは多分……おそらく……
クロエはちらりと彼女を見て、具合は悪そうにしているが、命に別状はなさそうなのを確認すると、そのワインをぺろりと舐めてみた。
やっぱり。これは酢だわ。




