6-8.思いがけない贈り物
「ケルベロスフラワー……!」
クロエは思わず立ち上がり、歓喜に踊り出しそうになった。部屋の隅で控えていた執事のジェイコブが、うっかり手にしていたお盆を落とした。
「驚かせてしまってごめんなさい。ローゼ様から植物が届くの。とても可愛い食虫植物よ」
「ケルベロス……フラワーですか……なんとも……」
「知ってる?」
「はい。その……お嬢様の趣味は……私のような者にはわかりかねますな……」
事典で見たことしかない、かなり綺麗とは言い難い花である。毒々しい赤い花で、細長く垂れる雌しべは、まるで地獄の番犬の舌のようだと、批評家を唸らせている。
だが、その毒々しさは、花びらのベルベットのような滑らかさであったり、ツヤの良い尖った葉のしなやかさだったり、可愛らしい大きさだったり、そういうものが裏に隠されているのだ。
「綺麗な花も、珍しい花も、どこにでもある花も、奇妙な花も、私は大好き。ルーカスも花だったら、もっと好きになれるかもしれないわ」
クロエが言うと、食器を下げに来た給仕がぎょっとしたようにジェイコブを見る。
「ううん、ルーカスはすでに花のような人だから……もっと……草っぽい方がいいわ。髪の毛もホルコスールみたいに綺麗だし、瞳なんかはどんぐりの実みたいに可愛らしいし、すらっとしているところも大木に巻きついてるつるバラみたいに華やかで素敵だし……だから……もっと……草みたいな……」
クロエのつぶやきに、給仕と執事は目を合わせてため息をつく。ご主人は嫌われていない。強引に婚約したようだけど、婚約者様は寛大な方のようだ。
クロエはウキウキしながら手紙を畳んだ。
この移動生活で、どこにいっても自分の知らない花があるのは楽しみだったが、確かに運びながら育てられる植物はなかった。それなりに長い周遊生活、この花のおかげで、嫌なことも楽しめるかもしれない。
それに、ルーカスにイラついた時は、虫をとって花に食べさせればいい。少しは溜飲が下がりそうだ。
「やったー!」
クロエが叫んだところで、ルーカスが顔を出した。
「クロエ。こんなところにいた。探したよ」
そう言って、とろけそうに微笑む。
探した? この屋敷で? そんなに広くないけど?
クロエが首を傾げていると、ルーカスはつかつかと近寄って、クロエの手に口付けをして、隣に座った。当然引っ張られるように、クロエも椅子に座る。
「朝から会えなくて、寂しかったんだ」
「朝? 食事の時に会わなかった?」
「もちろん、会ったけど。ちょっとだけだろう? すぐに仕事だったから仕方ないけど、もう少し時間が取れてもよかったと思うんだ。今度から、朝食後もゆっくり話す時間が欲しいんだけど、どう?」
クロエは目をパチクリとさせた。急に距離を縮めようだなんて、いったいどうしちゃったんだろう? こないだから、ルーカスは変だ。ううん、プロポーズしてきた時から、違うわ、もっと小さい頃だって、やっぱりちょっと変だったのでは?
クロエは手を振り払ってティーカップを手にし、ついっとそっぽを向いた。ルーカスがそれに伴い手を挙げると、給仕が同じようにお茶をルーカスに揃えた。
「どうぞご自由に。でも私にだって予定はあるんですから、ちゃんと考えてくださらないと」
「もちろんだよ。じゃ、このあとの予定は? 馬車で湖畔の花畑に行く?」
ルーカスの考えにしては、非常にそそられる提案であったが、クロエは首を横に振った。
「今日はいいわ。首都からかなり長く馬車に乗りつづけてきたのよ。ようやく馬車から降りたのに、また馬車に乗るなんて。家でゆっくりしたいの」
「僕も一緒でも?」
クロエは横目でルーカスをちらりと見た。
これ以上、言うことなんて聞かないからね。私にはケルベロスフラワーが届くんだから。私の番犬なんだから。植物だけど。
「……仕事は?」
「終わった」
「そうなの? 書類は?」
「もう終わったよ」
「本当?」
「信じてくれないの?」
「もう信じない。ルーカスは嘘つきだから」
「え?」
驚いたルーカスに、クロエは微笑んだ。
「でも、ローゼ様をお助けすることはできたわ。だから、嘘つきもたまには役に立つということでしょう」
「嘘じゃないよ、クロエ。君はとても優秀な探偵だ……人を助けることができる、本当の貴族だよ」
「そんな風に持ち上げなくても、あなたの嘘にはお付き合いするわ。この地であなたが任務をこなしている間は、仕方ないです。評判が悪くなって、侯爵様にご迷惑がかかるといけませんもの」
「探偵は、嫌い……?」
「好きでも嫌いでもありません」
クロエは念を押し、ため息をついた。
「ねぇ、ルー」
クロエが声をかけると、ルーカスはキラキラの笑顔をクロエに向けてきた。一瞬ひるみそうになったが、構わずクロエは続けた。
「私は探偵ではないし、きっと退屈するわよ」
「しないよ」
「するわ」
「しない」
「する」
ルーカスがムッとしたように眉をひそめた。
「それなら、証明してみて」
「何を?」
「僕が退屈する、という証明さ」
「そんな無茶な」
「君はこの婚約を蹴る権利がある。国に帰って、僕を振ればいい。身分なんて気にしないで欲しい。そうじゃなければ、……僕は君と結婚する。何としても」
どうしちゃったの、ルーカスは。
今までにない言葉の強さに、クロエはいつもと違う決意を見て取った。




