2-11.悪役令嬢は探偵にはならない
「ウェントワース夫人……」
クロエが、多少非難めいた口調で声をかけると、レオナはにっこりと微笑んだ。
「あの小さな扉にあって、驚いたでしょう?」
「驚きました。思わず、使用人達を疑ってしまって……でも違ったのですね。良かったです。彼らには申し訳ありませんでしたわ」
クロエは心底ほっとして言った。
とにかく、これはレオナの”いたずら”で、悪意が誰かにあったわけじゃない。それが一番で、そうとわかれば、クロエにはなんのわだかまりも起きなかった。
疑われるのに慣れすぎてしまったのかもしれない。だが、誰かを疑ったり、自分が疑われないかと不安になるのは、本当に疲れるのだ。それをどうにかしなければと思うことも。
「あぁ、ごめんなさい。さぞかし気を揉んだことでしょう。それは盲点だったわ。あなたをいたずらに悩ませてしまったわね。ルーカス以外が触ることなんて、考えてなかったの」
「あの扉を作っていただいたのは私ですよ。時には思い出して、懐かしさで触ってみたくもなります」
すると、レオナはふふふと笑った。
「それなら、あの子のプロポーズは、それなりに意味があったってことね」
「え?」
「手順を追っていたら、あなたはきっと、そんなこと思わなかったでしょう」
「そう……かもしれませんが……”宝の地図”はご冗談が過ぎます。ルーカス様だって、おかわいそうに」
「いいのよ。だって、まるで結婚なんか興味ないって顔して、完璧で、いつも冷徹で、まるで人間らしくないって思ってたのに、おバカで可愛いんですもの」
クロエは髪留めに手をやり、優しい笑顔のレオナに尋ねた。
「この髪留めを贈っていただいたのも……引き出しで見つけなさったからと、おっしゃっておりましたけれど」
「そうなの。何かいいプレゼントはないかな、って思ってたところで、そんな話を聞いたなぁって思い出して。贈らせていただいたわ。ご不満?」
「いいえ、まさか! とっても素敵で……父も母も、私に誂えたように似合うって言ってくれて。普通はたった一週間で手配できるものじゃない、さすがは侯爵夫人だと……」
いいえ、一週間でなんて、手配してない。家にあったものだ。最大五年くらい。それに、つまり、ルーカスがクロエのために誂えたのだから、似合うのは当たり前なのかもしれない。なんだか癪だけど。
それじゃ、この髪留めのお礼は、夫人ではなく、ルーカスにすべきってこと?
でも直接もらったわけじゃないし……クロエが悶々としていると、レオナはクスクスと笑った。
「だって、もったいないでしょう? その髪留めを見たとき、すぐにあなたが浮かんだの。今のあなたにつけて欲しいって。だから、あげちゃった。引き出しにしまっておくなんて、許せないもの。そもそもね、ルーカスはその髪留めを見たとき、あなたに聞けばよかったのよ。誰からもらったんだって。そうすれば、こんなことにはならなかったのだから」
「いたずらもほどほどになさいませ」
クロエが言った時、ルーカスが息を切らして戻ってきた。今日は駆けずり回って大変なことだ。そしてルーカスは、両手に抱えたジュエリーケースをテーブルの上に少々乱暴に置いて、クロエに顔を向けた。
「ク……クロエ……これ……が、君への……」
クロエはため息をついて、ルーカスに顔を向けた。ルーカスが少し身を硬くする。
”怖がらなくていいわ、ルー。私、昔みたいに怒りっぽくなんてなくてよ”
クロエは心の中で、幼かった頃のようにルーカスに声をかけてから、微笑んだ。
「この髪留め、とても気に入っておりますわ。選んでくださってありがとうございます、ルーカス様」
引き出しにしまい込んでいたとはいえ。
クロエが言うと、ルーカスは大きく息をついて、クロエの髪留めにそっと手を触れた。そして、髪をさらりと撫で、最後は指でくるりと巻いた。
「うん、……よく似合ってる。思った通りだ……」
それにしたって、なんで毎年買ったりなんてしたのかしら。疎遠な幼馴染にプレゼントを贈るのが面倒だったのではないの?
クロエは当時を思い出してみた。
ルーカスも話しかけては来ず、クロエも人気者のルーカスを避けがちになり、次第に話すことも少なくなったのだから、当たり前だと思っていた。そして当時、プラントハンターへ向けて一番忙しい時だったクロエは、それきり、すっぱりプレゼントの事を忘れてしまった。
ルーカスへのプレゼントなど考えたこともないし、ルーカスだってそうだと思っていたのに。
でもまぁ、百歩譲ればわからなくもない。定期的に行商が来るんだから、その時に、思いつくこともあるだろう。ただ、その相手はクロエでなくていいのだけど。むしろ、マリアンヌがいるのでは。
だが、ルーカスがうっとりと見つめてくるものだから、クロエは頭にぐるぐる回る言葉を一つも言えなかった。
毎年って、一体何年分? まさか本当に五年分?
ジュエリーボックスに目を向けたが、クロエは箱の数を数える気になれず、再びルーカスに視線を戻した。箱の数だって、年数と正しいわけではない。
「お礼は何がよろしいかしら?」
「お礼?」
「ええ。何もお返ししておりませんもの。誕生日にも何もしておりませんし」
忘れてたし、距離を置いてた。個人的には今までと同じように距離を保っておきたいが、ここは礼儀を尽くさねばならないだろう。
すると、ルーカスはクロエに顔をぐっと近づけた。
「それじゃ……僕と結婚して?」
ルーカスの吐息がクロエの耳をくすぐった。小さい時の他愛ないお願い事を思い出し、思わず頷きそうになって、顎を上げた。
「な……?」
何言ってるの?
「だから私は探偵になりませんよ。探偵が良ければ、他をあたってください」
クロエがギリギリ声を上げずに伝えると、ルーカスはテーブルを叩き、抑えた声で強く主張してきた。
「でもクロエには探偵が似合ってる! 僕が支援する! 僕は五年で髪留めを含むパリュールの全てのセットを揃えたんだ、それをすべて渡す、だから君を探偵にする! そして僕は、憧れの助手になるんだ!」
「私をお金で買おうっていうの! 信じられない! バカにしないでくださる? たとえ落ちぶれても、あなたの施しは受けませんわ!」
だいたい五年って何? そんなに前から、探偵になって欲しかったってこと? その時間があれば、自分でなっていればよかったのに!
振り返れば、モニークが呆然としており、その兄がモニークの肩に手をかけていた。
「あのクールで……優しくて……公平で……丁寧な……ルーカス様が……」
それはね、無関心で、他人事で、どうでもよくて、消極的な、ルーカスっていうのよ。ついでに面倒な性格をしていると付け加えたい。
クロエは心で呟いたが、声に出ていたらしい。モニークがクロエを睨んで捨て台詞を吐いた。
「……やっぱり悪役令嬢は違いますのね! 魔性の女は、こんなに素晴らしいお方でさえ、堕落に落とすのですわ!」
魔性? それは新しすぎて違うと思うわ!
だがクロエはそれを伝えられなかった。すでにモニークの姿はなかったからだ。
「そんなんじゃない! 手紙が届いていればわかったはずだ、クロエ! なんで届かなかったんだ……」
ルーカスが嘆いていたが、クロエには聞こえるはずがなかった。
その時クロエは、全てを放り投げて、未知の薄黄色のマカロンの味をようやく確かめるところだったのだ。
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