side story17-2 彼女は耳を傾けていただけで詳しくは知らない ーマリアンヌの決意ー 前
マリアンヌ視点のサイドストーリーです。
ベンジャミンへのプレゼントの相談をする話です。
長いので二つに分けました。が、それでもちょっと長いかも。
マリアンヌがルーカスを訪ねて執務室へ向かうと、従者のギャレットはルーカスの返事に首をかしげながら、マリアンヌを部屋に通してくれた。
「クロエ様がご一緒でないのなら、お通しするとのことです。今は雑事を済ましているところですが、煩雑で構わないようでしたら、すぐのソファでどうぞお待ちください」
「まぁ」
”クロエがいない”という条件も珍妙ながら、あまり自分を見せたがらないルーカスが仕事をしている姿を見せてもいいなんて。
ちょっと興味深いわ。
「それでは、ぜひ、ソファで待たせていただきますわ」
マリアンヌは穏やかに返事をしながら、心は興味津々だった。
何をしているところなのだろう? マリアンヌがいてもいいくらいだから、大したことはないだろうけど、普段、どんな風に仕事をこなしているのかしら?
一歩執務室へ足を踏み入れると、そこは緊張というより苛立ちを募らせた空間だった。
いったい何が?
そう思って見回すと、ルーカスはベンジャミンと一緒に、山と積み上げられた新聞を延々と読んでチェックしていた。
「まぁ。ベンジャミン様?」
「マ……マリアンヌ様? ルーカスにお話が?」
「い、いえ、その」
「俺は席を外した方がいいでしょうか?」
ベンジャミンが心配そうにこちらに目を向けた。その間、手元は止まり、新聞は動いていない。ルーカスがギロリと睨んだ。
「ベンジー、時間が勝負だ。早くチェックしろ」
「だが」
「承知してもらってる。君たちはもうすぐ帰るのだし、時間があまりない。こっちが先だ」
「わかったよ」
ベンジャミンが渋々作業に戻った。
ルーカスの元へ来たのは、ベンジャミンへのお礼のプレゼントの相談が目的だ。クロエに相談したが、答えが出ないため、結局ルーカスに聞く方が良いと結論が出たのだ。
クロエに勧められ、来てみたものの。
いったい二人は何をしているのやら。
だが、急を要するようだし、おとなしく終わるまで待つのが道理だ。邪魔をするつもりもない。そもそも、ベンジャミンがいる前でできる話でもない。
黙ってギャレットが淹れてくれたお茶を飲んでいると、ルーカスが、バサリとテーブルに資料らしきものを投げつけるように置いた。上品な彼には珍しい。
「これで全部か」
「だと思う」
「ふん……否定的な記事の元ネタはこの三社か……後のこっちは、これにつられてるだけだ。つまり、この三社を潰せば楽勝だな」
「潰すって……こんな大手の新聞社を三つも潰す気か? 無理だ」
「だがどうする? こんな記事が流布してしまえば、クロエが胸を痛めてしまう。そうしたら僕からまた逃げてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けたい」
いったい何の話? マリアンヌはぎょっとしたが、次の冷静なベンジャミンの言葉に頷いた。
「今更、そんなことしないだろう」
「わからないじゃないか。交際を申し込めば誰でも承諾してくれそうなベンジーには、僕の気持ちは理解できないんだ」
「話が極端だ。してもいないことを勝手に憶測するな。君たちの記事だって、悪いものは多くない。そのうち淘汰されるよ」
「だめだ。完璧とまではいかなくても、それに近い状態で僕たちは帰るんだ。殿下の顔にも泥を塗ることになる」
言った後、ルーカスは手にしていた新聞をひらひらと振った。
「あーあ、この記事みたいに面白おかしいゴシップにしたててくれればいいのに。スキャンダルみたいに扱うと、途端につまらなくなる」
ベンジャミンが首をひねりながら、ルーカスが手にしていた新聞を引き取った。マリアンヌも気にはなったが駆け込んで覗く訳にもいかない。メガネを抑えてさっと新聞に目を通すベンジャミンの動きにドキドキしながら、マリアンヌは様子を伺った。
「面白おかしい? あぁ、ハイルズ王国ゴシップタイムズの社交欄か。……ははは。クロエのこと気に入ってるんじゃないかな、この記者」
「”気に入ってる”って?」
珍しい。ベンジャミンが地雷を踏んだ。
マリアンヌの耳に、控えめに言っても不機嫌が零れるルーカスの声が恐ろしく聞こえた。ベンジャミンの軽い口調との落差が激しい。
ベンジャミンが表情を変えず、静かに答えた。
「気に……うん、ルーカスとお似合いだと思ってると思う……」
沈黙が落ち、マリアンヌは思わず息を止めた。ルーカスはベンジャミンを怒るだろうか? 新聞を切り刻むだろうか? 新聞社に殴りこむだろうか?
しかし、どれも違っていた。ルーカスは背もたれに背中を預け、ただしょんぼりと頭を下げただけだった。
「そうか? ……クロエに似合わないと書かれてしまうんじゃないか?」
「それはない」
ベンジャミンがすぐさま否定したが、ルーカスは浮かない顔だ。
大丈夫かしら。いつもクロエを大好きだけれど、今までこんなに自信なさそうにしていたことはない。
マリアンヌが心配でベンジャミンをちらりと見ると、彼はにこりとこちらに笑みを向けた。マリアンヌは不意打ちに頬が熱くなり、急いで視線を逸らした。
「最初は好意的でも、あとはわからない……いっそのこと、僕たちのことに触れている新聞社を全て潰した方が?」
ブツブツと物騒なことを言うルーカスに、ベンジャミンがため息をついた。
「……わかったよ。だからって、潰す必要はないだろう。圧力をかけて好意的な記事を書かせれば充分だ」
「圧力? 圧力か……」
「やりすぎるなよ?」
「いや……」
言いかけて、ルーカスははたと気がついたように顔を上げた。
「わかった。この三社に独占記事の提案をしてくれ。三つの題材だ。一つ、我が国の王太子殿下とその婚約者の独占インタビュー。二つ、今回の事件の裏話、僕とクロエの愛情たっぷりの手記。三つ、他国だが、僕の姉上のアニエス王子妃の異国情緒いっぱいの宮廷日記。我が国トップ、今話題の事件、他国に嫁いだ人気の元令嬢だ。興味のある層は違うが、確実に売れるネタだ。どれも自分からは発信していないからな。この三つを一つずつ選んで、その代わり、僕たちへの中傷記事は取り下げる。その後は交渉次第で、続編も可能。どうだ?」
ベンジャミンが目を丸くした。マリアンヌも同様だ。
ルーカスとクロエなら事件の当事者だからまだしも、自国の王太子殿下に他国の王子妃。確かに、どちらも我が国では人気があり、特にアニエスは、嫁いでしばらく経つのに、今なお愛される女性だ。おそらく、殿下に嫁いでくるマルギット姫も同様に、ずっと愛されるだろう。そう思えば、どの記事も興味深い。普段新聞を読まないマリアンヌでさえ、全部買いたくなる。
「もちろん、違う記事の提案だってできる。他国でも自国でも節度があって令嬢たちに人気がある、将来有望な貴族令息のお見合いレポなんてどうだ? 題は、そうだな……『ベンジャミン・クールのお相手探し』。先日のパーティーでも女性に囲まれて羨望の目で見られていたし、話題には事欠かないだろう。君のような派手でもない地味でもない、ソツがなさそうで密かに人気のある男の密着記事は、さぞかし人気が出」
「ストップストップ。それはなしだ。レポなんて冗談じゃない」
ベンジャミンが慌ててルーカスを制した。そして覚悟を決めたようにルーカスを見た。どうでもいい話だが、もし見合いレポの記事が出たらマリアンヌは買いたい。いや、買いたくない。むしろその前に名乗りを上げたい。でもきっと無理。自分はベンジャミンの理想ではないから……
「……アニエス様の承諾は得てるのか?」
マリアンヌが勝手に落ち込んでいる間にも二人の会話は進み、ベンジャミンが訝しげにルーカスに質問していた。
「まさか。でも姉上はクロエがお気に入りだからな。クロエのためになるなら、宮廷日記ぐらい書いてくれるよ。というか、書いてもらう。クロエが暗い顔でウェントワースの屋敷に来るなんて、考えたくないからね」
「まさか殿下も?」
「当然」
「事後承諾?」
「悪くないだろう」
ルーカスがニヤリと笑みを浮かべた。それに呼応するように、ベンジャミンもニヤリとした。見目のいい男性同士が悪い笑顔を浮かべる姿は……これはこれで絵になるわ。
「悪くないね。これは俺の交渉のしどころといったところだろう。先に手紙を出して、協力を仰ぐことにするよ。ルーカスからじゃないほうがいいね、角が立つから」
「助かるよ」
ルーカスの言葉を機に、ベンジャミンは荷物をまとめてドアに向かった。マリアンヌは名残惜しくその姿を見送るしかない。ベンジャミンはちらりとこちらに視線を送ってきたが、ただ頭を下げただけだった。それだけでも胸がギュッと苦しくなってしまう。重症だ。
「それじゃ、すぐに取り掛かる。帰ったその足で新聞社にいくよ」
「頼んだ」
「人使いの荒いヤツ」
ベンジャミンは笑いながらドアの向こう消えていった。閉まるドアに、ルーカスも笑いながら声をかけた。
「お礼はいいものを用意しておくよ」