2-7.新しい来客
執事のジェイコブに声をかけると、丁寧に席に案内してくれた。だが、まだウェントワース侯爵夫人は来ておらず、クロエたちは席で待たされることになった。
先ほどのルーカスとの会話を再現させられるのかしら……
クロエは戦々恐々としていたが、そんなことはなかった。
マリアンヌの取り巻きの一人の令嬢が、マリアンヌに挨拶にやってきたからだった。
「御機嫌よう、マリアンヌ様。モニーク・アボットでございます。いつもと変わらずお可愛らしいわ! お会いしたかったの! 兄についてこちらにやってきて正解でした。お会いできて嬉しいです」
モニーク・アボット子爵令嬢は、随分と綺麗で、華やかな令嬢だった。当然のように、クロエのことは無視だ。厳しい人なら無礼だと怒るのだろうが、クロエもそれで問題はない。
だいたい、仲良く話せるとも思えないから。
マリアンヌの取り巻きは、クロエがマリアンヌをいじめていると思い込んでいる。それゆえ、爵位が低くてもクロエを無視したり嫌味を言ったりするのだ。
ただ、クロエは慣れっこだったが、マリアンヌは違う。目の前でそんな態度を取られるのは初めてなのではないだろうか。困惑した表情がいたたまれなかった。
敬愛する友人にあんな表情をさせるなんて、取り巻き失格だわ。
そう思いながら、クロエはぼんやりと紅茶を飲み、楽しそうに話すモニークを見ていた。ちらちらとクロエを見ているのは、なんでだろう? 話の内容も、全く興味がないため、クロエは聞いていないのだが。
あぁ、とにかく、この紅茶が美味しい。きっと、ウェルカムティーにふさわしい、特別なブレンドなのだわ。早くウェントワース夫人がきて、お茶会が始まればいいのに。
うっとりしながら、クロエは色とりどりのケーキが置かれたテーブルの上を眺めた。
その上、今日のスイーツが楽しみで仕方がない。夫人自慢の庭で採れた素材を使ったスイーツは評判で、クロエもいつも楽しみにしている。
中でも、あのマカロンたち。あれはきっと、この庭の薔薇で作ったローズマカロンと、ラベンダーで作ったラベンダーマカロン。もう一つの薄い黄色のマカロンはなんだろう? 以前、カモミールを使ったマカロンを食べたことがあるけれど、あの時はこの庭でできた花を飾りにしてあって、味ははちみつだった。それとも爽やかにシトロンかしら? 夫人が好きな、優しい味のミモザでもいいわね。
本当に楽しみ。
元プラントハンター志望としては、新しい食用花の探索なんてこともしてみたかったから、ウェントワース夫人のお茶会はいつだって勉強になる。
だが、夫人が来ないうちは、何も食べられないし、楽しめない。飲めるのだって、食欲を増進させるような、すっきり爽やかなウェルカムティーだけだ。もちろん、美味しいから満足だけれど……早く食べたい……メインのお茶を飲みたい。
マカロンの中の薔薇の花を、ラベンダーを味わい、そしてミモザなのかカモミールなのかシトロンなのか、それを早く確かめたい。そしてどの品種が一番ふさわしいのか、産地や時季はどうなのか、夫人と語り合いたい……
「クロエ様もお久しぶりでございます。あれから公に顔をお出しになられないのは、先方から撤回の打診があったからでしょうか?」
急に話しかけられ、クロエはハッとして一瞬手を止めた。ティーカップをソーサーに戻し、恨めしくケーキスタンドの上のマカロンに目を向けた。
食べたい。
「あぁ、でも、クロエ様は気高いお嬢様ですもの、私とはお話しする意義も感じられないと?」
確かに、子爵は伯爵より身分が低く、貴族は身分の高い方から挨拶するのが一般的だ。つまり、クロエが話しかけなければ彼女が嫌っているであろうクロエと話す必要もない。クロエは首を傾げた。
どうしてわざわざ話しかけてきたのかしら? 嫌味を言うため? 公に顔を出してないと言ってるけど、弟と一緒ならパーティーには顔を出している。ルーカスと一緒にパーティーに参加しろということ? 勘弁してよ。それこそ針の筵じゃない。
もしかしたら、クロエがお腹を空かせていることを知っていて、気を紛らわせてくれているのかもしれない……多分違うけど。
「えぇと……」
撤回の打診をしたら断られた話をしたら、マリアンヌが悲しむ。その上、モニークには信じてもらえなさそう。どうしたらいいの?
「モニーク様、なんてことをおっしゃるの。クロエ様は優しい方よ。誰のことも貶めたりなどしませんわ」
マリアンヌがモニークを優しくたしなめてくれる間、言葉を探して目を彷徨わせたクロエの目に、モニークの背後に控えている男性が映った。モニークの兄だ。うっすらと見覚えのある姿形に、クロエは少しだけ落ち着くことができた。
おそらく多分、クロエは、モニークより兄の方を見知っている気がする。名前はうろ覚えだけど。なんていったかしら?
この家に遊びに来た時、父親と一緒にやってくるのを、遠目でよく見かけていた。おそらく向こうは覚えていないだろうが、小さい頃は時折遊んでもらったような相手だ。クロエの事もルーカスの事も、それなりに知っているだろう。自身のことを考えれば、喧嘩なんて売らずに穏便に過ごそうと考えているはず。何しろ今だって、この場から早く去りたそうにはしているのだから。
そうよ、そもそも、モニーク嬢は呼ばれていないお茶会の席なのに、去れと言われないだけマシだと思うわ。
それはきっと、兄のおかげなのだろうに。