side story15-1 彼は疑問を解決したいだけで願い事をしたいわけではない ールーカスの期待ー
ルーカス視点のサイドストーリーです。
長めです。
朝食まで、まだだいぶ時間があった。
「当たり前とは?」
言いながら、ルーカスは部屋をぐるぐるとせわしなく歩き回っていた。侍女と従者が困ったように顔を見合わせているが、知ったことではない。
「いったい……どういう意味なんだ?」
ルーカスはここ一週間、ずっと考えていた。夜もあまり眠れず、朝もこうして早く起きてしまう。
あの夜から。
そう、あの夜、王太子の一目惚れ計画がうまく行った時、ベンジャミンは言った。
『ルーカス……お前ほどクロエに愛されてる男はいないよ』
ルーカスが動揺すればいいだけの、ベンジャミンのただのからかいだった。そんなことわかってる。だから、いじわるのつもりで、聞いてなかったクロエにそのまま言ってみると、クロエは不思議そうに言ったのだ。
『そんな当たり前の話……』
当たり前?
当たり前って何だ?
だが、ルーカスはクロエとともに王太子にすぐに呼ばれてしまって、その場で尋ねることはできなかった。後で聞こうと思っていたのだが、部屋に戻るまでにクロエが珍しく甘えてきたので、すっかり忘れてしまった。
ルーカスはその時のことを思い出し、頬が緩んだ。
抱きしめると頬をほんのり赤く染めて、少し拗ねたようによそを向く。イヤイヤをするが、本当に嫌がっている様子もなく、ただただ可愛かった。
今、そんなルーカスを、従者のギャレットが気味悪そうに見ている。確かに、これまでルーカスは思い出し笑いをすることもなければ、にやけっぱなしになることもなかった。最近はそれが多く、イメージダウンになると言われたこともあったが、ルーカスには関係なかった。保ち続けたいイメージなどない。
「当たり前……」
ベンジャミンが言った通りの意味とは限らない。何しろ、相手はクロエなのだ。優しくて真面目で勘が良くて、でも肝心なところで鈍感な。
そう、肝心なところ。
特に、ルーカスのクロエに対する気持ちなど。他のことはお見通しなのに、そこだけすっぽり抜け落ちてるところなど……ルーカスにとっては、それすら魅力的に感じる。時に、もどかしくもあるのだが。
ルーカスは考えた。
クロエにとって、”当たり前なこと”はなんだ。
クロエがルーカスにとって、昔から特別だということ?
ルーカスが今、最高に幸せだということをクロエが知っているということ?
ルーカスがクロエをどれだけ好きか……
「ルーカス?」
聞き慣れた声に胸を躍らせて振り向くと、クロエが開いたドアから顔を覗かせていた。
「クロエ! どうした? こんなに朝早く、何かあった?」
「何も……じゃ、必要なかったかしら」
「な……え……なんだって?」
「昨晩、起こしに来て欲しいって言ってたじゃない」
「そうだっけ?」
「まぁ。せっかく急いで着替えたのに、覚えてなかったなんて」
むくれたクロエの頬が柔らかそうで、ルーカスは思わず撫でながらオロオロと弁明した。
「ご、ごめん……来てくれるとは思わなくて……」
「だって気になるんだもの。”王太子殿下の電撃一目惚れ計画”が終わったら、ルーカスのために時間を取るって約束したわ。話をするんでしょう? でもあなたったら、全然その話をしないから、どうしたのって聞いたら、それなら朝起こしに来てって」
我ながら酷い口実だ。朝から会えたらいいなんて、軽く考えたりして。
「なんの話をしたいって言ったのか、覚えてる?」
「えぇと……なんだったかしら……あの時はいろいろ聞きたいことがあるって、言ってたけれど」
「そうだったね」
ルーカスはため息をついた。何から聞いていいのか、すでにわからない。聞きたいことが多すぎる。伝えたいことだって。
すると、クロエは窓辺に近づきながら、ルーカスに振り返った。
「無理しないでね」
「……何を?」
抱きついてキスしたいのを我慢していたことをわかっていたのか? 抱きついてもいいの? いやまさか。
「どんな話をするつもりかなぁって、ニーナに聞いてみたの。そうしたら、あなたは大きな温室を作るんじゃないかって。前にそんな話をしてくれたわね? まずはその大きさを相談したいんじゃないかって。でもそんなに大きなのはいらないのよ。もちろん、作ってもらえるなら嬉しいわ。でも、あなたのお母様の温室だって素敵だし、バラなんかは、よければご一緒させてもらいたいくらいだし、でもあの……実は……あのね、プラントハンターのライセンス、セミライセンスっていうのがあるの。それなら、採取メインじゃないけど、採取してきた植物の鑑定ができるらしくて、それを置く」
「ストップ」
「ごめんなさい。やっぱりダメかしら……」
「そうじゃない。したい話はそれじゃないんだ」
「あら? 将来の話じゃなかった?」
「それはそうなんだけど……」
なんか違う。
もっとこう、笑顔に溢れた家庭とか、子供は何人欲しいとか、どのくらいデートしようとか、寝室とか衣装とか舞踏会とか、毎日のことで相談することはたくさんあるはずだ。
それが温室。
もちろん、ルーカスだってクロエと結婚するために欠かせない一つと理解しているが、それにしたって。
ルーカスは悶々と考え込んだ。
ただ自分はクロエの笑顔を見たいだけ。笑いかけてもらいたいだけ。今みたいに。
でも一日中なんて無理だし。忙しい日も会えない日もあるだろうし。でも毎日、いつだってクロエに会えるようにしていたい。疎遠だった五年分を取り戻して、それを上回る思い出を作りたい。
でも焦るな。急いではいけない。クロエと自分は違うんだ。いつだってルーカスの方がより好きなのだ。そんなことはわかっている。同じくらい愛して欲しいなんて、願うのは間違ってる。そばにいてくれるだけで、まずは奇跡なのだ。
ルーカスは自分に言い聞かせ、ぐっとこらえて思わずつぶやいた。
「……僕の願い事はすぐには叶いそうにないな」
「そんなことを言って……あんまり私に”お願い”をしないでよ」
クロエの警戒するような表情に、ルーカスは首をひねった。
「どうして?」
「言ったでしょう、私、あなたの願い事はなんでも聞いてしまうんだって」
「え、なんで?」
「なんでって?」
「なんで、なんでも聞いてしまうんだ? 僕は……怖いのか?」
すっと背筋が寒くなったが、クロエは呆れたようにそれを否定した。
「怖い? そんなこと、思ったことないわ。私、怖がっているように見える?」
「まさか。そんな風には見えない。でも……何が”当たり前”なのかなんて、わからないからさ」
「何よ、わかっているんじゃない」
「何が?」
「私があなたの願い事を聞いてしまうのは、当たり前のことなんだって」
「でも……どうして……」
クロエの指先が、尋ねるルーカスの唇に触れた。幼いときから変わらないこの癖が、あまりに官能的なことは、自分が一度してしまってから気がついた。何気ない様子でクロエの指先が触れるたび、幼い時とは全く違う感覚に身が震えそうになる。
「当たり前なことに理由が必要なの?」
クロエが不思議そうに首を傾げた。
必要か? 不必要か? そんなの、決まっている。
「必要だよ!」
意味を考えていたら眠れない。クロエのことばかり考えてしまう。この国が終わっても、次の国へとまた数ヶ月、そうやってクロエの他国の植物への興味で気を引きながら、自分がそばにいることが当たり前だと思ってもらえるようになろうと思っていた。
だがもう、それだけではない。ただただ、クロエが愛おしい。もっと彼女を知りたいし、自分を知ってもらいたい。
王太子の一目惚れ計画の時、クロエに呆れられ、見放されたと思ったら、生きた心地がしなかった。
今まで嫌われていると思ったのに、違っていた。だが、改めて嫌われてしまったら? 諦めていたものに希望が出た時、またそれが失われると思ったら、余計に怖くて仕方がなかった。どうしたら許してもらえるのかわからず、ただ途方に暮れてしまった。クロエは口で謝っただけでは決して許してくれない。本当の意味で謝罪をしないと。
だが、クロエはまるで気にもせず、普通に話しかけてくれた。避けられているとルーカスが悩んでいた時、クロエは友人のことを考えていて、気にもとめていなかったのだ。そして、さらりと好きだと言う。その意味は、ルーカスが思っている意味とは絶対違う。でも心臓が止まるほど驚いたし嬉しかった。
結婚生活の話をしても、クロエは、それが普通の結婚生活だと言った。だが、ルーカスにとっては、普通ではない。誰とでもしたいことではなく、クロエだからその結婚生活を送りたいのだ。
「変ね。当たり前のことだから、理由なんていらないと言ってたのはルーカスじゃない」
「へ?」
「小さい頃、あなたはそう言ったのよ。どうして私にお願いばかりするの、って聞いた時。他にも友達はいるのに、どうして私にしかしないの? って。そうしたら、クロエだからお願いしたいんだ、そんな当たり前のことに理由がいる? って……」
そんなこと言ったんだっけ。自分ながら何という屁理屈だろう。小さい頃はまだ、クロエが自分を一番に好いてくれていると思っていたから。当然だと思っていた。一番好き合っている者同士、お願いするのは当たり前だと。婚約者みたいに振舞ってくれたら嬉しいと。
「その時はすんなり納得してしまって、それがどうしても抜けないの。ずっとそういうものだと思ってしまったわ。今思えば洗脳よね? どうしてそれで納得したのかしら……」
「嫌なら、断ってくれて構わないのに」
「でもね、あなたは私が本当に嫌がることは頼まないんだもの。嫌がっているのに気づいたら、私から言わなくてもやめてくれたし。だから、それも”当たり前”なのだと思って……でも世の中では、違うんでしょう?」
ルーカスは目を瞬かせた。
「クロエ、……それは……どういう……?」
ルーカスと結婚するのが嫌だったことは一度もないってこと?
じゃ、二十分の一くらいは好きってこと? 愛してるという意味で?
「朝食の用意ができました」
不意に執事のジェイコブがドアを叩いた。
「まぁ、良かったわ! お腹がペコペコなの。今朝は、リクエスト通り、新作レーズンの蒸しケーキを作ってもらえたかしら?」
「新作レーズン?」
「えぇ! ワイン作りの時に、時期ハズレだったりして、使わなくなってしまうブドウがあるんですって。それを干してレーズンにしてみたっていうの。レーズンには向いてないブドウをね、工夫して美味しくなるように加工したんですって。何度か作ってみて、ようやく自信を持てる出来になったから、食べてみて欲しいって言われて。そのまま食べる分ももちろんだけど、ケーキに入れてもらうのもいいでしょ?」
ニコニコと屈託なく、クロエが語り続ける。いつになくはしゃいでいて、言うまでもなく、うっとりするくらいキラキラして見える。
思わず同調しそうになり、ルーカスは首を横に振った。それでも自分は曲げられない。
「いいけど……あんまりレーズンは好きじゃないんだ」
「まぁ。そうなの? でもそういう人にこそ食べて欲しいかもしれないわ。ワイン作り用のブドウをレーズンにして食べるって、とってもワクワクしない? ね、お願いだから少しは食べてちょうだい」
「……そうだね」
そんな可愛い顔でお願いされたら。
何でも許してしまいそうだ。
クロエに愛人が欲しいと言われても、婚約破棄して欲しいと言われても、目の前から消えてくれと言われても。
何を言われてもきっと断れない。
クロエは、ルーカスがクロエの嫌がることは決して言わないと言ったけれど……実際は、そうじゃない。ルーカスにとっては逆なのだ。嫌なことでも、クロエが言うなら頼みを叶えたくなる。何だって。
だから、なるべく願わないで欲しい。
ルーカスがクロエと一緒にいて、彼女だけを見ている時間が、減ってしまうから。