15-4.少しだけ魔法をかけて
「ルーカス……モファットか? モファット家……そうだ、君はルーカス殿と婚約したんだったな」
リチャードが和やかに目を細めた。モファット家。アニエスのことにでも思いを馳せているのだろうか。クロエは微笑んで頷いた。
「えぇ。そうなんです。本当に、ルーカス様はご兄弟がみんな仲良くて、素敵な方ばかりで、私、尊敬しておりますの」
「あぁ、そうだな。彼は非常に優秀で良い人間だ。人材として素晴らしいと思う。国に帰ったら重用したいものだ。だが、しばらくはまだ、友好国を周遊するのだとか?」
「えぇ、そうなんです。行ったり来たりになる予定ですの。ルーカス様を気に入っていただけて嬉しいですわ」
本当に、ルーカスは上司ウケが良くて羨ましい。だからこそ、こちらへの誘導も頼めたことなんだけど。
「誰かと話していたようだが……」
「いやですわ、彼女はもう行ってしまいましたの」
「なぜだ?」
「わかりませんけど……もしかしたら……不敬を承知で言ってもよろしいでしょうか」
クロエが言葉を濁すと、リチャードは首を傾げた。
「構わないが……」
「でしたら遠慮なく。お知り合いになりたくなかったんじゃないでしょうか?」
「私は腐っても王太子なのに?」
リチャードが鼻で笑った。その態度で、彼がうんざりしているのがよくわかった。出会いを求めてるのに諦めている。これはしっかり話を進めないと。クロエは覚悟を決めた。
「だからと言って、みんながみんな、権力に魅力を感じるわけではありませんわ。殿下はご自分でわかってらっしゃらないかもしれませんが……見目はいいのに、女性に興味がないようで……」
「見目? そんなものは気にしていない。心の方が大事だ」
「まぁ! そのお言葉、ご自身に自信がない方がおっしゃる常套句ですわ。やっぱりですわね、私たち女性に好かれる自信がないんでしょう? だからつまらなそうだとお話ししていたんですの」
クロエの言葉に、リチャードは眉をひそめた。
「君は私の何を知っている? それに、見目だけで人はついてこない。私は国を動かし、信頼を得ねばならない。見目だけでできるなら、誰だってできるではないか」
「ルーカス様はどちらもできましてよ?」
「それなら、彼は特別なんだろう。何しろアニエス嬢の弟だ……いや、なんでもない。いいか、クロエ嬢。見目も含め、私は自分が好かれやすいことも知っている。だから慎重になるのだ」
えぇ、そうなんですけどね。慎重であるがゆえに、逆にロマンチックな一目惚れを望んでいるのも知ってますよ。
クロエは微笑んだ。
「第一印象って大切だと思いますわ。殿下は王太子ですもの、いつでも女性と出会えるわけではありませんものね。お互いに一目惚れなんて、本当に、お姿が一番ですし、それって素敵だと思いませんか?」
すると、殿下は目を見開いてゴホンと空咳をした。
「別に……どうとも思わないが、その……一目惚れするだけでは……中身が伴わないと続きはしない。私は見目はいいかもしれない、だが……されるほどでもないだろう。羨ましいと思うときはあるが……いや、されたいわけではない。とはいえ、人としての魅力は一目でわかると聞いたことがあるし、見た目が不快でない方がいいし……」
リチャードの話はグダグダと続いた。
こじらせるって怖いんだわ。知性戦略、全てに長けていて、王としての資質にすぐれ、家臣からの信頼も厚いのに。
「何をおっしゃいますの? 殿下は素晴らしい容姿をお持ちですから、一目惚れなさる方は多いと存じますわ」
「だが例えば、こんなところで会うことはないだろう」
「出会いの場に良し悪しはございませんわ」
「……良し悪しはない」
「えぇ、いつも突然なものです。お心を開きくださいませ」
クロエは恐れ多い気持ちを押し殺し、できるだけ優雅に微笑んだ。
しばらくすると、考え込むリチャードの表情が少しずつ変わっていった。
うん。クロエは頷いた。
”こんなところで恋をしてたまるか”という表情から、”もしかしたら理想の女性がいるかもしれない”という期待の顔に変わってきた。
今まではカチカチで、取りつく島もなかったのに。一目惚れなんて信じそうになかったけど、今なら、ちょっと信じそう。
「まぁ、本当に、出会いがおありなのかはわかりませんけど? 殿下がその気にならなければ……」
「私が本気になれば?」
「……理想の方に出会えるのではないでしょうか? まさか、一目惚れをしても黙っているような、おとなしくて従順な人が好みではありませんでしょう?」
アニエスを好きだったくらいだ、しっかりした女性の方が好きなはず。
「ご立派なご意見だ」
言うと、彼はクロエをじっと見た。言いすぎたかしら。不敬罪で捕まってしまうかも?
「だが、……礼を言う」
その言葉にクロエが首をかしげると、リチャードは笑った。
「私の話を笑わずに聞いてくれた。君はテンバリー卿にふさわしい女性だ……悪役令嬢という噂も、考えものだな」
そう言って、リチャード王太子は身を翻してその場を離れた。彼の行き先は、階段ホールの先、広間の舞踏会場だ。
やだわ、あだ名を知っていたのね。
クロエは恥ずかしい気持ちになったが、それも当然のことなのだろう。いつでも警戒してきた”推し”令嬢なのだから。当然、裏側の攻防戦だって知っているはずだ。
でもふさわしいって何よ? みんな勝手なことばかり言って。まだまだ全然、ふさわしくないことくらい知ってるわ。
クロエがすぐさま様子を伺うと、リチャードはまさに、階段のところに差し掛かっていた。
「……グスタフ様、頼みましたわよ」
リチャードが出会えますように。一つくらいロマンチックな理想を追ってもいいでしょう?
そうよ、時に、理想は高く持たねばならない。諦めるその日まで。
気配を感じて振り返ると、ベンジャミンがクロエの背後に立っていた。クロエをちらりと睨むと、また視線を戻し、訝しげにリチャードの様子をじっと見ていた。
すぐに、上から降りてくるマルギット姫が見えた。
頑張れ、グスタフ!
彼は震える手でよろよろと動くと、その動きで、マルギットにぶつかってしまった。
「キャァ!」
マルギットが叫んで階段を踏み外した。クロエはもちろん、自分が助けに行けるように準備したが、その必要はなかった。
思惑通り、リチャード王太子殿下がマルギット姫を支えたのである。