15-2.計画の始まり
「……それは……何?」
「いや、『ソーンダイク令嬢”を”選んだ方だから』でしょうか。とにかく、あなた様を大切になさっていることがわかると、完璧な人物に対する恐れが減少するようです」
クロエはわかったようなわからないような、なんだか不思議な気分になった。完璧超人は胡散臭いけど、婚約者が平凡という汚点があれば、それはプラスの評価になるということ?
「なるほど、私が緩衝材になっていると……」
「ははぁ、そう受け取られますか。でも、そうではありませんよ。本国でもあなたと親しくなさっていたご友人にお話を聞きました。あなたはとても勇敢で、慈悲深い方だと、みなさんおっしゃっています。他国でも同じような評判をいただいて、私としましては、嬉しい限りです」
それは誰の評価? クロエは首を傾げた。こちらでは首を突っ込みたがるルーカスにつきあわされただけだし、自分で蒔いた種を回収しただけだし、本国では、必死で捕まらないように神経張り巡らせていただけだけど。
尋ねようと思った時、人の合間を縫って、ルーカスがクロエにぎゅっと抱きついてきた。
「クロエ! こんなところにいた。そろそろ殿下が少し部屋に戻るそうだ。その時を狙って、僕は話しかけようと思う。さっきご挨拶したから、大丈夫だよね……誰?」
「これはこれは、ご無沙汰しております、テンバリー卿。ウェントワースにお仕えしております、ケネス・アボットでございます」
ケネスが丁寧に頭をさげると、ルーカスはもたげた殺気を和らげた。
「なんだ、ケネス殿か。こんなところで、何をしているんですか?」
「ご婚約のお祝いを申し上げていたところです」
「クロエ、本当に? 口説かれていたりなんか……」
「ありえないから」
クロエはすかさず否定した。ケネスの名誉にも関わる。
「ルーカス、あなたはちょっと頭の使い方を考えた方がいいと思うわ」
「クロエがそうした方がいいというなら、そうするよ。どうしたらいい?」
「ちゃんと仕事して」
「わかった。それじゃ、行ってくる」
ルーカスは軽く頷くと、クロエの頬に口づけをした。そして、クロエの唇を指でなぞると、小さく囁いた。
「全部終わったら、……クロエの時間は僕のものだ。いいね? それまでは我慢する」
そういえば……何をするって言ってたかしら? まさか、新しく探偵ごっこを?
クロエが思わず警戒して身を引くと、ルーカスは面白そうに頬を緩めた。そして、ケネスには儀礼的に綺麗な笑みを浮かべると、手を上げて去っていった。
「クロエを頼むよ」
去りゆくルーカスの背を見ながら、ケネスが感心したように息をついた。
「……いい傾向ですね。ウェントワース侯爵に、いい土産話ができます」
「今の何が?」
「とても人間味があって、親しみの持てる人柄になりました。以前は物腰は柔らかでしたが、冷徹で、誰に対しても距離がありました。もちろん能力の高い方ですから、それを気付かせることはありませんでしたが……とても激情的な部分もあったんですよ。覚えてますか? 私が妹のことであなた様に謝った時、テンバリー卿が私にひどく怒っておられたのを」
「あぁ……とても近いとか……でも婚約してもいないのに、婚約者だなんて言って、本当に困りましたわ。なぜあんなに怒ってらしたのかしら?」
「私が謝っていたのを、口説いていたのと勘違いなさったんです。ご自分がプロポーズしたばかりで、お返事をもらってなかった時でしたので、他の者に抜け駆けされないかと疑心暗鬼になってらしたのですよ」
クロエはおもわず笑ってしまった。
「まさか……ルーカス様がそんなこと考えるはずありませんわ」
「どうしてです?」
「だって私、ルーカス様のお願い事は、どうしても断れないんですもの。ご本人だって分かってらしてよ。あの困ったような懇願するような顔があまりに可愛くて……昔っからそうなんです。だから私、甘やかしてしまって……」
「それは、大変に良い傾向です」
ケネスがなぜか和んだように微笑んだ。今、和むところなんてなかったはずだけど……クロエは不思議に思ったものの、マリアンヌの声で我に返った。
「クロエ様! こちらにいらしたんですね。お約束通り、お庭に行きませんか? 外の空気に当たりたいんですの」
「あら。そうでしたわね。ケネス様、お相手ありがとうございます」
「こちらこそ。良いお時間を」
ケネスが頭を下げて見送ってくれる。クロエが離れると、すぐに別の男性や令嬢が彼に声をかけているのが見えた。外交ご苦労様です。
「クロエ様、ルーカス様が殿下についていかれましたわ。さすがの話術で、すっかり仲が良いご様子です」
「さすがね。私たちは予定通り、バルコニーへ向かいましょう」
二人はなるべく急いでいるように見えないように、笑顔を心がけて足早に歩いた。すると、マリアンヌが小さな声でクロエに尋ねてきた。
「ベンジャミン様には、お伝えに?」
「してないわ。話す時間もないし、ベンがいなくても計画は続行できるんだもの」
「でも……」
「大丈夫。成功しても失敗しても、怒られるのは私だから」
「それでは困ります。怒られるのは、私ですよ」
ぷくりと頬を膨らませるマリアンヌの頬を、クロエがツンとつつくと、マリアンヌは驚いたようにクロエに向いた。そして、二人は顔を見合わせると、くすくすと笑った。
「一緒に怒られましょう、クロエ様」
マリアンヌが言っても、クロエは到底そうできるとは思えなかった。
「ベンがあなたを怒るはずないわ。こんな悪巧みは、私しか思いつかないもの」
何しろ、悪役令嬢なんだから。