14-3.プライベートガーデン
歩けば歩くほど、自己嫌悪の波が襲ってきた。
今度こそ、呆れられたかしら。
クロエは庭園に向かいながら、自分こそがルーカスに甘えていたことに気づき、反省した。
確かに、すごい久しぶりに、二人きりだったのだ。ここのところ、ルーカスはほとんど仕事で、食事の時にかすめるようにしか会えなかった。顔も疲れていたし、若干、青白かった気がする。
少しくらい甘えるに任せたってよかったんじゃないの?
ルーカスが誰にも甘えられないことを知っていたのに。わがままだって、クロエにしか言わない。
それなのに、感情コントロールができなくて、あれこれ言って出てきてしまうなんて。
折を見て、ゆっくりした後に話せばよかった。焦らないで、もっと優しくしなければならなかった。
でも、こうしてマリアンヌもベンジャミンもこの王宮で過ごしている以上、なんらかのアクションをしなければ、二人は流れに取り込まれてしまうのも事実だった。
クロエたちだって例外ではない。そんな気がして、どうしても焦ってしまったのだ。
悩みつつ庭園の芝の上を歩いていると、ふと歩く感触が違うことに気づいた。
顔を上げれば、続く石畳の脇にひときわ綺麗な花が続き、見事なくらい珍しく手入れの行き届いたエリアに入っていた。
しまった。王族専用のプライベートガーデンだわ。
来賓用の庭とはまた違い、トータルバランスよりも個々人の好きな花を植えて手厚く世話をしてもらえる、マニア垂涎の庭だ。クロエも王太子妃になったら、きっと王宮にクロエ専用の庭師や庭園をもらえて、法外な値段の珍しい花や草木をも植えることができるだろう。
「とはいえ、手入れをする側に回りたいものだわね……」
だからやっぱり王室に嫁ぎたくはない。クロエはつぶやきながら、あたりをきょろきょろと見回した。少しだけ見て、さっと戻れば大丈夫よね? 気づかないで来てしまったんだもの、まだ気づかなくても不思議はないから、ちょっとだけ……
「あら? クロエ様?」
声をかけられ、クロエは慌てて振り向いた。
そんなぁ。早々に見つかってしまうなんて。
「申し訳ありません、庭を歩いていたらこちらに来てしまって」
「いいのよ。私の庭はそういう庭なの。誰が入ってきてもいいことにしてるの。私の許可がないと見られないなんて、もったいないじゃない?」
「姫様……」
ベンジャミンと出かけていたはずのマルギットが、侍女を数人従えて、ニコニコと微笑んでいた。とても可愛らしい。彼女が両手に抱えている真っ白なバラの花束は、無垢な雰囲気のマルギットに、よく似合っていた。ベルベットのような質感の花びらが、手入れの良さを感じさせる。
「よかったら、一緒にお茶をしましょう?」
言いながら、返事を聞かずにクロエの手を取って歩き出した。恐れ多いと思いつつ、逆らうわけにもいかず、言い訳して逃げるのも億劫で、クロエはマルギットに素直に従った。
近くのあずまやのテーブルに腰を落ち着け、ティーセットを前にマルギットがクロエに笑顔を向けた。
「お出かけから帰ってきたところなの。さっきの花は、お世話になったお店に送るのよ。そうすると、私のお墨付きってことで、ちょっとだけ繁盛するんですって。それに、下手なことをしたら私が黙ってないよ、って印になるの。素敵じゃない?」
「そうですわね」
「ベンジャミン様にもとてもお世話になってるわ。彼がいると、揉め事もすごくスムーズに解決するの。素晴らしい方ね! 知れば知るほど、手放したくなくなってしまうわ。このまま本当に嫁いでもいいかしら? この国にいてもらえるのかしら? それとも、私、あなたの国に行ってもいい?」
「もちろん、大歓迎でございます」
クロエは笑顔を作りながら、憂鬱に思っていた。ベンジャミンとマルギットが本当に結婚するなら、マリアンヌは失恋ということになる。自棄になって王太子妃になりかねない。彼女のことを思うと、我が国には来てほしくない。そうでなければ、ベンジャミンは勝手に結婚でもなんでもしてもらって結構。むしろめでたいことだ。
「本当? 私ね、わかってるの。思い込んだらすぐに実行したくなって、我に返るまで、突き進んでしまうところがあって、それで迷惑をかけることが多いって。グスタフのことだって、確認すれば分かったことなのに、お兄様が……ううん、お兄様のせいにしてはいけないわね。でも私、兄から離れたくて」
「エマヌエル王太子殿下からですか?」
クロエは驚いて、ティーカップを取り落としそうになった。仲が良さそうだったのに。
「そうなの……とっても愛してくださることはわかってるけど、兄が全部手助けしてくださって、私がこの性格を直そうにも、難しいの。だから私、運命の相手を探しているんです」
内緒ですよ、と可愛らしくウィンクをする。
これが”トラブルメーカー”か。本当にそうは思えない。ベンジャミンではなく、他の誰でもないクロエにこれを言うとは、きっとクロエの”噂”のこともよく知っているに違いない。
「ですが……変える必要がおありですか? 姫様は今のままでも、とても素敵だと思いますわ。国民の皆様に人気があって、提案を即行動に移してくれるところも、頼もしく見えます。お優しいし、とても寛大です。こうして私たちを王宮に泊めてくださっていますし」
クロエは正直な気持ちを伝えた。要は、マルギットの性格を助長する人でなく、手綱を引っ張ってくれる人を相手に選べばいい。グスタフはそういう人物だったのだろう。となると、ベンジャミンは最適に思える……
「ありがとう、クロエ様。とっても率直で、お優しいのね。お会いした令嬢から、あなたの話を賛否両論で聞くのよ。とても面白いわ」
ほらやっぱり。よく知ってるんだわ。クロエが微笑んで続きを促すと、マルギットは目を輝かせてクロエの手を取った。
「私はね、あなたはとても配慮のある素敵な方だと思ってるわ。ルーカス様のお手伝いも有能にこなしてらっしゃるし、どんなお客様が来ても、対応がしっかりしてらして。あなたにお相手がいなくて、さらに私の兄にお相手がいなかったら、あなたを推薦したいくらい」
「滅相もない!」
これ以上、めんどくさいことになってはたまらない。だが、マルギットはさほど気にせず、話を続けた。
「あぁ、でも、マリアンヌ様もとても素敵ね。あなたに負けず劣らずよ。彼女、誰かいないのかしら? いないのなら、どなたかに推薦しても?」
「私には……わかりかねますわ。そういう話をしたことがないんです」
「そうなの? 年頃なのに?」
「マリアンヌ様は奥ゆかしい方なんです」
「確かにそのようね! ベンジャミン様がいつも気にかけてらしたわ。あまりご自分の望みをおっしゃらないんですって。でも、街に出るといつもお土産を選んでらっしゃるの。買ったことはないけど……仲がいいのね」
マルギットはにっこりと微笑んで、紅茶を口に運んだ。
言葉に裏がないのはわかってる。そういう方だから、みんなが彼女を愛するのだ。
だから、ベンジャミンが自分の本心を語れば、マルギットは受け入れてくれそうな気がする。だが、怒るのか喜ぶのか、クロエにはさっぱりわからなかった。




