2-3.奇妙な態度
クロエの声掛けに、ルーカスはハッとし、慌てて取り繕うように笑顔を作った。
「なんでもないよ」
でもクロエは幼馴染だ。しかも、かつてはごく親しく、なんでも知っているとお互いに思い込んでいた時期もあったくらい、距離が近かったこともある。そんな相手が、今更、表情を取り繕ったところで、高が知れている。
クロエは勢いよく立ち上がり、急いで近づき、ルーカスの顔色を伺った。
「具合でも悪いの? 天気が良すぎたせいかしら? めまいでも?」
「い、いや……」
「ルー、顔が赤いわ。熱があるんじゃない?」
心配になって思わず問い詰めると、ルーカスはさらに耳まで顔を赤くし、クロエの肩をバッと押し返した。
「それはずるいよ! こんな時ばっかり呼ぶなんて」
「……ごめんなさい、もう呼ばないわ」
「違う! 呼んで欲しいんだ! 呼んで欲しいんだけど!」
「どっちなの?」
クロエが首を傾げると、ルーカスは口角を思い切り下げてクロエを睨んだ。だが、どうも本気で睨んでいるようには思えない。クロエが戸惑っていると、ルーカスは困ったようにまなじりを下げた。
「わからない?」
「わかりませんわ……」
言うクロエの頬に、ルーカスが手を添えた。小さい頃みたいに抓るつもりかしら。あまり痛くなかったけど、大人になったらわからないわ。優しくしてくれるといいのだけど。
「……逃げないのかい?」
一体何が言いたいのだろう? ルーカスの家の庭で彼から逃げてどうするというの? どうせ追いかけてきて抓るのでしょ?
「クロエ、逃げないのなら」
ルーカスが少し頭を下げて、クロエの顔に影を作った。ルーカスの顔がものすごく近くなり、クロエはさらに困惑した。
抓るの? 抓らないの? 抓らないなら、何をするつもりなのかしら? ううん、抓るに決まってる。昔からそうだもの。もしかして、痣ができるくらいものすごく強く抓るのかも! だって顔が目の前だ。クロエの顔が痛みで歪むのを間近で見たいんだわ。
「ルーカス様!」
「何?」
「い……痛くないようにしてくださると嬉しいんですが」
「……ん?」
その時、何かが、もとい誰かが勢いよくクロエにぶつかってきた。
「クロエ様、お久しぶりでございますわね! マリアンヌです!」
息急き切ったマリアンヌがクロエの後ろから抱きついてき、顔を上げると、初めてルーカスに気づいた顔をした。
「まぁ、ルーカス様! ご一緒でしたのね! お元気でいらっしゃいましたか?」
ルーカスは苦笑し、肩をすくめた。
「僕の邪魔をしてくれるとはね……」
クロエはハッとした。
謎が解けたわ。マリアンヌと落ち合う予定だったのね。つまり『ここから去れ』と言うことだったのに、だから『逃げないのかい』と聞いてきたのだ。
クロエは慌ててルーカスから離れた。いつの間にか、抱きしめられそうなくらいに近かった。
「ごめんなさい、ルーカス様、マリアンヌ様。私ったら」
「クロエ、君じゃない」
「だって、執事のジェイコブさんに聞いたら、クロエ様は庭にいらっしゃるって。それに、ルーカス様はお部屋でお仕事中だと聞いたものですから、クロエ様とご一緒だったなんて、知らなかったんです」
マリアンヌが愛らしく口をとがらせ、文句を言った。クロエは思わず微笑んだ。
「今日もとっても可愛らしいですわね、マリアンヌ様」
「ありがとう存じますわ、クロエ様! クロエ様もとてもお美しいですわ。このアメジストのドレスはレースがアイスブルーですのね、瞳の色にあわせてあってとっても素敵です。それに……あら? 髪留めが」
マリアンヌはふと私の頭を見上げた。その時、ルーカスが慌てたように咳払いをした。
「仕事中だった。二人とも、僕はもう行くよ」
そしてルーカスは、さっさとその場から消えてしまった。
「ルー?」
クロエが思わず呼びかけると、ルーカスは一瞬足を止めたが、止まらなかった。
「……私が邪魔をしてしまったから」
クロエが言うと、マリアンヌは驚いた顔で首を大きく横に振った。
「まさか。お邪魔だったのは私で……あぁ、でも、その髪留め、本当に特別にお似合いでらしてよ」
はしゃいだように言うマリアンヌに、クロエは曖昧に笑った。
「そうかしら……」
「そうですとも! どこでお作りになったの?」
「先日のお茶会の事件解決のお礼に、ウェントワース夫人からいただいたの」
そうだった。今日は、この夜会でも引けを取らない、美しい髪留めをつけてこなければならなかった。
こんなに素晴らしいものをいただけることはしていないのに。あれはただの悪役令嬢だったのだから。
だが、いただいたからには、今日つけてこなければならない。
そんなクロエの気持ちを、天使のごとくマリアンヌは気にせず、明るく快活に、”悪役令嬢”クロエの影を吹き飛ばした。
「まぁ、ますます素敵ですわ!」
マリアンヌに褒められると、少しだけ素直になれる気がする。クロエは思わず本音を漏らした。
「実は、こんなに素敵なものを頂いてしまって、恐縮していますの」
「いただいて当然ですわ、クロエ様。アイスブルーの宝石にダイヤモンドがちりばめられて、まるでクロエ様に誂えたみたいに素敵です。こんな髪留めを目にしたら、すぐにクロエ様にプレゼントしたくなるのも間違いはありません」