1-1.華麗なるお茶会
頼んだ苗が届くまで、あとどれくらいかかるのかしら。
「ちょっと待っててね」
クロエは声をかけ、葉だけが残る薔薇の木に手を伸ばした。
あぁ、なんてこと。一番花が綺麗な季節なのに。
ため息をついて、彼女は今日のこの後の行動について、よくよく考えた。
彼女の名はクロエ・ソーンダイク。植物を愛してやまない伯爵令嬢で、今日は、素晴らしい庭園作りに定評のあるウェントワース侯爵家のお茶会に参加していた。
この薔薇の花は、ウェントワース侯爵夫人の最近のお気に入りだ。アプリコットの柔らかな色とツヤのある花びら、勢いのある枝振り。夫人は庭でできるだけ楽しむために、絶対に切らないで最後まで咲かせている。庭園の相談を定期的にし合っているクロエは、充分によく知っている。
切るなんてありえない。
それなのに。
薔薇の花が、全て切られている。
でも大丈夫だと、クロエは薔薇を励ました。
「この後、同じ薔薇の木がやってくるように手配はしたから。植え替えすれば、ゆっくり休めるわ。だから、後は待つだけよ」
だがそこで、静けさは破られた。
「クロエ・ソーンダイク伯爵令嬢……あなたはなんて酷い方だ!」
男性の声に驚いて顔を向けると、いつの間にかギャラリーができていた。
「夫人の大事な薔薇を切るなど……マリアンヌ様がこのお屋敷にいることがそんなに許せないのですか?!」
その声の主は、マリアンヌの取り巻きの令息だった。社交界デビューしたばかりだろうか。鼻息荒く彼が言い放った言葉に、周囲の人々がしきりに頷いていた。
クロエは目が点になった。回り回ってすごい発想だ。嫌いじゃない。
だが、クロエは犯人ではない。確かにそう見えるんだろうけど、冤罪はごめんだ。
男爵令嬢であるマリアンヌ・クラーネは、数年前に社交界デビューして以来、誰より有名で愛されている人気者だ。性格も明るく親しげで、見目は申し分なく可愛らしく、何より裏表がなく、誰にでも優しい。噂によるとクロエにいじめられているそうだ。クロエには覚えがないのだが。
クロエはちらりと見回したが、マリアンヌ本人の姿は見えなかった。誰かが足止めしているのだろう。確かに、心優しいマリアンヌの目にこんな場面は見せたくない。
クロエはため息をついて、がっかりと肩を落とした。
今回は大丈夫だと思ったのに。お茶会のメイン会場からは、この薔薇園は遠い。だから、まだ誰も近づかないはずだった。
「なぜ私がそのようなことを?」
クロエが令息に顔を向けると、その態度に彼は呆れるような顔をした。
「ほら。全く動じないなんて、さすが、”悪魔のような令嬢”と呼ばれている方だ。我々のマリアンヌ様は”天使のような令嬢”と言われているのに。彼女の前に、あなたのような、悪役令嬢……いや”悪魔令嬢”はそぐわないのです。今すぐ視界から姿を消していただきたい!」
……この展開、一体何度目かしら。
クロエは残念な人を見る目をしないよう、表情を無に保った。それがさらに相手の不快を誘うのはわかっているが、そうしないとさらに不快なことになる。
毎度毎度、同じパターンだ。”マリアンヌに罪を着せるために、クロエが罪を犯す。他の令嬢や令息と結託して。”
……その展開、おかしくない? だってクロエは、マリアンヌのことを嫌うどころか、とても好きなのだ。
どうしてみんな、気づかないんだろう? 過去に何回も、こうしてクロエはやったこともない罪で吊るし上げられて、その都度、クロエは論破して、真犯人を当ててきた。
クロエがなんの準備もしないで来ると思っているのだろうか?
いい加減、無駄だとわかってくれても良さそうなのに……どうして揃いも揃って、クロエに罪を着せようとするのだろう? 何かの面白イベントなんだろうか?
クロエはだいぶうんざりしてきていたが、ここで憤っても仕方ない。
冷静にならなければ。そのために、クロエは準備してきたのだ。
本当は、こんなことしなくて済めばよかったんだけど。
令息は、クロエに向かって得意げに話し続けた。
「あなたはマリアンヌ様が知らないと思って、マリアンヌ様を脅したのでしょう? その薔薇の花をすべて切るようにって」
「私が? どうして?」
「それは……嫉妬なさっているからです。マリアンヌ様がウェントワース夫人にとても可愛がられてますから」
「嫉妬?」
「それまで、”侯爵夫人のお気に入り”の地位にいたのはクロエ様お一人だったからですよ。お一人だけでなくなってしまって、悔しいのです」
「そうでしたわね、光栄にも。ですが、身に余るものでしたの。今では肩の荷が下りてホッとしておりますわ」
クロエは素直に頷いた。
確かに、”侯爵夫人のお気に入り”はクロエだった。
だが、それには理由がある。
クロエは、令嬢としては、おおよそ良い趣味とは言えない『庭いじり』が好きだ。だがあまりに好きすぎて、同年代には趣味を分かち合う相手もいない。だから、クロエと同じく庭園が好きな侯爵夫人は、先生とも同志とも言え、とても信頼し合える関係なのだ。
それだけのことで、それ以上には何もない。マリアンヌがウェントワース夫人と仲良くなることと何ら関係がないし、かといって、身を引くことでもないのだ。
いろいろ思惑を考えるのは勝手だが、決めつけられても困る。
「えぇっと、それに、ウェントワース夫人は私と親しくしてくださってるけど……それは私の母が夫人とお友達で、小さい頃からお会いしていたことと、私がこの庭園を好きだからです。マリアンヌ様と夫人が仲良くなさることに、なんの問題もありません。マリアンヌ様とはよくお会いするし、お話だってしてくださいますわ」
ちらりと周囲を見回すと、ようやくマリアンヌの姿が見えた。まだ何をしているのかわからない様子で、その隙に隣の令嬢がその場から離そうと頑張っていた。
大丈夫かしら。心配だわ。何もしないでいてくれるといいのだけど。
薔薇の花は、イングリッシュローズのレディ・エマ・ハミルトンをぼんやり参考にしています。