神なるもの㉑『神の終わり』
『神域』の山々を、眩いばかりの光が飲み込んでいく。
「オオオオオオオオオオォォォォッ!」
その中でヒュドラは悲鳴にも似た咆哮を上げていた。
『魔を断ち、光指し示す剣』が放つ閃光。
それはヒュドラ自身が900年以上前にも受けた、魔を断つ一撃。
その圧倒的な力は、全長2キロメートルを超える巨体をも問答無用に滅ぼしていく。
(またしても、この忌々しい力でぇっ……!)
徐々に崩れてく体。
ヒュドラの脳裏にまるで走馬灯のように思い返されるは、大昔の記憶。
そう、かつて異世界においては畏怖の対象であったこの伝説の魔獣は、二度敗れたことがある。
一度目は『原初英雄』に。
二度目は見るからに弱々しい、ただの人間に。
そして今。
再び『英雄』を名乗る男に、またしても敗れ去ろうとしている。
(まさか、我はこの世界で死ぬのか……!?
元の世界に戻れず終いで!?)
最初の敗戦から命からがら生き延び、偶然たどり着いたこの世界。
ヒュドラが真っ先に抱いた印象は、「弱い」の一言だった。
何せここには魔族や魔獣がおらず、それどころか魔法すらない。
そしてこの地に生きている人間共は、何の力も持たない雑魚。
瀕死の重傷を負っていてもなお、自身の脅威たりうる存在はいない。
ヒュドラにとって、まさに楽園と言える世界だった。
ならばまずはここで十分に傷を癒す。
その後にこの世界に絶対的な強者として君臨し、いずれは元の世界へ――
すぐさまヒュドラはそう考えた。
実際その考えは至極順当な戦略であったし、ヒュドラ自身にもそれをなしうるだけの力があった。
だがそう思っていた折、ヒュドラは二度目の敗北を喫することになる。
その男は魔法の一つも使えない、ただ毒の効かないだけの人間だった。
本来なら不覚をとるはずもない相手。
だが不用意にも、相手の策に乗ってしまった。
その時の男の姿、そして「嫁に来た」という言葉につい気を緩めてしまったのだ。
初めてだった。
己にそのような言葉を投げかける人間が。
見知らぬ土地に、弱った体。
伝説の化け物は、ふと人間などというモノを求めてしまったのだ。
肉体ではなく、その全てを。
だが、その油断の代償は大きかった。
その男の持った剣によって、再び死地に追いやられたのである。
そして消えゆく意識の中、ヒュドラ中で二つの感情が強く湧き上がる。
一つは人間へのさらなる憎悪。
そしてもう一つは――人間そのものに対する渇望であった。
(そうだ……! それゆえ我は欲した!
肉だけでない、人の持つ全てを! だからこそ我は『神』になったのだ!
人間の怖れを集める『化け物』ではなく、信仰を集める『神』に!)
あれから900年。
滅びゆく体で、ヒュドラは団平、美鈴、風音の三人を見つめる。
数十代を経た姿だが、今なおあの時の面影が見える。
やや怯えながらも、力強く見つめ返すその瞳。
それはかつての藤太と同じもの。
(ああ、なんと忌々しい一族よ。
食ろうても食ろうても、ついぞ我がものとはならなかった。
その全てを手に入れられなんだ。
その代わりに手に入れたものと言えば――)
ヒュドラは視線を横にずらす。
「『卑奴羅』よ! くたばるんでない!
貴様がくたばったら我が桓松家はどうなる!?
この900年、貴様のような化け物に我が一族は一体どれだけの犠牲を払ったと思っとるんじゃあっ!!」
するとそこにいたのは、岩夫に抱えられながら叫ぶ登美枝。
どうやら水の壁を飛び越え、中まで入ってきたらしい。
その顔は痣だらけ、そして血まみれの状態。
しかしそれがどうしたとばかりに、老婆はヒュドラに怒声を浴びせ続けていた。
まるで、化け物に憑りつかれたように。
「人間の醜い悪意だけ、か」
それを見たヒュドラはフッと笑い、最後の毒を二人に向かって絞り出す。
まるで自身の失敗を覆い隠すように。
微かに響く二人の断末魔。
それを満足そうに聞き届けた後、ヒュドラの巨体は閃光の中へと消えいった。
……………………
………………
…………
……
「終わった、か……」
『|魔を断ち、光指し示す剣』を鞘に納め、一息つく英人。
前を眺めてみると、ヒュドラの姿は跡形も残っていない。
さすが先代の英雄が使っていた『聖剣』といった所だろうか。
『やったね、英人君』
「はい、鈴音さんもありがとうございます」
当面の危機が過ぎ去ったことを確認すると、英人は水龍を操作して地面へと下りる。
周囲の毒は既に魔力へと『変換』されており、一応は安全地帯となっていた。
しかし、その全てを除去しきった訳ではない。
英人は未だ残る毒に向け、『無限の魔導士』を掲げる。
「……元凶は倒したが、もう一仕事残ってるか。
村に流出しないうちに全部『変換』しちまわないと……つつっ!」
だがその瞬間、今までに感じたことのない苦痛が左腕を襲った。
英人は思わず左腕を押さえ、その場に蹲る。
『無理もないよ、英人君。
私の腕を再現した上に、伝説の聖剣まで使ったんだから。
いくら魔力があっても体に負担は掛かっちゃう』
鈴音は英人を労わるようにその肩に手を置いた。
「でもこのままじゃ――」
『ううん、ダメ。
英人君はもうこの村のために十分過ぎる程頑張ってくれた。
後は私の番』
「鈴音さん、それって――」
「おーい契約者ー! 大丈夫かー!」
英人が鈴音に尋ねようとした時、大きな掛け声がそれを遮る。
振り向くと、ミヅハが手をブンブンと振り上げてこちらに向かって来ていた。
その少し後ろでは団平たち三人も付いて来ている。
「ミヅハ……」
「おー心配したぞ契約者!
全く、おまんはいっつもいらん死亡フラグばかり立てやがってー!
今回ばかりは私も滅茶苦茶心配したんだからなー!」
まるでタックルのような勢いで英人に抱き着くミヅハ。
一瞬英人も怯む。
「ぐっ……、ああもう悪かった悪かったって」
「ぐす……っ、もう本当心臓に悪いってぇ……もっと反省しろう」
そしてそのままミヅハ英人の胸でわんわんと泣きじゃくり始めた。
『ふふっ、相変わらず仲いいね二人とも。
そして――』
そんな二人の様子を見ていた鈴音はそっと顔を上げる。
「鈴音、なのか……?」
「鈴音、姉さん……!?」
「鈴音お姉ちゃん……!」
その先には団平、美鈴、風音の姿。
皆一様に驚いた表情を浮かべている。
『久しぶりだね、皆。
いや美鈴ちゃんに関しては初めまして、と言った方がいいのかな?』
鈴音はふふっと笑いながら話しかける。
そしてゆっくりと、美鈴の下へ歩み寄り始めた。
「え、えっと……」
近づいてくるその姿に、美鈴は思わず声を漏らす。
生き別れた姉と初の対面。
状況が状況だけに、感情の整理が追い付かない。
しかしその緊張も、鈴音はそっと両手を握った瞬間、晴れるように消えていった。
「あ……」
両手に触れる、初めての感触。
それはどことなく優しくて、暖かくて――
『ふふ。改めまして、私の名前は清川 鈴音。
貴方の――お姉さんです』
そして懐かしかった。




