神なるもの⑳『魔を断つ剣』
十年前のこの日。
清川 鈴音は『オオモリヌシ』様への生贄として捧げられるはずだった。
そう、それは彼女が生まれた瞬間から既に決まっていたこと。
清川の家にて生を受けた女の運命。
だから彼女は村から一歩でも抜け出すことは許されず、ずっと伊勢崎の地の中で縛られていた。
来たる『巫女参り』のその日まで。
周りの大人は表立って生贄のことは口にしなかった。
しかしこの村で生きていれば、おのずとそれは分かることだ。
かくいう鈴音本人も、物心がついてきた頃から『巫女参り』という儀式の本質を何となく理解するようになった。
そう、自分の体は――この村の為に捧げられるのだ、と。
しかしその考えに至った時でも、鈴音はあまり絶望はしなかった。
元々薄々は気付いていたことだし、昔からの風習だからという諦観もあったからだ。
けれど、どうせ逃げられないのならば――せめてこの悲劇は自分の番で終わりにして欲しい。
その思いだけがあった。
だから母である京子がお腹に赤ん坊を宿したまま村を出た時も、特に非難する気にはなれなかった。
たとえもう二度と会えなくなっても、生きてさえくれればそれでいいと思った。
姪っ子の風音だってそうだ。
自分に懐いてくれる、元気一杯の可愛い女の子。
生贄になんてなって欲しくない。ずっと生きていて欲しい。
ここはそのほとんど老人だけの村。
だから鈴音には同年代の友達はおらず、恋人なんて以ての外。
これまでの人生、自分の意思で出来たことなど本当に少なかった。
だからこそ、未来を担う子供たちを救ってあげたい。
『オオモリヌシ』様に願って、『巫女参り』を終わりにさせよう。
『巫女参り』に臨む直前、鈴音はそう決意していたのだ。
しかし当日、その考えは甘かったと知る。
「――貴様が、今回の『巫女』か……。
宜しい、近う寄れ」
人生で初めて目の当たりにする『オオモリヌシ』様の姿。
一見すると、姿かたちは人間のそれ。
さらには豪華な衣装と装飾を纏っており、確かに神と呼ぶに相応しい高貴さを感じる。
しかし、それは見た目だけの話。
その瞳に宿る獣性は、神の持つそれでは断じてなかった。
「ち、違う……! あなたは…………っ!」
これは決して伊勢崎村を救った神さまなんかじゃない。
これはもっと別のおぞましい『何か』。
このような化け物に、ずっと昔からこの村は支配されていたのか。
美鈴はその事実に絶望し、同時にこう願う。
私にもっと力があれば――
そして目を瞑った瞬間、清川 鈴音の体は世界を超えた。
時を同じくして、五大国の一つであるウィニアスは『英雄』の召喚に成功する。
その名は清川 鈴音。
5人の『英雄』の中でも唯一の女性だった。
このイレギュラーとも言える結果に、当然ウィニアスの王宮内は一挙にどよめいた。
本当に、この女が魔族を撃退できるのかと。
しかし彼女の持つ『変換』の力は、そんな前評判をすぐに吹き飛ばす。
何とその力は魔素を含んだあらゆる物質を魔力に変換するというものだった。
つまり、たとえ魔力が尽きたとしても辺りの物質を魔力に『変換』して補給が可能。
さらに自身の魔力それ自体も各属性へと『変換』することで、全ての属性の魔法も行使できた。
そしてしまいには、相手の攻撃魔法すら『変換』して自身の魔力にしてしまうのである。
周囲の環境から魔力を補充し、敵の攻撃すら吸収して己の力とする。
それは実質的に無限の魔力行使を可能にする能力。
いつしか、味方も敵も彼女をこう呼ぶようになった。
『無限の魔導士』、と。
――――――
――――
――
「鈴音、さん……」
毒の奔流の中、英人はその名を呼ぶ。
それは、かつての戦友の名前。
今目の前に、その人物がいる。
『ゴメンね。出てくるのが遅くなっちゃって』
「だけど、どうして……いやそうか。
そういうことだったんですね」
英人はその姿に一瞬戸惑うが、すぐに理解した。
確かに清川 鈴音は異世界にて文字通り消滅した。
己の肉体全てを魔力へと『変換』することで。
つまり、今の姿は――
『そう。私は君の中に残った、あの時の魔力の残滓。
そしてそれが私の姿へと再変換されたもの。
本来なら君の魔力に埋もれているはずだけど――今君の魔力が完全に尽きたことで、こうして姿を現すことができた』
「それで……はは。
こんな形で再会するなんて……」
英人の瞳には、一筋の涙が伝う。
たとえ虚像でも、それはもう一度会いたいと願い続けてきた人の姿。
こらえてきた様々な感情が目から溢れる。
『ささ、感動の再会を喜ぶのは後!
今はあの化け物をどうにかするのが先。
というわけで英人君、準備はいい?』
「準備って、えっ?」
英人は一瞬キョトンとする。
「『無限の魔導士』の神髄、見せてあげる!」
しかしそんな表情を尻目に鈴音は手を掲げ、『変換』の力を行使し始めた。
眩い光に、辺りが包まれていく。
それは敵の攻撃すら魔力に変えてしまう力。
たちまち英人の体内、そして周囲の毒は魔力へと『変換』されていく。
「すごい、これが……!」
瞬く間に苦痛は消え、代わりに魔力が全身へと漲ってくる。
その劇的な変化に、英人も思わず声を漏らした。
『……ありがとね』
そんな中、鈴音はぼそりと英人に言う。
「えっ?」
『だって、約束を守ってくれたでしょ?』
鈴音は左腕にそっと手を置く。
「それはまあ、約束ですから」
『私ね、君の中からずっと見てきたんだよ?
この世界で、君が頑張る姿を。
全く、せっかく世界を救った『英雄』サマなのに、ここでも無茶ばかりするんだから……。
そして今も、私の故郷のためにボロボロになりながら戦ってくれている。
だからね、おねーさんも一緒に戦わせて?』
そして英人を見つめた。
それはかつてと同じ、優しい瞳。
「……はい!」
英人はその言葉に、力強く返事をする。
「いくぜ――『上級聖障壁』!」
そして送られてきた魔力を使い、障壁を展開。
しかし依然としてヒュドラの『極毒大奔流』の威力は凄まじく、障壁は徐々にひび割れていく。
だが――
「『変換』!」
鈴音が周囲の毒をさらに魔力へと『変換』。
出来た大量の魔力は英人へと送られ、障壁は瞬時に修復、強化されていく。
相手の攻撃を利用した、防御の強化。
いつしか『上級聖障壁』の強度は『極毒大奔流』を完全に防ぎきるほどになっていた。
「な……どういうことだ!?
我の必殺の一撃が防がれた、だと!?」
『極毒大奔流』を中断し、驚愕した声を上げるヒュドラ。
ほぼ死に体の相手に放った渾身の一撃、まさか防がれるとは思っていなかっただろう。
『よし、敵の攻撃が止まった!
英人君、今だよ!
私の力を使って!』
「でもそれは……」
『大丈夫。今の私と英人君なら、できるよ。
だから……ね?』
鈴音は再び、英人の左手を優しく握る。
掌を通して伝わってくるのは手の温かさと、大量の魔力。
条件は既に整った。
「……はい!」
決心した英人は力強く頷き、左腕を前に出す。
それは使い古したいつもの技。
しかし今からその身に宿すのは、共に命を懸けてきた仲間。
万感の思いと共に、英人は詠唱を開始した。
「左腕再現情報入力――英雄変化・『無限の魔導士』!」
瞬間、英人の左腕は眩いばかりの光を放つ。
その左手に『再現』されるは、無限の魔力を持つ魔導士。
かつて異世界にて、数多の魔族を屠って来た『英雄』の力であった。
「なんだ、その光は。
それに貴様、どこにそんな魔力が……!」
「魔力だと? そんなもん……」
英人は毒の川に飛び込み、その左腕をかざす。
するとみるみるうちに毒は消失し、代わりに魔力が湧き上がる。
「お前の毒からに決まってるだろう――『上級雷撃鳴動』!」
そして、一気に最大出力の雷撃を放つ。
その規模はすさまじく、たちまちヒュドラの巨体の全てを包み込んだ。
「グオオオオッ!」
「焼け死ね……っ!」
『変換』で魔力を補充しつつ、雷撃の威力を強めていく英人。
しかしヒュドラもそのままでは終わらない。
「嘗めるなよ……人間風情がァッ!」
焼けただれた表皮を剥がし、肉体を修復させながら猛烈に突進してくる。
「来たか……ミヅハ!」
『あいあい! なにが起こったのかよ―分からんけどとにかく承知!』
その返事と共に足元からは水龍が湧き上り、英人を乗せて軽やかに回避する。
『あっミヅハちゃんもいるんだ! なつかしー!』
「勝手にこの世界までついてきちゃってね……」
鈴音を傍らに、英人は水龍の上からヒュドラを眺める。
会心の一撃こそ叩き込んだものの、いまだ健在。
あの伝説の化け物を倒すには、さらなる決め手が必要だった。
「ぬううぅ……! どんな絡繰かは知らんが、厄介なことよ。
だがその程度で我は滅ぼせん!
なれば最後に勝つのは我だ!」
『どうする、英人君?
あいつ倒すには一気に消し飛ばすしかないよ?』
鈴音は心配そうな顔を浮かべる。
いくら魔力の心配がなくなったとはいえ、ヒュドラの再生能力は驚異的。
さらには全長2キロメートルもの巨体となると、一気に倒す手段はかなり限られてくる。
しかしそんな鈴音の言葉に、英人は不敵な笑みを浮かべた。
「大丈夫。その方法なら……ここにありますよ」
英人は腰に差していた『断魔の剣』を抜く。
900年もの間禄に手入れをされていない刀身は、ひどく頼りない。
『? それって……?』
「さっき風音にもらった『断魔の剣』です。
あの時は『鑑定』を使う余裕もなかった。
でも魔力のある今なら、これが何なのか分かる」
『!? まさか――』
「『武器再現』!」
そして英人はゆっくりと、その剣に魔力を送り込み始めた。
今行ったのは、武器を以前の姿に戻す『再現』。
刀身は錆び、村人からもその所在を忘れさられてしまった伝説の剣。
それが今、英人の手によって蘇る――!
「な、貴様……それは、その忌々しい光は……!」
その剣が放つ光を見て、ヒュドラはその表情を険しくする。
「ああそうだ。こいつはお前も良く知っているもんだ。
この世界では『断魔の剣』と呼ばれ、あっちの世界じゃ――」
英人は光放つ剣を構える。
それは異世界において、先代の『英雄』が使っていた剣の一振り。
神器と並んで最強と目される武器の一つであった。
「『聖剣』と呼ばれていたものさ」
「またしてもおおおおオオッ!」
再び英人に向かって突進するヒュドラ。
「――滅べ」
それに対し、英人はゆっくりと『聖剣』を振り上げる。
立ち上る光。
最大限にまで凝縮された魔力は、その重圧だけで辺りの雑音を塗りつぶす。
そして刹那。
「『魔を断ち、光指し示す剣』――」
山を覆うほどの閃光が、ヒュドラの巨体を薙いだ。




