神なるもの⑲『俺も頑張らないと!』
深夜の山奥。
かつてそこにあったはずの緑はとうに消え失せ、今は紫の奔流が埋め尽くすばかり。
その中で、一人の男と一体の化け物が戦っていた。
文字通り、命を懸けて。
「――おおおおおおっ!」
もうかれこれ、何時間経っただろうか。
異世界においては何日にも渡って戦い続けた経験はあるが、それはあくまで最低限の休息を挟みながらの話。いわば持久走だ。
しかし今回は最初からほとんど全力。
ミヅハへと膨大な魔力を回し、毒の流出を防いで村を守る。
そして同時並行で最大出力を維持しながらしてヒュドラに攻撃を加え続ける。
つまり言うなれば、短距離走のスピードでゴールの見えないトラックを走り続けているようなもの。
そうでもしなければ、この伝説の化け物は抑えられないのだ。
おそらく、こちらが攻撃の手を緩めればヒュドラはこれ幸いと壁の破壊に専念するだろう。
しかし逆を言えば、これはヒュドラ自身も英人に手こずっている証拠。
英人をどうにかしないうちはヒュドラも壁の破壊に移れないということだ。
そうして共に決め手を欠いたまま、両者は終りのない戦いを続けていた。
「ぬううっ!」
雷撃を纏いながら突進してくる英人に対し、ヒュドラは尾を振り上げて応戦する。
既に辺りはヒュドラの半身すら浸かる程の毒が溜まりつつあり、体を動かすだけで相当量の毒が跳ね上がる。
間欠泉の如く吹きあがる毒の飛沫は、それだけで強力な武器だ。
「くっ……!」
当然、空中ではその全てを避けきることが出来ない。
英人は毒を被りながらヒュドラにそのまま突進する。
「おおおっ!」
そしてヒュドラの頭部に、『大鬼王の剛腕』を思い切り叩き込んだ。
その衝撃でヒュドラの牙は砕け、勢いよく毒の水面へと叩きつけられる。
「グ……ボァッ!」
「『全身修復』!」
そして英人はすかさず体内の毒を消失させる。
最早数えることすら億劫になってきた。
(チ……本当にキリがないな)
そう心の中で悪態をつきながらも、英人は次なる攻勢へと移っていく。
一応、どこまで時間を稼げばいいのかという目安はある。
それは――自衛隊にこの地域一帯の避難と隔離を行ってもらうまでだ。
先程のヒムニスへの電話はその要請も兼ねていた。
もし避難が完了すれば、水の壁を解除してその分の魔力を攻撃に回せる。
そうすればヒュドラの完全な撃破も見えてくるはずだ。
……この地域が死の土地となることと引き換えに。
正直、住民の避難も自分でやってしまおうとは考えた。
しかしいくら過疎地域と言えども避難の対象となる人口はおそらく数千、下手をすれば万を超えかねない。
さすがの英人でも、一人だけでそれを実行するのは不可能。
だからこそ、ヒュドラ相手に全力の持久戦を挑むことに決めたのだ。
(そもそも俺が『探索の魔眼』で地中を見た時には、奴はすでに復活まで秒読みだった。
いくらなんでも、こいつを放置したままで避難活動は無理だ……)
英人の頬に、一筋の汗が伝う。
今でこそ戦況は拮抗しているが、永遠には続かない。
英人の持つ魔力にも、当然限界を迎える時が来る。
「チッ……こんなおざなりな作戦しか立てられない自分が嫌になるな……!」
しかし開始した手前、今更後戻りすることは出来ない。
後はもうこの作戦と心中するしか道はないのだ。
「たとえ魔力が尽きても戦い続けてやるさ……!」
気合を入れなおし、今度はヒュドラの胴体に向かって突撃する英人。
その途上、ヒュドラの表皮から湧き出た触手の群れが行く手を阻む。
「くッ……、うざったい!」
英人はすかさず左腕の『大鬼王の剛腕』と右手に持ったロングソードで応戦。
触手はたちまち撃退されていく。
だがその一瞬の停滞をこそ、ヒュドラが望むものだった。
「死ねぇい!」
その怒号と共に、ヒュドラは自身の尾を振り上げる。
それは先程までとは違い、かなりコンパクトな動作。
つまり己の巨大な質量を、最短最小の動きでぶつけることだけを考えたものだった。
「ぐ、ふ……っ!」
そしてその一撃は、英人の体を覆うようにして命中する。
渾身の一撃とまではいかないものの、ヒュドラほどの巨体なら当てるだけですなわち必殺。
その衝撃に耐えきれず、英人の体は凄まじい速度で吹き飛ばされていった。
「ぐおおおおおぉぉぉっ!」
余りの速度に、空気を裂く音がやかましく耳に鳴る。
しかしそれすらも一瞬。
英人の体はそのまま、水の壁に勢いよく激突した。
「おい契約者っ! 大丈夫かっ!?」
ミヅハの叫び声が聞こえてくる。
念話ではなく直接耳に聞こえてくるあたり、どうやら壁すら抜けてミヅハの近くまで吹き飛ばされたらしい。
「ああ……見ての通り、大丈夫だ」
地面からゆっくりと上体を起こし、英人は口内に溜まった血を吐き捨てる。
もう痛みの感覚がバカになったのかと思う位、全身がくまなく苦痛を訴えている。
こういう時、拷問での訓練を積んでおいてよかったとつくづく思う。
「どこが大丈夫なんだ!
さっさと『再現』で直せ!」
「……ああ」
ミヅハの言われるまま、英人は『再現』で体を修復していく。
しかしその光は弱く、部分的にしか肉体を修復できていない。
「おい……それじゃあ全快してないでしょうが
いや、まさか……」
「ああ、察しの通りだ。もうぼちぼち底が見え始めた。
そんなことより、お前は壁の展開に集中しろ」
「いや、まてまてまて……」
「いいから」
そして英人は痛む体に鞭を打ち、立ち上がる。
壁の向こう側には体勢を立て直しつつあるヒュドラ。
単純に大きさだけを比較すれば、それは絶望的なまでの差。
「な、何で君は……あんな化け物に立ち向かっていけるんだ?」
そに痛ましい光景に、思わず団平が口を挟んだ。
「ん……? ああそういや今朝方ぶり。
因みに一度死にはしましたが、別に怨霊の類とかではないのでご心配なく」
「あ、あの時は済まなかった……。
いやとにかく、今の光景を見れば君に特別な力があることは分かった。
その上で聞きたいんだ……」
団平は拳を握り、前のめりになって英人に詰め寄る。
「ちょっ、それ以上壁に近づかんといて……」
「いや、いいんだミヅハ……どうぞ」
「どうして……どうして君は、この村の為に戦ってくれるんだ?」
「……」
「俺が言うのもなんだが、この村は腐っている!
それは『卑奴羅』の毒によってじゃない、俺含めた村人それ自体がだ!
君は元々この村とは何も関係のない人間だろう!?
ならば何故命を捨てるような真似をする!」
団平はまるで訴えるように叫ぶ。
それは団平にとって、心からの疑問であった。
「……約束、しましたから」
そしてその疑問に、英人はゆっくりと答える。
「約、束……?」
「頼まれたんですよ。鈴音さんに。
美鈴のことを、ひいてはこの村の人々を救って欲しいと。
それに――」
英人は左手の掌を見つめる。
「かつての仲間が守ろうとしたものを俺は守りたい。
ただ単純に、そう思ったんです。
だからたとえ約束なんかしなくたって、俺はここに立っていたはずですよ」
「……」
「まあなんというか、そういうことです。
というわけで、いってきます」
唖然とする団平を尻目に、英人はヒュドラの方へ再び振り返ろうとする。
「あっ、ちょっと待って英人お兄ちゃん!」
しかしその前に、風音がトテトテと壁際まで近づいていった。
「ん、風音ちゃんもここに来てたのか。
どうした?」
「こ、これ……!」
そして風音は、大事そうに抱えた剣を差し出した。
それは劣化著しい一振りの西洋剣。
「これって……」
「『断魔の剣』!
これを使って、『卑奴羅』をやっつけて!」
「……ああ、分かった」
英人は『断魔の剣』を握る。
柄まで錆の入った古い剣だが、何となく手に馴染む気がした。
英人は『断魔の剣』を鞘に入れ、腰に差す。
「んじゃ今度こそ……行ってくる」
「うん……勝ってね、英人お兄ちゃん!」
「ああ!」
そして英人は再び壁の中へと飛び込んだ。
……………………
………………
…………
……
それからずっと、団平たちは見続けていた。
一人の男が、伝説の化け物と戦い続ける光景を。
「おおおおおおっ!」
「ガアアアアアッ!」
双方の叫び声が、こちらまで届いてくる。
体の中まで震わす程に。
「英人さん……」
「英人お兄ちゃん……!」
美鈴と風音の二人は、必死に英人の勝利を願っている。
「なんじゃあ、ありゃあ……」
「まさか、ありゃ『卑奴羅』か!?」
そしていつしか団平たち周りには、村人がぽつぽつと集まり始めていた。
おそらく、ここには来ていない村人たちも遠巻きからこの戦いを見ているはず。
伊勢崎村の命運を決める、この戦いを。
「……頑張れ」
団平の口から、自然とその言葉が漏れた。
「頑張れ、頑張れ……頑張れっ!」
そして今度は堰を切ったように、その言葉がとめどなく口から溢れ出す。
自分に、こんなことを言う資格がないことくらい分かってる。
そもそもこんなことを言わずとも、あの青年が最大限頑張っていることくらい見れば分かる。
でも。
それでも。
命を懸けて戦っている人間にこれが言えなきゃ、嘘だ。
「頑張れえええっ!」
今度は腹の底から叫ぶ。
届かなくてもいい。
ただ、そうしなければいけないと思った。
「頑張ってください、八坂さん……!」
「頑張れー! 英人お兄ちゃんー!」
二人もそれに続く。
『巫女参り』によって、ずっとバラバラにされていた一族。
しかしこの瞬間だけは、互いに同じ思いと言葉を持っていた。
「……ああ、聞こえてるとも」
水の足場の上で、英人はゆっくりと立ち上がる。
既に体は毒に侵されており、このままいけば死あるのみ。
しかし英人は『全身修復』でそれを直す素振りはない。
とういうよりも、『全身修復』の行使自体が不可能になっていたのだ。
ついに、魔力が完全に底をつく時が来た。
(ある程度活動できる分の魔力は既にミヅハに渡してある。
あとは……)
「……ほう。いい加減貴様の魔力も尽きたか。
意外と粘ってくれたではないか」
「最後にどれだけ奴の力を削げるか、か」
英人は左手になけなしの魔力を込める。
「だがそれもこれまで。
放っておいても毒で死ぬだろうが……まあいい。
貴様は我が直接殺す……!」
その宣言と共に、ヒュドラは口を大きく開いてブレスの準備を始める。
体に開いた穴からも毒を吸い込み、魔力を込めて一気に高水圧で噴射するつもりだ。
わざわざ最大の技で仕留めてくれると言うなら、英人にとっても都合がいい。
「『中級聖障壁』――」
ヒュドラの行動に合わせ、英人は魔法障壁を展開。
「『極毒大奔流』!!!」
そしてそこへ一気に、毒のブレスが放たれた。
「ぐううううぅっ――!」
高圧で放たれた毒の奔流は、一挙に英人の全身を包み込む。
体内に急速にしみ込んでくる猛毒。
障壁に魔力を送りながら、英人は必死に耐えていく。
しかしそれも数秒ともちそうにない。
徐々にひび割れ、力なく崩れていく障壁。
「チッ、これまでか――」
このままだとこの障壁は割れ、自身の体は毒に飲み込まれるだろう。
しかしすでに魔力はほぼ底をついており、最早戦う手段は残されていない。
「後は頼むぞ、ミヅハ……!」
そして英人は残された最後の力の一滴を振り絞った――
だが、その時。
『――まだ諦めるには早いよ』
誰かが、左手を握った。
誰?――いや、違う。
この声とこの感触、覚えている。
たとえ完全記憶能力がなくたって、忘れるはずがない。
忘れたりするものか。
そう、これは――!
「鈴音、さん……!」
英人の視界に映るのは、微弱な魔力で形作られた姿。
しかしそれは間違いなく、かつて英人と共に世界を救った『英雄』。
『もう一度一緒に、戦おう英人君!』
その名も『無限の魔導士』――清川 鈴音その人だった。




