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異世界の英雄よ、現実世界でもう一度   作者: ヘンリー
第三部:真夏の英雄譚
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神なるもの⑪『その手を掴め』

午後7時。


 日の入りを迎え、街灯もない伊勢崎村は漆黒の闇に包まれる。

 しかし今日だけは、この村においてもなお明るい場所がある。


 それは伊勢崎神社。


 村における唯一の神社であり、『オオモリヌシ』を始め先祖の霊を祀っている場所だ。


 基本的には全国にある神社と構造等は同じだが――この神社には、もう一つの役割がある。


 それは『神域』へと続く門としての役割だ。


 この神社の裏側にある山林を、村では『神域』と呼ぶ。

 つまりは『オオモリヌシ』様が住み着いている場所と考えられており、たとえ村人であってもそこへの立ち入りは禁じられる。

 いわば伊勢崎村における禁足地なのだ。


 なのでその門も普段は固く閉ざされている。


 しかし、例外的にそれが開かれる時がある。

 それは『巫女参り』。


 その日だけは門を開放し、桓本家と人間と巫女役のみがその出入りを許されるのだ。



「ふむ。色々あったが、今年もなんとかなりそうじゃの」


 境内の様子を眺めながら、祭祀用の衣装に着替えた登美枝が満足そうに呟く。


 祭りというだけあって、境内にはいたる所に篝火が掲げられている。

 さらにその中央にはまるでキャンプファイヤーのような巨大な篝火。


 そして村人のほぼ全員がその場に集合していた。

 清川 団平と風音の姿はないが、致し方ないことだろう。 


「枯れ木も山の賑わいとはいうが……昔はもっと盛り上がっておったんじゃがの」


 余所と比べて収穫量が多かったこともあり、この村も最盛期には人口1000人を超えていた。

 余った作物を求めての交易も盛んで……本当にここは豊かな村だったのだ。


 しかし戦後から急速に衰退が始まり、今はもう見る影もない。

 作物は今も十分に獲れているはずなのに、何故。


「じゃが、きっと『オオモリヌシ』様が助けて下さる。

 900年前のように、我らを豊かにして下さる」


 自分に言い聞かせるように登美枝がぶつぶつと呟いていると、ゆっくりと戸が開く。


「……登美枝様、準備が整いました」


 そこにいたのは、世話係の女性。

 そして――


「うむ、じゃあ行こうかの――美鈴や」


「……はい」


 虚ろな目で純白の巫女装束に身を包んだ、美鈴の姿があった。




 ……………………

 ………………

 …………

 ……



 いよいよ祭りが開始され、拝殿から登美枝と美鈴が姿を現す。


「おお……!」


「あれが……!」


「秀介の忘れ形見か……!」


 初めて美鈴の姿を目の当たりにする村人も多く、境内は一気にざわつき始めた。

 しかしすぐに鎮まり返り、全員が神妙な面持ちで祭りの行く末を見届けようとする。



 ――ドン。



 そして太鼓がひとつ、鳴った。



 ――ドン、ドン。



 静寂を打ち破るその音は、次第に感覚を狭めていく。



 ――ドンドンドンドン!



 中央の篝火にはさらに薪がくべられ、太古の鼓動と息を合わせるようにするように炎の勢いを増していく。


 これは清めの炎。

 嫁入り前の巫女の体を、さらに清めるためのものである。


「……」


 美鈴は虚ろな目のまま、吸い寄せられるようにに篝火へと向かっていく。

 その一歩一歩の頼りなさが、むしろ祭りの神聖さを演出していた。


 そして篝火の前まで到着すると、ゆったりと舞うようにその周囲を回り始めた。


 一周目は『オオモリヌシ』への感謝。

 二周目は先祖の霊への感謝を思い浮かべながら、その様子を見るのが昔からの習わし。


 周囲を囲む村人は皆、手を合わせてその様子を眺めていた。



 そして、いよいよ『オオモリヌシ』へと嫁ぐ時が来る。


「さ……こっちじゃ」


『神域』へと続く門の前で、登美枝が手招きをする。


「……」


 美鈴は力なく頷き、ゆっくと向かっていく。


 これ以上は、村人も追いかけることはできない。


 ただ桓本家当主である登美枝が一人で戻ってくる時を黙って待つだけである。

 中で何が行われているかは分からない。


 しかし共に帰ってきた巫女役はひとりとしていないことだけは事実であった。


 だがそれを追及する村人はいない。

 何故なら『オオモリヌシ』様、ひいては桓本家に逆らってはいけないから。


『オオモリヌシ』様の加護によって村に安寧が保たれている、そのただ一点が村人にとっての真実なのだ。


「うむ。さ……この手を」


 登美枝はゆっくりとその皺だらけの手を差し出す。


「……はい」


 その言葉になんの疑いも持つこともなく、美鈴はそっと手を伸ばしていく。


 先程から、頭がボーっとして思考がまとまらない。

 ただこの目の前にいる老婆の言葉だけが心地よい。


 気持ちがふわふわする。

 時間がゆったりと流れている気がする。

 思考がどろりと溶けていく。


 ああそうだ。ずっと、私の心には穴が空いていた。

 母が死んでから今まで、心のどこかにぽっかりと穴を空けながら生きてきた。


 この手を取れば、埋まるのかな。


 うん、そうだ。

 きっとそうに違いない。


 だからこのまま流されてしまおう。

 このまま――



『――美鈴ちゃん』



 ピクリと、美鈴の手が止まる。


「ん、どうした? 早う手を取らんか」



『――ダメだよ、その手を取ったら』


 その声に、聞き覚えはない。

 でも不思議と確信はある。


「姉、さん……?」


「!? 美鈴、お前……!」


 瞬間、美鈴の思考は一気に覚醒していく。

 朧げだった視界は澄み渡り、体は徐々にコントロールを取り戻す。


「私は、一体……?」


「まさか、毒から目覚めたのかっ!?」


「毒……?」


 不可解な現象に、「毒」という不穏なワード。

 不審に思った美鈴は一歩二歩と登美枝から後ずさっていく。


「登美枝さん、貴方は私に何を……」


「いやなに、今のは言葉のアヤじゃ。

 ほら、それより早うこの手を。巫女の務めを放棄するのかい?」


 登美枝は驚きつつも、手を伸ばして美鈴へと歩み寄る。


「い、いや……そ、そうだ八坂さんは!?

 八坂さんはどこに行ったんですか!?」


 周りをキョロキョロと見渡しながら、美鈴はさらに後ずさる。

 前から迫るのは小さな老婆。


「なに、少し遠くに行ってもらっただけじゃよ。

 ほら、この手を」


 しかしその表情は人間と認めるのをためらうほどに邪悪なもの。

 おそらく、その手を取ったら二度と戻ってこれない。


「まさか、八坂さんを――ッ!」


 だが言い終えようとした瞬間、踵が石畳に引っ掛かかる。


(あ……)


 体はバランスを崩し、夜空を仰ぎながら倒れ込んでいく。

 何か掴もうと必死に手を伸ばすが、虚しく空を通り抜けるばかり。

 もう、駄目なのだろうか。



『――大丈夫』



 倒れる間際、そんな声が聞こえた気がした。

 そして次の瞬間。


「俺は、ここにいる」


 その手を掴む男がいた。


「あっ」


 驚く間もなく、手は力強く引かれる。

 気付けば、何事もなかったかのように美鈴は立ち上がっていた。


「八坂、さん……?」


「ああ、遅くなって申し訳ない。

 ケガは……どうやらなさそうだな」


「は、はい……」


 訳のわからないまま、美鈴はコクコクと頷く。


「お、お前は……!」


「どうも村長」


 英人は小さく会釈する。


「死んだはずではなかったのか!」


「まあ、そこは色々ありまして。

 というわけで――」


 英人は登美枝の前に立ち、小さく息を吸う。


「この祭り、滅茶苦茶にさせてもらいます」


 そして、その鋭い双眸で登美枝を睨んだ。

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