神なるもの③『伝説って?』
「いやぁ、めでたいめでたい!
まさか鈴音ちゃんにこんな綺麗な妹がおったとはな!」
「秀介の奴もあの世で喜んどるじゃろうて!」
現在時刻、午後7時30分。
日はとっくに沈み、外は鈴虫の大合唱ばかりが響いている。
そんな中。
「ほれ、八坂君……じゃったかの? 君も飲め飲め!」
「はぁ、ありがとうございます」
「いやー、都会からの学生さんとは珍しい。
確かに賢そうな顔立ちをしとるのぉー」
「俺の若い頃にそっくりじゃ」
「いやお前はそもそも大学出とらんじゃろが!」
「「「ハッハハハハハハ!」」」
清川家は、珍しいほどの大盛況に包まれていた。
というのも突然来訪してきた老人たちに自己紹介を済ませた後、あれよあれよという間に大宴会となったのだ。老いたりといえ、田舎はやはり娯楽に飢えているのだろう。
もちろん主賓である美鈴の周りも大いに盛り上がっている。
「あらー! 本当に綺麗な子じゃねー。
鈴音ちゃんそっくりじゃわ」
「髪の毛も艶やかで……美人じゃねぇ」
「あ、ありがとうございます……」
おばあちゃんたちからの質問攻めに、美鈴はたじたじといった感じだ。
居間にいるのは英人たち含めて総勢二十人ちょっと。
まあ祭りの前日なのでさすがに村人総出で、というわけにはいかないようだが、村の人口から考えればそれなりの人数が集まっていると言えるだろう。
英人も正直、ここまでの歓待を受けるとは想像していなかった。
「……あ、そうだ。
少し伺いたいことがあるんですけど」
英人は隣に座る老人に声を掛ける。
「ん? なんじゃ?」
「この村の神様である『オオモリヌシ』様、というのはどういう神さまなのですか?」
「『オオモリヌシ』様?」
「ええ。この村に祀られている神様だそうで。
研究の一環として是非とも聞いておきたいんです」
むろんこれは英人の方便だが、村を知る上でぜひ聞いておきたいことでもあった。というのも神話や伝承の類は、その地域の特徴やアイデンティティを色濃く映すものだからである。
「そうじゃな……」
老人は腕組みをしてしばし考え込んだ後、ゆっくりと答え始めた。
「『オオモリヌシ』様というのはな、この村を救ってくれた神様なんじゃよ」
「村を救った神様?」
「うむ。もう九百年以上も前のことじゃ。
この村も今とは違ってそれなりに栄えていた村での。毎年安定して米が取れてたっちゅうんで、この地域でも有数の米どころじゃった。
しかし、ある時を境にパタンと米が取れなくなった」
「稲穂は実らず、しまいには山の木々すら枯れ果ててしまう有様だったそうじゃ」
別の老人がその話を補足した。
「山までですか」
「うむ。そして草木の次はいよいよ人間とばかりに、今度は村人が次々に行方不明になってしまってな。
いよいよこりゃ村が滅びかねないってんで、辺りの山々を調べてまわったんじゃ。
なにかこうなった原因があるのではないか、とな。
そしたら……いたんじゃよ」
「原因となる奴が、ですか?」
英人が尋ねると、老人は両手を大きく広げて話す。
「ああ。伝説によりゃ、そりゃあ山ほどもデカい蛇だったそうじゃ。
名前は『卑奴羅』ゆうての、こいつが村を荒らし回っとったんじゃ」
「『卑奴羅』……」
「しかもこいつが本当に立ちの悪い奴でな。
辺りに毒をまき散らしまくるんじゃ、土地が死んじまう程のな。それでいて人も食い散らしまくる。本当に悪い化け物じゃった」
その言葉に、周りの老人たちはうんうんと相槌を打った。
「なるほど……じゃあその『卑奴羅』を倒して村を救ったのが、『オオモリヌシ』だと?」
「いんや違う」
「あれ、違うんですか? てっきりそういう流れかと……」
英人の言葉に、老人たちはドッと笑った。
「ははははっ、早い早い! 『オオモリヌシ』様が出てくるのはもう少しだけ先じゃ。
まま、急がずに続きを聞いてくれ……んで、どこまで話したかの?」
「んーとあれじゃ、確か『卑奴羅』が暴れたとこじゃ!
……そうじゃったよな?」
「ええ。そこで大丈夫です」
大丈夫かな、と思いつつも英人は丁寧に答えた。
「うん。それで『卑奴羅』をどうにかせんといかんという話になったわけじゃが、中々いい手が浮かばなくてのう。
なにせ相手は猛毒をまき散らす大蛇じゃからな。周囲に毒が池のように溜まり、そのせいで近づく事すらままならん。最早ただの人間にはどうしようもないわけじゃな。
しかしそこで、オラがやると一人の村人が手を上げたんじゃ」
「一人の村人?」
「うむ。藤太という村人じゃ。
その男は根っからの臆病者らしくてのう、そこらの虫にも怯えるってんで村中から弱虫藤太と呼ばれるほどじゃったという。
そんな男が『卑奴羅』退治に手を上げたもんだから、村人たちはそりゃあもうビックリ仰天よ」
「弱虫藤太……」
英人は反芻するように、その名を呟いた。
誰からも期待されていない、意外な人物が化物を退治するというのはありがちなストーリーではある。
「ああ。お前ごときに倒せるわけないと村人たちは大反対したんじゃが、珍しく藤太は引かんかった。曰く『奴を倒せるのはオラしかおらん』とな。それで村人が何故じゃと聞くと、こう答えるんじゃ……『オラにはあの毒は効かん』とな」
「毒が効かない?」
英人は首をかしげた。
「うん、どうやら藤太は生まれつき毒が効かない体質みたいでな。
これで毒の池を踏破して『卑奴羅』の下まで行けると言うんじゃ」
「しかし、近づけはしても今度は『卑奴羅』を倒す武器がない。
じゃあどうしたもんかと村人が頭を悩ませていると、また村人の一人が手を上げるわけさ。『それじゃあこれを使ったらどうか』とな」
「これ、とは?」
「以前村に立ち寄った武者が置いていったという剣でな。
魔物を一刀両断できる剣っちゅうんで『断魔の剣』という名前じゃ。
まぁとにかくこれで準備は整ったってことでその日の深夜、藤太は早速『卑奴羅』退治を決行したのじゃ」
「なるほど……」
「とはいえ相手は人食いの大蛇。いくら強い武器を持っていても、正面から向かえば丸飲みにされちまう。
ならばどうするか? そこで藤太は一計を案じたわけじゃ」
「その一計とは?」
英人の反応に、老人はニヤリと笑って答えた。
「女装して『卑奴羅』の油断を誘おうとしたのよ。
幸い藤太は臆病なだけあって体も小さく、肌も色白でな。化粧をして衣を纏えば一気に見た目麗しい美女へと変身よ。
それでその姿のまま、山に眠る『卑奴羅』にゆっくりと一歩一歩近づいていくわけさ」
「当然、ある程度近づいたところで『卑奴羅』も目を覚ます。
普通ならひと飲みにしてしまうところだが、近づいてくるのはなんとも美しい装いをした女。
思わず『卑奴羅』は尋ねるのさ、『貴様、何者だ』とな」
「すると藤太は高い声でこう答える。
『私は、この村に住む鈴という娘にございます』
その言葉をきいた『卑奴羅』はそのまるで暗闇のような黒い目でジーッと睨みつけて答えるわけさ。
『その鈴とやらが我に何用だ。もしや我が餌になりにきたか』
『いいえ違います。私は貴方様の花嫁になりにきたのです』
『花嫁だと?』
僅かに警戒を緩めた様子を見て、藤太は続ける。
『はい。貴方様の山を覆わんばかりの大きいお体、そしてこの大地全てを枯らさんばかりの強いお力。
斯様に凄まじいお姿に、私は毎夜貴方様のことを思うばかりでござました。
そしてついに今夜、貴方様へと嫁ぎたく参った次第でございます』」
「それで『卑奴羅』の方はなんと?」
「美しい娘にここまで言われたら、さすがの『卑奴羅』も悪い気はせん。
『ほう、よかろう。娘よ、貴様を我が嫁としよう。さ、近うよるがいい』
『はい』
そうして藤太はゆっくり、ゆっくりと近づいていんじゃ。
『ほうら、もっと早う』
『はい』
『もっと、もっと近う』
『はい』
しかし、ここにきて藤太の足が震えて動かなくなっちまう」
「元々の臆病な性格もそうじゃが、デッカい人食い蛇を目の前にしてはな。
しかしさすがの『卑奴羅』も不審に思うわけじゃ。
『どうした? 何故近う寄らん!?』
『貴方様のお姿を前にして、緊張しているのでございます』、藤太も取り繕うのに必死よ。
だがついに我慢のできなくなった『卑奴羅』が頭をずいっと近づける。
『ならば、我の方から行こう』
そうして藤太の前に頭を寄せた時、」
そこで一旦間を置き、語り部の老人が一気に立ち上がって腕を振り上げた。
「――『化け物、覚悟ぉっ!』
それはもう一瞬の出来事じゃった。
まるで居合のように抜き放たれた『断魔の剣』は一閃、それはもう一閃で『卑奴羅』の首を断ったのよ。
悲鳴を上げる暇もなかったのじゃろう、頭と胴に分かれた『卑奴羅』はしばらくピクピクと動いた後に息絶えた。
ここに藤太の『卑奴羅』退治が成ったわけじゃ!」
語り部の老人はそう言い終えると、周囲からは歓声が上がる。
古今東西、英雄譚とは盛り上がるものだ。
「なるほど……でもそれだと『オオモリヌシ』様は?」
いつの間にその話に聞き入っていた美鈴が尋ねる。
「なに、ここからが『オオモリヌシ』様の出番よ。
無事『卑奴羅』を倒したことで当面の危機が去ったわけじゃが、村には一つデカい問題が残っちまった。
……そいつは『卑奴羅』の残した猛毒さ」
「毒……」
確かに残った毒をどうにかしない限り、大団円とは言えない。
「なにせ毒の池ができちまうくらいだからな。このままじゃ向こう千年は村には草一本生えないままだ。
最早どこかへ移住するしかないのか……誰もがそう考えた時、村に『オオモリヌシ』様が現れた」
「『オオモリヌシ』様は色んなものを浄化してくれる神様でな。
時間は掛かったがゆっくりゆっくりと村の土地から毒を抜いていってくれたのよ。
そのおかげで今、村は滅びずに存続できているというわけじゃ。
『巫女参り』とは『オオモリヌシ』に感謝のお供え物をする祭りさ」
「それじゃあ『オオモリヌシ』様というのは、元々この土地に住まう神ではなかったのですね?」
英人は尋ねた。いくら九百年以上前の話とはいえ、その頃であればすでに土着の宗教なりなんなりがあってもおかしくないはずである。
「まあな。だがそんなことはどうでもええ。大事なのは『オオモリヌシ』様のおかげでこの村は成り立っとるっちゅうことじゃな。
だからわしらも先祖の霊と一緒に大事に祀る。『巫女参り』は十年に一度、村長の桓本家が主導してやるお祭りじゃ。
肝心の巫女役はまちまちじゃが……清川家の娘がやることが多いの」
そう言い、老人たちは一斉に美鈴に視線を送った。
「清川家が、ですか?」
視線にやや気圧されながらも、美鈴は尋ねる。
すると、老人たちは今度は一斉に互いに顔を見合わせ始めた。
それはまるで、なにかを確かめるような視線の送り合い。
「その『卑奴羅』を倒した藤太の子孫が、今の清川家だからじゃよ」
しばらくの間の後、一人の老人が美鈴に向き直って答えた。




