神なるもの①『日本の車窓から』
『ほら、二人共こっちこっちー!』
『ちょっ、いきなりなんなんですかこれ』
『見て分からないかい英人君? 結婚式さ!』
『け、結婚式ぃ?』
『うん、せっかくだからね。
こういう時だからこそ、やっとかなくちゃ』
『そうそう。それに、形式やら作法やらは山北のオッサンが知ってるみたいだしな。ちょうどいいって』
『まぁ、付き合いとかで覚えてね……運営側に回ることもあったし。
だからこういう時くらい、年長者としてカッコつけさせてくれ』
『へぇー! じゃあ私が結婚する時も山北さんにお願いしようかな!』
『ちなみに今彼氏はいんの? 鈴音姉さん』
『……なんか言った? 足柄君』
『いえなにもー!』
『まったく、おねーさんだってその気になればね……って、ゴメンゴメン。
今日の主役は貴方たちよね』
『そうそう、お二人さんは大人しく俺達に祝われとけって。
こんな魔法だらけの世界で戦い続けてきたんだ、こんくらいはあってもいいだろ。
……それに失ってからじゃ遅いんだぜ? 英人』
『大和……』
『長かった魔族との戦いだってもう最終盤。
けど最後に残っているのはあの親玉な以上、何が起こるか分からないからな。
だからこういうのは後回しにしない方がいい』
『うんうん。全てが終わった後に結婚するなんて、ありがちすぎる死亡フラグだもんね。
だから戦う前にさっさと結婚しちゃった方がいいよ、英人兄さん』
『うんうん。足柄君の言う通り、ここは私達に甘えちゃいなさい』
『山北さん……』
『そうそう……って英人君、貴方そもそもプロポーズはもうやったの?』
『え!? ええまあ……そんな感じのことは言ったような……』
『本人はそう言ってるけど、どうなん?』
『――そうですね。確かに言っていたような気はしますが、でも私はもう一度聞きたいです』
『……だって』
『だって、って……まさかここで言うの!?』
『おねーさん聞きたいなー、英人君のプロポーズ。皆もそう思うでしょ?』
『確かにな』
『聞いてみたいよねー』
『うんうん、せっかくだしね』
『えぇ……ハァ、分かりましたよ。言えばいいんでしょ。
というわけで今から言うけど、大丈夫か?』
『はい、大丈夫です。
いつでもどうぞ……ヒデト』
『うん……よし』
『俺は、君を――』
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「、ん……」
揺れる車両の中、男は気だるそうに目を開いた。
どれくらい寝ていたのだろう、頭の重みを支えていた右腕がやんわりと痺れを訴えている。
「あ、起きましたか八坂さん」
対面の席からは、そんな英人の様子に気付いた美鈴が声を掛けた。
英人の瞳に映るのは、黒髪で顔のほぼ上半分を覆った、いつもの顔。違いといえば、薄紫色をしたノースリーブのワンピース位か。
「……今、どのあたり?」
「もうそろそろですね。次でまた乗り換えます」
美鈴はスマートフォンで画面を見ながらそう答えた。
「サンキュ。
でも、目的地がここまで遠いとはな。
朝イチで出たってのに、もう昼過ぎか」
英人は伸びをしながら、車窓から外の景色を眺めた。
山、森、田、ときどき家。
都心から出発して早数時間。今や広がる風景は緑色と茶色ばかりだ。
「すみません……こんな所まで」
「別に謝る必要はないよ。
そもそも秦野さんが誘わなくても、勝手に一人で行ってたと思うし」
「そう、ですか……」
「それに秦野さんも行くのは初めてなんだろ?
だったら尚更、誰か一緒について行った方がいいさ。
そもそも今から行く所は観光地でも何でもないみたいだし」
「あ、ありがとうございます……」
美鈴は小さく頷く。
季節は九月の上旬。
英人と美鈴は鈴音の生まれ故郷の村へと向かっていた。
その名は伊勢崎村。
人口およそ百名の、この片田舎の小さな村落が清川鈴音の生まれ故郷だという。
異世界において共に戦った戦友同士だが、英人はこの世界での彼女のことをほとんど何も知らない。
何故なら清川鈴音という人間は、あまり自分の過去を語らなかったからだ。
元々、英人たち『英雄』は互いに生い立ちや住所等を共有し合うことが多かった。
それは単に背中を預ける仲間だからというのもあるが、それ以上に「保険」という意味合いが強かった。つまり、「自分が死んで元の世界に戻れなくなったら、後は頼む」ということだ。
しかし、彼女だけは別だった。こちらが聞こうとしても、いつもその可憐な笑顔でそれをはぐらかす。
おそらく、何かがあるのだろう――周囲はそれを察し、いつしか彼女の過去について触れることはなくなった。
だが二年たった今になって、ふとした拍子にこの世界での彼女の足跡が明らかになろうとしている。故人の秘密を暴くみたいで罪悪感はあったが、それ以上に英人は心から安堵していた。
これで彼女の墓前に行ける、と。
『世界の黙認』の効果により、『異世界』にて命を落とした『英雄』たちは皆、同時にこの世界においても死んだことになっている。
山北創二。
足柄飛翔。
大和重成。
全員が『異世界』で名を馳せた『英雄』だが、この世界では等しく「ただの故人」。世間がその功績を讃えることはない。
だが英人だけは、彼らと戦った日々を今でも鮮明に覚えている。
去年の盆には、彼らの墓参りにも行った。
共同墓地に無縁仏……決して良い待遇とは言えないが、英人にとっては墓があるだけでも十分だった。
だが唯一鈴音の墓だけが今も所在が分からず、花も供えられていない。だから今回の話は、それに繋がる重大な手掛かりでもあったのだ。
英人は再び、車窓から景色を眺める。
「ようやく、か……」
過ぎ去る緑は、流れる月日の速さを示しているようだった。
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それから三十分後、英人たちは電車を乗り換えてさらに山奥へと進んでいく。
乗り込んだのは、およそ一時間に一本という超ローカル線だった。
まばらにいた乗客も今や二人だけである。
「それじゃ、着く前にもう一度話を整理しておくか」
車窓の景色から視線を戻し、英人は口を開いた。
「はい、お願いします」
「まずはそもそもの発端についてだけど……七月下旬に来たある手紙、ってことでいいかな?」
「はい。その手紙の差出人は清川団平。
私の父である清川秀介の弟にあたる方みたいですね」
「うん、それで手紙の内容は?」
「はい、まずは団平さんの自己紹介から。あと私の血筋についての言及ですね。
『自分は君の父である秀介の弟で、また君には鈴音という姉がいる』と」
「そのことは、秦野さん自身は知らなかったってことでいいんだよね?」
「はい。私の母である秦野京子は私が三歳の時に亡くなってしまいましたから……。
その後は施設に預けられて、今に至ります。
しかし実は姉がいるということだけは、亡くなる直前の母から教えてもらってました」
「うん。そして、そのお姉さんである清川鈴音は俺の知り合いでもあった……ここまでは確認済みだな。
ちなみに、お母さんについては他に分かることはあるかな?」
英人の言葉に、美鈴は視線を落とす。
「私が幼い時に亡くなったこともあって、詳しくは……。
どうやら私がお腹にいる時に村から抜け出して、その後は女手ひとつで私を育ててくれていたのは確かなようなのですが……。団平さんからの手紙にも、ただ行方不明になったとしか書かれていませんでしたので、抜け出した理由はよく分かりません」
「そうか……」
英人は左手を軽く握り、それを口元につけた。
「あと最後に、明日行われるお祭りについて書かれていました。
団平さん曰く、『この祭りは秀介や鈴音含め、先祖の慰霊をするものだから是非来てほしい』と」
「祭り、ね……。
その手紙以外では特に接触はなかったんだよね?」
「はい。書いてあった連絡先に私から電話したくらいで、それ以外は……」
美鈴は自信なさげに下を向いた。
「なるほど……ありがとう。
二度手間だったかもしれないけど、一応もう一度確認しておきたくてな」
英人は手を下ろし、リラックスしたように背もたれに体を預ける。
「いえ、こんな話でよければいくらでも……やはり何か、気になるところがありましたか?」
美鈴は不安そうに英人の顔を覗き込んだ。
彼女のような一般人にとっては、十分異常とも言える事態なのだ。不安に駆られるのも当然かもしれない。
「うーん……まあ確かに、いくつかあるが」
「是非、教えてください」
「そうだな……当事者には一応言っておいた方がいいか。
まず俺が気になっているのは、秦野さんを呼び出す時期だな。何故八月のお盆でなく、九月のお祭りなのか?」
英人は体を起こし、美鈴を見返した。
「そういう風習……だからでしょうか?」
「その可能性も大いにある。
しかし、お父さんや鈴音さんといった故人の話はしているのに、盆の話がないのが少々引っかかってな。先祖の慰霊と言うなら、それこそお盆にやるべきだというのに」
「確かに、そう言われてみれば……」
「そして、もう一つはお母さんが村を出た理由かな。
お腹に子を宿したまま故郷を抜けるってのは、正直ただごとじゃない。
なのに誰も真相どころか手掛かりすら知らないというのは……っと、ゴメン。今のは少し無神経だったか」
英人は軽く頭を下げた。
本人の前で亡くなった母親の話をするのはあまりよいものではないだろう。
「いえ、私は大丈夫です。それで他には?」
「ああ。あと手紙の差出人である清川団平からの接触が殆どない、ってのが少し気になる。
全く面識がなかったとはいえ相手は親戚、それにまだ学生だろ?
呼ぶ前に一度都内まで行って顔合わせするのが順序だとは思うのだが……」
「……」
「ま、これに関しちゃ人それぞれか。
単に忙しかっただけなのかもしれないし」
「そう、ですね……」
美鈴は小さく頷く。すると、
『――次はぁ、伊勢崎ぃー。次は伊勢崎ぃー。』
二人の会話が終わるのを待っていたかのように、車掌のアナウンスが響いた。
「お、そろそろか」
「みたいですね」
二人はいそいそと降車の準備を始めた。
「……ここ、か……」
「はい、団平さんがおっしゃるにはここだと……」
電車が去っていく音を聞きながら、二人はホームをキョロキョロと見渡す。
そこには古ぼけた木製の屋根とベンチ、そしてこれまた年季の入った改札。脇には小さいカゴが設けられており、どうやらここに切符を入れるらしい。そして駅舎の中は当然のように無人だった。
二人は切符をカゴに入れ、駅を出る。
「まあ今更だが……本当に田舎に来ちまったな」
「はい……」
英人の言葉に、美鈴は大きく頷いた。
地面を覆う僅かなアスファルトや電柱を除けば、そこにあるには山と木ばかり。
おそらく見えている光景は圧倒的に自然物の比率が多いだろう。言うまでもないが、横浜とは大違いだ。
そのまま二人がその景色を見ていると、
ブッブッー
と、クラクションが鳴る音が突然響いた。
視線を移すと、そこにあったのは一台の軽トラック。
「あ、どうやらあれがお迎えのようですね」
「……みたいだな」
美鈴の言葉に頷きながら、英人は心の中で僅かに眉をひそめた。
おそらく少し距離があるせいで、美鈴にはよく見えなかったのだろう。
だが英人の瞳ははっきりと捉えていた。
「…………」
車の中から、こちらをじっと睨む男の姿を。
(……はっ、随分なお迎えじゃないか)
この話には、何かがある。
英人はその確信を強め、ゆっくりと軽トラックに向かって歩を進めた。




