血命戦争㉘『最後の一撃は、せつない』
天を穿った闇の魔力が、やがて霧のように消えていく。
それはみなとみらい全体に広がる、ランドマークタワー屋上の光景であった。
「……私の負け、か」
見つめながら、クロキアは力なく呟いた。
幹也が『吸血鬼』でなくなったことを察したのだろう。
「……ああ。そして、俺たちの勝ちでもある」
「今回届かなかったのは……私か。
そして、彼女たちの想いは届いた」
「新藤幹也の持つ『異能』、それは『君に、聞いてほしい』。
中身はまあ、別に言わんでもいいだろう」
「二人の愛が、『吸血鬼』という種族の壁すら乗り越えたというわけか」
「どちらか片方だけでは、ダメだった。
独りよがりな愛ではとても心までは届かない。
だからこそ、俺はあの二人に懸けたのさ」
英人は一歩、クロキアとの距離を詰めた。
「となると、最後に残るは私か」
「ああ、後はお前だけだ。
クロキア=フォメット」
「フフ……」
クロキアは笑う。
それは自嘲か諦観か。
それとも満足からくるものか。
どちらにせよ、『人間』である英人にとって完全な理解が及ぶところではなかった。
「だが、その前に聞きたいことがある」
「ああ、私がこの世界にいる理由だろう? そういえば話す約束だったね。
何、そう難しい話じゃない。
ただ単純に『君たち』があちらに行ったのと同じ原理さ」
「同じ原理……つまり、お前はこの世界に召喚されたということか?」
英人は僅かに目を細めた。
「ああ。おそらく世界を渡るにはちょうど良かったのだろうね。
何せその時の私は消滅しかけだったから。
……うん? となると、私はそもそも死んでいないことになるのか?
いや、それも最早些細なことか」
クロキアは顔を上げ、夜空を仰いで再び笑い上げる。
「……誰だ、お前を召喚したとかいう奴は」
対する英人は目を見開き、クロキアを睨みつけた。
元々英人が異世界に行けたのは、異世界側からの召喚によるもの。
それと同じということは、異世界の存在を知っている誰かが彼を召喚したということになる。おそらく、何かの目的があって。
しかも召喚したのが『魔族』である『吸血鬼』というのが大きな問題だ。
この世界に生きる者として、それを見過ごすわけにはいかない。
「何のことはない、私を召喚したのはただの取るに足らない小物共さ。
『魔法』どころか『異能』もないようなね。
その場で血を吸って全員殺してしまったよ」
声色に笑みを交えながら、クロキアは語った。
だが背中は依然として英人に向けたまま。
「小物、ね。本当にそうなら世も末だな。
世界同士の境界もへったくれもあったもんじゃない」
「だが弱かったのは事実だからねぇ。
まあいわゆる『普通』の人間ではなかったのだろうが、かといって大物でもない。
おそらくはなんらかの組織の末端だったのだろう。
なんともつまらない話だが、これが真実だよ」
「……そうかい」
数瞬の間の後、英人はおもむろに右手を横に掲げた。
すると、立ちどころに水流が巻き上がる。
「ふーう。あっちはリア充濃度が濃すぎて辛いから、私はこっちに戻ってきたよん。
……それで、もういいのかい?」
それは澄んだ清流を思わせるような髪と瞳。
水の柱から現れたのは、神器『水神ノ絶剣』の精霊であるミヅハであった。
「ああ、頼む」
「はいはい」
短く答えたミヅハは体を水で包み、その姿を華麗な装飾が施された一本の西洋剣へと変化させた。
これこそが神器『水神ノ絶剣』本来の姿であり、またそれを示すかのように、英人の体からはすさまじい量の魔力が放出される。
崩壊を続ける体の『吸血鬼』と、力を取り戻した『人間』。
もはや勝敗は誰の目にも明らかだった。
「……さて、やるか」
クロキアは颯爽と英人に向かって振り向く。
それは最早、肉体の再生すらままならない体だった。
しかしそれでもなお、『吸血鬼』は誰でもない己の足でこの世界に立ち続ける。勝ち負けの為ではなく、己の嗜好と矜持の為に。
そう彼こそが『死者の王』、クロキア=フォメット。
「ああ」
「――『黒翼飛閃・全解放』!!」
間髪を置かず、英人の眼前には闇の奔流が迫る。
それは最後の力を全て振り絞った、滅びの一撃。
英人は『水神ノ絶剣』をゆっくりと振り上げた。
「『絶剣・流転八連瀧』――」
湧き上がるは八つの『水龍』。
神の力とは、非情の力。
水で形作られた神々は無慈悲にも闇を洗い流し、喰らい尽くす。
それは眼前の『吸血鬼』とて例外ではない。
大挙する咆哮と轟音。
「――ああ、素晴らしい。
そうだ! 最後の一撃は、切ないくらいに派手がいい!」
水は、その全てを飲み込んだ。
………………
…………
……
深夜の山下公園。
一人の『人外』が、力なく仰向けに倒れていた。
驚異的な再生能力を誇る『吸血鬼』の命も、あと幾ばくもない。
カウントダウンを示すかのように、その体は足元から徐々に崩れ始めていた。
「……これで二度目になるが、何か言い残すことはあるか?」
英人は倒れるクロキアの下へ歩みより、尋ねた。
それはいつかと同じ問い。
慈悲からではない。ただ、聞いておかなければならないと思ったからこそ再び問う。
「そうだな……この見知らぬ世界ただ一人、そして五年。
『魔法』も『魔族』もなく、さらには力の大部分も失った。
ほんの僅かだが、あちらに召喚された君たちの気持ちが分かったよ」
「……」
「そんな中さ、この世界で生きる君を見つけたのは。
思わず歓喜に震えたよ。この気持ち、君には分かるかい?
だからこそ私は再び君に挑んだんだ」
クロキアはチラリと目線を英人に向ける。
その瞳は未だ意思を失ってはいない。
「最後に、一つだけ教えておこう。
彼を『吸血鬼』に転生させたのは私の力ではない。
『転生石』という物質の効果によるものだ」
「『転生石』?」
「詳しくは私にも分からない。知っているのは、埋め込んだ生物を別の種に転生させるという事実だけだ。
私はある時、そいつをある人物から手渡されたのさ」
「……誰だ、そいつは?」
その問いに、クロキアは悪戯っぽく笑って返した。
「さてね。まあ精々悩むがいいさ、『人間』よ。
だって君たちは皆悩みを抱えたまま、今まで戦ってきたのだろう?
ハハハハハハハハっ!」
クロキアは夜空へと視線を移す。
いつの間にか雲は立ち消え、一面に広がるは夏の星々。
穏やかになった潮風と潮騒と共に、星々は滅ぶ体を柔らかく照らす。
「……ああ」
クロキアは思わず、その瞬きに手を伸ばそうとする。
だがとっくにその手は消滅しており、そこに届くはずもない。
何もできずに、ただ肉体は消える。
「――良い夢を、見させてもらった」
それでも『吸血鬼』は、最後まで満足そうに笑っていた。
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次回で血命戦争編は終了です。




