血命戦争㉗『相思相愛』
「フ……」
クロキアは黒翼を展開し、ゆっくりと右腕を英人に向けて構える。
「……」
一方の英人も、金属でできた左腕をクロキアに向かって構えた。
「ほう、またその技か。
確か他者の肉体をそっくりそのまま再現するのだったかな?」
「ああ。その肉体にある技術や能力丸ごとな」
『再現』魔法の奥義、『再現変化』。
それは他者の肉体を直接己の肉体に『再現』する技である。
これによって英人は適性のない魔法や能力を100パーセント使いこなし、魔眼といった身体的特性も自由にコピーことが出来るようになった。
しかし、この奥義には致命的な弱点があった――それは、掛かる負担とリスクがあまりにも大きすぎるということ。
己の肉体を、他者の肉体に変貌させる。
これは本来ならば、自身の人格やアイデンティティを崩壊させかねない行為。
ここ現実世界においても、臓器の移植を行なった人物の性格が変化したという例がある。
さらに言えば、『再現変化』は体を入れ替えるのではなく、体そのものを変化させる技。当然、発現する後遺症も大きい。
理論自体はかなり早いうちから確立させてはいたが、その重すぎるリスクのせいで長らく実用化には至らなかったのだ。
しかしクロキアに左腕と右目を奪われた際に、英人は解決法を思いついた。
それは自分の肉体をベースにした義手や義眼を介し、『再現変化』を行うというもの。
早速英人は斬られた左腕と抉られた右目を工房に持ち込み、特注の義手と義眼を作成。そしてこれらを装着することによって『再現変化』の負担とリスクの大幅低減に成功。戦闘での実用化に繋げたのだ。
つまり英人はあえて自らを切り捨てることで、新たな力を獲得したわけである。
「左腕再現情報入力――再現変化・『大聖騎士の籠手』!」
詠唱した瞬間、英人の左腕は眩い光で包まれる。
『再現』するは、古来より闇と相対してきた聖騎士の力。
「行くぞ、『吸血鬼』……!」
英人は剣を構え、一気に間合いを詰めにかかった。
強靭な脚力はアスファルトを叩き割り、体は風を切る轟音と共にクロキアのもとへと一直線に迫る。
「『黒翼飛閃・連撃』!』
当然クロキアはそれを迎撃。
「『中級聖障壁』!」
しかし英人も巨大な魔力障壁を展開してそれを防ぐ。
――ドドドドドドドッ!
土砂降りのような魔力の雨がぶつかる度、轟音と激しい振動が辺りに響く。
だが、この障壁こそは聖なる力の結晶。
その全てを見事に防ぎ切り、英人は剣の間合いに入った。
「おおおっ!」
地を這う獣を思わせるような前傾姿勢で一挙に踏み込む。
そのまま英人は下段から思い切り剣を振り上げた。
「クッ……!」
クロキアは瞬時に魔力で剣を生成してそれを受けたが、体勢が悪い。
その膂力を完全に受け止めることができず、腕ごと大きく上に弾かれた。
自然、胴体は大きく開く。
追撃するには絶好の好機。
「はあっ!」
英人は後ろに残した右足を踏み込み、その力を利用して右腕を振り上げる。
上から回り込むように弧を描き、迫る拳。
魔力と遠心力と踏み込みの力を存分に含んだそれは、クロキアの鳩尾に命中した。
「ガ、ハァッ……!」
内臓が潰れ、血液が食道を通って逆流する。
クロキアの肉体は数回転をしながら地面の上を転がっていった。
「……さすが、やるじゃないか……。
やはり《《君たち》》は、そこらの人間とは一線を画しているな……!」
口から血を滝のように溢れさせながら、クロキアは力なく立ち上がった。
「伊達にあっちで八年も戦い続けちゃいないさ」
「フフ、そいつは恐ろしい。
この世界も中々捨てたものじゃあないな。
何せ、君と同等の存在がまだあと四人もいるのだから」
クロキアは今の状況を楽しむように、ニヤリとした笑みを浮かべた。
「……」
だが一方で英人の表情には薄い影が差す。
それを見たクロキアは眉を吊り上げ、
「ほう、いくら君でも今の話題は顔に出るようだね。
……やはり、死んでいたか」
「……ああ」
英人は一層強く、眼前の敵を睨みつけた。
まるである感情から、必死に目を背けるように。
「ハハハハハハハハハハ!
そうか、君が最後の一人か!
ならばなおのこと、私は全てを懸けねばならないらしい!」
クロキアは大げさに顔を上げ、笑った。
それは空気を裂くような笑い声。
だが心なしか、その響きは虚しかった。
「度重なる消耗と戦闘で、どちらもガス欠間近。そして決め手に欠く有様だ!
しかし、しかしだ! だからと言って止める理由はない!
そうだろう、八坂英人!」
クロキアは英人の姿を双眸に捉え、黒翼を広げる。
「ああ。全くその通りだ」
「最高の時間にしようッ!」
かつての宿敵は再び激突した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『――私は貴方の事を、世界で一番愛しています』
それは純粋で飾り気のない、たった一つの想い。
だからこそ己の言葉に恥じらうこともなく、ただ真っすぐにぶつけることができる。
「ぐ……グオオオオッ!」
(ッ!? いま明らかに動揺した!)
一瞬、幹也からの攻撃が止んだ。
徐々に『貴方に、聞いてほしい』効果が出始めているのは明らかではあるが、まだまだ決定的ではない。
『その、真っすぐな所が好き』
「オオオオオオッ!」
『その、優しい所が好き』
「ぐ、ガアアアアッ!」
「――その、笑っている顔が好き」
「ぐ、ギ、ッ……ガアアアッ!」
和香は幹也と向かい合い、語り続ける。
しかしそれを拒絶するかのように、幹也の攻撃は激しさを増していった。
「くっ……! おい『神器』! このままで平気なのか!」
『水神ノ守リ』の中から観戦していたフェルノが叫ぶ。
「さあ!? 私が知るかそんなもん!」
「知るか、って……このままでは共倒れになると思うが!」
「構わない!」
「は、ハァ!?」
フェルノは思わず唖然とする。
「契約者は、この二人の愛に懸けた!
だから『神器』たる私もそれに乗っかるだけ!
契約者と私は一連托生、一緒にくたばるぐらいの覚悟はあるわい!」
「……!」
「だからアンタは黙って見ときんさい!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おおっ!」
「ハアッ!」
深夜の山下公園。
街灯に照らされた空間に、鋭い剣戟が響き渡る。
「ハハハハッ! いいぞ、こういう泥臭い殺し合いも悪くはない!」
「そうかい!」
斬って、斬られ。
殴り、殴られ。
打って、打たれ。
互いに傷を増やし、そしてそれを無理やり修復ながら、殺し合いは延々と続いていく。
「だが最後に勝つのは私だ!
彼が既に『吸血鬼』として転生した以上、元に戻すことなど不可能だ!」
クロキアは魔力の剣を振り下ろす。
「いいや、まだだ!」
それを英人は下から打ちつけ、弾き返した。
「『好きな人に自分の声を届ける』能力、だったか!?
断言しよう、それは無理だ! たとえ届いたとしても、それが心に響くことはない!
言うなればとある人物に対して前世の話をするようなもの!
そもそもの相手が違うのだ!」
その反動を利用し、間合いを開けたクロキアは『黒翼飛閃・連撃』を英人に浴びせる。
迫るおびただしい数の魔弾。
「『聖騎士の光盾』!」
――ギュアッ!
英人はそれを魔力の盾で防ぎ、やや回り込むようにして一気に距離を詰めて剣を振り上げた。
「いや、これでいい! これこそが正解だ!
他ならぬ彼女たちだからこそ、この作戦は成立する!」
「彼女、たち……?」
鍔迫り合いの状態で、クロキアは口を開く。
両者ともにかなり消耗したといえども、やはり超常の存在。
ぶつかり合う力は周囲に伝播し、地面を容易くひび割れさせた。
「そうだ。どれだけ想っても、愛は一人じゃ成り立たない。
忘れたか? あそこにはもう一人だけ『異能者』がいるということを!」
「――ッ!?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「う……グ、ガッ、アアアァァッ!」
「くっ……! さっきとは比べ物にならないぐらいに力強い!」
怒涛の攻勢に、ミヅハの額に汗が滲む。
『吸血鬼』としての完成が近づいている影響だろうか、その力強さと激しさは増していく一方だった。それでも見事に防ぎきっているのは『神器』ゆえと言う他ない。
だが遂に、その均衡が破られる時が来た。
「お、オオオオ……ッ!」
幹也は拳による攻撃を中断し、上空に距離をとる。
さらにそのままゆっくりと、右手をミヅハたちの方へと向けた。
――ゾゾゾゾゾッ!
瞬間、空気を捻じ曲げるような密度の魔力が一気に集中し始めた。
「右手に魔力を溜めた……マズいッ!」
「きゃあっ!?」
直感的に危機を察知したフェルノは咄嗟に和香を抱きとめて地面に伏せる。
その直後。
――ドドドドドドドォッ!
まるで世界を覆いつくすような闇の奔流が、三人を襲った。
「くううううッ……っ!」
必死に魔力と力を込め、ミヅハは『水神ノ守リ』の維持に努める。
もはや視界に映る光景は全て黒。僅かでも穴をあければ防壁は瞬く間に崩壊してしまうだろう。
「フェルノさん私は大丈夫です!
まだ行けます!」
フェルノの体の下で、和香は力強く告げる。
「馬鹿を言うな! この光景を見ろ!
たかだか人間に、どうこうできるわけがないだろう!」
それに対してガラにもなく、フェルノは声を荒らげた。
これは異世界の『人外』たちによる戦い。
ただの、それも現実世界出身の人間如きがどうこうできるとは『魔族』であるフェルノには到底思えなかった。
「それでも、大丈夫です。
私を信じてください!」
しかし、それでも目の前の少女は強い意志のこもった双眸でこちらの顔を覗き込む。
その時、今までとは全く種類の違う好物の香りが鼻を掠めた。
(『火』の、匂い……?)
「ああでも! 庇ってくれたのはありがとうございます!
……よいしょっと」
呆けた顔をするフェルノを尻目に、ゆっくりと立ち上がる和香。
そのまま大きく一歩、幹也に向かって踏み込んで再び声を上げた。
『私、幹くんの好きな所をまだまだたくさん言えるよ。
でも、もっともっと言えるようになりたい。
もっともっと、幹くんの色んな所を知りたい。
でも、そろそろ最後にしよう?
だから――』
「オアアアアアッ!」
『今度は、貴方の気持ちを聞かせてほしいな』
和香は真っすぐに、その紅と狂気に染まった瞳を見つめる。
もう決して目を背けたりはしない。退いたりもしない。
何故なら、愛する相手を信じているから。
だからこそ、柊和香は踏み込んだ。
「オオ、オオオ…………おおおおおおっ!!」
ならば次は、男の子の番だろう。
「なっ、自分の腕を!?」
フェルノは思わず目を見開いた。
それもそのはず、幹也が突如左手で自身の右手を掴んだからだ。
「ぐううっ……!」
それは、二つの意識が一つの体で拮抗している状態。
じりじりと右腕が上下に揺れていく。
『幹くんっ! 頑張れぇぇぇっ!』
だが愛する少女の声援が、幹也に最後の力を与えた。
「おおおおおおおっ!!」
雄たけびと共に上空へと描いた軌跡は、さながら夜空を切り裂く黒き剣。
真上に向けられた黒閃は、天頂を穿った。
「おおおおっ!」
だがそれも一瞬。
やがて黒き剣は消え、男の子ただ一人だけが残った。
翼も消え、地面に降り立った男の子は静かに顔を上げる。
『――俺も君のことを、世界で一番愛しています』
そこには赤い瞳も、大きな牙も、ひび割れた肌もない。
普通の『人間』の、泣き顔だった。




