血命戦争㉑『グールランド・ハマ 後編』
「――キャアアアッ!! 来ないでっ!!」
所変わり、雑居ビル三階にあるキャバクラ。
普段は話し声と笑い声が広がる賑やかな空間だが、今は代わりに悲鳴が響く。
「グゥゥウゥ……!」
「オオオオォォ……ッ!」
その原因は、豪華な装飾が施された入り口からなだれ込んだ数体の『喰種』。
勿論、奴らはテーブルの上にある高級酒などには目もくれない。
ただ欲するは、人の肉のみ。
「キャアアアアッ!」
「うわああああっ!」
閉店直後の為、今店内にいるのは数人のボーイを除けばその殆どがホステスの女性たち。
しかもほぼ全員が丈の短いドレスにヒールという装いなので、走って逃げることができない。
「た、助けて……!」
躓いて転ぶ者、恐怖でその場から動けない者。
店内は一気に恐怖と混乱の渦に包まれた。
「――ソコまでだ! 怪人共よ!」
だがその瞬間、何者かが窓を蹴破り力強い声と共に店内へと飛び込んできた。
「え、な、何!?」
『喰種』に引き続いての、突然の来訪者。
キャバ嬢の一人がそう漏らすのも無理はない。
その問いに、来訪者はゆっくりと答え始めた。
「――ナンだ、と聞くというなら答えよう」
ワタシは『正義』の執行者。たとえこの世の全てが貴様らを見逃そうとも――」
店内の派手な照明に照らされ、浮かび上がってきたその色は――赤。
全身を赤いコスチュームで包んだ人間が、『喰種』たちのもとへと歩みよっていく。
「ワタシは必ず討ち果たす。それはこの世に『正義』を叫ぶため!」
立ち止まり、セリフと共に『喰種』を指さす。
その決めポーズが示すは、以前と変わらぬ己の覚悟。
赤い仮面に、赤いコスチューム。
「仮面ウォリアー《《二号》》、見参!」
それは、この国が誇る正義のヒーローであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――いったい、何が起こっている!?
とある『上級喰種』の頬に、一筋の汗が伝った。
彼の名は三ツ沢。元はチンピラ上がりのヤクザで、二年ほど前にクロキアによって今の体となった男だ。
突如人間としての生を終えることになったわけだが、切り替えは早いタイプであり『上級喰種』となって以来、クロキアに忠誠を誓い続けてきた。
そして今回下された命令は五百体もの『喰種』を使った、これまでの集大成ともいえる大仕事。
当初は成功を微塵も疑わなかった。
なのに、今のこの光景はなんだ。
五百体もいた『喰種』のほとんどは謎の光に灼かれ、残りも警察や不良どもに鎮圧されつつある。
なので咄嗟に方針転換をして建物内部へと標的を変更したが――
「ギャアアアアアッ!」
「グォォォアォォ!」
せっかく送り出した『喰種』たちすらも、割れた窓から次々と投げ出されていく光景が目に映った。
「訳が、分からねぇ……!」
他の『上級喰種』達とも、既に連絡が取れなくなっている。
おそらく何者かにやられてしまったのだろう。
最早、手詰まりに近い状況。
だが――
「このまま終われるかよ……!」
ふと三ツ沢はビルの陰から駅の方向を覗き見た。
そこは一時のパニックこそ治まったといえども、まだ多くの一般人で周辺は混み合っている状況。
そこに今から自分が突撃すれば、もう一度パニックを起こすことも不可能ではない――!
「それに人質の一つでもとりゃ、『なーにジロジロ見ちゃってんだい?』……なっ誰だ!」
突然の後ろからの声に、三ツ沢は振り向く。
立っていたのは、鼻に傷を持った三十代前半ほどの女だった。
「私かい? ほれ、こういうもんだよ」
女が懐から見せたのは、やや古ぼけた警察手帳。
そこには『長津純子』という名前が書かれてあった。
「て、テメェもサツの一人か……!」
「まあね。というわけで、大人しく捕まってくれないかねぇ?」
「……嫌だ、と言ったら?」
「……ま、今のはただの建前さ。
本音を言えば、こっちは部下を病院送りにさせられて私もすこーし腹が立っているのよ。だからまあ……」
純子は煙草を口に咥えながら、ジッポライターで火を点ける。
「大人しく、ぶっ潰させろ」
そして煙越しに、相手を睨んだ。
「じゃあ遠慮なく……死ねぇ!」
三ツ沢は好機とばかりに女刑事に向かい、飛び掛かる。
見たところ相手は普通の人間で、しかも女。
『上級喰種』である三ツ沢からすればすぐに決着がつくかと思われた――
「……は?」
三ツ沢の口から、思わず間抜けな声が出た。
確かに、俺は今この女刑事に向かって飛び掛かったはずだ。
「なのに、なんで俺はお前から離れているんだ!」
三ツ沢は声を荒らげる。
対照的に女刑事は余裕の表情で煙をフゥ―と吐き、
「さてねぇ。でもお前、そこに立っていていいのかい?」
「なッ――!」
純子に指摘されようやく、三ツ沢は己の置かれた危機を知る。
彼は不本意にも純子と距離を離してしまった。
そして、彼女がいるのは路地裏の奥。
つまり――
「ぐ、ぐあああああああっ!
かっ、体が……体が灼けるっ!」
彼の体は今、『浄化』の光が差し込む表通りにいた。
光を浴びた瞬間、体の所々が火を纏い、消滅を始めていく。
「やっぱり、アンタら白い肌の連中は少し耐久力が違うみたいだね。
他のゾンビもどき共はすぐに燃えてなくなるってのに」
膝をつく三ツ沢の下へ、純子はコツコツと歩み寄る。
「まだだ、まだ終わっちゃいねぇぞ……!」
圧倒的な劣勢。しかし三ツ沢としてもこのままやられるわけにはいかない。
燃えていく体に鞭打ち、再び立ち上がろうとする。
「いや、終わりだよ」
だが膝に力を入れた瞬間、鉛玉が眉間を貫いた。
衝撃によりからだが後ろに吹っ飛び、ごり、という無機質なアスファルトの感触が後頭部と背中を撫でた。
「う、が……さ、再生……なぜ……」
体から湧き出る炎を必死に手で押さえながら、三ツ沢は弱々しく声を漏らす。
本来ならば、『上級喰種』である三ツ沢の体はたとえ致命傷を負ったとしても即座に再生するはず。
だが今回は『浄化』の力がそれを阻む。
「や、やだ……また死にたく、ねぇ……」
乾いた断末魔の声と共に、そのまま『上級喰種』は完全に消滅した。
「……ま、こんなもんかね。
可愛い部下のためにゃ、上司としてはこんくらいはしてやらんと。
さて、うちのクソ真面目な新入りは、ちゃんとやってくれてるのかねぇ?」
ふぅ、と一息つく純子。
路地裏には、カチャンというジッポライターを閉じる音だけが響いた。
「ぐっ……、あっ……!」
「『浄撃波動』!」
英人は街の外れの公園に潜んでいた『上級喰種』に、『浄化』の力を叩き込む。
「ぐああああッ!」
「……さて、『上級喰種』たちはとりあえずこんなもんかな」
消滅する『上級喰種』の断末魔を聞きながら、英人は『千里の魔眼』で状況を確認した。
視界に一挙に広がる繁華街の風景。
少なくとも表通りには『喰種』はおらず、路地裏に隠れた個体も警官隊が殲滅しつつある。
建物内に入り込んだ少数の『喰種』たちも英人自身と『仮面ウォリアー二号』ことカトリーヌの活躍で対処済みだ。
「……義堂に感謝しなきゃな」
正直、市民のパニックによってかなりの被害が出ることを覚悟していた。
いくら力があると言っても、これだけの数の『喰種』が繁華街のど真ん中に出現したとあれば、一人だけでは圧倒的に手が足りない。
だが警官隊が早めに出動してくれたおかげで被害は最小限で済んだ。
深夜の大規模出動。
普通であれば、こんなことはあり得ない。
こんな芸当をやってのけるのはおそらく、義堂ただ一人だろう。
「あとは路地裏に残った奴らの掃除だな……っと」
一息ついた瞬間、スマホが着信を知らせてきたので応答する。
『おお出たか。取り込み中にすまない、八坂』
『いやナイスタイミング。
今ちょうど一段落ついたところだ』
『それなら良かった。こちらの方も順調に進んでいるところだ』
『おーし、じゃあ今から俺もそっちに戻る。
残りは任せろ』
英人は義堂たちのいる繁華街に戻るため、脚に力を込め始める。
『いや、その必要はない。
八坂、お前は先に行け』
しかし、それを見計らったように義堂が電話口からそれを制した。
『いや、でもまだ『喰種』が残っているんだろ?』
『それは我々に任せてくれ。そっちが一段落したということは、もう中級以下の『喰種』しか残ってないんだろ?
だったら残りは我々警察と『ルシファー』のメンバーだけでもなんとかできる』
『義堂、お前……』
『行かなければならない場所があるんだろ?
おそらく……今回の黒幕のいる場所へと』
別に隠しているつもりはなかったのだが、こうもピッタシと言い当てるとは。
英人は思わずフッと吹きだした。
『ありゃ、バレてたか』
『まあそれなりの付き合いだからな。俺とてこれぐらいの推理はできるさ。
だからというわけではないが、お前は早くそこに行け』
『義堂……』
『確かにお前からすれば、俺らは少しばかり頼りないかもしれない。
けど俺たちだって、この街で生きてきた『人間』だ。
だからこれぐらい、俺たちの力だけでも守り切ってみせる』
義堂の力強く、頼もしい口調。
それに応えるようにして、英人は『千里の魔眼』で街の様子を再び見る。
そこでは警察と不良、そしてカトリーヌが戦っていた。
『喰種』という全く未知の怪物に対して、決してひるむことなく勇敢に。
それは、かつて異世界で見たのと同じ光景。
『……分かった。俺は先に行かせてもらう』
英人は体の向きを変える。
その先にあるは、横浜ランドマークタワー。
『ああ行ってこい! そして全部、終わらせてきてくれ!』
『ああ! 任せろ!』
その言葉と共に、雷を纏った英人は大きく跳躍する。
夜空を駆ける一筋の光。
それはまるで、人々の願いを託された流れ星のようであった。
「……行ったか」
夜空を走る光を仰ぎ見ながら、義堂は呟いた。
おそらく、その先にいるのはこの事件の黒幕である『吸血鬼』。
どれ程の力を持った存在かは分からない。しかし、凄まじい戦いになることだけは想像できる。
ただの一警察官である自分には到底介入できるようなものではないだろう。
「だが、俺たちにだって出来ることはある」
義堂は路地裏に残る『喰種』の一団を見た。
確かに奴らは脅威となり得る存在ではあるが、冷静に力を合わせればただの『人間』でも戦える相手だ。
いま自分が冷静でいられるのも、あの幼馴染がいてくれたおかげ。
だから今自分たちは今、『人間』として戦えている。
「しかし義堂よ。今更なんだが、彼はいったい何者なんだ?
少なくとも警察庁の特殊捜査員ではあるまい」
義堂と同じように路地裏を覗き見ながら、藤堂は尋ねる。
その答えに義堂は一瞬悩んだが、すぐに口を開いた。
「私も正直その辺りは全然で……でも、俺はこう思ってます。
彼……いやあいつは間違いなく――」
「『英雄』ですよ、この世界の」




