なんで私が早応大に!? ①『家庭教師、始めました』
五月中旬。
英人がストーカー事件を解決してから、二週間以上がたった。
中にはガチビンタという思わぬハプニングもあったが、英人自身は特に気にするでもなくいつも通りの平穏なキャンパスライフを送っている。
「――では今日はここまで。
前回出したレポート課題の提出期限は来週までだから、各自遅れないように」
そう教授が講義を締めくくると同時に、終了を知らせるチャイムが鳴る。
この教授はいつも恐ろしいほど時間ぴったりに講義を終える。
その正確さは学内でも少し有名であり、腕時計すらしていないのになぜ? と英人の中でもちょっとした謎だ。
ともあれ講義も終わり、周りの生徒がやれ「この後どうする?」だの「レポートもうやった?」だのとにわかに騒めき始めた。
いつも通りの、講義後のよくある風景。
だが英人は脇目もふらずに教材と筆記用具をカバンにしまい、そそくさと教室を後にする。
特に話す相手がいないのもそうだが、万が一にでもこの後の予定に遅れるわけにはいかない。
そう、今日は家庭教師のバイトの日なのだ。
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「――家庭教師をやってみる気はないかい?」
きっかけは、ヒムニスの一言だった。
それは四月の上旬、ストーカー事件が起こる少し前のことである。
「はぁ?」
「いや知り合いの娘さんがウチの付属高校の生徒らしいんだけど、あまり成績が振るわないようでね。私に家庭教師を紹介してほしいと言うんだよ。
もちろんバイト代は出るそうだよ?」
ヒムニスがコーヒーカップ片手に説明する。
新学期早々わざわざ呼び出して何事かと思ったら、開口一番これである。変な声も出ようというもの。
とはいえ、家庭教師の話自体は英人にとって悪いものではなかった。
三月から一人暮らしを始めた関係で、ちょうどアルバイトを探していたところだったのだ。
そもそも大学一年の間は実家で暮らしていたはずの彼がなぜ突然一人暮らしをする羽目になったのかというと――それはあるテレビ番組の特集が発端であった。
その番組の名は『いい年して実家に住む男たち ~子供部屋おじさんの実態~』。
題名の通り内容は実家に住み続ける男、つまりは「子供部屋おじさん」の実態をクローズアップしたものだ。
しかしこれを見た英人の母親が凄まじいまで危機感を持ってしまったらしく、ついには英人に対し「一人暮らしをしてください」とまで迫ってくるようになった。
最初は英人も拒否したが結局はその勢いに抗しきれず、仕方なく新居を探し始めてなんとか大学に近い物件を確保。
晴れて現実世界での一人暮らしをスタートさせられることとなった。
ちなみに家事全般に関しては異世界で経験済。
なのである程度ノウハウはあったのだが……やはり生活費・家賃のことを考えると現状の仕送りだけでは足りないのもまた事実。
なんとかしてアルバイトなどで金を稼ぐ必要が出てきたというわけだ。
「家庭教師、か……」
ヒムニスの言葉を反芻しつつ、英人は頭の中で考えをまとめる。
大学生のアルバイトといっても色々あるが、「家庭教師」はメジャーなバイトの一つ。中でも個人紹介の家庭教師は時給的にもかなりオイシイ部類に入る。
もちろん個人契約である以上リスクはあるが、今回はヒムニスからの紹介なので多分大丈夫だろう。
「で、受けるのかい?
条件面に関してはその娘さんのことは知らないけれど、依頼主である父親は信頼できる人物だから問題ないと思うよ?」
「その点は心配してない。でもなんで俺なんだよ?
言っちゃあなんだが、ここには優秀な学生なんざいくらでもいるだろ」
英人の言うように、早応大学に在籍する学生はこのキャンパスにいるだけでも一万人は下らない。
候補など他にもいそうなものである。
しかしその言葉を聞いたヒムニスは不満げに眉をつり上げた。
「だってねぇ、君って『異能者』絡みの事件を解決しても、報酬全然受け取ってくれないじゃないか。
気持ちは分からないでもないけど、限度ってものがあるだろう。
だからこの話は日ごろのお礼、とでも思ってほしい」
いやいや国からの非公式の仕事を勝手に代行しておいて報酬なんてもらったら後が怖いわ、と英人は心の中でツッコむ。
事実これまでもヒムニス宛の依頼を代行して解決してきたが、英人は報酬の類を一切受け取っていない。実利よりも後腐れのなさを優先したゆえだ。
とはいっても、今回の話に限っては英人にとっても渡りに船。
英人はしばし熟考した後、
「……分かった。その話受けるわ」
受けた方が無難か、と結論付けた。
「おおそうかい。
なら依頼主にはこちらから連絡しておくね」
「了解」
「いやあ助かったよ。
依頼を受けた関係上、信用できる人間を紹介したいしね」
カップ越しにニヤリと満足そうに笑うヒムニス。
そんなわけで、英人は晴れて家庭教師をすることになったのだ。
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――――
――
バイト先となる家は、大学から電車で十五分ほどの高級住宅街にある。
そこは全国的にも高い知名度を誇り、メディア等でも度々取り上げられたりしている日本有数の一等地。
その証拠に、駅から広がる優雅で荘厳な住宅模様は他の街のそれとはまったく異質だ。
あふれる気品と余裕が、まるで空気どころか時間の流れすらも変えてしまっているよう。
「……よし、着いた」
そんな街を駅から十分ほどかけて歩き、英人は目的地に到着する。
堅牢かつ豪華な門、自然豊かな庭、そして「豪邸」という表現以外思いつかない煌びやかな造りの邸宅。
ハイレベルな住環境にあって、さらにもう一段上の格の違いを見せつけるこの豪邸こそが英人のバイト先である。
普通なら目の前に立っただけでも思わず委縮してしまうだろう。
だが英人は異世界にて長らく宮仕えしてきた身、王宮とか宮殿とかには慣れっこなので特には動じない。
スマホで時刻を確認すると、時間は開始十分前の午後4時20分。
予定通りだ、と英人は早速インターホンを押した。
『はい、都築でございます』
『いつもお世話になってます、家庭教師の八坂です。本日の授業で参りました』
『八坂様ですね、かしこまりました。
ただいま門を開けますので玄関までお越しになってください』
『ありがとうございます』
インターホンの通話が切れてすぐに門の錠が開く。
……いつも思うけど門から家まで結構長いのよね、ここ。
そんな愚痴みたいなことを思いながら歩いている内に英人は玄関に到着した。
早速ノックをしてお邪魔する。
「失礼します。八坂です」
「ようこそお越しくださいました八坂様。本日も宜しくお願い致します。
お嬢様はお部屋にいらっしゃいますので、どうぞ二階までお上がりになってください」
「分かりました」
家に入るとこの家のお手伝いさんである青葉が出迎えた。
ちなみに先程インターホンで通話したのもこの人物だ。
この家の主、つまり生徒の両親である都築夫妻はそろって大企業の経営者なのだが、海外赴任が多く家を空けがちなため、基本的には青葉がこの家の大体を取り仕切っている。
青葉が言ったように、この家のお嬢様こと英人の生徒の部屋は二階。
英人はこれまた豪勢な装飾が施された階段を上り、部屋へと向かった。
「八坂だ。入るぞ」
お嬢様の自室らしい、高級感溢れるドアを軽くノックをする。
すると数拍おいて部屋の中から声が返ってきた。
「どぞ~」
その間延びした返答を受けて英人は部屋に入る。
むろんその中もこの家の豪勢な雰囲気と違わない。
しかしやはり高校生らしいというべきか、テレビやステレオと言った電子機器が雑多に置いてあった。
再び気の抜けた声が響く。
「せんせー今日もよろしくねー」
その声の主は机に頬をぴったしとくっつけて突っ伏していた。
少し青みがかったショートのルーズウェーブヘアに透き通った瞳、極めつけはモデルのように整った長身。
十人いれば十人がカッコいいクール系だと思うだろう。
この外見と言動が微妙にマッチしない少女こそが英人の生徒、都築 美智子である。
(なんか、調子狂うよなぁ……)
英人は彼女のだらしない姿に溜息をつきながら、机へと向かった。