血命戦争⑰『再会は突然に』
「……」
警察病院の一室、一人の少女が眠るベッドの横に一人の刑事が佇んでいた。
「水野……」
その刑事の名は、義堂誠一。
つい先日警視庁の異能課に配属された、『異能者』の刑事である。
しかしそんな警察きってのエリートである彼の顔も、今は暗い。
(俺がもっと、しっかりしていれば……)
義堂は点滴とマスクがつけられた同僚、水野加奈の姿を眺め、拳を握った。
調査のためとはいえ、犯行グループの拠点になんの警戒もなく入ってしまったのがそもそものミスだった。
お陰で加奈は重傷、義堂もケガを負った。
おまけに事件のキーパーソンである幹也も行方不明になってしまうという始末。
現在親友である英人と一緒に捜索こそしてはいるが、義堂の方では全く足取りがつかめていない。
おそらく『魔眼』が使える分、英人の方が早く彼を発見するだろう。
――つまり俺は、八坂の役に立てていない。
そう結論付けた途端、なんとも言えぬ無力感が義堂の体を襲った。
『かまいたち事件』のような普通の『異能者』事件であれば、警察官である義堂にも協力の余地があった。
しかし今回は『吸血鬼』と『喰種』という『異世界』産の化け物が相手。
『上級喰種』ですら全く歯が立たなかった以上、彼らの主である『吸血鬼』相手に自身が協力できるビジョンが全く浮かばない。
(どうにかして、あいつのために何かしてやれることはないのか――!)
義堂は思わず、歯噛みした。
「……おや、お前も来てたのか」
ふと、病室の入り口から声が聞こえた。
義堂は慌てて振り返る。
「長津さん……」
後ろに束ねた紫髪、傷のあるシャープな美貌。
そこにいたのは、『異能課』の課長こと長津純子であった。
「もう今日は帰って体を休めろと言ったってのに……上司の言うことを聞かん奴だなお前は」
長津は加奈が眠るベッドまで歩み寄り、近くにあった丸椅子にドカッと腰を掛ける。
「彼女がこうなってしまったのは、自分のせいでもありますから」
「変に自分に厳しいねえ。そんなんじゃ体が持たないよ?
お前も水野ほどじゃないが、ケガしているわけだしね。
今はさっさと体治して戦線復帰するのが、最優先なんじゃないのか? ん?」
そう言って長津は懐からジッポライターを取り出し、火を点けるでもなく蓋を開閉させた。
カチャンカチャンと音だけを鳴らす、いつか見せたあの仕草だ。
「しかし……」
「しかしも何もあるか。あんまりゴネるようだと、今度は命令するよ?
こんな下らんことで私に命令させないでくれ」
「はい……」
悔しそうな表情を浮かべ、義堂は俯いた。
「……悔しいかい?」
カチャン、とジッポライターの蓋を閉め、長津は義堂に尋ねた。
少しの間、暗い病室を静寂が包み、義堂は言葉を絞り出す
「……はい」
「そりゃあ奇遇だねぇ……実は私もなんだよ」
長津は目を見開き、義堂を下から睨みつける。
それは怒りと恫喝と叱咤が入り混じったような形相だった。
「長津さん……」
「それなりの実績と能力があるのは認めるが、自惚れんじゃないよ。
たとえ暗部だろうが、どこまで行っても警察ってのは組織さ。
一人で抱えたまま死ぬなんて身勝手、許されるなんてことは絶対にない。良くも悪くもね」
「……」
「解決したいんだろ? この事件。
だったら警察という組織を100%利用する気概を見せてみろ。
その為の刑事だろうが」
その言葉に、義堂はハッとした。
そうだ。
確かに、『魔法』という分野はどうしたって英人に任せるしかない。
でも同じように、自分にできて英人にできないことだってあるはずだ。
その為に俺たちはあの日、握手を交わしたんじゃないか。
俺は『英雄』でも、『魔法使い』でもない。
俺はただの刑事だ。警察官だ。
だからこそ、俺でしかできない方法で、俺はお前を援護する。
まずは――
「長津さん、実は……!」
義堂は再び、拳を握る。
それは悔しさからではなく、強い覚悟からくるものであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
所変わり、今度は横浜市内の大学病院。
「幹、くん……?」
その言葉と共に、和香が病室のベッドから起き上がった。
今は、和香が入院してから二回目の夜。
昨夜に続いて瑛里華とカトリーヌが見舞いに来てくれた後、早めに就寝していたところだった。
しかし突然声が聞こえたように感じ、ちょうど今目を覚ましたのだ。
「今のは……?」
電気が消え、暗くなった病室を見渡しながら、和香はポツリと呟く。
今聞こえたのは、人の声と呼べるものではなかった。
何か悲鳴のような、呻き声のような、まるで凶暴な動物のような声であった。
しかも何故か今にも消え入りそうなくらいに弱々しい。
だが、和香には不思議と確信があった。
あれは間違いなく愛する幼馴染の声である、と。
「幹くん……」
その名前をもう一度呟く。今度は相手に届くように。
しかし当然、応答はない。
ただ自身体の内に、虚しく響く。
(そうだよね……。
今までだって私の声が幹くんに届いたことなんて、そう多くはなかったし)
和香はシーツを両手でぎゅっと握り、小さく息を吐いた。
しかし心中の不安はどんどん肥大化し、収まる気配がない。
今度こそ本当に、彼がとても手が届かないような、遠い所に行ってしまう気がした。
「ダメ、行かないで……」
そう呟いた瞬間、堰を切ったように涙が溢れる。
たとえ物理的に距離が離れていても、この不思議な力で心は繋がっていると思ってた。
でも、今はそれすら感じられない。
「うう……」
和香はうつ伏せるように、シーツに顔を埋めた。
その時。
「――っきゃあああああぁっ!」
「!?」
突然、大きな悲鳴が聞こえてきた。
「な、何!?」
響いてきたのは窓の外からだ。
声色からして若い女性の悲鳴――おそらくは看護師によるものだろう。
和香は慌てて窓の外を見る。
「何、あれ……」
それは、俄かには信じがたいような光景だった。
そこにいたのは、おそらくは十数体にのぼる人影。
彼等は門から続々と侵入し、
「人を……食べてる……!?」
人間における最大のタブーを、目の前で繰り広げていた。
「に、逃げなきゃ……」
悲嘆に暮れていた中に、突然の危機的状況。
混乱の極致にあったとは言え、和香の思考はすぐにその選択肢を選び出した。
最低限の着替えだけ済ませ、荷物も持たないまま病室を出る。
廊下を出ると、和香と同様に慌てた様子の患者たちが目に入った。
おそらく、先程の悲鳴を聞いて跳び起きたのだろう。
「とりあえず、一階に……」
当初は貧血と体調不良で入院したわけだが、幸い今は意識がハッキリしている。
これなら、すぐに逃げられるだろう。
しかし、ある光景が目に入った。
「うう……待って……助けて……」
一人の女の子が、廊下を這っていたのだ。
おそらく投げ出されてしまったのだろう、近くには横に倒れた車椅子が見える。
パニック状態になってしまったからか、周りの患者がその女の子に手を差し伸べる様子はない。
そもそも他の患者だって怪我人や病人だ。助ける余裕がないのだろう。だがこのまま放っておけば間違いなく、あの子は「何か」たちに殺される。
だとしたら――
(私が、やるしかないよね……!)
そう決心した和香は、急いでその女の子の下へと駆け寄った。
「大丈夫!? 立てる!?」
「ち、ちょっと難しい、かも……」
女の子は脚をさする。
どうやら骨折等のケガではなく、病気によって歩けないようだ。
「分かった! じゃあ私がおんぶするから、しっかり掴まっててね!」
「う、うん!」
和香は素早く背中を差し出し、女の子を乗せた。
見た目からしておそらく5歳くらいだろうか。これなら女の力でもなんとかおぶれる。
現在位置は病棟の三階。
おぶった女の子を落とさないように注意を払いつつ、和香は階段を早足で下りていった。
「よし、一階についた!」
総合受付のある一階のフロアは、まさに混沌とパニックの渦中であった。
人数こそそこまで多くはないものの、血相を変えた患者たちで辺りは錯綜している。
中には看護師や医師の姿も見えるが、地震や火事とは違った想定外の現象を前にして同様に我を失ってしまっていた。
「お、お姉ちゃん……」
背中の上で、女の子が身震いする。
無理もないだろう。大人たちだってこの有様だ。かくいう私だって、滅茶苦茶怖い。
でも。
「大丈夫。お姉ちゃんがしっかり助けるから。
だからちゃんと掴まっててね?」
怖がる様子を見せる訳にはいかない。
和香は精いっぱいの虚勢で、女の子を励ました。
「う、うん!」
「よし、じゃあ裏口から……」
もう幾ばくの時間もない。
窓ガラスが割れていく音を背に、和香は病棟の裏口から駆け出す。
人影が侵入していないこちら側なら、なんとかなるかも――
しかしそんな期待は、すぐに幻想であったと知る。
「たすけてぇぇぇぇぇぇ!」
「う、うわああああ!」
「きゃああああああ!」
至る所から、悲鳴が響く。
そこには表と同様、地獄絵図が広がっていた。
「嘘、こっちにも……」
和香は思わず絶句した。
目の前では何体もの「何か」が、人の肉を喰らわんと患者たちに向かって飛び掛かっている。
喰っている隙を狙えば上手く逃げ切れるかもしれない。
しかし人が人に食らいつくという非日常を至近距離で目の当たりにし、和香は足がすくんでしまった。
「あ、あ……!」
足が、動かない。
背中で震える女の子のためにも、どうにかしなきゃいけないはずなのに。
「幹くん、助けて――」
ふと口から出たのは、愛する幼馴染の名前だった。
しかし無情にも、一体の「何か」が和香に手を伸ばす――
だがその時。
「――うオオォォォッ!!」
その雄たけびと共に、一つの人影が「何か」群れに向かって突っ込んだ。
その人影は瞬く間にそれら蹴散らし、和香の下へと一直線に近づいていく。
「おラァッ!」
そのまま人影は、和香に襲い掛かろうとしていた「何か」を殴り飛ばした。
まさに、一瞬の出来事だった。
「ハァ……ハァ……!」
「何か」を倒し終えると、その人影は肩で大きく息をし始める。
背中越しの姿。
しかし、和香には確信がある。間違えるはずもない。
「幹くん!」
和香は思わず、その名を呼んだ。




