血命戦争⑭『再び、出会う』
真夜中の公園。
唸り声をあげる一体の『喰種』が、二人に迫ろうとしていた。
「あれは『喰種』……!
もう追手が来たのか……!」
その姿を見た幹也が、思わず声を上げる。
「え!? ぐ、『喰種』!?」
「俺みたいに、元は人間だった人たちのことです!
東城さんは後ろに!」
その叫びと共に幹也は瑛里華の前に立ち、『喰種』と対峙した。
(肌は白くない……これなら俺でも!)
「オオオオオッ!」
瞬間、二人を餌と認識した『喰種』は幹也に向かって襲い掛かってきた。
「くっ……!」
幹也は咄嗟に左腕でカードする。
そのまま『喰種』は幹也の腕に齧りついた。
「ググオオゥオゥ……ガガァッ!」
腕には牙が深く食い込み、肉が穿たれる。
しかし幹也は肉を切らせて骨を絶つと言わんばかりに、右手で『喰種』の腰を押さえ、拘束した。
「東城さん! ここは俺が押さえますから! 早く逃げて!」
飛びつく『喰種』を必死に押さえながら、幹也は背中越しに叫ぶ。
《彼の言う通りだ! ここはいったん離れて助けを呼んだ方がいい!》
「で、でも彼を置いてなんて……」
そう答える瑛里華の声は震えていた。
確かに、この状況では無理もない。しかし恐怖以上に彼に対する罪悪感が彼女の心を締めつけた。
《気持ちは分かるが、今の私たちには何もできないぞ!
私も基本は頭脳労働中心だから、こういう腕っぷしの戦いに関しては全くの無力だ!
ここは早く避難して助けを呼ぶしかない、ほら!》
その様子を見かねた「そいつ」が叱咤の声を上げた。
確かに「そいつ」の言う通り、今の自分にできることは少ないのも事実。
「う、うん……ゴメン、新藤君!
すぐに助けを呼んでくるから!」
「ハイ!」
瑛里華は少し躊躇ったが、すぐにその場から駆け出した。
とりあえずは、安全な場所に避難しないと……!
そう思った瑛里華は逆側の出口から公園を出、自宅に向かって全力で走る。急がなければ、彼の命が危ない。
通いなれた道を、全速力で辿っていく。
大量の汗を流し、そして息を切らしながら。
(……なんで私、新藤君と和香ちゃんのためにここまでするんだろ)
ふと、走りながらそんなことを思う。
別に幹也とは仲が良かったわけでもないし、和香に関してはつい一昨日に知り合ったばかりだ。
なのに、わざわざ危険に首を突っ込むような真似をしている。
正直、らしくないと思う。
《――いいや、『私』らしいよ。
実に『私』らしい》
……なんで、そう思うのよ。
《だって『私』は、誰よりも恋に恋する乙女だからね。
だから、あの二人の恋をなんとかしてあげたいと思った。
だってせっかく両想いなのに、それが悲恋になったら辛いじゃないか》
……。
《どうだい?》
……そうかもね。
そういうことにしておくわ。
《素直じゃないなあ……おっと、マズい!》
突然「そいつ」が声を荒げた。
「!? どうしたの!?」
《どうやら他にもいたらしい。私としたことが迂闊だった。
ほら、周りを見てごらん》
「え、嘘……」
そういって周りを見渡すと、何人かの人影が視界に入る。
微かに街灯に照らされるその姿は――
「ウウウウゥ……!」
「オオオオォ……!」
先程の人外と同じものだった。
《前後を挟まれたか……! チッ、とりあえず迂回だ!》
「そいつ」は思わず舌打ちする。
他ならぬ自分が恐怖しているからだろうか、その表情には瑛里華と同様に余裕がなかった。
「え、ええ……!」
瑛里華は頷き、「そいつ」の指示のままに走り始めた。
………………
…………
……
「あーもう! なんで私にばかり付いてくんのよ!」
走りながら、瑛里華は声を荒らげる。
『喰種』から逃げ始めてはや数分、未だ後方には追手がしつこく迫ってきていた。
《こんな時に限ってモテモテとはな……おいお前ら!
喰種だかゾンビだか知らないが、『私』には意中の男がいるから追いかけても意味ないぞ!》
「おらんわそんな奴! で、次はどっち!?」
瑛里華はすかさずツッコんだ。
絶体絶命の状況が続いたせいか、恐怖心もやや裏返ってしまっている。
《えーと、次は右かな!》
「よし!」
「そいつ」の指示通り、瑛里華は次の角を綺麗に右に曲がった。
華麗な足さばきによって減速を最小限に抑えた、無駄のないターンである。
《さすがは恋愛以外完璧少女。運動経験ほぼナシでもこのセンスはお見事!》
「恋愛以外は余計!」
ツッコみつつ、瑛里華はチラリと後ろを見た。
未だ数体追いかけてきてはいるが、数はさっきより減っており距離も徐々に離してきている。
この調子なら、なんとか撒けそうだ。
《少しアイツらの方がスピードは遅いみたいだな……それに、追いかけるのを止めた奴もいるようだ》
「ハァ、ハァ……! それって……!」
《ああ。つまり私たち以外の通行人に、興味が移ったということだろうな》
「――ッ!」
瑛里華は思わず歯噛みする。
現在時刻は夜の10時。
遅い時間ではあるが、住宅街を歩く人はそれなりにいるだろう。
もし、私たちのせいで被害にあったのなら――
《だがそれを考えるのは後だ。
まずは『私』が生き残らなければ。じゃないと二人は救うどころの話じゃない。
ほら、次は左だぞ!》
迷う瑛里華を、「そいつ」は叱咤する。
「分かったわよ!」
「そいつ」がそう言う以上、自分も何が最善かは分かってる。
まずは自分が生き残らないと。
そう思い、瑛里華は次の角を左に曲がった。
(よし。「そいつ」の言う通り、奴らはいない。
これなら――)
しかし誰もいない光景を見て安堵した瞬間、
――ドタッ!
その先に、人影が着地した。
「へ……?」
突然の出来事に、思わず間抜けな声が出た。
《マズいな……今のヤツ、大胆にも民家を飛び越えてきた。
ここまでの身体能力とは恐れ入った》
人影はむくりと立ち上がり、ゆっくりとした足取りで瑛里華に向かって近づく。
「グウウウウぅ……ッ!」
聞こえてくるのは、およそ人のものと思えぬ呻き声。
間違いなくその正体は『喰種』であろう。
街灯が、その『喰種』の顔を照らす――
「え……ち、茅ヶ崎!?」
《……みたいだね》
赤い瞳に白い牙。
ついこの間と比べて大分様変わりしてしまっているが、目の前の男は間違いなくWBCの現代表、茅ヶ崎圭介であった。
「ググウウウぅ……ッ!」
茅ヶ崎の姿形をした『喰種』はゆっくりと立ち上がると、じりじりと距離を詰めてくる。
時折牙の隙間から漏れる呻き声が、その人外さをより強調していた。
《一応知り合いとはいえ、会話が通じる相手ではなさそうだな。
まあ、元々人の話を聞かないような奴だったが。
……クソ、後ろからも追いついていたか》
後ろを振り向くと、三体もの『喰種』が残り数メートルの所まで来ていた。
まさしく、絶体絶命の状況。
「そんな……」
思わず、言葉が漏れた。
急速に気力が萎えていくのが分かる。
ゆっくりと近づく数体の『喰種』。その牙は狙うのは、瑛里華の命。
このままでは確実に殺される。
でも体が動かない。
再び直面する「死」の現実に、瑛里華の体が完全に硬直してしまっている。
でも生きるためにはなんとしても逃げないと……!
しかしそう勇気をふり絞って踏み出した一歩も、恐怖でもつれる。
「うっ……!」
瑛里華はそのまま膝をついてしまった。
剥きだしの脚が、笑えるくらい震えているのが分かる。
紛れもない自分の体なのに、どうしていつもこういう時に限って言うことを聞かないのか。
つい自分を呪いたくなる。
「お願い、誰か……!」
人生で初めて心の底から発する、助けを乞う言葉。
地べたに両手をつきながら行うその行為は、傍から見ればさぞかし無意味に映ったであろう。
しかし恥も外聞も投げ捨てて発した決死のSOSも虚しく、東城瑛里華の人生はあとコンマ数秒で終わる――
『喰種』の荒々しい息遣い。
近づく牙。
ふと、瑛里華の脳内に幹也と和香、そして英人の姿が頭をよぎった。
まるで、走馬灯のように。
弱いくせに人様の恋路に口を出し、自分の気持ちの素直になれなかったから、神様が罰を与えたのだろうか。
なら神様。もし私に罰を与えるというのなら。
どうか最後に一つだけ、聞いてほしい。
あの二人を幸せにしてください。
そして――
瑛里華が目をつむった時、
「ちょっと待った」
後ろから、声が聞こえた。
瑛里華はハッと眼を開け、後ろを振り向く。
そこには――一人の男が、立っていた。
服装は学生そのものだが、その顔はどこか陰気で、学生にしてはやや老けて見える。確か、今は28歳だったはず。
だからいつ見ても、この男は瑛里華から見てかなり不自然な見た目だった。
しかし男は相手の異様な姿などお構いなしに、『喰種』達の前に立ちはだかる。
正直「なんなのよ、コイツ」と瑛里華は思った。
でも目の前に立つその背中はやはり少しだけ、頼もしく映った。




