血命戦争⑪『喰種について、お話します』
「ここは……どこだ?」
霞む意識を振り払いながら、幹也は辺りを見回す。
視界に映るのはコンクリートの壁面、そして室外機や水道管。
どうやら、ここはどこかの路地裏のようだ。
「確か、俺はクロキアさんと……」
幹也は必死に直前の記憶を思い返した。
自分が茅ヶ崎に呼ばれて、クロキア=フォメットなる人物と会ったのは覚えている。
「その人とは会話も弾んで……あと最後に……」
最後に言った言葉もはっきりと記憶にある。
それは――『吸血鬼』。
そうだ。その言葉を最後に、自分は気を失ったのだ。
「だとしても、なんで俺はこんな所に……」
スマホをポケットから取り出してみると、既に電源が切れていた。
出る前は満タンだったはず。どうやらかなりの時間が経ったらしい。
「とにかく、まずは大通りに出ないと……」
ここが何処なのかを確かめるにしても、人のいる場所に出なければ話にならない。
そう思い路地裏の中から大通りを覗いた瞬間。
【――――ゾゾゾゾゾゾゾゾゾッ!!】
「ウッ! ぐグ……ッ!」
突然ドス黒い情動が、幹也の精神を急速に覆い始めた。
マズいと感じた幹也は必死に目を伏せ、路地裏の奥へと駆け込む。
そのまま倒れ込むようにしてアスファルトに手をつき、息を吐きだした。
「ハァ、ハァ……! なんだ、今の……!」
何が起こったのか、全く理解できなかった。
でも――
「『食いたい』と、思ってしまったのか、人を……!」
有り得ない、と自分に言い聞かせる。
だがその一方で本能的に感じてしまったのだ。今のは「食欲」などという生易しいものではない。
それはまるで……本能に根差した、「使命」。
「いったい俺は……どうなってしまったんだ……!?」
光の差し込まぬ路地裏。
必死の問いに答える者は、誰一人としていなかった。
それから、幹也の日常は一変した。
「なんなんだよ……この目と牙は!」
まずは鏡を見て驚いた。
人目を避け、ようやくの思いで自宅にまで帰ってきたのだが……その洗面所の鏡に映ったのは、紛れもない人外の姿。
最初はいたずらで特殊メイクでもされたのかと思った。
しかし淡い期待は早々に打ち砕かれる。
その瞳はカラコンではなく、伸びる牙も偽物ではない。何よりも、満たされることのない飢えがその異常性を証明した。
飢えを満たすためにとりあえず部屋にある食べ物は、ひとしきり胃に入れた。
だが飢えが収まる気配は一向になく、その度に「人間」の二文字が頭に浮かぶ。
幹也にとって、それがたまらなく恐ろしかった。
それから毎日、部屋から一歩も出ずに過ごした。
テレビをつけず、スマホも見ず。自身の環境からあらゆる「人間」を遮断した。
飢えこそあるが、これならある程度は大丈夫――
しかし、事態は急変する。
「……新藤、幹也だな?」
部屋に引きこもってから数日、招かれざる客が突然現れたのだ。
さらにはその客の姿もまた、いわゆる「普通」ではなかった。
「な、なんなんだアンタは……」
「連れ戻せ、とクロキア様からの命令だ。
悪いが大人しく付いて来てもらう」
白い肌と赤い目をした男が、土足のまま部屋に入り込む。さらに後ろには、何人かの男女が続いた。
彼らも肌こそ白くはないが、幹也と同様に全員が赤い瞳と発達した牙を持っていた。
もっとも幹也とは違いその目は生気がなく虚ろで、まるで操り人形のようであったが。
「よし……『連れてけ』」
その言葉と共に、男女が一斉に幹也に掴みかかった。
「は、離せ! ……だ、誰か!」
助けを呼ぶため、幹也は精いっぱいの声を張り上げる。
今は深夜の1時。アパートの誰かしらが起きてくれるはずだ。
しかし、いくら待ってもそれらしい反応が返ってこなかった。
「あ、あれ……?」
「無駄だ。俺の『異能』で、この部屋の音は封じさせてもらった」
「い、『異能』……?」
「なんだ、お前『異能』を知らないのか?
それに見たところ、通常の『喰種』のようだが意識もはっきりしているな……まあいい。
ほら『中級喰種』共、さっさと取り押さえろ」
その言葉に『中級喰種』と呼ばれた者たちはうめき声で答え、力を強めた。
四肢全てに『喰種』が纏わりつき、その手は遂に首にまで伸びる。
「ぐっ……うぅ……っ!」
「おい、殺すなよ? 絞め落とすだけにしとけ」
凄まじい馬力で、首が絞められる。
「う……のど……か……」
そのまま、幹也は意識を失った。
しかし目を開いた時に広がったのは、真っ赤に染まった自分の部屋だった。
「訳、分かんねぇ……」
まるでペンキを缶ごとひっくり返したかのように、見慣れた部屋は赤一色に塗り替えられてしまっている。
まさか、これを全部自分がやったのか。
「俺が……この手で」
幹也は恐る恐る、自身の両手を見る。
部屋と同じく血に染まったそれは、自分の一部ではないようだった。
むしろそうであるならば、どれほど良かったことか。
「う、うわああああぁぁぁぁっ!」
あまりの惨劇に、幹也はたまらず部屋から飛び出した。
もちろん行く当てなどない、帰る所などあるはずもない。
その日から彼は、日陰で生きることを余儀なくされた。
それから、およそ一か月。
「あの時」以降も、頻度こそ多くはないが追手は来た。
基本的には逃げたり隠れたりして巻いたが、追い詰められた時は決まって意識が飛ぶ。
そして目を開けたら――全てが血に染まっているのだ。
今日の地下室も例外ではない。
どうやら自分は『喰種』らしいが、これはいったい何なんだ?
答えは出ないが、知ってそうな人物には心当たりがいる。
これ以上、自分の為に誰かを傷つけたくない。
それに――もう一度「人間」として、和香に会いたい。
「クロキア=フォメット……!」
路地裏という街の日陰で、幹也は『吸血鬼』の名を口にした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「こりゃまた……ひどいな」
血で染められた地下室を見て、英人は零した。
「すまない八坂、無理に来てもらったというのに」
「無理はお前の方だろ義堂。
回復魔法でとりあえず治したとはいえ、重度の凍傷と低体温症だ。
しばらく安静にしてろって」
英人は幹也の自宅に乗り込んだ直後、義堂から連絡を受け件の地下室にまで駆け付けていた。
そこは模様替えでもしたかのように血でべっとりと染まっており、微かに残っていた死臭も鉄臭さによって塗り替えられている。
「とりあえず、この血は『喰種』のものだな。
それにこの量……間違いなくここで一体死んでる」
「分かるのか? そもそも血はあっても、ここには死体がないぞ?」
「『喰種』の特性の一つだ。
血は残るが、死体の方はしばらくしたら霧散する。
結果として現場はこんな感じになるワケ」
「となると……死んだのは、あの『喰種』の少年になるのか……!
クソ……!」
やりきれない表情で、義堂は現場を見つめた。
「『喰種』の少年?」
「ああ。この地下室で『上級喰種』に襲撃された時、すんでのところで助けてくれた少年がいたんだ。
肌こそ白くはなかったが、赤い目に牙を生やしていた。
名前は確か……新藤幹也と名乗っていたな」
「新藤幹也!?」
「!! 知ってるのか!?」
「ああちょうど今、別件でそいつのことを探してたところでな。
そうか、やはり巻き込まれてたか……」
英人は左手で口を軽く覆う。
想定していた可能性とはいえ、事実となって直面すればさすがの英人にとってもショックだった。
「ちなみに何者なんだ? 新藤幹也というのは?」
「ウチの大学の一年生だ。
先月から行方不明になってたらしいんだが『喰種』になっていたとしたら、それも頷けるな。
それに肌が白くないってことは……つまりは下級、もしくは中級の『喰種』か」
「やはり、『喰種』にも色々種類があるのか?」
「ああ、大きく分けて三種類だ。
まずはお前が出会った『上級喰種』。
こいつは名前の通り、『喰種』の中でも上位に位置する存在だ。
特徴としては高い身体能力に再生能力、そして人間時とまったく同じ知能を有している。
つまり、こいつらこそが『吸血鬼』直属の『眷属』。数こそそう多くはないが、厄介な存在だ」
「末樹恭弥といい今日会った男といい、二人共『異能者』だった。
ますます厄介さに磨きが掛かっているというわけか……」
苦虫を噛み潰したような表情をし、義堂は顎に手を当てる。
「ま、その辺りはこの世界ならではだな。
おそらく『喰種』化に際して、大量の『魔素』が体内に入ったんだろう……実際、末樹恭弥の『異能』はかなり強力なものに変化していたしな。
ちなみにあっちの世界だと、『異能』の代わりに魔法をぶっ放してくる。
ホント、あっちじゃ一、二を争うほど厄介だったよ」
昔の苦労を思い返すように、英人はしみじみと遠くを見つめた。
「どこの世界でも一番厄介な敵は人間……いや、この場合は『元』人間か。
それで、残りの二つは?」
「次は中間に位置する『中級喰種』。
こいつらは言葉こそ喋れないが、最低限の知能や理性はある。『上級喰種』や『吸血鬼』の命令に忠実に従う、いわばロボットだな。
数もそれなりだ」
「そして最後に、一番下の『下級喰種』。
こいつらに知能と呼べるものはほとんどない。ただ本能のままに人肉を貪る獣だ。
わざとパニックを起こすのにはうってつけだが……あまり制御が利かないから『吸血鬼』からも嫌われている。
ま、ゾンビみたいなもんと思ってくれていい」
「つまりその少年は、そのどちらかだと?」
「身体的特徴だけを見たらな。
中級と下級は赤い目と牙こそあるが、『上級喰種』のような肌の白さはない。
けどお前が言うには、『上級喰種』のようにちゃんと喋っていたんだろ?
となると、新藤幹也はどれにも該当しない新種ということになるな」
英人は腕を組み、考え込む。
先程も説明した通り、中級以下の喰種は知能が低く、喋れない。
かといって『上級喰種』のように肌が白いわけでもない。
となると、新種か突然変異種しか考えられない。
(しかし『吸血鬼』の下を離れて単独行動してたってことは……相手にとっては予想外の失敗作?)
「……しかしそれも彼が死んだことで分からずじまい、か」
考え込む英人の横で、義堂が残念そうに目を瞑る。
だが英人の結論は違っていた。
「……いや、おそらく生きているのは新藤幹也で、死んだのは『上級喰種』の方だ」
「!? 分かるのか!?」
そう驚愕した義堂を横目に、英人は血だまりを眺める。
「ああ。これだけの血が残っていれば、この『看破の魔眼』で分析できる。
そしてこいつによれば、この血の持ち主の名前は北村という奴だ。
『異能』の内容も、さっきお前が言っていたものと合致してるしな。
つまり――」
「新藤幹也はまだ生きている!」
「そういうこと」
その言葉を聞いて、義堂はほっと胸を撫でおろした。
「そうか、良かった……ならば次は新藤幹也の身柄を確保するのが最優先というわけだな。
八坂、何か当てはあるか?」
「ああ、もちろん。
さっき新藤幹也の自宅から一つ拝借してきたよ……ほれ」
そうポケット言って取り出したのは、一つの小さなお守り。
色は紫で、「交通安全」の文字が刻まれている。
「勝手に現場の物品を……もはや何も言うまい」
義堂は呆れたように頭を抱える。
英人の行為はれっきとした現場保全違反だが、さすがに現状そうも言っていられない。
「よし行くか……右目再現情報入力――再現変化・『千里の魔眼』!」
英人はいつも通り、右目に『千里の魔眼』を『再現』した。
普通ただ視界を広げるだけでは、ヒト一人を探すのは至難の業。
しかし今回はお守りという幹也に所縁のある物品を持っている。
先の美智子の件と同様に、すぐに見つけ出せるはず――
「……見えねぇ」
「え……?」
「本来ならば彼の姿を見られるんだが、黒い砂嵐のようなノイズに阻まれる。
……こんなの初めてだ」
想定外の現象に、英人は困惑する。
「それは……彼が人間ではなくなったから、ということか?」
「いや『喰種』になったと言っても、これまでの人生と決別するわけじゃない。
さっきの北村とかいう奴みたいにな。
だから彼も『新藤幹也』である限り、所縁のあるこのお守りで追えるはずなんだが……いや、まさか」
「どうした、何か分かったのか?」
「もしかしたら、彼はもう人間どころか『新藤幹也』ですらなくなりつつあるのかもしれない」
「……!」
英人の言葉に、義堂は唖然とした。
文字通り、自分が自分でなくなる。
それがどんなに恐ろしいことであるのか、義堂には想像もつかない。
「義堂、俺はこのまま魔眼を使って探索に続ける。対象は追えずとも、この広い視野があるからな。
それに……おそらくは新藤幹也こそがこの一連の事件のキーパーソンだ。できるだけ早めに見つけ出したい」
「了解した。俺の方でも捜査にあたる」
義堂の返事を受け、英人はお守りをポケットにしまう。
瞬間、砂嵐は立ち消え、代わりに首都圏の街並みが視界一杯に映りこんだ。
おそらく黒幕である『吸血鬼』もまた、この風景のどこかにいるのだろう。
「……逃がさねぇよ」
その低い呟きは、まだ見ぬ相手への宣戦布告であった。




