血命戦争②『異なる動き』
「異動!? この時期にですか!?」
オフィス机の前で、義堂誠一は思わず声を上げた。
ここは神奈川県警本部。
今日も多くの警察関係者が日々の事件の対応に追われ、オフィス内を行き交っている。
「落ち着け……だがそう言いたいのは俺とて同じだ。義堂。
そもそも連絡があったのは今朝の話だ、いくらなんでも急すぎる。
まだこの前のビル爆破事件と強盗事件の後処理も終わっていないというのに……いきなりその当事者を引き抜きに来るとは」
ため息交じりに答えたのは、義堂の上司であり捜査一課課長の藤堂銀次。
普段はどんな事件に対しても冷静に構える彼だが、今回ばかりはその表情に戸惑いの色を隠せない。
「何か、私の行動が問題視されたのでしょうか……」
義堂は眉間に皺を寄せ、考え込み始めた。
『かまいたち事件』に続き今回の末樹恭弥の事件も、表向きは義堂が最大の功労者ということになっている。
表彰もされ、今や義堂の名は県警どころか全国の警察組織に響こうかという程の勢いだ。
だが同時に「やや単独行動が過ぎるのではないのか?」という批判が内部から僅かながらも出ていることは事実。
――もしや、それで上層部の不興を買って……?
「何、ちょっとした無茶や猛進は若手の特権だ。昔の俺もそうだったからな。
もし上が何か言ってきたら一緒に頭を下げてやるつもり……だったんだが、今回俺に来たのは一方的な異動の連絡だけ。指導や注意勧告といった類のものは一切来ていない。
つまり今回の話、県警や俺の頭を飛び越えて直接お前に来たというわけだ」
藤堂の言う通り、もし今回の異動が懲罰目的であれば、当然所属していた部署や上司に対しても監督責任の追及は免れない。
だが警察庁から来た文言は「異動」の二文字のみ。いくらなんでも不自然に過ぎた。
「それに……ほら、異動先の部署を見てみろ」
藤堂は辞令書を義堂に見せた。
「『警察庁 長官官房 総務課勤務を命ずる』……ち、長官官房!?
それに着任日は明後日ですって!?」
長官官房とは、言ってしまえば警察庁内の事務方。
その下には会計や人事、広報など一般企業にもあるようなお馴染みの部署がぶら下がっている。
だが逆を言えば、このような内勤の部署がわざわざ現場の人間を急いで引き抜くのは異例中の異例だ。
「字面だけ見れば栄転と言えるが、素直に祝うのは難しいな……」
藤堂は椅子を横に向け、顎を撫でた。
その表情はいつになく苦々しい。
それもそのはず、今回の話はタイミングも異例、連絡方法も異例、異動先も異例、そして着任日すらも異例。まさに異例づくしの辞令である。
これならいっそ、なんらかの形で処分でもされた方がスッキリするというものだ。
「……」
義堂は辞令書を手にしたまま、歯噛みした。
『異能者』関連の事件に、英人の言う『吸血鬼』。
まだまだ現場でやらなければならないことが山程ある。
だというのに今現場を離れなければならないとは――!
「何とかしてやりたいのは山々だが、こうも異例づくめだと俺も手の出しようがない。
すまん、義堂」
藤堂は頭を下げる。
「いえそんな……。
欲を言うなら、もっと藤堂さんの下で働きたかったのですが……」
「気休めにもならんかもしれんが、これも貴重な経験と思って満喫してこい。
そしていつでも、此処に戻ってこいよ」
藤堂は優しく笑う。
普段は厳格な表情を崩さない彼だが、だからこそ、その表情には万感の思いがこもる。
「はい! 短い間でしたが、お世話になりました!」
尊敬する上司の気遣いに、義堂は綺麗な敬礼で答えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
二日後、警察庁本庁舎地下二階。
僅か二日間の引継ぎ業務を何とか終えた義堂は、本日より着任する部署へと向かっていた。
本来ならば総務課はもっと上の階にあるはずである。
しかし庁舎に入ってから早速案内された先は、まさかの地下だった。
一筋縄ではいかないことはとっくに覚悟していたが、まさか異動先にすら案内されないとは。
――間違いなく、何か裏がある。
義堂は最大限の警戒をしながら、先導する職員の後ろについていった。
流石に警察組織の総本山というだけあって、地下もかなり広い。
まるで洞窟探検でもするかのように、どんどん奥へと進んでいく。
「義堂警部、こちらです」
そしてフロアの奥の奥まで進んでようやく、職員が扉の前で立ち止まった。
「ありがとうございます」
小さく礼をしつつ、義堂はその扉を見る。
それは部署の入り口というよりかは、倉庫の入り口と表現した方が良いような重厚な造りの扉。
表札など部署名を示すような類のものは何一つなく、ただ無機質にその扉は鎮座していた。
「では、私はこれで……」
一礼して職員は去っていく。
引き返す足音がフロアに響く中、義堂は扉の前に立ち尽くした。
正直、この扉の先に何があるのか想像もつかない。
警察という巨大組織が持つ闇が、この身に襲い掛かろうとしているのだろうか。
一つ深呼吸をする。
肺に取り入れた空気を一気に吐き出し、気合を入れ直す。
「……よし」
さらに背広の襟を正し、背筋を整える。
これが義堂流の戦闘態勢。
そしてゆっくりと三回、扉をノックした。
無機質な音が、小さく響く。
扉が厚いからだろうか、向こうまで音が届いた気がしない。
念のため、もう一度だけ叩こうか――そう義堂が思った時、
「どうぞ」
部屋の奥から、声が聞こえた。
そして以外にも、その声色は女性のもの。
義堂は一瞬身構えるが、すぐに扉の取手に手を掛ける。
「……失礼します」
外開きの扉はやはり重く、蝶番の軋む音が耳を衝く。
その音と共に義堂は一歩、部屋に中へと踏み込んだ。
その部屋の中は、一言で言えば「雑多」であった。
机の向きもバラバラで、キャビネットは半開き。
棚やら机の上やらには様々な書類が山積みにされている。
どこの警察署であれ、このような状態を放置すれば上からの叱責を免れ得ないだろう。
それにここは日本の警察組織の総本山、万が一にも許すはずがない。
義堂は部屋の中を見渡す。
この部署(?)には、今のところ義堂含めて六人いた。
その中には机に脚を乗せている男もいれば、私服の人物もいる。はっきり言って無法地帯だ。
「ほら、こっちこっち」
部屋の奥で椅子に座る人影が手招きをした。
その声からして先程返事をした女性であることには違いないのだが、暗さのせいでその顔までははっきりとは見えない。
「はっ、只今」
おそらくこの人物が、次の上司なのだろう。
やや不審に思いつつも、義堂はその手招きに応じてその机まで向かった。
近づいていくにつれ、その全貌が徐々に明らかになっていく。
年齢はおそらく、三十代前半といったところだろうか。
やや紫がかった髪を後ろに纏め、そのシャープな美貌はニヤリとした笑みを見せている。
警察関係者らしくその眼光は強く……そして何より、鼻筋を横切る傷が目についた。
「……ほーう。資料にあった写真よりも、実物の方が中々男前じゃないか」
今の時代セクハラと捉えられかねない発言を、その女性は平然とした。
とはいえ気にしていても仕方ない。
「義堂誠一です。本日よりこちらに配属になりました。
至らぬ身ではありますが、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」
義堂は深く頭を下げ、自己紹介をする。
こんな異常でしかない場所でも一応の礼儀を欠かさないのは、生来のクセだ。
「ハッハハハ! 話には聞いてたけど、カタいなお前は!
見れば分かるが、ここにそんなもの気にするような奴はいないよ!」
目の前の女性は声を上げて笑った。
こういう昔ながらの豪快なタイプの人間は減ってきてはいるものの、警察内にはそれなりにいる。
しかしそれは男性での話。女性でこのタイプを見るのは義堂も初めてだ。
「そういうことでしたら早速……失礼を承知で尋ねますが、ここは本当に『警察庁 長官官房 総務課』なんですか?」
義堂は頭を上げ、女性に尋ねる。
ここが本物の総務課ではないのは確実。ならば何の部署なのか――下手にはぐらかされる前に、確認しておきたかった。
上司相手とは言え有無を言わさぬ義堂の目に、女性は再びニヤリと笑う。
「その目、上司に向けるべきかはともかく、私は嫌いじゃない。
ま、お前からすりゃ当然気になるところだな……隠してもしょうがないし、早速種明かしといくか。
まずはそうだな……『異能者』、この単語に聞き覚えはあるな?」
「……はい」
『異能者』は本来、世間に伏せられているはずの存在。
義堂は一瞬肯定するのを躊躇ったが、鋭い眼光がそれを許さなかった。
「そして直近に起きた二つの『異能者』関連の事件、お前は見事に解決した。
今回はそれを受けての人事だ。
ここまで言えば、キャリアのお前になら大体の想像がつくだろ?」
「つまり……ここは『異能者』対策の部署だと?」
警察における対『異能者』部署――英人からはその存在自体は既に聞いていた。
目の前の彼女が言うには、ここがその部署らしい。
しかし、極秘とは言え『異能者』対策はこの国の大事。
それをこんな場末みたいな部署が――
義堂は改めて部屋の中を見回す。
「まあそう不審がるのも無理はない。
警察の暗部を担う者たちが、こんな不良警官共でいいのかとな。
だがこの小汚い部屋こそが警察における『異能』対策の最前線あり、長官官房直属の実行部隊、その名も――『異能課』だ。
私は課長の長津純子。歓迎しよう、義堂警部」
長津は椅子から立ち上がり、右手を差し出した。
義堂もその手を握る。
「よろしくお願いします」
「そして早速だがお前には……『吸血鬼』退治をやってもらう」
握ったまま、長津はまたもニヤリと笑った。




