異能バトルはなろう系の中で⑤『心頭滅却すれば火もまた涼し』
横浜の中心に、巨大な火柱が上がっている――
そんな非日常の光景に唖然としながらも、英人と義堂は人ごみをかき分けながら現場へと向かった。
道行く人々は既にパニックになり始めており、火炎を逃れようとする歪な人の流れが徐々に形成されつつある。
「すみません、警察です! ここを通して!」
義堂が警察手帳を掲げながら先導することでなんとか前に進むことができているが、それでも通常の歩行速度以下だ。
このままではさすがに時間が掛かり過ぎる――ならば、方法は一つしかない。
「しょうがない……義堂! 『魔法』で跳ぶぞ!」
「な、何……うおおおおぉっ!?」
返答する間もなく、英人は義堂を抱えてビルの屋上までジャンプした。
義堂の叫び声が都会の喧騒に響くが、『世界の黙認』によってその声すら一般人に認識されることはない。
そのまま二人の体は重力に逆らい、屋上に着地した。
「全く……そういうことをするなら先に言ってくれ」
脇に抱えられた状態で、義堂が文句を言う。
「悪い悪い。時間がなかったもんでな……とにかく、あれを見ろ」
そう言って英人が指さした方向を、義堂は目で追った。
「すごいな……こいつは」
目に映ったのは、悲鳴を上げて燃え盛る一棟のビルだった。
まるで巨大な松明のようなその姿は、ただでさえ明るい繁華街をさらにまばゆく照らしている。
「確かあれは……解体予定のビルだよな?」
「ああ。来月には解体予定のはずだから、夜間は誰もいないはずだ」
「……一応、確認だけしてみる」
英人は抱えていた義堂を下ろし、『魔眼』の『再現』を行った。
「右目再現情報入力――再現変化・『探索の魔眼』!」
再現したのは、洞窟や室内などの状況を透視することができる『探索の魔眼』。
主に盗賊やエルフ等が修得している魔眼である。
「……どうやら、中に一人いるな」
「なんだって!?」
驚きの声を上げ、義堂は英人の方を向いた。
見ている限り、その人物がいるのは八階建てのビルの六階。しかもフロアのど真ん中だ。
消防の救助を待っていたら、間違いなく間に合わない。
「……ちょっと行ってくる」
軽くストレッチをしつつ、英人は呟く。
「大丈夫なのか? この炎だぞ?」
「何、こちとら火を噴くドラゴンともやり合ったんだ。あれくらいなら大丈夫……『ハイ・フレイムガード』」
英人は魔法を使い、火炎耐性を強化する。これならダメージは最小限で済む。
そのまま膝を折り曲げ、
「義堂は少しここで待っててくれ……それじゃ!」
英人は文字通り火中に飛び込んだ。
「よっ、と……よし到着」
ビルの窓ガラスを蹴破る形で飛び込み、英人は六階のフロアへと着地した。
周囲を見渡すと、至る所から業火と黒煙が上がっているのが見える。
本来であれば呼吸すらままならない環境であるが、火炎耐性強化魔法『ハイ・フレイムガード』の効果によって、その影響はほとんどない。
「まあでも……さすがに少し暑いか」
英人は額の汗を拭う。
『探索の魔眼』によれば、逃げ遅れた人がいるのはこの奥の部屋。
手遅れになる前に、早く助け出さなければ――
バックドラフトに気を付けつつ、英人はドアを開けてその部屋へと入った。
「ここか……」
かつてはテナントとして入っていたオフィスだったのだろう。
その部屋の中には、ビジネス用の机と椅子が多数置いてあった。
そして、中央の机の上には――
「やあ、待ってたよ。元『英雄』」
一人の女性が座っていた。
「……誰だ、アンタ?」
この死地において明らかに不自然な佇まいと態度。
英人は警戒の色を強めつつ、その女性の姿を眺める。
それは、周囲で燃え盛る業火と比べても遜色ない輝きを放つ赤き長髪。そして猛禽のように鋭い金色の瞳。
黒いライダースーツに身を包んだその肢体は、妖艶なまでの色香を放っていた。
「おっと失礼。 私の名はフェルノ=レ―ヴァンティアだ。
以後お見知りおきを……八坂英人殿」
フェルノと名乗る女性は机から飛び降り、大げさな動作で自己紹介をした。
英人は彼女を睨みつつ、状況を確認する。
このフェルノなる女は八坂英人という名と、元『英雄』という肩書を知っている。
名前はともかく、肩書の方を知っているのはこの世界だと極僅か。
となると、奴はおそらく『異世界』関係者――!
「んでフェルノさんとやらは、ここで何してんだい?」
厳つい視線とは裏腹な軽い口調で、英人は尋ねた。
「食事、みたいなものだ。この国でこれだけの炎にありつけることは中々ないからな。
せっかくだから存分に堪能させてもらってる」
フェルノは伸びをしつつ、深呼吸をする。
時折炎の先端が体に触れるが、それをものともしていない。むしろそれを歓迎しているように見えるほどだ。
炎を摂取する――そんな芸当ができる種族に、英人は心当たりがあった。
「『魔人』、それもサラマンダーか」
「ご名答。さすがに知っているか」
フェルノはニヤリと微笑んだ。
『魔人』とは、『異世界』に住む種族の大カテゴリーの一つ。
エルフやドワーフといった『亜人』とは違い、その体に『魔物』の力を宿す人型の生物の総称だ。
どちらかと言うと知能の高い『魔物』と言った方が分かりやすいかもしれない。
吸血鬼や妖魔、悪魔といった種族がメジャーであり、目の前にいるサラマンダーもまた、火竜の力を持つ強力な『魔人』として『異世界』では畏怖されている。
「……先の大戦じゃあ静観を決め込んでいたお前らサラマンダーが、なんだってここにいる?」
『異世界』において最大の敵であった『魔族』の軍勢であるが、全ての『魔族』が人間と直接敵対していたわけではない。
特にサラマンダーはそのいい例で、彼らは強大な力を持ちながらも静観を保っていたので大戦中は終始不気味な存在感を放っていた。つまりは英人にとって、敵とも味方とも判別のつかないような第三勢力である。
「その質問に答えられたら、私も苦労しないのだがな。
ただ単に気が付いたらいつの間にかこの世界にいた、としか言いようがない。
まあ、来てしまった理由はなんとなく想像はつくが」
フェルノは再び机に座り、足を組んだ。
「……餌を求めていたらここに来た、というわけか」
「さすがは元『英雄』、察しがいい。
知っているとは思うが、我々サラマンダーの主食は炎だ。だからいつもは火山の近くを住処にしている。
しかし同じ炎でも好みがあってね……特に戦場にて舞い上がる炎、いわゆる戦火は我々にとっては極上の珍味だ。
だから先の戦争で我々はあえて介入せずに、その炎だけを堪能していた。
そしてあちらの世界が平和になった今……今度はこの世界に戦火のニオイを嗅ぎつけたというわけさ。
私は種族の中でも特別に鼻が利くからな、その予兆すら嗅ぐことができる」
笑いながらフェルノは肺一杯に黒煙を吸い込む。
常人ならば一発で死に至る行為ではあるが、彼女にとっては極上の一服だ。
「つまり、これからこの世界に戦火が上がると?」
英人は腕を組み、フェルノに尋ねた。
「それがいつ、とまでは断定出来ないが、おそらくそう遠くないうちに起こるだろう。
それに今回のニオイは……自慢の鼻がバカになるくらいに濃密だ。
前回と比べても遜色ない、いやそれ以上かもしれん」
フェルノはまるでワインをテイスティングするように、鼻を優雅に鳴らした。
前回の『魔族大戦』以上の規模、考えただけでも身の毛がよだつ。
そもそも仮にもしそんなことが将来起きるのなら、現時点でその兆候が出ていてもおかしくないはずだが……。
英人は必死に頭を回転させるが、結論には至らなかった。
「……まあいい、今は後回しだ。
とりあえずお前に聞きたいことは一つ。
この爆発騒ぎ、やったのはお前か?」
英人は頭を掻きながらフェルノに尋ねた。
その言葉のトーンこそやや軽めだが、体から放たれるプレッシャーは尋常ではない。
もしフェルノが肯定する素振りだけでも見せたのなら、即座に仕留めに掛かるつもりだ。
「……いや、私ではない。種族の名誉に誓って言おう。
そもそも我々は自分で起こした火を食べたところで腹は膨れんしな。
おそらくこれは、『異能者』共の仕業だ」
フェルノは先程までの態度とは打って変わり、真面目な眼差して英人を見つめた。
炎燃え盛るビルの中、二人の間に静寂が流れる。
その沈黙を破ったのは、けたたましい音を鳴らすサイレンだった。
どうやら消防車の軍団が近づいてきたらしい。
「……分かった。今はお前の話を信じよう。
消防も来たみたいだし、今日はもう退け」
サイレンが鳴る方向をチラリと見ながら、英人は口を開く。
「……少し名残惜しいが、仕方ないか。
貴公の言う通り、今日はもう引き上げることにする。
体を水浸しにされるわけにもいかないしな」
フェルノは名残惜しそうに机から立ち上がった。
「……ああ、そうだ。元『英雄』に一つ忠告しておきたい」
そのまま去るかと思ったが、何か思い出したかのように英人の方に振り向いた。
「なんだ?」
「薄々感づいていると思うが、『あちら』と『こちら』の世界の境界がかなり曖昧になってきている。
その原因までは分からん、そもそも興味もない。
だがおそらく、私のようにこの世界に来た『魔族』は他にもいるはずだ」
「……」
「まあ、その辺りの対処をどうするかは貴公次第だ。
それに元『英雄』の手腕、間近で見るのは私としても楽しみではあるしな」
フェルノはそう言うと、口に手を当てクスリと笑う。
「うるさい客からは、見物料もらうぞ。
何せただでさえ観客が少ないからな」
「なに、少し炎をつまみ食いするだけだ。邪魔はせん。
元『英雄』が出す戦火の炎……ああ、聞くだけで涎が出そうだ」
フェルノは笑顔で口元を拭う。
人間が生きるか死ぬかの修羅場を目前として、この『魔族』の表情は恍惚に染まっていた。
このように見た目は人間に準じた姿をしていても、彼女ら『魔族』の倫理観は人間のそれとは根本からして違っている。
『魔族』にとって、『人間』とはほとんどの場合で「餌」であり、「敵」なのだ。
決して相容れぬ、とまでは言わない。
しかし種全体で見れば共存共栄などはあり得ぬことであろう。
フェルノはまだマシな方とは言え、こんな連中が既に何体も……
そう考えただけで、英人は身震いがする思いだった。
「それじゃあ私はそろそろ……おっともう一つ忘れていた」
再び何かを思い出したかのよう顔をし、フェルノは英人の方へと歩み寄る。
「ん? なんだ?」
「いや、せっかくこうして会えたわけだから……なっ!」
すると突然フェルノは英人の胸元へと飛び込んできた。
「な……!?」
不意打ちだったこともあったが、完全に敵意のない行動だったのでいとも簡単に懐への侵入を通してしまった。
驚く英人をよそにフェルノは慣れた手つきで背中へと手を回し、体をがっちりホールドする。
そして――
「うむ、さすがは元『英雄』、私好みのいい匂いじゃないか」
「……は?」
英人の胸板に顔を押し付け、匂いを嗅ぎ始めた。
「さっきも言った通り、私は鼻が利くからな。
いい匂いには目がないわけさ……ああ、たまらない」
フェルノはさらに頬ずりまでして鼻を鳴らす。
強引に剥がそうかとも英人は考えたが、思ったよりも力が強かったので早々に諦めた。
結局フェルノは数分ほど英人の匂いを堪能した後、ようやく胸元から離れたのだった。
「……満足したか?」
散々匂いを嗅がれた英人の顔は、どことなくげっそりしている。
「ああ、おかげで匂いもしっかり覚えた。これでもう二度と忘れることはない。
では今日の所はさようならだ、元『英雄』。
いずれまた会おう!」
対して満足そうな顔をしたフェルノは意気揚々と炎の中へと消えていった。
「何か……とんでもないものに出会っちまったな。
ま、一般人が逃げ遅れたわけじゃなかったから良しとするか」
炎を眺めながら、英人は呟く。
『異世界』との境界線の希薄化。
『魔族』の侵入。
そしてフェルノが嗅ぎつけた戦火の予兆。
今日だけで懸念事項は山積みだ。考えただけで頭がパンクしそうにある。
だが……
「とりあえずは、『異能者』案件からか」
まずは目の前の事件を全力で片づけるしかない。
そう決心し、英人はビルを後にした。
しかし、次の日――
『大変だ、カトリーヌ君が病院から抜け出した!』
ヒムニスからの電話で、懸念材料がさらに増えることとなる。




