新宿異能大戦80『戦いも終わり……後編』
同刻
横浜市某所。
「…………くしゅんっ」
何十度目かのくしゃみが寒空に響く。
芯まで冷えた体。歯はガチガチと震え、耳は痛さを通り越して何も感じなくなってきた。
《――――終わったね》
ふとバッグの中から響く少女の声。
自身の知覚と感情を完全にトレースした現身と言えるそれは、その少女自身――東城瑛里華と同じようにスマホの画面を見ていた。
「………………うん」
次々にSNSに上げられる、事件解決のつぶやき。
大手マスコミの公式アカウントも続々と事件の解決を報じている。
体に広がる虚脱感に似た安堵。
瑛里華は背もたれにしていた電柱に、頭を軽くぶつけて天を仰いだ。
「……………………」
じわり、と景色が滲む。
そう感じた途端に今まで堪えてきた者がどっと溢れ出す。まるで壊れた蛇口のように。
「……う、く…………っ」
まだ早いとは思っていた。どうせ泣くなら生きたアイツと再会した時。それでぎゃんぎゃん泣いて困らせてやろうと思っていた。
でも止まらない、止めようがない。
鏡の中の分身が余計な茶々を入れてこないように、もうこの感情は抑えようがないのだ。
「許さないん、だから……」
精一杯の悪口はせめてもの抵抗。
胸に宿す想いは、たったひとつだけ。
――アイツに、会いたい。
たとえどんな状態や態度だろうと、どんな言葉を投げかけ掛けられようと。
ただ。
ただ。
ただ今は八坂英人に会いたくてたまらなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
同刻
JR渋谷駅付近。
「…………車、動き始めた……」
期待の膨らんだ声色を僅かに弾ませ、灰色の髪の美女は呟いた。
「確かにそうみたいね」
「今どういう状況になっているか分かる?」
美女――日本を代表する若手女優であり、英人の高校時代の後輩である桜木楓乃は、身を起こして車窓の外を見た。
未だ眩しい都会の灯の下にはいつも以上の人の流れ。
ちなみに当初は代々木付近にいたのだが、警察が規制線を設けたお陰でずるずると渋谷までいたっている。
とはいえ渋谷は今も昔もトレンドが集まる大都会、自然と野次馬の類がこれでもかと集まって来ていた。
「うーんと……とりあえずネットニュースを見た感じだと解決したっぽいわね…………多分」
「多分って」
「しょうがないでしょ!
ただでさえ情報が錯綜しまくってて訳が分からないんだから!」
くわっ、とマネージャーは眉を吊り上げ反論する。
深夜の疲労もあって大分気が立っているようだ。
あまり彼女に負担を掛けるのもよくないな、と楓乃もSNSを開き「新宿」と検索を掛けてみた。
「確かに、解決したってことでよさそう」
「でしょ?
そもそもこの情報過多の時代、欲しい情報は自分の目で確かめなさいな!」
「はいはい……」
イライラを通り越して妙なテンションになっている横目に、楓乃はスマホを閉じて再び車窓の外を眺める。
その方角は、ちょうど新宿の方向。
「良かった……」
「え?」
「何でもない」
楓乃はゆっくりと首を振って座り直した。
そのまま僅かに呼吸を整え、ハッキリと言う。
「ゴメンねここまで付き合わせちゃって。
とりあえず解決したみたいだし、そろそろ引き上げよう」
「え?
い、いいの? 貴方あんなに――」
「うん、いいの。
今はあの人が無事って知れただけで十分だから」
言いながら、楓乃はマネージャーを見つめた。
有無を言わさぬ瞳。
こうなってしまってはもう梃子でも動かない。十年近い付き合いからマネージャーはそのことを身に染みて理解している。
「……そう」
マネージャーは諦めたように溜息を付き、楓乃は小さく頭を下げて再び窓の外を見る。
(……結局返信はなし、か)
思い出されるは、先程チラリと見たメッセージアプリのトーク画面。そこは彼女のメッセージが既読のまま放置されていた。
八坂英人は無事なのは、間違いない。彼はそういう男だ。
同時に無事の知らせる連絡くらいはちゃんと寄こす男でもある。
そんな男が、返事ひとつしないということは――楓乃には何となく分かってしまった。
おそらく彼は、この戦いで想像を絶するような体験をしたのだろう。
百戦錬磨の心が思わず傷ついてしまうほどの。
「………………」
寄り添いたい。
抱きしめてあげたい。
でも、今の彼に本当に必要なのは――
逸る気持ちを抑えるように、楓乃はキュッと膝の上で拳を握る。
窓から見える夜空はいつにも増して重かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「――で」
同刻。
横浜市某所。
「結局今ってどーゆー状況なの?」
友人の家のベッドに寝そべりながら、都築美智子はスマホを放り投げて言った。
「どうもこうも、シンジュク?っつー場所でドンパチがあったってこったろ?
単純じゃねぇか」
「そのドンパチがどういう内容かって聞いてんのー」
面倒そうに答えるキノコ型の魔獣、マッシュマンに美智子は口を尖らせる。
「そのスマホとやらで調べればいいだろって……ほれ、どうやら解決したみたいじゃねぇか」
「マッシュマンのスマホスキルがいつの間にかめっちゃ上昇してる……!」
ほんの数秒でニュースサイトの画面を見せてくるマッシュマンに美智子は驚きの声を上げた。
「キノコなめんなよ? 嬢ちゃん」
「キノコすごい……」
「ま、とはいえとんでもねー騒動みたいだったけどな。
正直ここにいても何度か怖気が走ったぜ……」
マッシュマンは疲れたように溜息を吐いた。
「そんなにヤバかったの?」
「まぁ何だ……この世の摂理が変わりかけた瞬間を本能で感じまったっつーか?
正直規模に関しては『魔族大戦』には遠く及ばねーが、事の重大さはもしかしたらこっちの方がヤバかった、か……?」
「ま、マジ?」
「ま、まぁあくまで一瞬だけそう感じたってだけだ。
今は大丈夫だって」
「ふぅん……まー確かに大丈夫か」
美智子は再びごろんと仰向けに寝転がる。
「だって、センセーだし!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
同刻
新宿駅跡地北。
「…………………………」
重い空気が、流れていた。
「…………………………」
数多の瓦礫の中、男がただ二人無言で佇んでいる。
その様はまるで世間の安堵など別世界の出来事であるかのようだった。
「…………………………」
ようやく男の内の一人――義堂誠一が手元の銃をゆっくりとさすった。
それは合衆国の『国家最高戦力』リチャード・L・ワシントンが残した餞別。
何故、彼は最後にこれを自分に託したのか。
その意味、その矜持、その覚悟――それら全てに想いを馳せ、義堂はその銃をじっと見つめる。
正直、まだまだ迷いの中。しかし結局は自分で見つけるしかないのだろう。
彼がこの世界で見つけたように。
でも。
でもだとしたら、今のあいつは?
「八坂、」
義堂が声を上げるよりも先に、英人は歩いていた。
顔を合わせることもなくただ黙々と、山北巽が眠るその場所まで。
「……ありがとな、巽」
英人はしゃがみ、ゆっくりと手をかざしてその眼を閉じてやる。
慈愛に満ちた行為。しかしそれはあまりにも儚げで――
「…………義堂、」
英人はゆっくりと立ち上がる。
「俺は、どうしたらいいんだろうな?」
今にも消え入りそうな声と背中だった。




