新宿異能大戦㉚『西新宿で捕まえて』
『――八坂君って、今まで付き合った女とかいるのかい?』
『……いきなり何てこと言うんですか、代表。
いくらこっちが年上の男でもセクハラっすよ、今時』
『なにそれに関しては大丈夫だ。
私と八坂君の間には確固たる信頼関係があるからな!』
『その信頼関係、いま壊されそうなんですけど……』
『それより、どうなんだい?
何人いたんだい、それともいない歴=年齢なのかい!?』
『めっちゃグイグイ来ますね……。
まぁそうですね……何というか、そういう関係になったのは一人だけ』
『……ほう、なるほど一人いた、か。
まぁ八坂君だしそんなものだな!』
『めっちゃバカにしてくるな……そう言う代表は?』
『ゼロだ』
『えぇ……』
『まぁ中々これ、という相手に巡り合えなくてね。
ほら理系の男子ってなんというか、地味な人間多いだろ? 私とはどうもテンションが合わないのさ』
『別に明るい理系もいるでしょうに……。
そもそも代表は大学でも有名人なんだし、他学部からも結構言い寄られるのでは?』
『まぁないこともないが……どうもしっくりこなくてね。
うーん、やっぱり理想が高すぎるのだろうか? 面食いというわけではないと思うのだが』
『ま、あれだけモテればいずれ気の合う相手とも出会えるとは思いますけど』
『……会えると、いいねぇ』
『まぁ、代表なら大丈夫ですよ。
それより、』
『ん?』
『代表って好みのタイプとかあるんですか?』
『お、お?
八坂君、まさか私に?』
『いや単純に話の流れですけど』
『なんだい、つまらんなぁ』
『別に代表も期待している訳じゃないでしょ。
で、実際どうなんです?』
『フッ、それはもちろん、飛び切り不思議で心を躍らせてくれるような人間さ――それこそファンタジーみたいにね』
――――――
――――
――
「ふふ、言っちゃった。
まぁ日に何度も諳んじてはいるんだけど、こうして直接言うとやっぱり違うね」
午後11時12分。
地下鉄丸ノ内線、西新宿駅付近。
暴虐と混乱の中心からやや離れた喧騒で、かつての代表と部員が対峙した。
会わなければならないと思っていた。
言わなければならないことも沢山あった。
しかし、いざ相対してみると何を話し、何をすればいいのか分からない。
英人はただ、じっと立ち尽くす。
「あれ、どうしたんだい八坂君。そんなにボーっとして。
もしかして緊張しているのかい?」
眼前では、薫が後ろで手を組んでにじり寄って来る。
人に媚びるような視線と声。
それは以前の泉薫とは到底似ても似つかない。
改めて見る『使徒』の姿に、英人はおぞましいまでの違和感を抱いていた。
「……今日はクリスマスイブだね。
実は君にプレゼントを用意してきたんだ、それっ」
薫は流れるような動作で腕に抱きつき、頬を擦りつけてきた。
香水の匂いが立ち上り、鼻腔をくすぐる。
「そう私のことさ、八坂君。
君の望む姿になれる私なら、君の全てを満足させてあげられるからね。
さぁ今宵はどんな女を抱きたい?」
こちらを見上げる瞳は溶けそうなほどに潤んでいた。
「…………」
「……黙っていては分からないよ?
ほら、なんでもいいから君の欲望をぶつけて? 全部受け止めるから」
「……代表」
「私はね、君の望む姿になりたいんだ。
どうやら今のままじゃ君のお眼鏡に叶いそうにないからね」
「代表」
「さぁ早く、私を変えてくれ八坂君」
「代表!」
「早く!」
叫びながら、薫は袖を強く握りこんだ。
「望む姿になると、そう言っているだろう!?
何でだ、何故君は私を求めようとしない! それに応えるだけの力を私は手に入れたというのに!」
「俺が代表に求めるのは、代表であるということだけですよ」
「そんな取ってつけたようなことを言うな!
私であるということ!? ふざけるな!
それじゃあいつまで経っても私は愛されないじゃないか! だって泉薫というカタチを、君は愛していないのだから!
ならそんなのいらない!
君に愛されないカタチなんて、ゴミ以下だ!」
薫は腕を離し、今度は向かい合って英人の胸に抱き着いた。
それは一見すれば最大の愛情表現。
でもよく見ると、それは縋るようで、苛立ちをぶつけているようで。
英人にとってはまるで胸倉を掴まれているような心地だった。
「……やめましょう、こんなこと。
俺は代表と戦いたくなんてない」
「それは私もだ、八坂君。
愛する君と殺し合いなんてしたくない。
だから誰でも……いや何でもいい、君に愛される存在へと変えてくれ」
「……それは、ダメです」
「なんで? なぜダメなんだい?
私のことが嫌いだから?
何でもすると言っているのに?」
潤ませた瞳で、薫は英人を見上げた。
英人は湧きだす感情を辛うじて飲み込み、
「……やめましょう……!」
目を瞑りながら、答えた。
薫はしばらくその表情をじっと眺めていたが、そっと英人から離れて口を開く。
「……そうか、分かった。よぉく分かったよ。
今まで築いてきた『ファンタジー研究会代表 泉薫』という虚像が、私の愛を阻んでいるのか。
なるほど、確かにそれなら八坂君が戸惑うのも頷ける。
――なら二度と思い出さないくらいに、壊さなきゃね」
ぞっとするほど、冷たい声だった。
愛する者からの愛以外、何もいらない――それを全世界に訴えるように、薫は英人に視線を向ける。
「憑魔、来臨」
一瞬、まるで闇そのものが、世界を侵食していくかのような錯覚に陥った。
黒い霧と呼ぶにはあまりに深すぎる何かが瞬く間に薫を包み、なおも膨張を続けていく。
それは定まったカタチであることはない。
刹那毎にシルエットを変え、濃度を変え、重さを変え、肌触りが変わる。
唯一確かなのは、その体積が加速度的に広がっているということだけ。
だがそれも僅かに張りつめたかと思うと、収縮を始めて一つのカタチに至る。
「――私は、『覚者』。
望む者全てを、次なる段階へと導く存在――!」
現れたのは、微かに揺らめく漆黒のヒトガタ。
さながら輪郭を得た闇そのものだった。
「ああ、最高に気分がいい。
私は今、何にでもなれる……!」
「……代表…………」
「名前で呼びたまえ、いい加減。
愛していないのかい?」
言いながら、黒いヒトガタは細くとがった指を鳴らす。
すると視界はジャックされ、影と化した彼女が映し出された。
『――参加者の諸君、聞こえているだろうか。
我は『覚者』、諸君に『異能』を授けた者だ」
脳内に響く声は、低く重い。
その姿と言い、今の薫は完全に新宿生まれの都市伝説、『覚者』となっていた。
『現在、ゲーム開始から三十分が経過した。
既に死亡した者は、四百人以上。
一方で生き残っている者は、ポイントを順調に稼ぐ者、ただ生き残るために殺す者、ひらすら逃げ回る者、本当に様々だ。
だが、彼等には一つの共通項がある。それは最序盤の混乱を生き残ったということ。
本当に素晴らしい。
まずはいち参加者として最大級の賛辞を送りたい』
鎮まり返る新宿で、ただ一人『覚者』はパチパチパチと拍手を送った。
『そしてこれを記念し、ささやかな特典を贈ることにした。
その特典とは、3レベルの上昇。
取得条件は我、つまり『覚者』との接触し、レベルアップの旨を願い出ること。
むろんこれに人数制限はない』
無条件、そして無制限のレベルアップ――その文言が出た瞬間、新宿全体の空気が変わった。
『新宿異能大戦』の性質上、ゲームに勝つにしろ生き残るにしろ自身の戦闘能力の強化は不可欠であることは明白。
現状『異能』のレベリングがその最適解である以上、誰もが欲しいと思うはずである。
『勝ち残りたくば、集え。
我は今、西新宿駅にいる――!』
再び『覚者』が指を鳴らすと、視界は元に戻った。
「……これで今からここには、たくさんの参加者たちがやってくるだろう。
目を血走らせた、獣のような連中がね。
聞こえてくるのは、いつもの声。
おそらく英人に対してだけは、女性の時の声で話しかけたいのだろう。
それが分かるからこそ、英人の胸中に複雑な感情が渦巻く。
「いちおう人数無制限って言ったけど、仲良く順番守ってとはならないだろうなぁ。
押し合いへし合い殺し合い、私を巡ってバカみたいに潰し合うんだろうなぁ。
ふふ、一体どれだけ死ぬんだろう……でも君はそれを止める為に戦うんだよね?
だって君は、私が愛してやまない剣と魔法の『英雄』なのだから」
薫は手を後ろに組み、身体をくねらせながら英人に近づく。
ほぼ密着しているといって良いほどの距離だった。
「ほら私を捕まえるなら今だよ、八坂君?」
いつの間にか、その姿は胸部と臀部が肥大化した、煽情的なカタチに変わっていた。
どうあっても彼女は八坂英人が欲しいらしい。
「代表……」
英人は小さく息を吸い、目を閉じる。
耳に入ってくるのは、こちらに続々と向かってくる大量の足音。あと数分もすれば、ここは暴徒で溢れかえるだろう。
ならば、そうなってしまうくらいならば。
覚悟を決め、英人は腕を振りかぶる。
「すみません――!」
英人の選択は、手刀。
気絶による仕切り直しを望んだその腕は凄まじい速度で影に迫ったが、
「なんてね」
薫は軽やかに跳ね、それを躱した。
「……!」
「ま、君ならそう来ると思ったよ。でもね、私は君の心からの愛しかいらないんだ。
だから本当に心苦しいけれど、参加者たちには少し辛い思いをしてもらう。
君が自分から愛していると言うまで……ね」
そう言って完全に『覚者』と化したヒトガタは腰に手を当て、小首を傾げた。
「いたぞ、『覚者』だ!」
「レベルアップしてくれー!」
「俺が先だ!」
「おや、結構早かったね」
視界の端には、第一陣と思しき参加者の集団が迫る。
遠目でも分かる鬼気迫る表情、おそらく今からここは地獄になるだろう。
「さぁ選びなよ八坂君。
脇目も振らずに私を追うか、欲に目がくらんだ彼等を止めるか。
まぁどちらかと言えば、私はお人好しな君を見ていたいけどね」
そう言うと『覚者』の身体は霧散し、今度はビルの上に現れる。
「さぁ参加者諸君、我はここだ!
レベルが欲しくば、早くここまで辿り着いてみせろ!」
その言葉に煽られ、さらに火が付く参加者たち。
英人としては、すぐにでも追って彼女を止めたい。
しかし目の前で殺し合いが起こるのも無視出来ない。
「……っ」
苦渋の思いで英人が振り返った時。
「――悪いけど、ちょっと通るよ」
暴徒の群れが、後ろから真一文字に引き裂かれた。
「な……!」
「…………嘘」
突然の光景に英人は目を丸くし、『覚者』ですら驚嘆の声を漏らす。
アスファルトがひび割れる程の凄まじい衝撃により、周囲に煙が立ち込める。
その中から藍色の長髪を振り回しながら現れたのは――
「……ふぅ、すごい人。あの程度のエサでも意外と釣られる人は釣られるもんだね。
正直微妙な特典だと思うけど、普通の人たちには魅力的に映るのかな?」
180を超える長身、長い手足に豊かでありつつも引き締まった身体。
それは人体という観点から見れば、完璧という表現以外見つからない程の美女だった。
「……黄、赤天」
「今度はしっかり服を来て参上したよ、八坂殿。
それで其処にいるのは――」
彼女の名は黄赤天。
最大の人口を持つ国が誇る、最高の『異能者』。
そんな最強の美女はビルの上にいる黒いヒトガタをすーっと見上げ、
「現在進行形でフラれている人、で合ってる?」
わざとらしく目を細めた。




