剣客稼業~隙あらば他人語り~⑩『命の為に、吠え続ける』
――なんとか全部防いだか。
英人は刃こぼれした刀をチラ見し、一安心する。
結果としては全部防いだが、相手も達人だ。多少は危ない場面もあった。
しかし相手の技への対策は完璧にしてある。
首都圏に存在する剣術流派については全てリサーチ済みで全て頭に入っている。
記録にあった技はもちろん防げるし、いわば口伝で継承されているような初見技もなんとか自前の反射神経と防御技術で防ぎ切った。
相手の表情を見る限り、自分の技を全て防がれるというのはかなり応えるらしい。
とりあえず剣術勝負は一応決着をしたとみていいだろう。
しかし堀田の言葉が正しければ、この空間からはどちらかが死ななければ出られないという制約がある。
これがかなり厄介だ。こちらは別に堀田を殺す気はない。
一応ここは現実世界に存在する道場のようだが、厄介なことにどうやら空間が『固定』されているようだ。
完全に外界と遮断されているわけではないみたいだが、簡単には脱出したり連絡を取ったりはできないだろう。
おそらくフルパワーで魔法を放って道場ごと壊してしまえば話は別だろうが、そんなことをしたらこの道場の周囲にも被害が及ぶ恐れがあるので出来れば避けたい。
その際の騒ぎで堀田を取り逃がす危険性だってある。
……堀田と話したほうがよさそうだ。
「少し場が温まったところで――ここにはいない『他人』について、話そうか」
「『他人』? 私やお前のことではなくてか?」
堀田は呼吸を整えつつ聞き返す。
わざわざ自分から話に食いついてくるあたり、相当疲弊しているとみえる。
これならばこちらが話している限り相手がなんらかのアクションを起こす恐れはない。
……好都合だ。このまま話し続けよう。
「ああ。こう見えても訳アリでね、自分語りはあまりしたくないんだ」
まああまり大っぴらに話したい過去でもないしな、と英人は心の中で付け加える。
そのまま一拍おいてからゆっくりと話し始めた。
「――まずは一人目。名前は杉山雄介という」
英人は一呼吸置き、続ける。
「彼は東京都出身の19歳。
父は幼い頃にDVが原因で離婚し、離れ離れになっている。
それ以降は母が女手一つで彼を育ててきた。今時珍しくもないシングルマザーの家庭だ。
しかし父は無職だったため養育費は望めず、生活費を稼ぐにしても学や社会経験も乏しい母にできる仕事は限られていた。
昼はパートを掛け持ち、夜はスナックなどでの水商売。
彼自身は母が仕事で大変だということは知っていたが、片親であることを理由に学校では常に好奇の視線に晒されていた。
その反発で彼はいわゆる『不良』になった」
「……やめろ」
堀田はぼそりと零す。
それでも英人は言葉を続ける。
「――しかし母の体は過重な労働に耐えきれず、ついには倒れてしまう。
その時、彼はただの高校生。
一人で生きていくには金を稼ぐ必要があった。
しかし学生がアルバイトで稼げる金などたかが知れてるし、そもそもトラブル続きでどれも長くは続かなかった。
その頃からだ。彼が都内の半グレ集団『バアル』に入ったのは。
そこは脱法ドラッグの販売で儲けており、彼もそれに積極的に関わって生活費を稼いだ。
他にいくらでも道はあったはずだが、この道を彼は選んでしまった。
あまりにも浅はかに思える選択だが、それは彼なりに生きる術を模索した結果でもあった。
当初は母にそのことは隠していたが、ある日些細なことがきっかけでバレてしまう。
その時の彼の態度は『バレたからなんだ。俺がお前の分も稼いでやってんだ』というものだったらしいが、それに対して母は激怒した。
そして生まれて初めて、息子の頬を叩いた。
その手は弱々しく、僅かな威力もない平手打ちだったけれど」
「やめろ」
「頬を叩かれた時、彼はしばらくボーっとしていたという。
だがその後、涙を流した。そして誰に言われるでもなくひたすら母に対して謝った。
何度も頭を床に叩きつけた。
生まれて初めて受ける母の平手打ちで、自分がしていることの愚かさを知った。
母もまた一心不乱に泣きながら謝る息子を抱きしめ、泣いた。
――これが、殺される三日前の出来事」
「やめろ!」
英人がひとまず言い終えた瞬間に堀田が斬りかかる。
だがこれまでの太刀筋と比べたら、てんでなってない。
身に付けた武術のことなど忘れ、ただ感情だけを刀に乗せて振ってくる。
いくらなんでもそんなものは通用しない。
事もなさげに英人はその斬撃を刀で受けとめる。
「ぐッ……、くそっ」
二人の間の距離は僅か数十cm。その間で両者の刀が交差している。
力任せに刃を押し付けてくるせいで堀田の刀が鍔の辺りから悲鳴を上げている。
「……話を続けよう。次は二人目。名前は川内翔太と言う」
「やめ……ろ」
「彼は埼玉出身の23歳。父母共々元ヤンのヤンキー一家だ。
遺伝のせいかは分からんが、息子である彼もまた中学校に上がる頃には立派な『不良』になっていたそうだ。
高校生になっても喧嘩に明け暮れる日々……ちょっとした番長格にもなったこともある。
そんな彼が高校卒業後、そのまま『バアル』に入ったのも自然な流れかもしれない」
さすがに力をこめ続けるのがしんどくなってきたのか、堀田は刀を押す力を抜き、間合いを取る。
「『バアル』の中での彼の役割はまさに切り込み隊の一員だ。
その腕っぷしを利用して、ありとあらゆる抗争で暴れてきた。
鉄火場に真っ先に突っ込むその性分からか、舎弟からの人望もかなり厚かったらしい。
しかしとある抗争で後遺症が残るようなケガをしてしまい、前線を離れることになる。
それが契機となって『バアル』を抜ける決意を固め、第二の人生を歩もうと決意した。
その第一歩として地元のラーメン屋に弟子入りしたのが、今からおよそ一月前の出来事だ」
「……もう、いいだろう」
「いやまだだ。あと三人いる」
「もういいだろう!」
その叫びと共にまた堀田が感情に任せて斬りかかる。しかしその太刀筋があまりにも稚拙だった。
今度は刀で受けるまでもないとばかりに、英人はただ避ける。
刀が空を斬ってもお構いなしに堀田は斬り返してくるが、まるで問題にならない。
英人はひたすら避けつつ言葉を続けた。
「三人目は溝口純太。東京出身の18歳だ。
彼は渋谷で活動する半グレ集団『ネメシス』の一員だそうだ。
半グレ集団と言っても別に何か凶悪犯罪をするでもない、ただのヤンキーの集まりというのが実態らしいが。
やってる悪事といえばポイ捨てや落書き、喧嘩がほとんど。彼自身も多少補導歴があるくらいだ。
ちなみにどうやら最近彼女ができたらしくて、結構嬉しそうにしてたらしいぞ」
「やめろ!」
堀田は刀をひたすら振る。
最早その姿は「武道家」ではなく、ただ刀を握った男が暴れているに過ぎなかった。
「四人目は平田伸二、歳は21歳だ。
横浜を中心に活動する半グレ集団『ルシファー』に所属しており、顔こそあまり出さないものの主要メンバーで人望も厚かった。
どうやら結構可愛いもの好きみたいで、ハムスターを飼っていたらしい。
名前は『のん太』と『キュー子』というそうだ
ちなみに居酒屋でアルバイトをしていて意外にも勤務態度はいたって真面目。
先月は時給を50円も上げてもらったそうだ」
「もうやめろと言っている!」
「最後は松井浩人。こちらも『ルシファー』のメンバーで歳は19。
平田の弟分的な存在で平田が殺された時はチーム内で誰よりも悲しんでいたそうだ。
本来であれば犯人である貴様に報復しに行くはずだったが、とある刑事の説得によりなんとか踏みとどまった。
そして警察が犯人を逮捕してくれると信じて待っていたその時、殺された」
そしてひとしきり言い終えた後、静かに呼吸を整えた。
そうこれが、英人の語りたかったもの。
それは義堂をはじめとした警察官たちがかき集めた、彼ら五人の人生そのもの。
英人が改めて目を向けると、堀田の表情は疲労の頂点に達していた。
刀を持つ腕はだらんと下がり、ぜぇぜぇという呼吸の音だけが聞こえてくる。
「……もう……いいだろう」
堀田は掠れた声で肺から絞り出すようにして言う。
「とりあえず全員分話したが、まだまだ足りない」
「そのような奴らの話をして何になる! 奴らは鍛錬もせず、ただ弱者だけを殴っている愚か者たちだ!
それを斬ることに躊躇もいらん! 武道とは悪を斬るためにある!」
堀田は顔を上げて英人の方に向き直る。
表情こそかなり焦燥しきっているが、それでもなお語尾を荒らげて反論する。
「今話した事実を知っていて尚、殺すというのか」
「……そうだ」
「言っておくが俺が今話した内容は彼らの人生のほんの一部分に過ぎない。
もし彼らが生きているのなら、それはもっと増えていただろう。
それこそ、この場では語り切れないほどに」
「だから何だというのだ!」
堀田は再び声を荒らげる。
「確かに彼らは半グレ集団に所属している『不良』だ。善良な一般市民と呼べるような連中では決してない。
でもただの『不良』として切り捨てずに丁寧に調べれば、こんなにも色んなエピソードや人間模様が浮かんでくる。
だから……」
「ぐっ……!」
「決して貴様の身勝手で斬り捨てていいモンじゃあない」
英人はかつての戦いを、思い起こす。
あの世界で、色んな人や種族の生き様を見てきた。それこそ死に様も。
戦いの中で出会ったそんな人達の全ての有り様が、ちっぽけな俺を成長させてくれた。
命の一つ一つが、尊い。
――だから俺は死んでいった命のために、吠え続ける。
「武道を修めれば正義すら自然に手に入ると思い込んだその浅はかさが、貴様の敗因だ」
「黙れぇ!」
堀田は怒りに任せて刀を振ってくる。
相変わらずひどい太刀筋だ。堀田は完全に武術の存在を忘れてしまっている。
刀が歪な弧を描き英人の体に迫る。
だが英人はそれを、あえて避けなかった。
削れた刃が体に届く。
肩に食い込み、鎖骨を折る。
「さすがに、少し痛いな」
そしてそのまま動脈に達したのだろう、左肩から血が勢いよく噴き出ているのが分かる。
「や、やった……!」
堀田は自身の斬撃が当たったことに喜び、さらに刀を英人の肉体に押し込む。
肩に食い込んだ刀は肉を押しつぶすように裂き、肺を潰し、やがて心臓にまで達した。
――この感覚……久しぶりだな。
そう心の中で呟いた次の瞬間、英人の意識は切れた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
道場の中央に、一人の青年が倒れる。
肩からは血を吹き出し、道場の床を赤く染めている。
「ハァ……。ハァ……!」
堀田は息を切らしながらその場に座り込んだ。
……この青年相手に何度刀を振っただろうか。もう腕が悲鳴を上げる寸前だ。
最早最後の方はヤケになっていたが、相手に油断があったのかなんとか当てることができた。
青年の体は少しの間ピクピク動いていたが、すぐに動かなくなる。
……死んだな。
五人も殺した経験上、どこまで斬れば死ぬのかは感覚的に分かってしまう。
堀田は青年の死亡を確信した。
その確信通り、青年の死体は転移を始める。
堀田の『異能』の効果通り、連れてきた場所へと戻るのだ。
転移先はあの路地裏、これで六人目も完了となる。
残された刀と大量の血を見、堀田は一息つく。
血痕は早めに掃除しないとな……。
そう思い立ち上がろうとした時、道場の戸が開く音がした。
確かに青年が死んだことで『異能』は既に解除されている。道場に入ることは可能だ。
しかしこのタイミングでいったい誰が!?
堀田は音がした方へと振り返る。
そこには――
「神奈川県警の義堂 誠一だ。殺人の現行犯で逮捕する」
一人の刑事が立っていた。
義堂と名乗る刑事はご丁寧にも靴を脱ぎ、道場に上がってくる。
堀田は焦る。
何故、ここが特定された……?
誰にも邪魔されず、そして捕まらずに弱者を斬る為の『異能』であったはずなのに、こうも簡単に見つかってしまうとは。
安堵しきっていた堀田の表情は、再び焦燥に歪んだ。
どうする、と悩む間にも目の前の刑事はこちらに一歩一歩近づいてくる。
「既に応援も呼んである。武器を手放し、おとなしく投降するんだ」
義堂は懐から手錠を取り出す。あと数秒の間に、堀田は逮捕される。
どうする。どうする。
極限の状況の中、ある考えに至った。
――何故私が逮捕されなければならないのか、と。
そうだ……俺は身に付けた武術を使って「良いこと」をしているはずだ。
だから私は正しい。
目の前の刑事は「応援は呼んである」と言っていた。
……つまりはある程度時間がある。ならば今対処すればいいのは彼一人のみ。
邪悪な殺意が堀田の精神を塗り潰す。
気が付いたら、立ち上がって刀を構えていた。
「やめろ! たとえ俺を殺してもどうにもならない! これ以上罪を重ねるな!」
義堂の叱責が道場内に響くが、堀田の耳にはもう届かない。
もはや堀田の精神を支配しているのは最早「どうやって目の前の男を殺すか」という一点のみ。
(警察官だから拳銃を持っている可能性はあるが、まだ取り出してすらいない。
……この距離なら、先に斬れる!)
長年積み重ねてきた鍛錬通り思い切り踏み込み、一気に距離を詰める――
が、しかし。
「ぐ……グゥッ……!」
堀田は脇腹に違和感を覚え、その場にしゃがみ込んだ。
何故か体が全く言うことを聞かない。
そして違和感はすぐに鈍い痛みへと変わっていった。
「ぐううぅむ……!」
まるで腹の肉をえぐり取られたかのような激痛に、堀田はうめき声をあげる。
一体、自分の脇腹に何が――
あまりの痛みに脂汗を流しながらも、シャツをたくし上げて痛む箇所を確認する。
「な、あ……!?」
そこには、拳の跡があった。
それはまるで刺青でもしたかのようにはっきりとした輪郭を取っており、色は内出血によってドス黒く変色している。
一体いつの間にこんなものが――
突然の出来事に堀田はパニックに陥るが、何とか苦痛に歪む思考をフル回転させて状況の把握に努める。
おそらく、自分と同様に驚いている様子から見て目の前の刑事がやったものではない。
ということはまさかあの青年が? いやしかしそんな素振りなど一度も――そう思った時。
「――うおおおおおっ!」
堀田が混乱した瞬間を好機とし、義堂が迫力ある叫び声と共に突進してきた。
「くっ……!」
堀田はすかさず応戦しようとするが、脇腹の激痛のせいで体が思うように動かず動作がワンテンポ遅れる。
その隙を見逃す義堂ではなかった。
スムーズな手つきで刀を持つ手を押さえ、そのまま腕と肩を腕固めの要領で極める。
堀田は道場の床にうつ伏せになって倒れる形で取り抑えられた。
「く、そ……!」
どうにか脱出しようと試みるが腕と肩は完全に極まっており、さらには義堂の膝で背中を押さえられているため自力で起き上がることもできない。
ここまできてようやく、堀田は観念した。
「午後9時43分、犯人確保!」
義堂は力の抜けた手から刀を取り上げその手首に手錠を掛けると、高らかに逮捕を宣言した。
――一方、その頃。
「う……ん……よし。なんとか生き返った」
転送元の路地裏で、死んだはずの青年がちょうど目を覚ましていた。
次回で剣客編は終了です。




