己が責務を果たす者①『お前それサバンナでも同じこと言えんの?』
お待たせしました、新章スタートです。
――何の為に、医者になったのか。
それはこの職業に従事しているものならば、誰もが一度は思い浮かべた問いだろう。かく言う私もそうだ。
いや、よく考えたらこれは医者以外もそうなのかもしれない。
とにかく、決まって私が出す答えはこうだ――「それは、目の前で苦しんでいる人を助ける為」、と。
傷ついている人を放っておけない。
人として生まれた以上、出来るだけ長く生きていて欲しい。
単に医者という職業は、それにうってつけだったという訳だ。
そう、富豪でも、貧民でも、命の価値は同じ。
苦しんでいる以上、私はどんな命だって救ってみせたい。
――そう、思っていた。
「時間だ、来い」
たどたどしい英語が、格子の外から私を呼ぶ。
ここは、とある反政府組織のアジト。
私はこれから、そこの兵士たちを治しに行く。
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アフリカ、スマリ共和国。
サハラ以南のサバンナ地域に位置する、小国家である。
かつては西欧列強の植民地として搾取され続けた歴史を持つが、1960年代の「アフリカの年」を経て独立。民族自決の理想の下、晴れて独立国家としての第一歩を踏むに至った。
しかし、その歩みは混乱と流血の連続だった。
記念すべき第一回の大統領選挙では旧王族のネイラン=スマリが当選したのだが、彼は徹底した民族主義的政策をとった。
まず手始めに植民地時代より地域の行政を担っていた白人官僚を一斉に更迭。その代わりとして自身の一族や有力者たちを行政の要職へと就けた。また国内の鉱山、油田についても完全なる国有化を断行、かねてより開発を主導していた西欧資本を追い出した。
結果、スマリ国内は極度の政治的・経済財的混乱に見舞われることとなった。
高いノウハウと技術を持っていた西欧人を一方的に追い出したことで行政能力が大幅に低下し、また資源の開発も滞った為である。もちろん西欧先進諸国との関係は悪化し、ODAなどの資金援助も受けられなくなり経済の再生も大幅に遅れた。
当然国内では反発の声も上がったが、ネイランはその軍事力を背景にその全てを封殺。「反国家分子」として徹底的な弾圧を加え、さらにはそれを口実にして自身の権力と軍事力の強化を図った。
そしてその横暴が頂点に達した1982年、ネイランはついに王国を復活させ自ら国王を名乗るに至る。王政への移行は国内におけるネイランの権力と軍事力の強大さを表していたが、逆にそうしなければ国内を纏めきれないということも同時に示してもいた。
まさしくその事実を証明するように、かねてより実施されていた少数民族に対する迫害はさらに暴力性を増し、またインテリ層に少なからずいた民主主義者についても苛烈な処分が加えられた。
いつしか「スマリ族第一主義」は、「ネイラン第一主義」へと歪な変貌を遂げていたのだ。
経済においても、格差の拡大が続いた。
1970年代後半にようやく自国による資源開発が軌道に乗ったが、その富は王家が独占し、国民には回らなかったのである。
格差の拡大は治安の悪化を生み、国土の荒廃を招く。
そうして1980年代も半ばになる頃には暴動の頻発と経済の停滞により、スワリは世界でも有数の貧乏国家となっていた。
それを見た先進諸国は相次いでネイラン体制を非難し同時に援助を申し入れたが、ネイラン自身は「また我等を奴隷にするつもりか」と一蹴。いかなる援助や介入をも許さない断固たる姿勢を崩さなかった。
強大な権力、過剰な軍事力、危機的な経済、苛烈な差別政策。およそ独裁国家における汚点と欠点を並べ立てたような体制に変化が訪れたのは2008年、ネイランが78歳で死去した時だった。
独裁の象徴であったネイランの死は、スマリ国内において俄かに民主主義運動を復活させるきっかけとなった。各地では民族、宗教問わず民主制の復活を望む運動や暴動は相次いだ。
これに対し軍部は弾圧を加えたが、結局は民主派が押し切り、2009年には旧王族の遠縁ながらも改革派であったカタベリ=スマリが大統領に就任。
彼はただちに前政権おける過ちを認め、民主主義的政策や差別の撤廃、軍の特権廃止などといった政策を推進。国名も「スマリ共和国」へと戻し、世界の主要国からの承認も得て民主国家としての再スタートを切るに至る。
しかし、ネイラン体制下で特権を得ていた軍部はこれを不服とし、共和国政府に対し蜂起。翌年には『正統スマリ』を設立し、本格的な反政府活動を開始した。
それからおよそ十年、今なおこの国では内乱の状態が続いている――
「――縫合完了。
これで、今回の手術は終わりよ」
質の悪い縫合器具を置き、血まみれのオペ服に身を包んだ女医は小さく息を吐いた。
「……これで、治るのか?」
隣では、AKを携えた兵士が拙い英語で話しかけてくる。
手術の時でさえ、終始その銃口は向いたままだった。
「……あいにく、断言はできないわね」
女医がそう答えると、兵士は表情を厳しくした。
医者ならば絶対に治せ、と言わんばかりの態度だ。
「軽傷者はともかく、四人目の患者は五発もの銃弾を受けた重体だったのよ。
設備の整った病院ですら難しいものを、こんな野戦病院みたいな場所で簡単に治せると思わないで。出来るだけ速やかに大きい病院に移送しなさい――医者として私が言えるのはそれだけ。
ああ、まだ麻酔は抜けきってないから、ちゃんと安静にしておいてね?」
マスクと手袋を取りながら、女医はスタッフ達に指示した。
ちなみに彼等も、女医と同様に脅されて強制的に連れてこられたクチだ。
「……兵士はともかく、もし明日の大佐の手術をしくじれば、分かっているな?
エヴァ=オルドリッジ」
手術室を出ると、先程の兵士が地下牢へと誘導しながら話し掛けてくる。
エリザベスと呼ばれた女医は小さく笑い、
「……殺されたくらいで患者が助かるのなら、いくらでもそうされてあげるわよ」
精一杯の皮肉で返した。
◇
「……はぁ」
粗悪な夕食を食べ終え、連合王国出身の女医、エヴァ=オルドリッジは大きな溜息をついた。
「もう、十日か……」
十日前まで、エヴァはNGO団体の一員としてこの地で医療活動を行っていた。
差別を受けた少数民族、『正統スマリ』による被害を受けた市民、さらには極度の貧困により病院にいけなくなった重病患者まで。エヴァは少ない資金、限られた設備や人的資源を最大限に駆使して彼らを可能な限り助け続けた。
しかし今、反政府組織である「正統スマリ」に拘束され、市民を傷つける張本人たる彼等の治療をさせられている。さらに明日にはステージⅢの癌患者である「正統スマリ」代表、ムガヒ大佐の手術が控えている状況だ。
無論、彼等だって同じ命だ。
銃弾や爆弾の破片によって苦しむ姿を見るのは、やはり見るに耐えない。
だがそれでも完治した彼等が再び市民に銃口を向けると思うと、罪悪感を禁じ得なかった。
「……そう言えば、本国ではどう報道されているのかしら?
確か十年くらい前に、日本の大学生が捕まったってのはあったわね……その時はかなり問題になってたみたいだけど」
とりあえず独り言を続けてみたが、やはり気は晴れない。
医者には、命を救うという責務がある。
多くの人はその理想を重荷に感じるかもしれないが、それでもエヴァ自身は真剣にそれを追及してきた。
救うべき命に、貧富も貴賤も関係ない。
だからこそ多くの人が苦しんでいる、このスマリの地で働く事を周囲の反対を押し切って決めたのである。
なのに、この体たらくは何だ。
団体の仲間を死なせ、その癖自分は我が身可愛さに反政府組織の首領や兵士たちを治している。彼等が、この国で多くの人々を傷つけていることを知っていながら。
(……これが、私の目指していた医者なの……?)
自身の矮小さと弱さに、思わず視界が濁った。
何が、天才だ。何がノーベル医学生理学賞確実だ。
今の自分は、安直なヒロイズムに酔っただけの愚物ではないか。
エヴァは懐からそっと、メスを取り出す。
「学生時代に暇つぶしで覚えたマジックが、こんな所で役立つなんてね……」
手術中はもちろん兵士の監視付きであり、自殺や反抗防止の観点から医療器具の持ち出しはチェックされる。
だが上手くやれば、メスの一本くらいならくすねることも可能だ。
エヴァはメスの切っ先を、頸動脈に押し当てた。
(そうだ。
助ける命よりも、間接的とはいえ殺す命の方が多くなってしまうくらいなら……!)
死んでしまおう。
そう思い、メスを思い切り引こうとした時。
「――それは困る。
無事に本国まで送還することが、私の責務だ」
突如響いた流暢な英語が、女医の自棄を止めた。
「え……!?」
エヴァは思わず顔を上げる。
静かな空気を纏った、男だった。
色素の抜けた茶髪と、やや陰影の濃い顔の造形。おそらくは同じ連合王国人で、年はおそらく三十前後だろうか。
だがその顔は無表情で、黄色い瞳にはおよそ感情と呼べるものがなかった。
体の大部分を包むトレンチコートも、その無機質さに拍車をかけている。
「……まずはここから脱出する」
驚くエヴァに構わず、男は鍵を使って手早く牢屋を開けた。
おそらくは、『正統スマリ』の連中から奪ったものなのだろう。
ここにきてようやく、エヴァは自身が救助されているのだという理解に至った。
「え、えっと……だ、誰……!?」
とはいえ、状況を全て飲み込めたわけではない。
迅速に脱出の準備を始める男の背に、エヴァは思わず問いかけた。
(自分を助けるとなれば、多分本国の人間。
だとしたらSAS? それともMI6?)
彼女の心中では、期待と緊張が入り混じった感情が駆け巡る。
だが、
「……ケネス=シャーウッド。
連合王国直属の、『国家最高戦力』だ」
男は短く、そして簡潔にエヴァの予想を裏切った。




