いちばん美しいのは、誰⑰『ファン一号』
「……なんか、周りが騒がしくなってきましたね」
「確かに……」
午後一時。
軽い腹ごしらえも終え、引き続き構内を回っていた時の事だった。
英人と真澄はどうも周囲がざわついていることに気づく。
むろんお祭りなので多少騒いでいる位なのが普通だが、これはどうにも様子がおかしい。
英人が少し聞き耳を立ててみると、
「おい、いま映研でやべー映像が流れてんだってよ!」
「マジで!? 何!?」
「やべぇ、行こ行こ!」
そんな感じの会話が次々と入ってきた。
どうやら映画研究会で何かあったらしい。
「映研て、うちのサークルの中でも一、二を争うほど歴史の長いサークルだろ?
そんな趣味の悪い作品を作るか?」
「確か今年は……ありました。
『四丁目の子羊たち』っていうタイトルですね。
内容もビラを見る限り、近所の子供たちによる冒険譚といういかにも健全そうな感じですが……」
真澄は入り口で配られていた映研のビラを見ながら首を傾げる。
英人も横から覗いてみると、夕焼けに染まる住宅街をバックに「いつもの道から一本逸れれば、そこはもう異世界」といういかにもなキャッチコピーが書いてある。
確かに、キワモノ系という感じでもなさそうだ。
「とはいえいま見に行くにしても、この盛況ぶりだと厳しいか……」
英人はおもむろにスマートフォンを取り出し、SNSを見てみる。
内容について何らかの情報があればと思っての判断だ。
早速「#映画研究会」で検索し画面をスクロールして見ると、
「これは……」
スマートフォンのカメラで撮られた件の映像が、山のように出てきたのだった。
――――
「――つまり、本来の映画ではなく別の映像が放映されてしまったってことだな。
それも久里浜律希に関するスキャンダルの隠し撮りが」
「ですね……」
20分後、再び中庭。
状況の確認をしつつ一旦落ち着くため、二人はペットボトルのお茶を飲みながら休憩をとっていた。
既にキャンパス内は久里浜律希によるパパ活の件で持ち切りであり、SNS内でも炎上騒ぎになっている。
昨日の辻堂響子の件も響いていたのだろう、拡散するスピードが尋常ではない。
「しかしこうも問題が続くとはな。
裏アカにパパ活……良く考えりゃどちらも別に犯罪じゃないし、大したことではないんだが。
やっぱクイーン早応のファイナリスト、っていうブランドを考えるとって感じか」
「……」
「どうした、真澄ちゃん?」
英人が視線を戻すと、真澄は俯いたまま口を開いた。
「何だか、不安な気持ちになっちゃって……。
このままクイーン早応が無事に終わってくれるのかなって」
「なに、ただの偶然だ。
人間、生きていれば後ろ暗いことの一つや二つはある。
だからこういう趣味の悪いのはこれっきりにしてもらいたいものだが……」
英人はキャンパス内を闊歩する来場客たちに目を向ける。
田町祭りを心から楽しんでいる層も勿論いるが、大多数がスマートフォン片手に撮影とSNSに勤しんでいる。
先程にも増して、異様な光景だった。
この近辺も比較的都内の中心地と言える場所ではあるが、ここまではなかった筈。
午前にミシェルが言った『サン・ミラグロ』という言葉が英人の脳裏にちらつく。
「……少し、電話を掛けてくる。
少しの間待っててくれ」
「電話ですか? どちらに?」
「義堂宛だ」
「義堂さんに……!」
真澄は得心したように声を跳ね上げる。
英人の小学校時代まで彼の一家は近所に住んでいた関係上、真澄も義堂のことは知っている。
といっても当時の彼女は四歳とかなのでさすがに記憶はおぼろげだが。
「せっかくの警察関係の知り合いだからな、ちょっと相談してみるよ。
んじゃ」
「はい!」
英人は一旦席を立った。
校舎の陰で電話を掛けると、ものの2コールで繋がった。
『……義堂か?』
『ああ、ハァ、八坂か!
ぜぇ……どうした!?』
それは紛れもなく義堂の声だったが、運動でもしているのか妙に息が荒い。
『……すまん、その前にお前大丈夫か?』
『なんとか……なっ!』
電話口から響く轟音。
遠くからは、銃声のようなものも聞こえる。
これらのヒントから、英人の完全記憶能力はすぐに結論を導きだした。
『……まさか、リチャード・L・ワシントンとやり合っているのか?』
『正確には、くっ、スパーリング形式の鍛錬だ!
ぬっ、おおおおぉっ!?』
義堂の雄叫びの直後に、凄まじいまでの爆音が聞こえてくる。
十や二十ではきかない数だ。
『だ、大丈夫か?』
『どうやら手加減はしてくれているようだからな……ギリギリなんとかなってる。
それより、用件は何だ?
お前がわざわざ掛けてくるってことは、ハァッ、急ぎの件だろ?』
『ああ、それはだな――』
義堂の状況を鑑み、英人は可能な限り手短に説明した。
『なるほど、ふっ! ミシェル=クロード=オーテュイユの来日に、異常なまでのスマホ依存か……!
ぐっ! つまり先日の実家での騒動が、はぁっ! そのまま早応大学でも起こりつつあるということだな!?』
『そういうことだ』
『状況は分かった!
それで俺は何をすればいい!?』
そう叫ぶ義堂の裏では絶えず轟音が響いている。
(すまん義堂、死ぬな)
こんな時に電話を掛けてしまったことにとてつもない罪悪感を覚えつつ、英人は口を開く。
『ああ、そのことだが――』
――――
『――以上だ、出来るか?』
『分かった! うぉっ!? 上に掛け合って何とかする!
幸い「国家最高戦力」になったことで形だけでも権限は増えたからな!』
『助かる』
その時、至近距離で何かが爆発する音が響いた。
『ぐっ、おおおおおっ!?』
『! 大丈夫か!?』
大声で呼びかけるが、返答はない。
代わりにカン、カン、と無機質な落下音が電話口から聞こえてきた。おそらくは衝撃で手からすっぽ抜けてしまったのだろう。
そのまま数秒静かになった後、
『……おや、誰に電話しているかと思ったら君か、元「英雄」。
いやはや京都の一件以来じゃないか』
英人としてはあまり聞きたくない声が、響いてきた。
『……随分と手荒な鍛錬をやってるようだな?』
『そりゃあ一国の安全保障を背負う役職についたからね。
一日でも早く使えるようにしとかないといけない。多少熱が入ってしまうのも当然だろう?
何、同盟国のよしみだ。間違っても殺したりはしないさ』
『で、当の義堂はいま無事なのかよ?』
リチャードは遠くを眺めるように少しの間を置く。
『うーん……おお、気絶させるつもりで撃ったが、何とか意識をつないでいるじゃないか!
ハハハ、素晴らしい!
想像以上にタフだな君の親友は!』
『……まぁ、無事ならそれでいいが』
英人がそう言うとリチャードは鼻でフフン、と笑った。
『まぁ、とにかく彼については私に任せたまえ。
それよりミシェル嬢の件だよ。彼女、いま日本に来ているそうじゃないか』
『なんだ、知ってたのか』
『まぁね。
いやぁ、最初会った時は驚いたよ。いきなりこちらの手を握りつぶそうとしてくるのだから。
アフリカからゴリラを輸入したのかと当時は驚いたものさ、ハハハハ!』
『……まぁ、そこは同感だな』
答えつつ、英人はさりげなく周囲を確認する。
万が一にでもあの怪力貴婦人に聞かれたら一大事だ。
『それと……ああそうだ、田町祭りだったかい?
君の所属している大学では今面白そうなイベントをやっているそうじゃないか。
……行ってみてもいいかい? いいだろう?』
『いや来るな、絶対に』
英人は全力で拒否し、電話を切った。
画面に表示される時刻を確認すると、ちょうど13時30分。イベントが始まる時間だった。
(そういや今日も大ステージでファイナリストが色々やるんだったか……)
現在絶賛炎上中の久里浜律希はどうするのだろうか、と英人が思った時。
「ひ、英人さん!」
後ろから真澄の声が聞こえてきた。
声色から察するに何かあったらしい。
何事か、と思いつつ英人が振り向くと――
「すみません、どこか……落ち着ける場所はありませんか!?
律希ちゃんが休めるような……!」
その傍らには、憔悴した様子の律希がいた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「――とりあえず、ここなら大丈夫だ。
余計な連中が入ってくる心配もない」
部屋の電気をつけると、雑多に置かれた資料や備品の山が目に入る。
ここは田町キャンパスの教授等に設けられた、ヒムニス専用の個室だ。
とはいえ彼自身は主に港北キャンパスの方を根城としているので、半ば物置のようになっている。
「は、入っちゃっていいんですか? こんな所……」
「ちゃんと部屋の主の許可は取ってあるから大丈夫。
……しかし、ここの鍵を使う時がこようとはな」
英人は古ぼけた鍵を見ながら呟いた。
この鍵自体はヒムニスから「使うことがあるかもしれないから」と半ば押し付けられる形で受け取ったものだ。
大方掃除やら整理やらに駆り出されるのだろうと思っていたが、ここで役に立つとは思いもしなかった。
「少々埃っぽいだろうが、勘弁してくれ。
ここ以外は当てがないんでな」
「……」
「大丈夫か?」
「……っ!
は、はい……!」
律希は怯えたように頷く。
ついさっきまでの様子とは大違いだ。
「律希ちゃん、あの件があってから性質の悪い観客に追い掛け回されてたみたいで……。
私、偶然その様子を見かけて思わず引っ張ってきちゃったんです」
「そうか……」
「すみません、勝手に英人さんを巻き込んでしまって……それに久里浜さんも」
「いえ、そんな……お陰で助かりました」
そう言って、律希は近くにあったパイプ椅子に力なく座った。
「とりあえず、しばらくはここで休んだ方がいい」
「ですが、クイーン早応が……」
「それで心と身体を病んだら元も子もない。
まずは休息が最優先だ」
英人は諭すように言い、振り向いて窓の外を見る。
ちょうど大ステージでは律希を抜いたファイナリストたちによるイベントが開催されていた。
その周囲にはおびただしいまでの観客も集っている。
「……もう、始まってますよね。今日のトークイベント」
「みたいだな」
小さく答えると、律希は身体を縮こまらせた。
「なんなんでしょうね、この気持ち……。
最初はギャラも貰えるし、あくまで名前を売れれば良いって思ってた筈なのに……。
こんなことになった途端、なんででしょう、もったいなく感じるというか。
もっとやりたいと思ったというか…………すごく、悔しい……!」
「律希ちゃん……」
真澄は律希の肩にやさしく手を置く。
その肩は冷たく、そして小刻みに震えていた。
重く、静かな時間が流れていく。
やがて、ぽつぽつと独り言のように律希は零し始めた。
「……あの映像の通り、パパ活をやっていたのは、本当です。
先程も言ったように実家は裕福ではありませんでしたから……学費を自分で賄うために、やっていました。
最初は一回だけで止めよう思ってたんです。
でも想像以上に実入りが良くて楽だから、そのままズルズルと……。
真面目ぶっときながら、軽薄な女ですよね本当に」
「……」
「……今更ながら、理解しました。
こんな女、選ばれるわけありませんよね」
律希はそのまま、死んだような目で俯く。
英人はすぐには返答せず、ただ大ステージの方へと聴覚を集中させた。
『まさかぁ、律希先輩がパパ活してるなんて思いもしませんでした。
あんな真面目そうな人だったのに、裏ではあんないやらしいこと……。
せっかく投票している人がいたのに、これはひどい裏切りですよぅ。ねぇ響子先輩?』
『なんで私に振るのよ……まあこのご時世、やっててもおかしくないんだし別にいいでしょ。
歴代のファイナリストやグランプリだって彼氏くらいいただろうし。あんたもそうでしょ?』
『ええ、何言ってるんですかぁ~。
私彼氏どころか男子の友達もいないんですよぉ? 無理無理です。
あ、だから私現在彼氏募集中です! お友達からでもいいですので!』
と、律希のスキャンダルをダシに暴れまわるひよりの猫なで声が聞こえてくる。
さらに悪質なのは、それで観客が盛り上がってしまっているということだ。
ある意味たくましいが、これでは昨日と同じだ。
英人は聞くことを止め、静かに口を開いた。
「……悔しい、と言ったな?」
「え?」
律希は涙の滲む目で、英人の方へと顔を向けた。
「本気でそう思ったのなら、泣き寝入りなんてしちゃだめだ。
せっかくここまで来れたんだろ?」
「でも、私がパパ活をやっていたのは本当のことで……!」
「別に、俺の知り合いにはクラブでバリバリ働いている人だっている。
今更パパ活くらいでグダグダ言いたくねぇよ。
それに……」
そして英人は振り返り、
「君が今まで頑張ってきたことは事実なんだろ? 勉強も、クイーン早応も。
パパ活だってその一環みたいなものだ」
「……」
「だったら、胸を張れ。
虚勢でもいいから」
英人はそのまま歩き、入り口のドアに手をかけた。
「ど、どこへ……」
「別に、ちょっとしたお膳立てだ。
このままじゃさすがに厳しいだろうしな」
そう言うと、律希は慌てたように掛けよってきた。
「なんでそこまで……!
この部屋を案内してくれただけで充分ですから!
これ以上は……! 別に八坂先輩がやる義理なんてどこにも……!」
確かに律希の言う通り、今の英人が彼女のために何かやる理由は特にないと言える
。
だが偶然だろうが既に乗り掛かった船、ここで降りる気は毛頭ない。
(そうじゃなきゃ、今日まで戦ってこれたかよ)
それに、この件とて『異能』ひいては『サン・ミラグロ』と関わりがないとは言い切れない。
ならば、やることはひとつ――
「じゃあ今日一日、俺は君のファンになる。
これなら文句はないだろ?」
「えっ、え?」
戸惑う律希の肩に英人は優しく手を置く。
「あの一年は、君のことをファンの期待を裏切ったとかどうとか言っていた。
なら、今度は目の前で君がファンの期待に応える様を見せてやろう……というわけだから真澄ちゃん、ちょっと留守番たのむ」
「はぁ、仕方ないですね。
頼まれました!」
真澄は笑顔で頷く。
その前の『はいはい、分かってますよアナタ』感は少々気になったが、今はいいだろう。
英人は再び律希に向き直る。
「じゃ、行ってくる」
「は、はい……」
ぼーっと見てくる律希をよそに、英人は重いドアを開く。
「……さて、勝手に暴露するってのなら、最後まで見てもらおうじゃねぇの。
久里浜律希という女をよ」
その顔は不敵に笑っていた。