いちばん美しいのは、誰⑮『まずは握手から』
「ミシェル=クロード=オートゥイユ……」
反芻するように、英人はその名を呟いた。
第五共和国が誇る最強の『異能者』――以前、ヒムニスからも聞いたことがあった。
長い歴史においても数少ない女性『国家最高戦力』。
むろん実力も折り紙付きで、これまで数々のテロや事件を解決してきたという。
それが今、目の前で優雅に微笑みながら立っている。
英人が思わず見つめ続けていると、
「……ふふっ。
そんなに見つめられたら、恥ずかしいですわ」
ミシェルは手を口に当ててクスリと笑った。
英人は慌てて姿勢を正す。
「あ、ああどうも失礼。なにぶんいきなりだったもので。
えーと……八坂英人です。
おそらく、既に御承知のとおりだろうが」
「これでご丁寧にどうも。
お会いできて光栄ですわ」
そう言い、ミシェルは右手を差し出す。
握手を求めているのだろうと思い、英人は軽くその手を掴む。
しかしその瞬間。
「――っ!」
万力にでも締め付けられたかのような苦痛が、右手を襲った。
思わず正面のミシェルを見ると、優雅ながらも覇気のある笑みでこちらを見ている。
「ふふ、驚かせて御免なさい。
初めて会った殿方には、こうするようにしておりますの」
その間にもギリギリと骨の軋む音が響いてくる。
このままでは握り潰されると思い、英人もミシェルの手を握り返した。
「……あら、まあ」
するとミシェルの眼光は鋭さを増した。
「……随分と、強引な挨拶だな。
祖国じゃこれがスタンダードなのか?」
「ええもちろん。
これも淑女の嗜みですわ」
二人の肉と骨が、ギチギチと嫌な共鳴音を鳴らす。
そのまま両者は際限なく力を込め続け、いよいよ骨に亀裂が入ろうかという瞬間。
「……成程、よく分かりましたわ」
ミシェルはするりと手を引いた。表情もいつの間にか優雅なものへと戻っている。
英人は指の腱をほぐしながら、やれやれと首を振った。
「それで、お気に召して頂けたと?」
「ええ、合格です。
少なくとも共闘できる程度の力はある、そう確信いたしましたわ」
「試されていたのか……ま、分かってはいたが」
英人は小さく息を吐きながら椅子に座る。
「ふふ、少々不躾でしたわね。御免なさい。
でも安心いたしました」
「何が?」
英人が尋ねると、ミシェルは返事をもったいぶる様にゆっくりと着座し、
「だって、いま最も実績を上げている『異能者』が実在したということですもの」
「実績ぃ?」
英人の言葉にミシェルは優雅に笑った。
「――横浜に、伊勢崎村。そして最近では京都」
「!」
英人がピクリと眉を動かすと、ミシェルはさらに言葉を続ける。
「他にも色々と首を突っ込んでいらっしゃるようね……しかもその全てを見事に解決。
そんな人物がフリーだなんて、この国は相当に人材が有り余っていると見えます。
本当に、羨ましい限りですわ」
「なるほど。
つまり第五共和国が誇る『国家最高戦力』様は、そのフリーの実力を見込んでわざわざご挨拶に来てくださったと?
いやはや光栄だ」
「ふふ……」
そのまま、テーブルを挟んで二人の視線が交差する。
空間すら歪みそうな眼光同士の衝突に、ほんの一瞬だけ周囲の時間が静止した。
「……このあたりにして、本題に入りましょうか」
「……だな」
英人は僅かに肩の力を抜いた。
息を吐きつつ、ペットボトルの緑茶に口をつける。
「そうですね……まず、教皇猊下の来日についてはご存じ?」
「ああ、実に四十年ぶりの来日だとか。
もしやその護衛で?」
「それもあります。
ですがメインはあくまで来日前の露払い。この意味、お分かり?」
「……成程」
英人は腕を組み、納得したようにうなずいた。
露払いとはつまり、危険因子の排除。
また危険因子とはさしずめ『サン・ミラグロ』のことだろう。
京都の一件で幹部の一人である永木陽明は倒したが、いまだ残りは日本に潜伏し続けている可能性が高い。
リチャード・L・ワシントンと同様に、彼女もかの組織を倒すためにはるばるこの国までやって来たのだ。
「それで、わざわざ早応大学に来た理由は?」
その問いに、ミシェルは指を二本上げた。
「一つは単純に地理的な要因。
猊下は当日都内におられるご予定ですからね……そして二つ目は、」
「二つ目は?」
ミシェルは優雅に笑い、
「勘、ですわね」
英人はおもわず真顔になった。
「……勘って、あの勘?」
「ええ、間違いなくその勘です。その程度の日本語は分かりましてよ。
一応の根拠もあります」
「根拠?」
英人がそう言うと、ミシェルは僅かに姿勢を前に倒して英人の顔を覗き込む。
「それは、貴方がいるから」
「……ほう」
その言葉に、英人は肯定も否定もしなかった。
英人自身、そう思う部分があったからだ。
「いま挙げたこれらの事件、全て貴方の身の回りで起きています。
もちろんほとんどの場合において貴方は偶然巻き込まれただけの、いわば被害者に近い立ち位置ですが……それでも、事件の鍵となったのはいつも貴方。
だから今回も貴方の周囲で何かが起こる、そう踏んだわけですの」
「そして何かが起こるとすれば、それは田町祭期間中であると?」
「ええ」
ミシェルはゆっくりと頷く。
「既に貴方のご実家とそのお隣さま……確か白河さん、でしたか。
両家が警察沙汰に巻き込まれているという情報は入ってきています。それもおそらく『異能』が関わっているであろうことも。
既に、事態は静かに動き始めている」
「まあ、そうだな。
しかしかなり調べてるな……一応はプライベートなことなんだが」
「我が国の諜報部は優秀で御座いますから……失礼」
そう言ってミシェルは白のバッグからとある物を取り出した。
それは日本の飲料メーカーが製造元の、円柱形の紙パックに入ったカフェオレだ。
「少し喉が渇いてしまいまして。
日本に来た時は、いつもこれを嗜むようにしていますの」
ミシェルは得意げに笑い、ストローを指して優雅にそれを吸う。
西欧の貴婦人が市販の飲料を飲むという姿は、中々にギャップのある光景だった。
「……ふぅ。やはりこの甘さがよろしいですわね。
この国は無糖派が多いと聞きますが、やはり珈琲は甘くないと……貴方はどうです?」
「ミルクは入れときたい派かな。ブラックでも飲むけど。
……それで話は戻るが、『国家最高戦力』としてはこの田町祭、奴等はどう動くと踏んでる?」
その問いにミシェルは静かに紙パックを置き、
「何が起こるかは皆目見当もつきませんが、誰が動くかは確信しています。
……それは『サン・ミラグロ』の最高幹部、『使徒』」
「その心は?」
「もちろん、勘です」
ミシェルは優雅に笑った。
「まあでも確かに、予感はあるな。
現状影も形も見えないが」
「ですが時機が来ればすぐにでも姿を現すでしょう。
『サン・ミラグロ』、世界に不要な血を流させる不届者。
この手で握りつぶすよい機会です」
カフェオレを飲み終えると、ミシェルはすっと椅子から立ち上がる。
「……俺にやって欲しいことはないのか?」
「お互い仲良く戦う、というタイプでもないでしょう。
情報共有は必要ですが、基本は単独で動く方が効率もよいかと。
それなりの実力をお持ちであることは、確認できましたからね」
(それなり……意外と毒舌だな、この人)
少々と棘のある言い方に戸惑いつつ嘆息していると、
パシャリ。
シャッターを切る音が聞こえた。
「すげ、まるでヨーロッパの貴族みてーじゃん」
「やべぇやべぇ!
早速SNSに乗っけちまおうぜ!」
視線を向けると、おそらくは大学生と思われる二人組がこちらにスマホのカメラを向けている。
お祭りとは言え、マナーどころか肖像権違反だ。
流石にひとこと言おうと英人は立ち上がろうとするが、ミシェルが先んじて二人の前に立った。
「許可も得ずに撮影だなんて……美しいものをつい撮りたくなってしまう気持ちは分かりますが、少々礼儀がなっていないのではなくて?
日本人は礼儀作法を重んじる民族と聞きますが、貴方がたはそうではないのですか?」
「あ、えと……」
「いま撮った写真、消して下さる?」
ミシェルは微笑み、二台のスマホを同時に掴んだ。
「ちょ、離せ……!」
「いいから、消して下さる?」
「ウソ、動かね……!」
二人は思いっきり腕を引くが、スマホはまるでコンクリで固められたかのようにビクともしない。
押しても、引いても、上下に振ろうとしても駄目。
「……あら、意外と非力ですのね」
「……っ! テメェ!」
ミシェルの挑発に、学生は拳を振りかぶる。
しかしその瞬間。
「――がっ、あっ……!」
「ぐく……うっ!」
声にならない声を上げながら、二人は同時に地面に跪いた。
見ると、いつの間にかミシェルは二人の手首を掴んでいる。
「さぁ、お早く。
さもないと手が片方なくなってしまいます」
「あ、が……ああ!」
おそらく、凄まじいまでの握力によるものだろう。
激痛によって二人はまともにしゃべる事すらできない。
「ええと……何でしょう?
すみません、私あまり日本語には詳しくなくて……。
何を言っているのかよく分かりませんわ。
それに……」
ミシェルは二人を見下ろす。
「貴方たち、とても臭いますわ。
まさか下水で体を洗ってらっしゃるの?
この国の水道はとても綺麗だと聞いていたのですが……とても残念です。
まさかこのような学問の府でドブネズミと出くわすなんて」
「おい、もうそれくらいに」
「……そうですわね。
少々おいたが過ぎました」
見かねた英人が声をかけると、ミシェルは優しく手を離した。
「さぁ画像、消して下さいますね?」
学生二人は凄まじい速さ首を縦に振る。
そしてその場で画像を消し、逃げるようにその場を去って行った。
「ふふ。一件落着いたしましたし、私も失礼させていただきますわ。
それではごきげんようムッシュー・ヤサカ。
次は戦場でお会いしましょう」
それに続くように、ミシェルも日傘をさして優雅に歩き始める。
英人はその背中を見ながら、
「……ゴリラか、あの女」
瞬間、足元に衝撃が走った。
「淑女にその言い様は、感心しないですわね?」
「……以後、気を付ける」
ニコリと笑ってミシェルは再び歩き始める。
それと入れ替わるように、後ろから聞きなれた声が耳に入ってきた。
「英人さーん、英人さーん!
お待たせしましたーってあれ? どうかしました?」
「まあ、ちょっとした嵐に遭遇したというかなんというか……」
「へ? 今日は晴れですよ?」
真澄はキョトンと首を傾げる。
「いやこっちの話だ、何でもない。
それより衣装合わせはもう終わったのか?」
「はい! そりゃもう高速で終わらせてきましたよ!
こんなこともあろうかと、ここ数日はチャーハンを制限してましたからね! おかげで一発OK!
今の私は無敵です!」
「はは、そいつは何より。
じゃ、行くか」
「はい!」
真澄は元気よく頷き、二人は同時に歩き出す。
その去り際の瞬間、英人はさりげなく地面を見た。
(……おっかねぇ)
英人は僅かに目を細める。
視線の先では、ストローがコンクリに深々と突き刺さっていた。