いちばん美しいのは、誰⑧『直談判』
――その人とは、私が生まれた時からずーっと一緒だった。
遊ぶ時も、食べる時も。
いつも隣の家にいて、いつだって一緒にいてくれた。
そして、いつしか私はその人に恋をした。
好きな人がすぐ隣にいるという、しあわせ。
それが私の日常で、この先もすーっと続いていくと思ってた――
「……お兄ちゃん」
十年前、春。雨がひどく冷たい日だった。
通夜を終え、斎場の中には家族と親しい知人だけが残っている。
写真の中で笑顔を見せているのは八坂英人の母、八坂月奈。
後で聞くところによると、死因はガンだったという。
斎場に、強い雨音が響く。
その中でお兄ちゃんは、ただ茫然と椅子に座りつくしていた。
「……お兄、ちゃん?」
「……ああ、真澄ちゃんか」
ひと目見ただけで、ひどい顔だということが分かった。
充血した目に、こけた頬。表情にはおよそ生気というものが感じられない。
見ている私の方が辛いくらいだった。
「あ、あの……大丈夫?」
「うん、まあ何とか……ありがとな、心配してくれて」
「……」
そう言ってお兄ちゃんはぎこちなく口角を上げてくる。
その様子が痛々しくて、私は思わず目をわずかに伏せてしまった。
重苦しい空気が、ずしりと全身に圧し掛かる。
……何か、何か言わないと。
そうしなければ、この人は――私はにじむ涙を拭い、顔を上げる。
「お、お兄ちゃん!」
「ん?」
「わ、わたしがいるから!
おばさんがいなくても、わたしがいるから!
だから大丈夫! 心配しないで!」
それは思いつく限りを口に出した、励ましの言葉。
雑な言い回しであるが、当時に私にはこれが精一杯で、本心だった。
「……真澄ちゃん」
「お、お弁当も毎日作る!
お味噌汁だってもっとおいしく作れるようになる!
洗濯も、掃除も!
だから……!」
叫ぶたびに、瞳からは涙がこぼれ出てくる。
本当は私がお兄ちゃんを励まさなければならないはずなのに、私ばかりが泣いている。
こんな時にしっかりやれない自分が、悔しい。
でもお兄ちゃんはそっと私の頭に手を置いて、
「……ありがとな」
そう、優しくほほ笑みかけてくれた。
眼には涙がにじんでいる。
その時、私は嬉しかった。
何故ならお兄ちゃんの悲しみを、少しでも肩代わりできたような気がしたから。
大丈夫。
今はとても悲しいけれど、私とお兄ちゃんなら、きっと。
……でも、そのわずか数日後。
英人さんは私の前から姿を消した。
――――――
――――
――
ベッドサイドに置かれた、スマートホンのアラームが鳴る。
「んん……」
真澄は寝ぼけた左手でそれを取り上げて画面を確認すると、表示される時刻は午前の7時。
気怠い表情を見せながら、真澄はベッドから上半身だけ身を起こした。
「夢……」
それは、今も脳裏に残る鮮明な記憶。
好きな人がいなくなってしまう前の、最後の景色だ。
あれから、十年以上が経つ。
「英人さん……」
互いに大学生となり、背格好も呼び方も変わった。
さらにこの密かな恋心はますます高鳴り、収まる気配を見せない。
だから――
「……うん、やろう」
覚悟を決めたように、真澄はベッドから勢いよく立ち上がる。
等身大の姿見には、可憐な少女の姿が映っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「昨日はエラいことになったな……」
吐き捨てるように呟きながら、英人は人と車の行き交う大通りを歩いていく。
時刻は午前の11時。
透き通るような秋晴れだが、それと反比例するように英人の心情は複雑だった。
結局、昨日の集団盗撮の件は警察沙汰にまでなった。
だがあくまで家を遠巻きに撮っていただけだというのと、他ならぬ真澄と友利自身が大事にしたがらなかったこともあって結局は厳重注意止まり。
今回の件は日中の放送に触発された一部ミーハーの暴走ということで片付けられた……というのはあくまで表向き。
というのも、盗撮していた者全員が記憶喪失のような状態だったのだ。
何故あんなことをしていたかを尋ねてみても「知らない」「分からない」の一点張り。
ざっと経歴を調べてみても犯罪まがいの行動を起こすような人物はおらず、警察の方も終始大混乱。
とりあえずは取り調べを続けるということで、二人は白河家にいったん待機ということとなった。
(……だが、さすがにこのまま看過するわけにもいかない)
目的地についた英人は立ち止まり、門のようにそびえ立つ校舎を見上げる。
ここは早応大学田町キャンパス。
明日より戦場となる場所に、英人は足を踏み入れた。
◇
田町キャンパスは大学発祥の地と言うこともあって歴史こそ古いが、敷地自体はあまり広くない。
単純な面積で比べれば港北キャンパスの方が倍近くある。
とはいってもやはり本拠地、学術関連の設備や蔵書は質も量も比較にならない。
それに学生の年次も上がるため、キャンパス内には比較的アカデミックな雰囲気が漂っていると言えた。
(……まあそれもあくまで平時のこと、だけどな)
英人は階段を昇りながら、ガラスの眩しい南校舎の下を通り抜け、中庭に至る。
するとそこでは――
「あ、そのパーテーションは第一校舎ね!」
「配線オーケー!
確認よろしくー!」
「はいはい皆もうちょっと巻いてー!」
祭りをいよいよ翌日に控え、最後のスパートに掛かっている学生たちの姿があった。
『……千年前も今も、祭りの前の騒がしさってのは変わらねぇなぁ。
見てて体が疼いてくる』
『いや今のアンタに体ないだろ』
念話で話しかけてくる『聖剣』にさらっと返し、英人は周囲を見回す。
わざわざここに来たのは、何も下見が目的というわけではない。
「あれか」
英人は早速目当ての場所を見つけ、足早に歩いた。
それは中庭の北側に鎮座する、特設ステージ――『クイーン早応』のグランプリが発表される場所だ。
「あの」
「……ん? あっ」
スタッフの一人と思われる学生に話しかけると、なぜか驚いたように口を開ける。
やや不審に思いながらも英人は言葉を続けた。
「クイーン早応の本部はどこ?」
「あっ、ああ……南校舎の201と202教室だ。
投票場所もそこになってる」
スタッフの学生はガラス張りの校舎を指さす。
「なるほど……どうも」
「いやでも今は関係者以外は……っ」
至極もっともなことを言い、スタッフは英人を引き止めようとする。
しかしその時、一人の美少女が割って入った。
「じゃあ、私はいいわよね?
関係者だし」
真澄と同じく急きょ『クイーン早応』に参加させられてしまった少女のひとり、東城瑛里華だ。
「お前……」
「昨日ぶり。
まあキャンパスは違うけど」
瑛里華は小さく笑いながら英人を一瞥、
「とりあえずそういうことだから。お仕事頑張ってね。
じゃ、行きましょ」
そうスタッフに言い残し、英人のシャツの袖を軽く引いた。
二人は同時に南校舎へと向かって歩き始める。
「……まさかお前も来るとはな」
「当たり前でしょ。
あんな無茶なことされて引き下がるわけにはいかないの。
それで、白河さんは?」
「自宅だよ。小田原さんも一緒にいる。
昨日ひと悶着あったんで今日はひとまず待機だが、本人はまだ出る気満々みたいだな」
「……そう」
瑛里華は短く答えた。
南校舎の二階に上がると、廊下では多くの学生とスタッフ達が行き交っていた。
当日は『クイーン早応』以外にも数多くの出し物なり運営なりが設置されるのだ、当然と言えば当然だろう。
視線を移すと、201と書かれた教室の扉は開放されている。
二人は早速その中へと入った。
「……いるわね」
中を見た瞬間、瑛里華は苦々しげに眉を吊り上げる。
その視線の先には――
「さぁさァオールメェン、いよいよ大詰めだ!
明日からはテレビカメラも入っちゃうから、細部までキッチリ頼むぜ!」
机に脚を乗せ、派手なピンク髪を揺らしながら指示をまき散らすYoShiKiの姿があった。
見ていて心地いいものではないが、いるならいるで都合がいい。
瑛里華は足音を鳴らし、さっそく今回の騒動の元凶へと詰め寄った。
「アンタが、平塚能芸さんね」
そう言うと、YoShiKiは金フレームのサングラスをずらして瑛里華を見上げる。
「……おーゥ、誰かと思ったら東城瑛里華チャンじゃーん。
いきなりすぎてボクちゃん思わずサプラァイズッ!」
「驚くのは勝手だけど、まずはこちらの質問に答えて。
……昨日のアレは、何?」
「アレ? ドレ?」
とぼけた素振りを見せるYiShiKiに、今度は英人が詰め寄った。
「彼女と白河真澄、二人の参加についてだよ。
ろくに許可取ってないそうじゃないか」
「……ほう。
で、君はどちらさん?」
「八坂英人。
ここの二年で、白河真澄とは幼馴染だ」
「にしては年が離れすぎてナーイ?」
「今は関係ないだろう。
で、質問には答えるのか答えないのか」
英人は目を細め、目の前のYoShiKiを睨む。
視線に怒気と迫力を乗せた、威嚇がてらの眼光だ。
常人であればまず震え上がるだろう。そうでなくとも一定の反応を示すはず。
しかしYoShiKiは飄々とその視線を受け流し、笑った。
「あー悪い悪いルイ十四世ヴェルサイユ。気を悪くしないでくれ。
うん、確かにボクちゃんが悪かった。発表が急すぎた。
でもねー仕方ない部分もあるのよ。各方面への色々な調整とかさァ。
業界人の悲哀よね」
(ものともしない、か。
単純に腹が据わっているからか? それとも――)
疑問が浮かぶが、考えていても仕方ない。
それよりも今のやり取りで分かったことが一つあった――それは昨夜の盗撮は、彼が直接やったものではないということ。
(昨夜の彼らの状態、明らかに『異能』によるものだ。
催眠か精神操作か……とにかく、この男は『異能者』ではない。
少なくとも実行犯ではないということだ)
英人は脳裏でそう推理しつつ、反論する。
「……だがその各方面とやらに、当事者は当然入っていてしかるべきだと思うが?」
「あー……うん、確かにそういう考えもあるねー。
でも二人とも一度はミス早応に出てるワケじゃない? だから今回も快く協力してくれるかなーって。
まァボクちゃんが早とちりしたのは事実だから、その分ちゃんとサポートはさせてもらうヨ!」
「あのね、サポートがどうこうっていう話じゃない。
私は断るって言ってるの!
それを伝えようとアンタら運営にメールや電話し続けているのに、対応できませんの一点張りで上に繋ぐことさえしない!
アンタ等、ふざけてんの!」
バン、と瑛里華は両手で机を強く叩く。
突然の音と怒声に、忙しなかった室内は一挙に静まり返った。
「ふざけてない、ボクちゃん大真面目さ」
「そう。でも私は辞退するわ」
「えーそいつは困るなァ。
まあ優しいぼくチャンはいいけど、ほらSNSとかじゃみんな期待してるワケじゃん?
それにエライ人とかさー、この企画にすごい投資してくれてんのよ。
辞退すると聞いたらがっかりするだろうなァ」
「このっ……!」
瑛里華は思わず歯噛みする。
もともと上昇志向の強い彼女にとって、業界関係の偉い方の心証を悪くするメリットはない。
勝手に決められたとはいえ、別にデメリットのある話でもないのだ。彼女一人が喚いたところで我儘としか映らない。
ならばこちらも手札を切るしかない、と英人は口を開く。
「だが、あんた等の雑な仕事のせいで警察沙汰にまでなってる。
この責任はどう取るんだ?」
それは迂遠ながらも、明白な脅しであった。
もしお前たちが好き勝手やるなら、こちらにも手段があるという意味での。
受けた方のYoShikiは困ったように顎をなでた。
「……ふぅん」
静まりかえった空気が、緊張でさらに重くなる。
部屋にいる誰もが、三人の一挙手一投足を注視していた時。
「――失礼する」
凛とした声が、突如室内に響き渡った。
入って来たのは、艶のある金の長髪を優雅にゆらすひとりの美女だった。
さらにその後ろには、
「全く、ただでさえ忙しいというのに……」
法学部二年、久里浜律希。
「あー東城さんじゃなーい。
こんな所で奇遇ー!」
経済学部二年、辻堂響子。
「ちょっと先輩がたってば歩くの早すぎ。
私あまり体強くないから、もう疲れちゃったぁ」
法学部一年、登戸ひより。
『クイーン早応』参加者のほぼ半数が一挙に集まっていた。
「……これはこれは、高島サン」
思わず下手に出るYoShiKiに、経済学部四年の高島玲奈はゆっくりと口を開いた。
「ああご機嫌よう、平塚さん。
……なぜ我々がここに来たか、お分かりかな?」
「昨日のことカナ?」
玲奈は眼を閉じて深く頷く。
「そうだ。
その件について、是非とも話がしたい」
交差する、少女たちの視線。
室内はさらなる混乱の渦に包まれた。