京都英雄百鬼夜行㉛『空の境地』
京都市、祇園。
「押せ、押し返せ!
『怪異』どもに鴨川を渡らせるな!」
『護国四姓』の西、西金神社の当主こと刀煉白秋は鹿屋野家の残党を率い、『怪異』たちと斬り結ぶ。
そしてそのすぐ後ろは、鴨川。そこを超えればいよいよ京都の中心街となる。
市内を囲む『護京方陣』が崩れてからしばらく、呪術師たちは文字通り背水の陣にて『怪異』の猛攻を防いでいた。
しかしいくら白秋が取り纏めたとはいえ残党ゆえに数は少数、これだけで万を超える『怪異』の大群を押さえられるはずもない。
それでも何とか戦線を維持できているのは、偏にこの男のお陰であった。
「ハッハッハッハッハ!
こいつは良い! 的が次から次へと目の前に湧いてくる!
いいぞ純子、もっとこちらに回せ!」
「はいはい……ほらよ!」
純子が煙草の煙をふぅと吐き出すと、周囲に散っていた『怪異』たちが一斉にリチャードの目の前へと転移する。
彼女の『異能』、『禁煙御法度』の能力だ。
そして戸惑う『怪異』たちの身体を、リチャードが放つ幾百もの光弾がすかさず打ち抜いた。
「しっかし何時見てもエグイねぇ。
火力に貫通力に連射速度、おまけに命中精度までバケモンときた。
ホント、アンタとだけはやりたくないよ」
「これはこれはお褒めに預かり恐悦至極。
ま、これも長年の鍛錬の賜物という奴さ……っと」
リチャードは引き金を引き、飛び掛かってきた『怪異』の頭を吹き飛ばした。
周りを見渡すと、既にいくつもの死体の山がうず高く積まれている。
だがその中から突然、巨大な触手のようなものが伸びてきた。
「く、食わね、ば……!」
それは『四厄』の一つ、『鵺』の腕。
その様々な生物の顎と口が混じった触腕は手当たり次第に『怪異』の死体を掴み、貪っていく。
「ほう。流石は伝説の魔獣、もとい怪異というわけか」
「はぁ!? あのバケモン、まだ死んでなかったのかい!」
倒したと思われた怪物の復活に驚く純子。
その間も鵺は次々と死体を齧り、みるみるうちにその肉体を膨張させていく。
「……傷、痛む。
治すために、食わねば食わねば」
度重なる損傷によりもはや敵味方の区別すらつかなくなったのか、死体がなくなると次は生きた『怪異』へと手を伸ばし、捕食を始める。
さらにリチャードたちへとその手が伸びようとした瞬間。
「『操刀奥義・刃界乱撃』!」
突如飛来した六つの刃が、その腕を切り落とした。
「おお白秋か。助かったよ」
「ふん、元より貴様に助けなどいらんだろう。
儂が助けたのはそっちの嫁のほうだ」
白秋が振り向くと、複雑な表情を浮かべた純子が立っていた。
「……ご無沙汰してます、お義父さん」
「お前も、此処に来ておったとはな。
上の意向か?」
「それもありますが、私自身の意思でもあります。
……そろそろ、次へと進まねばいけませんから。私も、お義父さんも」
「……そうだな。確かに、その通りかもしれん。
ならば共に戦おう。援護を頼む」
「はい」
そして白秋は静かに前を向くと、リチャードの隣へと立って刀を構える。
しかしよくよく見るとその呼吸は既に乱れ、額には薄っすらと汗が浮かんでいた。
「おや、もう息切れかい?
らしくないじゃないか」
「……もう何歳だと思ってる。
貴様と違って、儂はいつまでも現役と言うわけにはいかん。
それより今は奴を倒すぞ。……合わせられるな?」
「勿論」
リチャードはニヤリと笑い、二丁拳銃の銃口を『鵺』へと向ける。
しかしその瞬間、『鵺』は急に胸のあたりを押さえ、苦しそうにもがき始めた。
「ぐ、グウウゥゥッ!?
こ、これは何だ……い、命が取られる……!?」
「何が起こった……?」
当然の出来事に、白秋は思わず眉を吊り上げる。
周囲を見てみると、他の『怪異』たちも同様にもがき苦しんでいる様が目に映った。
「……どうも、嫌な予感がするな。
白秋、一気に決めるぞ」
その異様ともいえる光景にリチャードは目を細め、光弾の雨を降らせる。
しかしその多くが着弾する前に、『鵺』を始めとした『怪異』たちの肉体は黒く霧散し、天へと昇った。
「消滅した……?」
「……いや、違う。
あれを見ろ、白秋」
リチャードが銃口で指し示す方向を、白秋は眼で追いかける。
それはここから北北西――鹿屋野大社のある方角だ。
「なんだ、あれは……」
そして白秋は思わず驚愕に目を見開く。
それは一言でいうならば、膨張する闇。
霧散した『怪異』の肉体が、続々と集結して巨大化していく光景が広がっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
鹿屋野大社、最奥。
永木陽明を倒し乗り込んできた英人と杜与に、木蓮は禍々しいまでの笑みを浮かべる。
「これは……フ、予想以上だ。
まさか生命や種の壁を越えた境地に至れるとは!
さすがは『輪廻玉』、素晴らしい……!」
木蓮は笑いながら、自身の胸に埋め込まれた勾玉を愛おしそうに撫でる。
それは既に肉体とほぼ一体化しており、心臓のように鼓動を始めていた。
「『絶剣・画竜点睛』!」
英人は乗り込んだ勢いのまま、速攻の一撃を木蓮に加える。
一点集中の水槍は一瞬にして勾玉ごと胸部を貫き、綺麗な風穴を開けた。
しかし木蓮は余裕綽々《しゃくしゃく》とばかりにニヤリと笑い、
「無駄だ。
既に我と『輪廻玉』は一つ。ここを貫こうとさして意味はない」
勾玉と共に、その穴を瞬時に再生させた。
「な、なんという修復の速さ……」
「驚くにはまだ早いぞ、小娘。
我等の本当の力は、これからだ」
「――ッ!」
その禍々しいまでの表情に再び悪寒を感じ、英人は一気に間合いを詰める。
「『絶剣・流転』――!」
「遅い!」
しかしその剣が届く直前、上空から大量に降り注ぐ邪念の奔流が、それを阻んだ。
思わず吐き気を催すほどの圧倒的な量と濃度に、英人は杜与を抱えて飛び、距離を取る。
「八坂様!?」
「こいつは、予想を遥かに超えてきたな……!」
英人の頬に、一筋の汗が垂れる。
これまでも怪物や化物の類は嫌と言うほど見慣れてきた。
しかしここまで得体のしれない「何か」と対峙した経験は、百戦錬磨を誇るこの男といえど初めてだった。
「ああ集まってくる、宿ってくる!
数多の『怪異』ども命が、遺志が……この我が身一つに!
嗚呼なんという心地よさか!」
「八坂様、あれは……?」
「分からん。
おそらく『怪異』の力を吸収しているのだろうが……」
だが英人の言葉に木蓮は大袈裟に首を振り、
「違うぞ、兄よ。
これは吸収などと言う低次元なものではない。
我はいま京都中の『怪異』を全て浄化し、この我自身へと新たに生まれ変わらせた。
すなわち、これは輪廻。
幾万もの『怪異』の魂は昇華し、この永木木蓮ただ一人の魂へと統合されたのだ!」
一層邪悪な笑みを二人へと向けた。
つまり今の言が正しければ『怪異』たちは全て「永木木蓮」として転生し、一つの魂として纏められたということになる。
最早それは力の吸収ではなく、存在と運命の隷属化。
それを直感的に理解しながらも、英人は絶剣を木蓮に向け、構える。
「……まあ、大体は分かった。
だが輪廻だろうと何だろうと、『怪異』どもを一気に吸収したことには違いないだろ?
ならばここで倒し切れば、万事解決というわけだ」
「随分な大言だな。
なら我を滅せるか試してみるか? 兄よ」
「元より、そのつもりでここまで来た――『絶剣・龍哮千雨』!」
絶剣の切っ先から、幾千もの水弾が木蓮めがけけ降り注ぐ。
それはその一つ一つが並大抵の『怪異』や『魔獣』程度なら即座に絶命させる、必殺の魔弾。
点でダメなら、面。
英人は一気に木蓮の肉体を削りきろうと魔力を込めた。
「小癪な!」
しかし叫び声と共に溢れ出た邪気が水弾の全てを飲み込む。
まるで深淵と見紛うほどの濃い邪気は、光すらも吸い取るような虚ろな色で英人の視界を侵食する。
「嗚呼『怪異』の全てが、我となる!
数多の魂が我へと輪廻し、我という存在そのものが拡大していく!」
そして木蓮自身の肉体も、急激な変貌を始めた。
膨大な量の邪気をその一身に吸い取り、体の全てを闇と同化させながら膨張していく。
それは肥大化した魂が、人体という容れ物を必要としなくなった瞬間だった。
「ハハハハハ!
千年もの間地の底で封印されてきた甲斐があった!
お陰で『怪異』どもの魂が、まるで前世であったかのように馴染むぞ!」
「ちっ……、『再現変化・『大司教の御手』!」
このままでは、不味いことになる。
英人は『再現』によって浄化魔法をその身に纏い、闇そのものと化す木蓮へと突撃する。
「杜与! 援護頼む!」
「はい! 『華呪浄式・鮮花桃仙』!」
そしてその後ろからは満開の花を咲かせた桃の木が勢いよく伸び、邪気を払わんと英人を守護した。
「――足りん。
まるで、足りん」
だがそれらの攻撃も、まるで虚空を剣で切るかの如く木蓮には通じなかった。
正確には一定のダメージこそ与えられてはいたが、膨張するスピードがそれらを圧倒的に上回っていた。
木蓮は満足そうに笑い、天井を仰ぎ見る。
「我が我に満たされ……巨大な闇に、なる。
嗚呼今より現世の光悉く塗りつぶす、深淵とならん!」
その瞬間膨張する木蓮の肉体は独りでに上昇し、屋敷の天井を勢いよく突き破った。
「!? 空に飛んだのですか!?」
「分からん!
俺らも一旦出るぞ、掴まれ!」
英人は杜与の身体を抱え、『絶剣・熾天蒼翼』を展開して夜空へと飛び上がる。
そして周囲を見渡すが、それらしき姿はない。
どこだ、と英人が『千里の魔眼』を再現しようとした時。
「や、八坂様……あれ……!」
杜与が震える手で、さらなる上空を指さした。
そしてそこには、
『――我は今、天上の高みへと至った。
嗚呼、なんと心地よい景色か。
古の都も、鹿屋野も、みな等しく塵芥よ』
夜空よりも黒く輝く、恒星のような球体があった。
『我は全、全は我。
百鬼夜行をその身に宿し、我はついに存在すら超越する空の境地へ至った』
その深すぎる黒は、見るもの全てに根源的な恐怖を湧き上がらせる。
だがつい目を伏せたくなる光景であるのに、人々は視線をその闇から離すことが出来ない。
何故なら強すぎる光が人の目を寄せ付けぬように、強すぎる闇は引力のように人々の視線を引き付けるからだ。
『――そうだ。
我は、空亡。
光に汚れし世を、黒く照らす闇である』
それは、太陽。
夜空にあって光を塗りつぶす、黒き太陽がそこにはあった。