京都英雄百鬼夜行㉙『逆恨みの男』
『絶剣・画竜点睛』とは一転集中の突き技である。
それは絶剣の切っ先、面積でいえば1平方ミリメートルもない点から一気に水流を放出するというものだ。
放たれる水量は河川のそれに匹敵し、極限まで圧縮された水圧は如何な障壁すらも貫き、切り裂く。
それはたとえ、城壁のように生い茂る樹木の束であっても。
「ぬぐうぅっ!」
木蓮の肩から、鮮血が噴き上がる。
咄嗟に樹木による防壁を構築したがそれは紙の如く破かれ、水の槍は木蓮の肉体ごと貫いた。
そして樹木の壁には直径一センチほどの穴が残る。
「『再現変化』――」
蟻の一穴、しかしそれだけで十分。
英人は左腕を大きく振りかぶり、
「『大鬼王の剛腕』!」
鬼王の膂力で壁を吹き飛ばした。
「我が防壁をこうも簡単に……! 貴様、どこの者だ!?」
「別にどこでも。
今更そんなものにこだわりはねぇ!」
英人は剣を構え、再び木蓮との間合いを詰める。
既に距離は両者の間合い。
一呼吸の間もないうちに技の応酬が開始される。
「『木呪攻式・破戒木槌』!」
木蓮が繰り出すは、樹木を圧縮して造った巨大な木槌。
柱なぎ倒しながら迫りくるが、英人は踏み込みの速度を緩めない。
「『エンチャント・フレイム』!」
その体に纏うは、炎。
さらにはそれを大鬼王の剛腕に集中させ、木槌を真正面から打ちぬいた。
「『鬼王鉄拳・万炎』!」
激突の瞬間、轟音と熱風が竜巻のように舞い上がる。
それは衝撃だけで下級の『怪異』程度なら消し飛ばしてしまいそうな程の迫力だった。
「おおおおおっ!!」
さらに英人は咆哮一閃、左腕に魔力を込めて木槌を焼き砕く。
「――驩兜、覚悟!」
「ぐッ……、嘗めるな下郎!
『木呪防式奥義・羅生門』!」
そして急速に距離を詰める英人の前に出現したのは、木製の巨大な門。
それは平安の時代より都を守護し続けてきた大正門であり、この術はその力の一部分を再現するもの。
本来であれば『怪異』から人を護る為の術式。
まさしく歴史の皮肉とも言える術を、英人は炎の拳を以て正面からそれを殴る。
しかし先程の樹壁とは違い、門はビクともしなかった。。
「これは我の編み出した最強の防御術式だ。
その程度の力で破れると思うな!」
「そうか、なら……破れる力で押し通る!」
「何!?」
「『絶剣・流転八連瀧』!」
瞬間、大河と見紛うほどの水流が羅生門に激突した。
圧倒的な水量と、都を守護してきた正門。
両者は悲鳴のような軋音を周囲に響かせる。
「はああああっ!」
「ぬうううううぅっ!?」
拮抗する両者の攻防。
地面すら割りそうな程の圧倒的な攻めと守りの衝突は、技の同時消滅という形で幕を引いた。
「ぬくっ……我が『羅生門』を……!
貴様……!」
「これでもう、俺たちを遮るものはなくなったな」
英人は絶剣を構え、鋭い双眸で木蓮を睨む。
両者の距離は既に二メートルもなかった。
「……成程、強い。氷姫の心臓を貫いただけのことはある。
だが、あの男ほどの怖さはない」
「刀煉、一秀とやらのことか?
さっきの様子と言い、よほど嫌な思い出があるらしいが」
「我が人外なら、奴は理外よ。
奴ほど武と戦に愛された男を我は知らん。
それに比べれば、貴様はまだ理から出きってはおらん」
「……つまり俺はまだまとも、と」
軽口で答えながら、英人の脳裏に一つの心当たりが浮かぶ。
(直感だが、どことなくあの伝説と被るな……)
その男もまた、異界の地にて武の神に愛されたと伝承される者だった。
しかし英人はすぐに余計な思考を振り払い、目の前の敵に集中する。
「とはいえ勝つのは難しい、か。
……仕方ない、貴様を倒すため予定を少々繰り上げるか。
「何をするつもりかは知らんが、それを黙ってさせると思うか?
ここがテメェの終わりだ、驩兜」
「それを決めるなよ、貴様が――陽明!」
「はっ!」
木蓮の呼びかけに、陽明が後ろから英人に斬りかかってきた。
「ちっ……!」
英人は振り返りながらその斬撃を受け流し、即座に体勢を整え木蓮と再び対峙する。
その間、僅かコンマ数秒。
しかし千年に一人の天才にとって、それは十分すぎる時間だった。
「良くやった、陽明。
――『木呪召式・化外門』!」
木蓮の前方から、再び巨大な門が現れる。
しかし今度はその扉は開き、中からは大量の『怪異』たちが溢れるように飛び出してきた。
「しばしの間、こ奴らの相手をしておるといい。
では行くぞ、陽明」
「は、初代様」
「ちっ……、待て!」
英人は瞬時に数体の『怪異』を斬り捨て、そのまま木蓮たちに追いつこうと踏みこむ。
しかし木蓮はニヤリと笑い、
「おっと、忘れていた。こ奴も返さねばな。
樹木越しとはいえ、あまり持っていると老いが移るわ」
樹木によって縛っていた金麗の身体を、英人に向かって放り投げた。
英人は咄嗟にそれを抱きとめる。
「あ、あ……」
「おい、生きてるか!?」
息はあるが、目の焦点が合わず呂律が回ってない。
おそらく意識が朦朧としているのだろう。
英人は再び視線を上げる。
「……ちっ」
しかし既に木蓮と陽明の二人の姿は本殿の奥へと消え去っていた。
――――
数分後。
「ぬ、ぬ……?」
「金麗様……!」
「起きたか」
本殿の中央にて、金麗がようやく意識を取り戻す。
痛む身体を起こして周囲に目を向けると、室内は『怪異』の死骸と樹木の残骸で溢れていた。
「な、なんじゃこれは……」
「アンタが気絶している間ずっとドタバタしててな。
ちょうど今、ひと段落ついた所だ」
「貴様、東の……」
ぜぇぜぇと息を乱しながら、金麗は英人を睨み上げる。
「とにかく驩兜と永木陽明は奥へ行った。
俺は今からそれを追う」
「なっ、お、奥やと……っ!」
「金麗様……?」
金麗は静江の肩をつかみ、身を乗り出すようにして本殿の奥を睨む。
「な、ならん!
あそこには、我が鹿屋野の秘宝がっ……!」
「ん、何かあるのか?」
「はいこの奥、鹿屋野大社の最奥には秘宝や呪具を祀る社がございます」
怪訝に尋ねる英人に、杜預が静かに答える。
「奴に、あれを渡してはならん……っ!
もし手にしてしまったが最後、今度こそ本当に京が滅びて……」
金麗の鬼気迫った表情を見るに、よほど危険な代物なのだろう。
英人は軽く肩を回し、その方向へと振り向いた。
「成程、なら俄然急がないといけないか」
「であれば、わらわも同行いたします」
「杜与お前……」
英人が呟くと杜与は金麗の傍らに座り、その表情を見る。
「金麗様」
「……杜与」
「驩兜、いえ永木木蓮が言ったことは、事実なのですか?」
「……我らは『護国四姓』、その歴史に汚点があってはならぬ」
杜与の言葉に金麗はしばらく押し黙った後、絞り出すように漏らした。
「しかし歴史そのものが誤りであったというのなら、正さねばなりませぬ。
たとえそれが、汚点であったとしても」
「だがそれでは『護国四姓』筆頭としての面目が立たぬ。
考えてもみぃ、名があるからこそ我らはこの京都を護り続けてこれたのだ。
名を失えば、どうにもならぬ」
金麗の言葉に、杜与は小さく首を振る。
「いえ、違います金麗様。
真に必要なのは強き意思と誇り。
名とは、その後に付いてくるもの」
「何……?」
「わらわは今からその意志と誇りを示す為、行きます。
鹿屋野家の当主として……静江」
「はい」
静江は即座に膝をつき、頭を下げる。
「そなたには傷ついた者たちの手当てと、それから引き続き本殿の警護をお頼みします」
「かしこまりました。
命に代えても守護いたしますのでどうかご心配なさらぬよう、ご存分に」
「感謝します、では」
そして杜与は立ち上がり、英人の方へと振り返った。
憑き物が取れたような、吹っ切れたような、そんな据わった表情が月光に浮かぶ。
「……どうやら、話は纏まったみたいだな」
「ええ、では参りましょう。
この古の都を護る為に」
その言葉に英人は無言で頷く。
そして二人は共に本殿の最奥へと向かうのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
鹿屋野大社本殿、最奥。
鹿屋野家が誇る呪具や宝物が保管されており、宗家の中でも一部の者しか入る事を許されない最重要区画。
もし許可されていない者が入ろうとすれば、強力な呪いが掛けられる仕組みとなっている。
「……児戯だな」
しかし木蓮はそれをやすやすと解除し、悠々と部屋の中を進んでいく。
他にも呪術による障壁や罠が襲い掛かるが、いずれも届くことはない。
まさに『護国四姓』の始祖たる力の差が、ここにも表れていた。
「……これだな」
そして木蓮は最奥の一角にて、厳重に封をされた小箱を取りだす。
木蓮が呪文を唱えて封印を解除すると、中からは手の平ほどの大きさをした、浅葱色の勾玉が現れた。
「それは、まさか……」
「『輪廻玉』、と呼ばれる宝物よ。
伝承では我の代よりも遥か昔、大陸からこの地に伝来したという。
兄も知っておったか」
「いや知っていたわけではありませぬが、似たような物を少し。
しかしそれとは大きさが全然……」
「ほう他にもあるか。
興味深いの……陽明」
「はい」
木蓮は目を細め、永木は鞘に手をかける。
扉の向こうからは、徐々に近づいてくる二人分の足音が響いていた。
「少々、時を稼げ。
我はこれより儀式に入る」
「御意に御座います」
そして木蓮が呪文を唱え始めると、陽明は扉を開いて部屋の外へ出る。
そこには、杜与と英人の姿。
「……永木、陽明」
「これは杜与様」
一本に続く廊下で、三人は対峙した。
「鹿屋野を裏切ったのは、そなたが永木の末裔だからですか?」
「ええ勿論。
我等が祖先を謀殺されて、恨むなという方がおかしいでしょう。
初代様の血を利用したかったのか一族に情けはかけられましたが、盗人猛々しいとはこのことです。
おかげで我々永木一族は、手に入れるべき栄華を失った」
「その末路が、テロリストの手先ってわけかよ」
「本来であれば、この大社は我らが一族の物であるはずでした。無論『護国四姓』としての地位も、力も。
だから私は有馬様を頼ったのです。
この不条理に抗うための力を、手に入れる為にね」
陽明は剣を鞘から引き抜き、構える。
そして微かに笑みを浮かべた瞬間、
「――憑魔、来臨」
陽明はその切っ先を、自身の胸へと突き刺した。
「お、お……オオオオオオッ!」
噴き上がる鮮血が、陽明の身体を這うように覆っていく。
すると人の形をしていたものが、人ならざる何かにメキメキと音を立てながら変容を始めた。
そのおぞましいまでの光景に、英人はとある言葉を思い出す。
「『悪魔憑き』、か……!」
それは、異世界における一つの現象であり禁忌。
「悪」という概念そのものである『悪魔』の力を、人の身に宿す行為である。
元が人間だからだろうか、酒呑童子のような『魔人』とはまた違った嫌悪感が、腹の底から湧き上がってくる。
「……剣を交える前に、いま一度名乗っておきましょうか」
変容を終えた陽明は、朱く光る瞳で二人を睨む。
その肉体は、木と肉が混じったような質感をしていた。
胴体からは四本の腕が長く伸び、その先端には鋭利な爪が無数に枝分かれしている。
そして下半身では木の根のような脚が無数に蠢き、背中には枯れ木で形作られた翼を大きく広がる。
その姿はまさに、
「私は『サン・ミラグロ』使徒第七位、『逆恨』の永木陽明。
これより我が歴史を汚した全てを、恨む」
樹木と人の悪意が融合した、異形そのものだった。