京都英雄百鬼夜行㉕『修羅場に集う』
「マジかよ……!」
突然の光景を前に、英人は驚愕の声を上げた。
京都市を囲む『護京方陣』が、急に支えを失ったように力なく崩れていく。
しかも一部分が崩落したのではなく、城壁全体が等しく一斉に。
それは英人の考えうる限り、最悪の光景だった。
「どういうことだ、一体」
英人は歯噛みしつつも現状把握のために思考を巡らせる。
壁外における戦況自体は、間違いなくこちらが押していた。
酒呑童子はたった今倒したし、現状ミヅハたちがやられた様子もない。
こちらを無視して壁へ直接向かった『怪異』たちもいたが、そのほとんどは破魔矢の雨に阻まれて突破できずにいた筈。
つまり『護京方陣』が外から破られる要因などないのだ。
となると考えられるのは、
(術自体が妨害された、か……?)
湊羅は『護京方陣』を鹿屋野の術式だと言っていた。
おそらくは杜与を始めとした呪術者たちが鹿屋野大社で術式を展開しているのだろう。
つまり壁の崩壊状況を鑑みるに、そこで何らかの問題が発生した可能性が高い。
「グオオオオオッ!」
「ススメッ、ススメェッ!」
英人がそう考えている間にも、大量の『怪異』たちが市内に向けて進軍してくる。
しかしまともにやっても勝てないと悟ったのだろうか、その全てが英人と周囲だけを綺麗に避けて進んでいる。
こうも逃げに徹されると、さすがの英人でも全てを防ぎきることは難しい。
「『エンチャントライトニング・フルボルト』!」
ならば、と英人は雷撃を身に纏い、移動の準備に入った。
既に市内に敵がいる以上壁外で戦い続ける理由は薄く、そもそも『護国四姓』側が市内に十分な戦力を残しているとは思い難い。
おそらくはそのほとんどを壁の上に配置していた筈だ。
であれば今やるべきはいち早く戦力を纏め、市内に第二の防衛線を築くこと。
「はぁっ!」
そう決心した英人は勢いよく跳躍し、ミヅハの元へと急いだ。
――――――
「ミヅハ!」
「おお契約者よ、来たか!」
英人が水の壁を突き抜けると、そこにはミヅハと湊羅が立っていた。
向かい側には氷姫の姿も見える。
「いったん場所移すぞ!
このままじゃ京都がヤバい!」
「おうさ!」
ミヅハはそのまま飛び上がり、絶剣へと憑依する。
「『絶剣・熾天蒼翼』!」
そして英人は最大出力を以て三対六枚の大翼を展開させた。
「――ッ! 行かせへんよ!」
英人の思惑に気づいた氷姫は即座に氷柱を射出し攻撃する。
しかし英人は翼を縦横無尽に薙ぎ、その全てを切り裂いた。
「悪いが、時間がないんでね」
「くっ、どこまでも私の邪魔を……!
殺す! 殺してやる!」
氷姫は苛立ちに表情を歪ませ、さらに冷気を周囲にまき散らす。
それは空気中の水分すら瞬時に凍るほどの温度。
彼女はそれを自身の周囲に収束させ、
「『絶凍領域』!」
一気に英人に向かって解き放った。
時間すら凍り付いてしまいそうな絶対零度の冷気が、英人目掛けて迫りくる。
しかし英人は静かに息を吐き、冷気の嵐を見据えながらゆっくりと絶剣を構えた。
「――合わせろっ! 御守湊羅!」
「――っ! う、うん!」
英人からの叫びに、湊羅は戸惑いながらも力強く頷いて答える。
湊羅と英人は会ってから日も浅く、共に戦うのも今日が初めて。
しかし同じ水使いだからか、湊羅はいま自分が何をすべきかが直感的に理解できた。
(そう、それは水の流れるように――!)
「『絶剣・流転八連瀧』!」
「『龍神瀑布』!」
二人から放たれたのは、圧倒的な大質量の水。
そして二つの大きな流れは途中で合わさって一つとなり、空中で深淵の冷気とぶつかり合った。
「おおおおっ!」
「はあああっ!」
本来であれば、冷気の前に水はただ凍りつくのみ。
しかし純粋なる物量の力は凍るスピードすらも押しとどめ、両者の力は拮抗する。
このまま状況は膠着するするかと思われたが、
「グ、ふ……ッ!
し、心臓、が……っ!」
氷姫の口から、突如として大量の血が溢れた。
心臓を失ってからかなりの時間が経過したせいで、彼女の肉体は執念でも誤魔化し切れない程に限界を迎えていたのだ。
当然冷気は力を失い、代わりに大質量の水が氷姫へと殺到する。
「グッ……ふ、ふざけるな!
よりによって人間如きの技で……アアアアァッ!」
それは断末魔というにはあまりにも怒りと怨念が込められ過ぎた叫び。
だがそんな絶叫ですら押し寄せる水流を受け止めるには程遠く、
「……これが、千年待った末かアアアァッ!」
その叫びごと、氷姫の身体は彼方へと押し流されていった。
英人はその様子を確認すると即座に反転し、湊羅の元へと急降下する。
「よし、掴まれ!」
「う、うん!」
英人から差し出された手を湊羅が掴むと、二人の身体はそのまま踵を返すように急上昇。
一気に高度300メートルにまで達した。
「た、高……」
「『護京方陣』とやらが崩れた以上、ここで踏ん張るわけにもいかない。
いったん市内方面へと向かうぞ。
けどその前に……」
英人は視線をずらし、『大封印』跡を見る。
そこでは白秋が『怪異』の群れ相手に孤軍奮闘を繰り広げていた。
「まずは戦力の確保だ!
しっかり掴まってろよ!」
「ちょ、えええええぇぇっ!?」
英人は狙いを定め、燕のように翼を畳んで再び急降下を行うのであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
英人が氷姫と対峙していた頃、白秋も同様に城壁が崩れ落ちる様を眺めていた。
「『護京方陣』が、破れた……?」
突然のことに唖然としながらも白秋は即座に振り向き、永木を睨む。
「貴様等、何をした……?」
「貴様等、というのは正しい表現ではないですね。
正確には木蓮様おひとりがなさったのですよ。鹿屋野大社に堂々と入り込んでね」
「何……?」
「ふふ、流石は初代様だ……!」
恍惚にも似た笑みを浮かべる永木を、白秋は苦々しく見つめる。
「……とにかく、一刻も早く貴様を殺さねばならんらしいな。
京都の安寧の為にも」
「言うは易しですが、出来ますかね? とうに引退したその身で」
「試してみるか?」
そう吐き捨て、白秋は一気に間合いを詰めて切りかかる。
それは普通であれば反応すら難しいような一太刀ではあったが永木は難なく受け止めた。
「……疲れ、ですか?
どうにも先程より太刀が軽い気が」
「――操刀奥義、『影縫い』」
瞬間、箸ほどの大きさをした黒塗りの針が、永木の頭部を後ろから貫いた。
永木の額には直径1センチほどの穴が開き、一筋の血が垂れる。
「グ……!
なるほど、そういう技もありますか。
さすが、引き出しが多い」
しかし常人であれば即死となる傷を負ってもなお、永木はニヤリと余裕そうに笑った。
「やはり、か……。
貴様、人間を捨てたな?」
「超えた、と言うんですよ」
そう言って永木は剣に力を込め、一気に押し込む。
およそ人間とはかけ離れた膂力によって、白秋の身体は10メートル近くも後ろに突き飛ばされた。
「ぐぬ……!」
「さて、城壁も崩れたところですしそろそろ頃合いでしょう。
木蓮様の元へ急がねば」
そして永木は懐から数枚の木札を取り出し、術式を展開する。
おそらくは転移の術だろう。
「くっ、行かせるか!」
そうはさせじと白秋は切りかかろうとするが、『怪異』の群れがそれを阻む。
「ぐっ……!」
「では刀煉どの。
もう会うことはないでしょう」
「ちぃっ、待て!」
しかし白秋の叫びは届くことなく、永木の身体はいずこかへと消え去ってしまった。
「く……!」
白秋の頬に、一筋の汗が流れる。
自身を取り囲む『怪異』は目に映るだけでも数百は超えており、後続が途切れる気配もない。
無論すぐにやられるつもりはないが、状況が絶望的であることは明白だった。
「……致し方なし、か」
ならば一体でも多くここで道連れにしよう。
そう白秋は覚悟を決めて七本の刀を構えた時。
「――こっちだ!」
蒼い翼を携えた男の飛んでくる姿が、その老いた瞳に映った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
深夜。
京都は騒然とした空気と混乱の渦に包まれていた。
突然東の方角から轟音がしたと思ったら次に巨大な城壁が現れ、しかもそれが急に崩れて今度は謎の化け物たちが殺到してきたのだ。
もともと城壁付近には人払いの結界を張っていたので現状人的被害こそなかったが、一般人がそれを知る由もない。
SNSを中心に情報が錯綜し、人々は訳も分からぬまま京都の街を逃げまどっていた。
「皆さんちゃんと着いてきていますか!?
逐次班ごとに全員いるかを確認してください!」
そしてそれは修学旅行中であった早応女子についても例外ではなく、生徒たちは列をなして避難を急いでいた。
しかし極度の緊張と恐怖のせいかその動きはまばらで、もはや列の意味を為していない。
「だ、大丈夫かな……つづみん」
「多分……」
その中で美智子たちが所属する班は列の後方を歩く。
本来であればすぐにでも走り出したい所であったが、周囲の人々のあまりの混乱ぶりを見て、今は逆に少しばかり落ち着きを取り戻している状況だった。
「先生……湊羅ちゃん……」
東の方角を見ながら、美智子は小さく呟く。
おそらく今、二人はこの京都の為にどこかで戦っているのだろう。
直接見聞きしたわけではないが、確信めいた予感がある。
(二人が頑張ってるなら、私は信じて待つだけ……!)
美智子は胸元で手をきゅ、と祈るように握る。
おそらくこの学校で多少なりとも事情を知ってるのは自分だけ。
いざという時はこの班の子たちだけでも何とかしなくては。
そう決意を固めた時。
「ア亜ぁー、啊?」
民家の屋根の上からこちらを取り囲まんとする、影の化け物たちの姿が目に映った。
「あれ、昨夜の……!」
美智子は思わず愕然とする。
現状、自分にあれを撃退する術などない。
出来ることと言えば一目散に逃げることだけだが、こうも周りを囲まれてはどうしようもない。
となると最後に残った選択肢は一つ。
「……彩那、ちょっと待ってて」
自分が囮となって、奴らを引き付けるしかない。
幸か不幸か周囲の人間はいまだ化け物の存在に気づいておらず、パニックも起こっていない今がチャンス。
美智子はそっと、列から抜けようとする。
「――凍りなさい」
だがその時、思わず身震いするような声と共に化け物たちが瞬時に凍り付いた。
――まさか、先生!?
微かな期待を膨らませつつ、美智子は声を元へと振り返る。
「ん……貴方、先輩と一緒にいた子……?」
するとそこにいたのは灰色のミディアムヘアをした、クールな雰囲気漂う絶世の美女だった。
その名前は、あまりテレビを見ない美智子でも知っている。
「嘘……楓乃さん!?」
「え?」
だがその名を口に出したのはもう一人の少女だった。
「ん……ああ! アンタ!」
「あ、瑛里華さん……ども」
「え、え、何?
みんな顔見知りだったりするの!?」
突然の登場に瑛里華は驚きの声をあげ、美智子はとりあえず会釈。
そして楓乃は演技も忘れてひとり慌てふためく。
都築美智子に東城瑛里華に桜木楓乃。
八坂英人に想いを抱く女性三人が、奇しくも同じ場所に集結した瞬間だった。