京都英雄百鬼夜行⑰『私もやります』
「貴方が、鹿屋野家の当主……」
英人は思わず、目を見開く。
その少女は床につくほどの黒髪を備え、そして十二単のような着物を着ていた。
さすがにお歯黒や白塗りといった化粧こそしていなかったが、平安の時代からそのままやってきたと言われても違和感はないだろう。
「ふふ、驚きましたか?
鹿屋野の当主が、このような年端もゆかぬ少女であると」
「いえ……」
英人は小さく頭を下げ、そして同時に確信した。
その小さい体躯からは似ても似つかぬような、まるで大木のような重厚な存在感。
間違いなく、彼女こそが鹿屋野家の現当主であると。
「まずは我が鹿屋野の者が迷惑を掛けたこと、お詫び申し上げまする。
そして四姓会議に出席いただいたこと、平に感謝を」
杜与は三つ指に手を置き、深々と頭を下げた。
「ご当主……!」
「あきませんあきません。
軽々しく関東モンに頭を下げては、鹿屋野当主として示しがつきませぬ」
「ですがばば様がた、こればかりは西も東も関係なき事。
こちらに非がある以上、当主であるわらわ自ら謝罪申し上げるのが正しき筋道にございましょう。
八坂殿、どうかご容赦を」
「いや、そんな……」
英人は困ったように後ろ頭を掻く。
「そしてまこと不躾なお願いではありますが、どうか我等の為、お力添えいただけないでしょうか?
ご存知の通り、今この京都は未曽有の危機にさらされておりまする」
「言われるまでもなく、そのつもりです。
ですが……」
英人が杜与の瞳を見返すと、杜与はその意図を察したように頷き、
「彼らの狙う『大封印』について、ですね?」
「ええ。
こちらが協力する以上、出来る限りの情報を提供してもらいたい」
「分かりました……静枝」
「かしこまりました。
では、杜与様に代わり私の方からご説明させていただきます」
そして静枝の口から、『大封印』についての詳細が語られた。
まず『大封印』とは、京都の北東方面、つまりは鬼門の方角に生えている神木の名であるという。
元々京都の地は呪術の元となる『呪力』(英人たちで言う『魔素』や『魔力』とほぼ同一)が豊富であり、特に草木は根からその『呪力』を吸い上げ、蓄える。
なので鹿屋家はその草木を紙や木札、破魔矢を始めとした様々な呪具へと加工し、『呪術』という独自の技術体系を確立してきた。
つまり鹿屋家の歴史とは、京都に自生する草木と共に歩んできた歴史でもあったのである。
そして京都に生える木の中でも『大封印』は最古に近い歴史を誇る樹木であり、その樹齢は実に数千歳。
長年蓄えてきた『呪力』は今もその幹と枝を巡っており、さらにその根の下には千年前に封印された強力な『怪異』たちが今も封印されている。
つまり『大封印』とは、神木の性質を利用した天然の監獄なのだ。
そして封印されている数多の『怪異』中でも『四厄』と謳われた四体はひときわ強力であり、その名は酒呑童子、鵺、驩兜、氷姫。
いずれも平安の京都を恐怖のどん底に陥れた大妖怪であり、当時の『呪術師』と『異能者』、そして武士たちが総出となりようやく封印まで漕ぎつけた。
そんな過去の経験に受け、鹿屋野家を始めとする『護国四姓』制度が朝廷の令により発足したのである。
「もし『大封印』が解かれるようなことになれば、これらの大妖怪たちがこの京都を嬉々として蹂躙するでしょう。
京都を守護するものとして、それだけは是が非でも避けなければなりません」
話を終えると、静枝は広間に座る英人たちをぐるりと見回す。
その視線の真剣さを見ても、『四厄』という『怪異』の強力さを伺い知ることが出来よう。
「成る程……とりあえず『大封印』の下に何が眠っているのかは分かった。
それで静枝、その『四厄』とかいう『怪異』どもの特徴は?」
リチャードはふうと息を吐きつつ、静枝に尋ねる。
「千年近く前の、それも伝承のみでしか伝わらぬものですが、それでもよければ」
「お願いします」
英人は小さく身を乗り出し、話を促す。
そして今度は鹿屋野に伝わる『四厄』の特徴が、静枝の口から語られ始めた。
………………
…………
……
静枝が説明を始めること、実に数十分。
「――以上が当家に伝わる『四厄』の詳細です」
ようやく話を終えた静枝が顔を上げると、広間にいた全員が各々険しい顔を浮かべながら考え込んでいた。
「……どの妖怪も厄介そうだな。
下手を打てば京都、いや日本全体が焦土と化してもおかしくはない」
「その通りです、白秋殿。
だからそうならぬよう、わらわ達はなんとしても『大封印』を彼奴らの手から守らねばなりませぬ」
「ならば此処にいる全員でその神木を護衛するのが最善か。
静枝、現在の『大封印』の警備状況は?」
腕を組みつつ、リチャードは静枝に尋ねる。
「古くより、茅木家という鹿屋野宗家に連なる一族が守護してます。
いずれも優秀な『呪術師』ではありますが……やはり戦力の増強は急務ですね。
杜与さま」
「分かっています。
茅木一族の力を疑う訳ではありませぬが、京都の安寧のためここは万全を期すべきでしょう。
というわけで皆様が『待ちなされ』……ばば様?」
突然、杜与の言葉を金麗が遮る。
そして銀麗と共に席から立ち上がり、
「『大封印』の守護に関しては、これまで通り我ら鹿屋野宗家と茅木家のみでやる」
「そこな関東もんや外人はもちろん、他の三家についても介入は許さん。
宗家でない人間もや」
その言葉に広間内は騒然とした。
誰がどう考えても、此処にいる全員が協力して『大封印』を護るのが筋な筈である。
「『大封印』は『四厄』を封じ込める檻であると同時に、我ら鹿屋野の聖地でもある」
「いかな緊急事態とはいえ、おいそれと余所者に土足で踏み荒らされたらかなわん。
本末転倒や!」
しかしこの二人の老婆はその正論を真っ向から否定し、なおも語気を荒げた。
「しかし金麗さま銀麗さま。
いかに古くからのしきたりとはいえ、今回ばかりは……」
「黙りゃ静枝!
貴様は栄えある鹿屋野の『紫衣』だというのに、我らのしきたりに背くと申すか!」
「仮にも鹿屋野家最高の『呪術師』であるならば、命がけで守ってしかるべきであろう!」
まるで何かの琴線に触れたかのように、老婆たちは静枝へと詰め寄る。
しかしその時。
「――アンタ等、責任とれんのか?」
英人が静かに口を開いた。
決して大きい声ではなかったが、その言葉はずしりと耳に圧し掛かるような重さで室内に響き渡る。
思わず、老婆たちは言葉を止めた。
「今の京都市の人口、確か140万人ほどだったか。
それだけの数の人命と天秤にかけても尚、そのしきたりとやらの方が重いと?」
「何を言うとる。
その140万人を護るための、しきたりや」
「余所者の貴様に、説教される筋合いはないわ。
京都は儂らの力で護る。貴様らの力など最初からあてにしとらんわ」
だが老婆たちはすぐに立ち直り、強気に返す。
「……余所者、か。
くだらぬな」
その様子を横から見ていた白秋は、呆れてように首を振った。
「……どういう意味や、白秋」
「くだらぬ、と言ったのだ。
貴方がたは先程から余所者余所者としきりに言っているが、今回ばかりは的が外れている」
「なんやと……?」
銀麗が表情を歪め、白秋を睨む。
「先程も言った通り、事態は国の存亡に関わる規模のものとなった。
ならばここにいる義堂も含め、日本人全体が関係者と言って差し支えなかろう。
つまりは彼らが余所者という表現は相応しくない。違うか?」
「貴様……一度この京都を捨てた分際で、何をほざく!」
「『国家最高戦力』とやらを引退となった後、再び西金神社に戻してやった恩を忘れたか!」
「そうだ。だから『護国四姓』の一角として、この国を守るための最善を述べているのだ。
貴方がたにはそれが分からないのか!」
白秋は目を見開き、金麗と銀麗を睨みつける。
経験と実力によって裏打ちされたその視線は普通の人間であれば卒倒する程の迫力があったが、対する金麗と銀麗も共に長く鹿屋野家を支えてきた重鎮。
両者一歩も引かず、視線と視線が激しくぶつかり合う。
「……ならば、こうするのはどうでしょう?」
だがその緊張も最高潮へ至ろうかという瞬間、ふと永木が口を開いた。
「永木、貴様」
「私が少数の共を連れ、『大封印』の護衛に加わります。
確かに私は宗家ではありませんが、鹿屋野に仕える呪術師としての自負があります。
せめて同じ鹿屋野家である我々だけでも、その大役の一端をお任せいただけないでしょうか」
永木は体を老婆たちの方へ向け、その表情を伺う。
「『紫衣』に次ぐ『青衣』を着る者として、どうか」
「むう……」
「しかし、な……」
永木からの提案に、老婆たち狼狽した。
彼女らとて宗家と茅木家だけでは、『大封印』を守り切れないのではという不安があったのだろう。
それに鹿屋野家内からの提案となると、いたずらに無下にもできなかった。
「あの……」
こうして場が一時膠着した時、今度は広間の東方向から華奢な手が上がった。
突然の事に広間の全員が一気に振り返る。
「私も『大封印』の護衛に、参加します。
……鹿屋野家と同様に御守家も、鬼門を守護する家ですから」
するとそこにはいつになく真剣な目つきで正座する御守家百代目当主、御守湊羅の姿があった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
深夜。
日付も変わり暗くなった西金神社の廊下を、義堂は月明かりだけを頼りに歩いていた。
(……檜の風呂なんて、いつ以来だろう。
いや、今はそんなことよりも)
義堂は湯上りの体を夜風で冷ましつつ、先程の四姓会議を思い返す。
結局『大封印』の護衛については、永木陽明を始めとした『呪術師』の一団と御守家当主である御守湊羅が加わることとなった。
金麗銀麗も最初こそは反対したが湊羅の強い意志や白秋の説得、さらにはリチャードからの圧力もあり最終的には承諾。
しかしその代わりにリチャードや英人といった外部の人間は近づく事すら許されず、西金神社についても周辺の警護のみが任された。
因みに荼毘家は主に後方支援と治癒が担当であるので、本拠地からは特に動く予定はない。
(襲撃は三日後、となると俺達は有馬の捜索に当たった方が賢明か……)
義堂はそう考えながら拝殿の前を横切る。
すると、
「白秋さん……」
蝋燭で微かに照らされた室内で、白秋が一人黙々と手を合わせている姿が目に入った。
そのまるで背中に一本の芯が入ったような不動の佇まいに、義堂は思わず息を飲む。
そしてふと視線を上げると、おそらくはご神体であろう物体が見えた。
(あれは、赤い陣羽織……?)
「義堂か」
義堂がその真紅の陣羽織に目をとられていると、白秋が背中越しに声を掛けた。
「は、はい。
すみません、すぐに去ります」
「その必要はない。
それより、お前もこちらに来い」
「は、はあ……」
義堂は戸惑いつつも拝殿の中へと入り、白秋のすぐ後ろに正座した。
「……これが、我らのご神体だ。
まあ昔は一組の甲冑であったが」
「は、はい……」
義堂はどう答えていいのかも分からないまま、とりあえず言葉を返す。
しかし白秋はそれを特に気にする様子もないまま、淡々と続けた
「我ら西金は、代々『護国四姓』の武を司ってきた。
刀や鎧を作り、そして孤児や難民として流れてきた『異能者』を子弟として抱え、共に武を磨く。
ここの当主だけが襲名性となったのもその為だ」
「じゃあ白秋さん、貴方も」
「ああ、戦災孤児だった。
とはいえ当時の儂はただの赤ん坊で、戦争の記憶などはないがな」
義堂は思わず言葉を失うと共に、己の軽率さを恥じた。
いくら当時を赤子で過ごしたと言えども、その混乱と貧困から無関係でいられたわけがない。
おそらく、相当の苦労をしてきたはずだ。
「……話が逸れたな。
では何故、西金神社のみがそのような体制となったのか。
それはある一人の人物が関係している」
「ある……人物」
「その者は、一人の浪人だった。
まあ当時は浪人などという言葉はなかったが、あえて呼ぶならそれが正しいだろう。
彼は仕える主もなく、ただ己の武を高めるために諸国を放浪とする若武者だった。
妻も子も持たず、ただ刀の修練と真剣勝負ばかりを好む、筋金入りの武術好きだったらしい。
だがある時彼は京都で『四厄』と呼ばれる怪物たちと出会い、あろうことかこれを討ってしまった」
「え……」
義堂は思わず、唖然とする。
白秋の言葉が正しければ、たった一人の浪人が大昔の『怪異』を倒したことになり、鹿屋野家の伝承には誤りがあるということになる。
「無論、完全に消滅させるまでには至らなかったが……その力を多くを削ぐことに成功し、封印に貢献した。
その功績により浪人は朝廷より姓を賜り、『護国四姓』として晴れて都を守護する役を仰せつかったのだ」
白秋は膝を上げ、体ごと義堂の方へと振り向く。
「そしてその人物こそ、西金神社の開祖――刀煉 一秀だ」
そう語る瞳は、かつてないほどの強い覚悟の炎で燃えていた。
【おまけ:美智子がホテルに戻った頃の一コマ】
(やっぱ勝手に抜け出したから、先生たち怒ってるかな……?
とにかく見つかったらヤバいから、こっそり部屋に戻ろっと)
「……あら、都築さん?」
「ひゃああぁっ!?」
「ど、どうしたのそんなにびっくりして。
というより貴方、さっき部屋にいたはずじゃ……」
「は、箱根先生……。
いやーその、何というか……ハハハ」
「まあいいでしょう。
とりあえずそろそろ消灯時間だから、早めに部屋に戻るようにね?
それじゃあおやすみ」
「は、はいおやすみなさい……」
・
・
・
(……あれ、わたし今ホテルに戻って来たばかりだよね?)
~その頃、美智子の班の部屋~
「お、これあがりー!」
「えぇまた唯香が大富豪!?
これで何度目よー!」
「へへ、まあワタシこれでも社長令嬢だし?
悪く思うな」
「令嬢といっても地元企業なんだし、別に大富豪って程でもないでしょ……。
えーっと次の番は……つづみんか。おーいつづみーん」
「えっ、ああうん私ね」
「どしたん?
さっきからずーっとボーっとしてるけど」
「つーか何で部屋にいるのに制服なん?
疲れね?」
「ま、まあせっかくの修学旅行だから?
制服で夜を過ごすのも悪くないかなーって」
「何だそれ」
「それよりつづみん、早くなんか出して!」
「う、うん。
えーと、はいこれ!」
「ええ革命!? うそぉ!?」
(ふぅ……とりあえず、部屋に美智子さんの制服が残っててよかった。
しかし私が気付いたからよかったものの……美智子さん、この借りは大きいですよ?)