京都英雄百鬼夜行⑮『俺はお前が俺を見たのを見たぞ』
夜の京都市街。
「せん、せい……?」
美智子は唖然としながら、その姿を見つめていた。
そして、その周囲にいる人間たちも。
それは黒装束の集団に、青と紫の和服を着た人間。果ては外国人に男子高校生らしき少年まで見える。
そう全員がまるで普段の日常とは決して相容れないような、異様な雰囲気を放っていた。
「……ねえ、都築さん」
「え?」
美智子は我に返ったように、湊羅の方へと振り返る。
すると湊羅は先程までとはまるで別人のような真剣な目つきで、英人たちの方を睨んでいた。
「私、ちょっと行ってくる。
危ないから、ここから絶対動かないで」
「う、うん……」
美智子が小さく頷くと湊羅は民家の影から走り出し、有馬の前で左手を掲げた。
「『龍神泉』――!」
すると地面の隙間から大量の水が噴き出し、龍の形をした一つの束となって湊羅を護るように鎮座した。
「おや、今度は御守のご当主か……成程。
つまり今の僕はいわゆる絶対絶命の状況、というわけだね?」
「……逃がさん」
「大人しく、投降しろ……!」
不敵に笑う有馬に、今度は白秋が宙に浮いた刀の切っ先を向け、義堂は銃口を突きつける。
「――術式、展開。
古の都にまします我らが神よ、その大いなる権能を以て、災いと邪気を祓わせ給う――!」
そして鹿野家側も静枝が呪文の詠唱を開始した。
永木と黒子たちもそれに続き、有馬の足元には呪文が隙間なく書かれた方陣が展開された。
さらに最後、英人はゆっくりと左手を構え、
「『再現変化』――」
自身の最も得意とする技を行使した。
「おお、今度は元『英雄』の十八番か。
初めて見るけど面白いね、それ」
「生憎だが、最初で最後にしてもらう」
英人はさらに左腕に魔力を込め、有馬に狙いを定める。
それはこの空間の中で、最も濃密で純度の高い魔力だった。
リチャードはほう、と感心したように声を漏らす。
「さすがに、いい色だ。
これほど質の高いものは、あちらでも中々お目に掛かれないな」
「そういう君は、構えたりとかしなくていいのかい?
『国家最高戦力』」
「心配せずとも、もう出来てるとも」
リチャード素手のまま鼻で笑い、悠然と立ち尽くしている。
一見ただ立っているだけのように見えるが、その重心は分かりづらく、そして適度に脱力をさせている。
例えるならばそれは、居合の構えをとる達人のような佇まいであった。
全員が臨戦態勢を整える度、徐々に場の空気が張り詰めていく。
「……一つ、聞きたい」
そんな中、英人はおもむろに口を開いた。
「なんだい、元『英雄』?」
「お前は、何だ?」
英人の質問に有馬はプッと吹き出す。
「おいおい勘弁してくれよ、さっき言ったばかりじゃないか。
僕は有馬ユウ、『サン・ミラグロ』の総長だよ。
はい、これでもう覚えてくれたかい?」
「違う。
なら質問を変えよう……お前は《《何だった》》?」
瞬間、有馬の表情がピタリと止まった。
しかしすぐにその口元はぐにゃりと歪み、
「はは、気になるかい?
だったら当ててみなよ――妻殺し」
今度はかつてないほどの邪悪な笑みを浮かべた。
「――!」
刹那、英人の姿は屋根から消える。
そして瞬時に有馬の後背へと回り込み、左腕で心臓を貫いた。
「ぐ、く……!」
有馬の口からは血が盛大に逆流する。
だがそれでもその口角はさらに上がり、
「いやさすが、疾いねぇ……!
もしかして怒っちゃった?」
「貴様はこのまま死ね……!」
「残念だけどそれはお断り、だね……!」
有馬は血の泡を吹きながらケタケタと笑い声を上げる。
すると次の瞬間、その体は突如として黒い霧のようなものに変化し始めた。
しまった、と英人は体を裂くように腕を振り上げるが、文字通り霧の如く手応えがない。
「くっ……」
「あはははは! いやあ良かった!今夜はいいものが見れて、本当に良かった!
実に愉快な気持ちだ!
それでは皆さん、また明々後日! 今度ははこの都に百鬼夜行をお見せしよう!」
黒い霧となった有馬はけたたましいまでの笑い声を上げ続ける。
そして数秒後、有馬は霧と共に姿を消した。
――――――
――――
――
「……どうやら、逃がしてしまったようですね」
有馬の姿が完全に消え去ったのを確認し、静枝は重々しく口を開いた。
「得体の知れない人物でしたね、静枝様」
「ええ、ですが……」
静枝は視線を上げる。
その先には自身の左手を見つめたまま無言で立ち尽くす、英人の姿があった。
彼もまた、鹿屋野家ひいては『護国四姓』にとって未知の存在だった。
「八坂……」
「……悪いな、義堂。逃がしちまった。
頭に血が上った俺のミスだ」
「いや……それよりも」
義堂は一歩英人へと足を踏み出すが、次の一歩とそれに乗せる言葉が続かない。
初めて見る英人のその表情に、義堂はどういう言葉を掛ければいいのか分からなかったのだ。
「知り合いか? 義堂よ」
そんな中、後ろから聞こえてきた白秋の言葉は助け舟のように思えた。
義堂は停滞しかけていた脳をフル回転させ、取り繕う。
「え、ええ。
彼は小学校からの幼馴染でして、現在はフリーの『異能者』として警察の捜査にも協力してもらっています」
これはもしもの時に備えて二人で決めておいた言い訳だ。
もちろん他にも色々あるが、特に『異能』関連の人間相手にはこれで通すことにしている。
「成程。
というわけで義堂の幼馴染とやらよ、名前を聞いておこうか」
白秋が声を掛けると英人は表情を元に戻し、振り返った。
「八坂 英人です。
身分は今義堂が言った通り、フリーの『異能者』で国や警察からの依頼を少々」
「儂の名は刀煉白秋、西金神社の当主だ。
そうかフリーの『異能者』か……よし、静枝」
白秋は刀を鞘に納め、静枝の方へと振り向く。
「何でしょうか、刀煉殿」
「敵の目的も見えたことであるし、ここは一度関係者が集って対策を考えた方が良いだろう。
もはや事ここに至っては、『護国四姓』だけの問題ではあるまい」
「ま、だからこそ私がはるばる合衆国から来たわけだしね」
リチャードはスーツの襟を整えながら、飄々と言ってのける。
「……分かっています。お前たち、撤収の準備を。
そして永木、いま一度四姓会議を招集致します。至急本家と荼毘家に連絡をとって下さい」
「分かりました」
そして永木を始めとした鹿屋野家方々へと散っていった。
それを確認すると静枝は小さく息を吐き、
「……八坂、英人殿とおっしゃいましたね?」
「ええ」
「行き違いとは言え、家中の者が迷惑を掛けてしまったようですね。
鹿屋野の『紫衣』として、まずは心よりお詫びの程を」
静枝は目を瞑り、深く頭を下げた。
「いえそんな……昨日の今日で街を飛び回ってた俺にも責任はありますから。
それに有馬を逃した件だって」
「ですがこちらが一方的に襲い掛かってしまったのは紛れもない事実。
『サン・ミラグロ』についても敵の手の内が明らかでない以上、致し方ないでしょう。
それに我等としても、街の中心で大術式を放つことには出来れば避けたかった」
静枝は手に持っていた木札と式神の束を物憂げな瞳で見つめ、そっと袖の中にしまう。
「そうだな…山中ならともかく、このような場所ではな。
テロリスト一人消す為に街に甚大な被害を出してしまっては、本末転倒だろう。
して、静枝よ」
「なんでしょうか」
「この男も、四姓会議に出席させるということでいいな?」
「え……」
白秋の提案に、静枝以上に英人が困惑した。
初対面の、それも『護国四姓』の人間がまさかそんな行動に出るとは思いもしなかったからだ。
「それはまた何故です?」
「先程も言ったように、事態は『護国四姓』だけで済む問題ではなくなった。
なら戦力は一人でも大いに越したことはないだろうよ。それが外様と言えどな。違うか?」
「一理あることは認めますが……」
静枝は目を細め、悩むような素振りを見せる。
おそらく鹿屋野の最高呪術師として、しきたりとの兼ね合いを考えているのだろう。
「なに、ばば様方が何か言うようなら儂の責任と言うことで通す。
それなら問題あるまい?」
「まあいいんじゃないかい、静枝?
彼の実力ついては私が保証する」
さらにはリチャードからも助け舟を出される。
流石の静枝も押し切られたように溜息をつき、
「……分かりました。
八坂英人殿、貴方の四姓会議出席を特別に認めます」
「ど、どうも……」
英人はやや困惑した表情で返事する。
正直、自身の意志が無視された形で決まった感があるが、英人も有馬を追っているのは事実。
形だけでも『護国四姓』と協力体制を築けるのは決して悪い話ではなかった。
「これで決まりですね。
それでは各々方はここで一旦解散。そして準備が出来次第鹿屋野大社に集合ということに致しましょう。
御守殿も、それでよいですね?」
「はい……大丈夫、です」
静枝はそう尋ねるが、湊羅は上の空のような表情で返事を返す。
まるで何か気がかりがあるように。
「どうか、致しました?」
「いっいえなんでも!
それではまた後で!」
だが静枝の言葉にビクリと跳ねたかと思うと、そのまま去って行ってしまった。
「……さて、私も行くとするか。
では元……は今は止めておくか。
八坂 英人よ、また会おう」
続いてリチャードも、飄々と笑いながらその場を去る。
そして白秋も、退散の準備を始めた。
「さて、儂らも一旦神社に戻るか。
八坂よ、せっかくだしお前もくるか?」
「それはありがたいですが……ちょっと別件が。
それよりも、何故俺の肩を持つような真似を?」
英人は怪訝な表情を浮かべる。
「過去に何があったかは知らんが、あの表情を見れば薄々察しがつく。
ならば、それ以上の理由はいらんよ」
それに対し、白秋はフッと笑った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――とんでもないものを、見てしまった。
それが美智子の脳裏に真っ先に浮かんだ感想だった。
浮かぶ刀に謎の魔法陣、そして光る左腕。
そのどれもこれもが映画や漫画で見るような、非日常の光景そのものだった。
(声、掛けられなかったな……)
きゅ、と美智子は自身の胸を押さえる。
声を掛けようと思えば、掛けられた場面はあった筈だった。でも、出来なかった。
彼のいた世界は、自分のとはあまりにもかけ離れ過ぎている――その事実を突きつけられてしまったからだ。
迂闊に声なんて掛けられる筈もなかった。
それに――
「あー……大丈夫?」
その時、湊羅がそっと美智子の肩を叩いた。
「あ、ごめん……うん、大丈夫。
おかげでケガも無いよ」
「そっか。なら良かった」
湊羅は小さく安堵の息を吐く。
だがその後の会話が続かない。
「……今日見たことって、記憶とか消されたりするの?」
そして少しばかりの沈黙が流れた後、美智子がふと口を開いた。
「いや、そんなことはないけど。
特に口封じとかもする気はないし。少なくとも私は」
「そっか……」
美智子は民家の壁に背を預け、安堵の感情からではない溜息をついた。
別に、自身の処遇に全く興味がないわけじゃない。
だがそれよりも今はもっと気になってしまう事がある。
それは学ランの少年が言ったあの台詞。
妻殺しって何?
妻ってあの妻だよね?
でも殺したってことは、もういない――?
「~っ!」
それを考えた時、美智子は思わず悶えるように呻ってしまった。
「ど、どうしたの!?」
「ゴメン。
何というか、わたし嫌な女だなって」
「へ?」
湊羅はポカンとした表情を見せる。
対する美智子は腕を組みながら苦笑し、
「いや、あんな状況になってるのに変な事ばかり考えちゃってさ。
ゴメンちょっと意味わからないよね。
でももう大丈夫だから」
「ま、まああの光景を見てショックを受けるのは分かるけど……。
それより、そろそろここから離れた方がいいかも。
他の人ももう行ったし」
「うん、分かった」
美智子は民家の壁から背を離し、通りに出る。
そして先程まで英人たちがいた場所を見つめた。
「先生……」
何となく後ろ髪を引かれるような思いが、美智子の心の中に絡まる。
このまま去ってしまっては二度と元の関係に戻れないような、そんな気がしてならない。
でも、もう遅い――そう美智子が目を瞑った時。
「呼んだか?」
聞きなれた声が、すぐ後ろから響いた。
美智子は急いで振り返る。
「嘘、なんで……?」
「何でって、あの日お前を探すために何キロ走り回ったと思ってる?
この程度の距離、あってないようなもんさ」
そこには少女が焦がれてやまない人間が、微笑みと共に立っていた。