京都英雄百鬼夜行⑭『猫かな?』
英人たちの前に有馬が現れるより、一時間ほど前。
「はあぁ、疲れた」
『護国四姓』の東、御守家百代目当主、御守湊羅は京都市街をふらふらと練り歩いていた。
その服装はスキニーのパンツにパーカーのフードを深くかぶって、悪目立ちしないように工夫をしている。
「厳戒態勢っていうけど……私一人が出て意味あるんかな?」
しかし歩くたびに口から漏れるのは、現状に対する不満の言葉ばかりだった。
本日の四姓会議の結果、対『サン・ミラグロ』に向けての厳戒態勢移行が正式に決まった。
確かに一応は京の街を守るという使命を掲げている以上、それは当然の決断だろう。
だが、仮にも当主である人間までもが直々に出るのは少々行き過ぎなかろうか。
「こういうのは、鹿屋野家が全部やるべきでしょ……。
そりゃあ御守の当主が何もせずってのが家の沽券にかかわるというのは分かるけどさー」
湊羅はブツブツと文句を言いながら、人ごみをかき分けていく。
現状、『護国四姓』の中で鹿屋野家がダントツで規模が大きい。
御守家は次点だが、その差は圧倒的で比較にすらならない。それだけあの家には富と人材が集中しているのだ。
(……ま、佐都子たちが言うにはウチも昔はそれなりだったらしいけど)
だが家の歴史を紐解くと、御守家が鹿屋野と同等の力を持っている時期もあった。
いやあったというよりも、四家が成立してから明治まで、御守と鹿屋野は『護国四姓』における二大巨頭だったのだ。
『呪術』という技術と、圧倒的な組織力が自慢の鹿屋野家。
そして一子相伝の『異能』を唯一の武器として、代々磨いてきた御守家。
家の規模こそ及ばずとも、歴代当主が受け継いできた圧倒的な『異能』の力によって御守は不動の地位を築き上げてきたのだ。
だがそれも『影狼』を始めとした『怪異』という存在が、国にとって大いなる脅威であったからこそのもの。
平安鎌倉室町江戸と時代を経るごとに『怪異』の質と量は減り、そして明治の時代からは京都はこの国の都ですらなくなった。
百代かけて磨いた『異能』は、古き因習に縛られたただの置物となり果ててしまったのだ。
行き過ぎた力ももう必要ないとくれば、その後に物を言うようになるのは必然的に資金力と組織力とになる。
なので昭和から平成にかけ、御守家の失墜と反比例するように鹿屋野家は京都において圧倒的な力を身に付けていったのだ。
そして現在の『護国四姓』の状態がある。
(ま、私としちゃそれでも別にいいけどね。
力の差がありすぎるおかけで、面倒な権力争いみたいなのも起こりずらいし)
だがそれも湊羅にとっては遥か昔の話。
この現代を生きる彼女にとっては、『護国四姓』の歴史よりも今日見逃したテレビ番組の方がずっと気がかりであった。
「……しかし、いつまでやってればいいんだろうね、見回り」
ふと立ち止まって腕時計を見ると、午後7時過ぎ。巡回を開始してからそろそろ一時間が経つ頃だ。
そろそろ休憩でも入れようか、と思った矢先。
「……あ」
湊羅の目の前に、財布がぽとりと落ちた。
拾いつつ視線を前に向けると、いそいそと歩く長身の女性が見える。多分あの人が落としたのだろう。
湊羅は小走りで追いかけ、その女性の肩を叩いた。
「あの」
「ひゃっ!? ぬ、抜け出してごめんなさーい! 宿の夕食じゃ物足りなくてつい!
すぐ部屋に戻るから!」
すると女性は雷でも打たれたかのように体をビクリと跳ね上がらせ、何やら訳の分からない弁明を始めた。
「え、いや財布……落としましたよ?」
「…………へ?」
その言葉に女性はポカンとした表情を浮かべる。
それは少し青みがかったショートのルーズウェーブヘアに透き通った瞳した、どことなく猫っぽい少女であった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
湊羅が美智子の財布を拾ってから数分。
二人はカウンターに並んで座っていた。
「財布、拾ってくれてありがとね。
あそこに全財産入れてたから、もしなくしでもしたら残りの日程マジでヤバかった」
「それはよかった。
えーと……」
「あ、私都築 美智子。
東京から修学旅行でこっちに来たんだ。そっちは?」
「ん、私? ああ私の名前は御守 湊羅。いちおう京都在住。
まあそれはいいとして……」
湊羅は店内をキョロキョロと見回す。
すると目に入るのは、麺を熱心にすする客の姿と、厨房にある大きな寸胴鍋。
女子二人で入るには、少々違和感のある光景であった。
「なんでラーメン屋?」
「あ、ごめん。
あんまり好きじゃなかった?」
「いやそういうわけじゃないけど……」
湊羅はフードを脱ぎ、ポリポリと頭を掻く。
というのも、美智子のような女子高生が夕食にラーメンを食べるというのが意外だったのだ。
横目で見ていても彼女の身長は自身より10センチほど高く、まるで海外モデルのようなスタイルをしている。
とてもラーメンを好んで食べるような人種には見えなかった。
「なら良かった。
あ、お礼に私が奢るしサイドメニューとかじゃんじゃん頼んじゃっていいよ。
個人的にはこのギョーザがいいと思うんだけど!」
「ど、どうも」
湊羅はカウンターに置いてあるメニューを手に取る。
とはいえラーメン屋なので種類はそんなに多くはなく、ラーメン本体とトッピング、あとは数種のサイドメニューくらいしかない。
「いやぁここ、前から目星つけてたんだよねー。
なんか京都の料理っていまいちパンチに欠けるっていうかさ、ちょっと物足りなくて。
宿のご飯もそうだったし……御守さんはどう?」
「どう、って?」
「やっぱり地元の人だと薄味の方が好きなのかなーって」
「ああそういうこと。
んー……」
湊羅は顎に手を当て、考え込む。
生まれてこの方、外食など数える程度しかしたことがなかった。
しかもその全てが京都市内の料亭であり、出てくる料理は決まって上品な和食のみ。
当然実家で食べる料理もそれに準ずるようなものばかりで、洋食やジャンクフードとはあまり縁のない人生を過ごしてきた。
「分かんないな。
こういうの、あんまり知らないし」
だから湊羅にとってはそもそもが比較のしようがなかった。
もしかしたら変に思われないだろうか、と美智子の方を見る。
しかし当の美智子はパァっと表情を輝かせて、
「あ、もしかして家の縛りがキツい感じ?
うんうん分かるよ、私ん家もそうだし。
だからもうこういう時くらいじゃないと好きなもの食べられないんだよねー」
「縛り……」
うんうんと頷く美智子を、湊羅はボーっとした表情で見つめる。
そして彼女の家庭の事情に少し興味が湧き始めた時、
「ラーメン二つ、お待たせしました!」
カウンターの上に、二つのどんぶりが乗せられた。
………………
…………
……
数十分後、ラーメンを食べ終えた二人はその余韻に浸りながら市街をふらふらと歩いていた。
「はー美味しかったー!」
「うん」
「お小遣い的にはちょっと痛い出費だったけど、満足満足」
美智子は腹をさすりながらまさにご満悦、といった表情を見せる。
「あー……なんかゴメン」
「あ、いや別に変な意味じゃないから。気にしないで。
それに御守さんが拾ってくれなかったら、ゼロになってたわけだし」
「そう……でもさ」
湊羅は立ち止まり、美智子の方を向く。
「ん?」
「お礼にご飯まで奢ってくれたのは、なんで?
ほら私たち、初対面というか……ちょっと前まで見ず知らずの他人だったわけじゃん?
別にそこまでする必要はないっていうか」
「あーそれかー……」
美智子は気恥ずかしそうに頬を掻く。
「まあ理由は二つあるんだけどさ。
まずは二人でいれば先生に見つかりづらくなるかなってのが一つ。
そしてもう一つが、まあ何というか……ある人のマネをしたってだけ」
「マネ?」
湊羅は首を傾げた。
どうしてラーメンを奢ることが、誰かのマネに繋がるのだろうかと。
「私ちょっと前までさ、家庭の事情でグレてたんだよね。
そんな中、その人がこんな感じでラーメン奢ってくれてさ、それがきっかけで親とも仲直り出来たんだ」
「何でラーメンが仲直りのきっかけに?」
「ははは……まあその辺りは話せば長くなるんだけど、とにかく私にとってそのラーメンは思い出深い一杯なんだよ。
今の私があるのも、そういう人がいてくれたおかげ」
「……」
「だから、私も同じことが出来ればいいなーって思っただけ! 以上!」
そして美智子は紅潮する頬を隠すようにプイっと振り返り、再び歩き出した。
「ふーん……つまり、」
そして湊羅はそれに数歩ついていった所で、おもむろに口を開く。
「ん?」
「好きなんだ、その人のこと」
「に¨ゃっ!?」
美智子は先程以上のリアクションで体を大きく跳ねさせる。
気持ちいいくらいに図星な反応だ。
湊羅はその様子をクスクスと笑いながら見ていると、
突如として、周囲が異様な雰囲気に包まれた。
(! これは人払いの結界……!)
その正体を知っている湊羅は即座に臨戦態勢に入る。
結界が張られたということは、おそらく『怪異』もしくは『サン・ミラグロ』が現れた可能性が高い。
そして、その変化を察知した人間がもう一人いた。
「え、何……?
急に雰囲気が……?」
「え……」
湊羅は驚愕した。
人払いの結界とは、『護国四姓』の仕事を秘密裏に遂行するための術式。
本来であれば一般人にはその存在を知覚することすら出来ない。
つまり、彼女は何らかの素質を持っている可能性が高い。
(でも、そういう存在は『影狼』の格好の餌食。
誰かが守らないと……!)
突然の状況に、湊羅の思考は逡巡する。
そして数秒悩んだ末、
「ちょっとこっち来て!」
「え、ちょっ……!?」
湊羅は美智子の手を引き、傍に置くことを選んだ。
――――――
――――
――
時を前後して京都は上京区では、重苦しいまでの緊張感で包まれていた。
「というわけで僕の自己紹介は以上なんだけど……理解してくれたかな?
もし質問があったら挙手で頼むよ」
その中心にいるのは国際テロ組織『サン・ミラグロ』の総長こと有馬 ユウ。
一見どこにでもいそうな風貌の少年は、深淵の闇のような双眸を携え、悠々と英人たちの下へと歩み寄っていた。
その場にいる誰もが、無言で有馬の姿を睨む。
「おや、質問はなし?
せっかく顔を見せたんだし、こういう時は何でもいいから手を挙げとく方が心象いいと思うのだけど――っ」
そう彼が首を傾げた瞬間、そこに青色に光る球体が殺到した。
おそらく『呪術』の一種なのだろう、それは魔力によく似た性質で、轟音と共にその場所を跡形もなく吹き飛ばす。
しかし、
「えぇ……人が話している時に攻撃する? 普通。
流石は鹿屋野家が誇る若手のホープ、容赦ないね」
その全てを避けたのか、有馬は余裕綽々とばかりに屋根の上で胡坐をかいていた。
永木は眼鏡を直しつつ、殺意を込めた視線を有馬に突き刺す。
「この京都の為、ここで滅んでもらいます……!」
「いやいや待ってよ。僕がここに来たのは戦うためじゃないって。
まずは殺気を抑えようよ、ね――」
しかし今度はそれを言い終える寸前、有馬の首が胴から飛んだ。
支えがなくなった頭部は血をまき散らしながら瓦の上を転がり、石畳の地面の上へと落ちる。
「だーかーらー、そういうのやめろって。
何で君たちはそう人の話を聞こうとしないのかなぁ」
しかし有馬は首だけのまま、喋り続けた。
胴体も腕を組んだまま屋根の上に座っており、健在である。
「……貴様の話を、儂らが黙って聞くと思うか?」
首だけになった有馬を、白秋は遠目から見下ろす。
周囲にはその手から離れた刀がゆらゆらと浮いていた。
「ああ成程。
刀を自在に操る能力だったっけ……いや職人技だね。
まあそれよりも、」
有馬は自身の胴体を屋根から下ろし、首を拾わせる。
そしてぐりぐりと首を胴体に押し付けながら、屋根に立っている英人の方を見上げた。
「君の方は、彼等みたいに攻撃してこないんだね。
利口で助かるよ」
「……このタイミングでわざわざ顔を出した理由の方が気になるってだけだ。
それが分かったら殺す」
「あらら、こっちもこっちで怖い。
と言ってもテロリストが顔を出す理由なんてただ一つ、犯行予告さ」
有馬は既に繋がった首をコキコキと鳴らしながら、不敵に笑う。
「予告……?
何ですか、それは」
永木は眉を顰めつつ言った。
「ああ。
今日から数えて三日後の夜、僕らは鬼門にある『大封印』を解くつもりだ」
「な……!」
「『大封印』だと……!」
有馬の言葉に、永木と白秋は大いに驚愕した。
周囲の黒子たちも同様の反応である。
「そうだ。
京都に存在したありとあらゆる『怪異』、それを一気にこの現代の世へ解き放つ。
きっと、忘れられない思い出になるよ?」
「それを、我々が許すと思いますか?」
有馬が笑っていると、永木の後ろから声が響いた。
その声の主は鹿屋野家の紫衣、三間静江。
さらにはその有馬の後方からも、
「同感だな。
貴様は合衆国の、ひいては世界の敵だ。
世界の平和と安寧の為に、大人しく散るがいい」
合衆国の『国家最高戦力』、リチャード・L・ワシントンが姿を現した。
「おお、これはいいね。
『護国四姓』に『国家最高戦力』、さらには元『英雄』か。
豪華すぎて思わず眩暈がしそうだ」
しかしそんな絶望的な状況にあっても有馬はその余裕を崩さない。
そしてその様子を、
「え、なにあれ……?
というか、何で先生が……!?」
湊羅に手を引かれた状態の美智子が、遠巻きから見つめていた。