輝きを求めて⑳『物理を上げてレンガで殴る』
「オオオオォッ!」
まだ無傷の左手を振り上げ、『人狼』は英人を殺さんと飛び掛かる。
手負いと言えど、通常の人間をはるかに超える膂力。
無論今の英人にそれを正面から受けきる術はない。
なので英人はすかさず膝を抜いて体勢を低くし、
「ナッ……!?」
前転の要領で『人狼』の足元へと潜り込んだ。
鋭い爪は、空を虚しく切り裂く。
「クソッ!」
『人狼』は自らの一撃を容易く躱され苛立つが、すぐに第二撃の準備に入る。
しかしすぐに、その動きをピタリと止めた。
「クッ……!」
『人狼』がその攻撃を急遽取りやめた理由は至極単純。
直立している間は、膝より下に対する有効な攻撃手段がない――その死角を、英人が突いたのである。
しかも『人狼』は右足を負傷しており、さらに選択肢は削られる。
(どうだ。こうされると、やりづれぇだろう。
『人狼』も人型である以上、人間と死角は同じだ。
それに、おそらく奴には寝技や蹴りの心得もないだろうしな)
そして英人にとっては傷こそが絶好のチャンス。
低い体勢のまま袖口に隠していたボールペンを取り出し、
「うらぁっ!」
それを、血と肉が露出した爪先へと突き刺した。
「グギャアアアアァァァッ!」
瞬間、聞いているだけでも痛みを感じるような悲鳴が、校舎内を震わす。
いくら人を超越した魔族と言えど、傷をえぐられて平気な者など稀。
『人狼』こと廉次もその例に漏れず、悶絶した表情のままうずくまるようにして横に倒れた。
だが、英人の手はまだまだ続く。
「よっ」
『人狼』が倒れるのと前後して立ち上がった英人は、その体目掛けてジャンプする。
狙いは、完全に露出した右脇腹。もとい、腎臓。
「おおらっ!」
英人はそれを、全体重と全身全霊の力を以て踏みつけた。
「ガ、ハッ……ァッ!」
鋭い痛みの次は、鈍く重い苦痛。
今度は、ほとんど声にならないようなか細い悲鳴を『人狼』は上げた。
『人狼』と人間とでは一見すると姿形は大きく異なるが、四肢と頭部以外の基本構造はほとんど同一。
内臓は人間と同じものがほぼ同位置についたままとなっており、獣化によって多少は代謝が強化されるものの、打たれ弱いままなのは変わらない。
一応は分厚い筋肉と毛皮で守られてはいるが、さすがに70キロ近い体重を受け止め切るには至らなかった。
そして『人狼』に甚大なダメージを入れたことを確認すると、英人はバックステップで距離を取る。
追撃のチャンスではあったが、自棄になった相手の反撃を警戒したのだ。
(相手が素人だからこそ、追い込まれた時にどういう反応を見せるのかが予測できないしな。
それに、今の奴は片手間程度の力で一般人を八つ裂きに出来る膂力と爪を持った化物。不意のラッキーパンチだけは絶対にもらえない……!)
英人は残心とばかりに再び構え、『人狼』の動きを注視する。
度重なる激痛に気力が萎え、相手が戦意を喪失してくれるというのなら良し。
しかしそうでないというのなら、再び懐に飛び込んで攻撃を加えるしかない。
だが互いの身体能力差を鑑みると、そう何度も出来る芸当ではないというのもまた事実。
(つまり重要なのは小手先のダメージではなく、着実に相手の戦力と戦意を削っていく事。
最低でも身動きが取れなくなる程度には……!)
「グッ、グゥゥ……ッ!」
苦痛にまみれた唸り声を漏らしつつ、『人狼』は掌を床に押し付けて立ち上がろうとする。
どうやら、再び立ち上がることを選択したようだ。
「……ほう。まだ、やるかい?」
「ク、フゥッ……ハァッ!
ウルセェッ……! モウ同ジ手ハ食ワネェッ!」
「なるほど、いい根性してる。
じゃあお次はそうだな……残った左足を潰そうか。
二度と立てないようにしてやるよ」
『人狼』が完全に立ち上がったのを見、英人はゆらりと間合いを詰める。
そしてその目は下方向――宣言通り、完全に左足を狙っていた。
「グ……ッ!」
それを見た『人狼』は、ほぼ反射的に左足を半歩後ろへ下げる。
本来であれば、ただの人間である英人に無傷の左足を素手でどうこうする術などあろうはずもない。
しかし英人の度重なる奇策と攻撃が、中身である杉田 廉次に潜在的な恐怖心を植え付けていた。
そして英人は一つの躊躇もなくそこを突く。
「――シッ!」
ボクシングのジャブの要領で、突如として英人の左腕が『人狼』の顔面目掛けて跳ねた。
足を狙うと言っていた矢先のこの攻撃、『人狼』は一瞬虚を突かれる形となった。
しかし所詮は一般人の筋力から放たれる拳。持ち前の耐久力でなら受けることも容易い。
そう判断した『人狼』はすぐさま頭を切り替え、反撃の為に前へ出ようとする。
しかしその瞬間、英人の袖口からはカッターナイフが飛び出す。
そしてそれは、『人狼』の残った右目を一直線に狙っていた。
「ナ……!」
驚いた『人狼』。しかし手をこまねいている訳にはいかない。
咄嗟に反撃のために振り上げていた左腕の進路を変更し、右目にあてがう。
避けることも不可能ではなかった筈だが、失明という恐怖が彼に回避よりもより確実な防御を優先させた。
結局、投じられたカッターナイフは右の眼球を抉ること叶わず、『人狼』の手の甲の毛皮に跳ね返されるだけに留まった。
しかし『人狼』が一息つく間もないまま、英人の王手はまだまだ続く。
「――『再現』」
英人は『異能』で欠片の一つをレンガに戻し、両手に持つ。
そしてそれを思い切り振り上げ、がら空きとなった左足――その親指へと、思い切り振り落とした。
「ガァァァッ!?」
再び、鋭い悲鳴が廊下を震わす。
爪先全体の破壊は叶わずとも、足の指一本くらいならレンガの打撃でも十分通用する。
それを英人は、二度三度と繰り返し同じ個所を執拗にを叩き続けた。そして相手が倒れ込む直前に側転で離脱し、再び距離を取る。
「どうだ、言った通りだったろ?
ちゃんと左足は守ってやらねぇと」
「グウウゥゥゥ……! フゥッ!」
廊下にうつ伏せになりつつ、英人を見上げる『人狼』。
その目からは既に憤怒の色は消え、恐怖の感情が混じり始めていた。
(……両足を破壊した今、自慢の機動力はほぼ完全に削いだ。
これで最後だ)
英人は再びポケットから投石器を取り出し、レンガの欠片をセットする。
そしてあえて『人狼』に見せびらかすように、大きな動作で振り回し始めた。
それは、英人から提示された最後通告。
足を削ぎ、腕を折り、目も潰した。
それでもなお、向かって来るのか。それとも、大人しく降参するのか。
まるで時計の針のように、投石器が等間隔で風切り音を鳴らしていく。
別に、意思表示に関して特に時間の制限は定められているわけではない。
だが投石器がひと回転するごとに、その決定的な瞬間が確実に近づいてくるように『人狼』には感じられた。
緊張と、絶望が入り混じる時間
そして『人狼』こと杉田 廉次が出した結論は――
「あ、『人生山あり谷あり』――」
その恐怖心の赴くまま、自らの『異能』を使って逃げることだった。
「逃げた、か……」
投石器を止め、廊下に残された『人狼』の血痕を見つめる英人。
決着こそついてないものの、大勢はほぼ決まったことを確信し、小さく一息つく。
すると額からは一気に玉のような汗が噴き出した。
「はああぁっ……! はぁっ……! はぁ……!
……やっぱ、体の方はしんどかったか」
英人は息を切らしつつ、壁に肩で寄り掛かる。
敵が目の前にいないとはいえ、まだまだ戦闘の真っ最中。
本来なら気を抜くことなどあってはならない筈なのだが、気力よりも先に11年前の体の方が音を上げた。
「まあ『再現』の力だって、ホントは開花してなかったわけだしな。
それを短時間で何度も使ったんだ……『人狼』相手の近接戦闘とも合わせたら、こうなっても当然か」
英人はそう呟きつつ、今度は天井を見上げる。
『異能』発生の挙動から見て、今度は上階へと逃げた可能性が高い。
そう素早く判断し、英人は体を半ば引きずりながら階段へと向かう。
「……でも悪いが、もうちょい付き合ってもらうぞ。
なぁに、大丈夫さ。お前の体は、バケモン相手の戦争にだって、どうにか耐えてきたんだからよ……」
そしてふらつく足で、段差へと脚を掛けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そして本校舎3階。
「グゥ……ハァ、ハアッ……!」
『異能』によって移動してきた『人狼』が、突如として姿を現した。
当然、それをみた生徒たちは悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように走り去っていく。
だが今の彼には、それを追う余裕すらない。
ただ息を切らしながら、やっとの思いで体を壁に預け一息ついた。
彼の『異能』、その名も『人生山あり谷あり』。
建物の床に体の一部が接している時のみ使える『異能』であり、瞬間的に上下階へと移動できる能力である。
ただし移動できる階数には制限があり、昇りは一階ずつなのに対し降りは強制的にに地上階まで飛んでしまう。そして自身の真上、真下にしか動けない。
まさに上るは難し、落ちるは易しといった能力であった。
「クソ……! 何なんだよ、アイツ……!」
しかしそんなことも、今の彼には関係ない。
ただ頭を埋め尽くすのは、かつてのクラスメートに対する戸惑いと恐怖のみ。
11年前、あの男はただの目立たない根暗なだけだと思っていた。
だが今、その男が自分の身を追い詰めようと何の躊躇もなく立ち向かって来る。
『人狼』となって人間を超越したはずの、この自分に向かって。
自然と、動悸が早くなる。
一度冷静になったことで、廉次の中ではむしろその恐怖の感情が際限なく膨らんでいくのが分かった。
そんな折。
「……いやあ、派手にやられたねぇ。
僕も遠目から見てたけど、彼が上手いのかそれとも君が弱すぎるのか……この場合、どちらだろうか。
そこの所、君はどう思ってる? 杉田 廉次君」
「あ、有馬……!」
廉次の目に前に、一人の男子生徒が現れる。
それは「普通」や「平凡」という言葉がピッタリな、黒髪の少年であった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
拙作ですが、3月3日をもちまして連載1周年を迎えました!
ここまで長く続けられたのも、ひとえに読者の皆様の応援のおかげです!
たくさんのブックマーク、評価、感想等ありがとうございます!
2年目も引き続き、拙作を宜しくお願い致します!