輝きを求めて⑲『何を得て、何を失う』
鋭い風切り音を奏でながら、レンガの欠片が『人狼』の頭部目掛けて飛ぶ。
「――『再現』」
それは時速100キロで激突する、総重量3キログラムの砲弾。いくら相手が超常の化け物と言えども頭部に直撃すればタダではすまない。
しかし。
「な……!」
英人渾身の一撃は目標へ命中することなく、無機質な破壊音を響かせて廊下へと激突した。
そしてレンガは廊下の塗装を削りながら、明後日の方向へ滑っていく。
もちろん、そこには『人狼』の姿などない。
「き、消えた……!?」
清治の緊張した声が、今の状況を端的に説明しくれた。
そう。レンガが命中する直前、まるで手品のように『人狼』は忽然と姿を消したのだ。
(……『異能』か。
10月19日の夜に見せたのもこれだな。
そして消える際の挙動を見た感じ、移動先は下の階……!)
それは10月19日の夜、英人が初めて『人狼』と邂逅した際に目撃したもの。
何らかの『異能』によるものだとは予想していたが、それが土壇場になって使用された形となった。
(おそらく、使用には制限があるとみて間違いない。
ただのテレポート能力なら今の状況、馬鹿正直に正面から走る必要もなかった訳だからな。
移動する方向、もしくは状況に何らかの条件があるとみていいだろう。
まあ何にせよ、早く下まで降りないと。しかし階段は詰まっているだろうから……)
そして英人は立ち上がり、廊下の窓を開けた。
びゅう、という音と共に秋の夜風が校舎内へと入り込んでくる。
珍しく綺麗な夜空も相まってつい風流に浸りたい気分になるが、今はそうも言ってられない。
「な、なあ……」
そうして英人がサッシに手を掛けた時、後ろから清治の声が聞こえてきた。
「何だ?
出来れば手短に頼む」
「……ああ、分かった。じゃあ単刀直入に聞くよ。
お前、一体何者なんだ?」
「見ての通り、八坂 英人だが。
お前と同じ3年B組の」
「俺が聞きたいのはそういうことじゃない!
だっておかしいだろ!? あんなオオカミ男みたいな化け物が現れても、お前は全く動じない!
それどころか真正面から撃退までしてしまった!
これがただ者じゃなかったら何なんだ!」
清治はそう叫びながら英人に近づき、その右肩に手を掛ける。
対する英人は小さく息を吐き、振り向いた。
「今は、ただの高校生だよ……まあこれは冗談で、本当は28歳のアラサーだが。
おそらく、お前もそうなんだろう?」
「!? そ、それは……!」
図星とばかりに、清治は息を詰まらせる。
おそらく普段の彼であれば、このような表情を見せることはなかった。いつもの爽やかな笑顔と共に流され、尻尾すら出さなかったであろう。
だが『人狼』という化け物が出現するという非常事態が、彼からその冷静さを失わさせていた。
「とりあえず、質問には答えた。
というわけでこちらも単刀直入に聞こう……この11年前の世界、お前が作ったのか?」
「う……!」
「そして仮にそうだとしたら、脱出する方法は?
もしこの空間で傷ついたり死んだりした場合、元の肉体はどうなる? 現実の時間経過については?
……言っとくが、俺だってお前に聞きたいことは山ほどあるぞ」
「わ、分からない……」
「ん?」
英人が聞き返すと、清治は絞り出すように言葉を続ける。
「分からないんだ、その疑問に対する何もかもが。
確かに俺は、お前と同じように本当の年齢は28歳だ! 11年後の記憶もある!
だから最初は、ただの夢だと思っていた……そうでないと気づいたのは少し経ってからだ。
それ以外の事は、全く」
「だが状況的に見ても、お前がこの世界の創造主であることはほぼ確実だ。
まさか、自覚がないとでも?」
その言葉に、清治はただ黙ったまま視線を落とす。
おそらく朧げながらもそう感じてはいるのだろうが、確信がないということなのだろう。
「……とにかく、時間がない。俺は先に行く。
お前はどこか安全な所に隠れてろ。もし『人狼』に殺されでもしたら、どうなるか分からんからな」
「八坂……」
再び前を見た英人はブレザーを脱ぎ、右手に掴んで窓を出る。
目標は出てすぐ左にある雨どい。これをブレザーで包み、登り棒の要領で滑れば容易く地上まで降りられる。
「な、なあ最後に一つ聞かせてくれ!」
そしてようやく降りようとした時、唐突に清治が口を開いた。
「あ?」
「この11年間、お前に何があったんだ!?」
その言葉に、英人は僅かに笑い、
「別に。ただ、世界を巡る旅をしていた。
それだけだよ」
そのまま地上へと滑り落ちていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
本校舎1階。
例の悲鳴が聞こえてから数分ほどが経過した今、ここにも本格的な混乱の波が押し寄せてきていた。
「い、一体何が……!?
それに、浅野君は……?」
そしてそんな喧騒の中、あざみは下駄箱から左右の廊下の様子を見渡す。
だがどちらも人ごみばかりで、誰がどこにいるか見当もつかない。
清治を追って来てみたはいいものの、完全に当てが外れてしまった。
あざみは仕方なしに、上階に昇ろうと生徒の波をかき分け階段まで進もうとする。
だが、その瞬間。
「――うわあああっ! 出たああぁっ!」
「キャアアアッ!」
前方から、耳をつんざくばかりの悲鳴が聞こえてきた。
「えっ、何……きゃぁっ!」
そしてそれを合図に、生徒の流れも一気にその勢いと力強さを増す。
あざみは一体何がどうなったのかも分からないまま、その人ごみに飲み込まれていった。
何とかもがいて前に進もうとするが、必死の形相で押し進む生徒の群れには到底逆らえない。
押され、引っ張られ、蹴られ、ついには尻もちをつく形で廊下に倒れ込む羽目になってしまった。
「い、痛た……!」
倒れてもなお迫りくる生徒たちの奔流は、まるで動物の大移動のよう。
もう立ち上がることは不可能と判断したあざみは目を瞑り、縮こまってやり過ごそうとする。
しかし、その流れは思いの他早く途切れた。
(お、終わった……?)
体を包む喧騒と圧迫感が消えたのを感じ、恐る恐る瞼を開く。
すると、そこには。
「――グウウウゥゥゥッ……!」
「…………え?」
非日常、そうとしか表現できない怪物が鼻息を荒くしながら立っていた。
「ぃっ、あ、あっ……!」
あまりに突然の状況に、あざみの喉は悲鳴すら発することすら出来ない。
だが、恐怖と絶望渦巻く脳内で瞬時に察した。
生徒たちは、この突然現れたこのオオカミ男――つまり、『人狼』のような怪物から逃げていたのだと。
(それに生徒の流れがすぐに途切れたのは、大半が反対側に逃げてったからだ……!)
あざみがその『人狼』の背後に視線を移すと、そこには全力疾走で階段まで駆けていく生徒の姿が見える。
いくら先に入り口があると言えど、さすがにこの化け物の脇を追い越してまで行きたいとは思わなかったのだろう。
だがあざみ自身は幸いにして、『人狼』よりも入り口側にいる。
「うぅ……」
あざみは尻もちをついた体勢のまま、後ずさるようにして『人狼』から距離を取る。
本当なら、すぐにでも走って逃げてしまいたい所。
だがあまりの恐怖に、脚が言う事を聞いてくれない。
そしてそんなことをしている間に、
「……グウウゥ、フウゥゥッ!」
「ひっ……」
あざみは『人狼』と目が合ってしまった。
瞬間、心臓が凍り付くような絶望があざみを包む。
「ヤ、山手ェ……ッ!」
血の滴る足を引きずりながら、『人狼』が近づいてくる。
何故自分の名前を知っているのか、という疑問があざみの脳裏を過るが、この絶体絶命の状況においては塵にも等しい些末な事。
どうやって生き残るかのアイディアの試行錯誤によって、瞬時に思考の彼方へと吹き飛んでいった。
「来、来ないで……!」
だが都合よく名案など浮かぶはずもなく、脚を必死にバタつかせながらあざみはさらに後ずさる。
もちろん、その程度では『人狼』との距離を離せるはずもない。
「山手ェッ……!」
遂にあざみの前の前に立ちはだかった『人狼』が、その唸り声と共に鋭い爪を備えた手を伸ばす。
「きゃっ……」
「オオォッ!」
そして、彼女の体に触れようとした瞬間。
「――やめろおおおぉッ!」
「ガァッ!?」
一人の男子で生徒が、タックルの要領で『人狼』の腰に抱き着いた。
完全に意識の外だったのか、『人狼』は驚いた形相でその手を止める。
「!? な、仲木戸君!?」
「山手さん、早く逃げて!」
智弘は全身全霊の力で『人狼』に抱き着きながら、必死に声を張り上げる。
「グッ、テメェ……ッ!」
「誰だか知らないけど、山手さんには手は出させない!」
「ハナセェ……ッ!」
『人狼』はその爪で、智弘の腕を勢いよく突き刺す。
当然ブレザーの袖は赤く染まり、廊下には『人狼』とは別の血が滴った。
「ぐっ、つぅ……っ!」
その痛みに、智弘の口からは悲鳴のような唸り声が漏れる。
だが、腕の力を寸分たりとも緩めることはない。
「テメェッ!」
「……は、離さない。絶対に離さないぞ!」
「ヤロォッ!」
「仲木戸君!」
業を煮やした『人狼』は、智弘に向かって爪を振り上げる。
しかしその腕に、
「グウウウッ!?」
突如としてガラスの破片と共に、レンガが突き刺さった。
「――おおおおおっ!」
「ガハッ!」
そして次の瞬間、割れた窓から英人が飛び込み、『人狼』に跳び蹴りを喰らわせた。
レンガの直撃による腕の骨折に加え、この不意打ちにより『人狼』はバランスを崩して倒れ込む。
「や、八坂君……!?」
「ナイスガッツだ、仲木戸。同窓として誇りに思うよ。
後は俺に任せとけ」
そして同じく倒れた智弘に手を貸しつつ、英人は『人狼』の前に立ちはだかる。
「で、でも……!」
「いいから。
それより山手さんを頼む。今それが出来るのは、他でもないお前だけだ」
「そんな、僕は……」
「頼む」
「……うん、分かった。でも無理はしないでね。
じゃあ山手さん、行こう!」
英人の言葉に、智弘は深く頷いて返す。
「でも私、脚が……」
「大丈夫、僕が抱えて行くよ!」
「え、ちょっ……きゃあっ!」
そしてお姫様抱っこであざみを抱え、そのまま出口の方へと去っていった。
「クソッ、テメェ……!」
残されたのは、二人のみ。
獲物を取り逃す羽目になった『人狼』は、殺意の籠った瞳で英人を睨みつける。
「よし。これで、一応は二人きりだな……なあ、杉田 廉次?」
「ナ……ッ!」
しかし英人の言葉に、その瞳は一変して驚愕に染まった。
「その反応、やっぱ図星か」
「ナ、何故……!」
「ただの消去法だよ。
校庭に居た奴と、校舎から逃げてきた奴。その中で唯一お前の顔だけが見当たらなかったからな。
どうだ? 正体もバレたところで、もう止めにする気はないか?」
「……ッ、コロス! コロシテ、ヤル……!」
正体を看破された怒りをその瞳に滲ませ、『人狼』はようやく立ち上がる。
彼我の距離は、およそ2メートル。それは最早、一瞬で勝負が決まり得る近さであった。
敵は左目、右腕、そして右の爪先を失った。
しかしそれでもまだ、ただの人間とは大きな隔たりがある。
「いいか、もう一度言うぞ? 止めるんだ。
もうこれ以上は、冗談では済まない」
「ウルセエッ! オレハ、チカラヲ手に入レタ! 人ヲ超エタチカラヲダ!
ソレヲ使ッテ何ガ悪イ!」
怒りに震える声を発しながら、『人狼』こと杉田 廉次は身構える。
血を見たことによる興奮と、力を得た事による万能感によって廉次の興奮は最高潮に達しようとしていた。
最早、ここまでくると説得のみでの解決は望めないのは明らかだった。
「……得たのは、力だけだろ?」
そしてそのことを悟った英人は、静かに構える。
それは半身をとり、程よく脱力したまるで合気道のような構え。
「……ナニ?」
「それ以外には、何もない。
そして俺が失ったのは、力。たったそれだけだ。
知識も、経験も、覚悟も、思い出も……それに守るべきものだって、俺は何一つなくしてはいない」
ジリジリと、詰まっていく間合い。
コンマ数秒のペースで凝縮されていくような緊張感の中、英人はなおも言葉を続ける。
「だから負けんよ、今のお前如きには」
「ヤサカァッ!」
そして『人狼』の咆哮が轟いた瞬間、両者は激突した。