輝きを求めて⑱『やめて! 石を投げないで!』
10月の夜空を切り裂くような、甲高い叫び声が校内に響く。
本来なら悲鳴や奇声の一つや二つ、祭りの喧騒の中で掻き消されてしまっただろう。
だがそのあまりにも真に迫った恐怖の叫びは、興奮の最中にあった生徒たちを一瞬にして黙らせた。
「……!」
当然、英人もそれが尋常なものでない事にいち早く気付く。
『異能』によるものかどうかは不明であるが、少なくとも校舎内で危機的状況が発生していることには違いない。
英人としては、一刻も早く状況を確かめたかった。
だが、もしかしたら清治による誘導の可能性も捨てきれない――そう思い、咄嗟に振り向く。
「一体何が、何故……!?」
だが当の本人の表情は、大方の予想に反し驚愕と不安に染まったものだった。
「おい、浅野……!」
そこにはもう、いつもの爽やかで明るい学園の人気者はいない。
英人は思わずこれまでの疑惑を忘れ、清治の肩を叩く。
「あ、ああ……すまない、ちょっと取り乱した。
とりあえず、今から少し様子を見に行ってくる!」
「お、おい!
くそっ、何が何だか!」
だが清治はすぐさま表情を戻し、マイクを捨てて校舎内の方へと駆け出す。
その様子が普通でないことは明らかだったが、今は確かめる余裕もない。
悪態をつきつつ、英人もその後ろを追った。
………………
…………
……
校舎の中へ入ると、そこは混乱の渦中にあった。
「おい、なんかヤベーらしいぞ!」
「バケモンが出たってよ!」
「何それ、出来のいいコスプレ?」
「うわあああぁっ、どけぇっ!」
「ちょ、危ない!」
必死の形相で逃げ惑う生徒に、状況を掴み切れていない生徒。
おそらく「何か」があったのは事実だろうが、学校全体がそれを把握しきれていないのは明らかだった。
「どういうことだ、これは……」
「おい、浅野」
そして一階の廊下でその光景を見つめる清治の肩を、英人はそっと叩く。
すると再び驚愕に歪んだ表情のまま、清治は振り向いた。
「八坂……」
「急ぐのはいいが、何も言わずに持ち場をすっぽかすのはどうなんだ?」
「それは……」
「しかし大混乱だな。
浅野、何か心当たりとかは?」
「……どういう意味だ、それ」
清治は眉をひそめる。
「別に、変な意味はない……ただこの学校、もといこの空間について、少しばかり思う所があってな。
まったく一体全体、この翠星高校で何が起こっているのやら」
「……」
その問いに対し、清治は僅かに視線を落とす。
「……とにかく、悲鳴が起きた場所まで行こう。八坂」
しかし結局はその疑問に答えないまま、清治は再び走り始めたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
二人は階段を駆け上り、5階へと到着する。
「くっ……! すごい人ごみだ……!」
「ちぃっ……!」
そこでは、1階とはまるで比べものにならない程の混乱と阿鼻叫喚が渦巻いていた。
階段付近は我先に逃げようとする生徒たちの群れで大渋滞。みな英人と清治の姿などまるで見えていないかのように、必死の形相で階段へと殺到していた。
『青春の叫び』によって相当数の生徒が校庭へと出ていた筈だが、それでも一挙に階段付近にに集中したことでちょっとしたパニック状態になってしまっている。
「みんな落ち着いて!
よし、あともう少し……八坂!」
「ああ、こっちももうすぐだ……よし!」
だが二人はそんな人ごみを何とか脱し、息を切らしながら廊下へと出た。
するとそこには――
「グオオオオオォォッ!」
「うわあああっ! ば、化け物だぁっ!」
「きゃああぁっ! たすけてぇええっ!」
逃げ惑う生徒を追いながら暴れまわる、『人狼』の姿があった。
(『人狼』……!)
「ハァ、ハァ……な、なんだアレ……!?」
清治は目の前に広がる非現実的な光景に狼狽しつつ、震える唇でそう呟く。
「チッ……おい、浅野!」
おそらくその絶望と不安で青ざめた表情を見るに、彼は『人狼』とは無関係。
だが、念のため当人に確認をしておく必要がある。英人はそう思い、清治の胸倉を勢いよく掴んだ。
「な、なんだよ……!?」
「お前とあの化け物、何の関係もないってことで良いんだな!」
「は、はぁ!? 何言って……」
「いいから答えろ!!」
まるで恫喝するように、英人は声を張り上げる。
余りの剣幕に、清治はビクりと体を震わせる。
そして、
「……し、知らない!
俺はあんなの……」
零すように、そう小さく呟いた。
それを聞いた英人は清治を離し、『人狼』の方へと振り向く。
「……分かった。
今はそれでいい。お前はもう逃げろ」
「いや、何言って……」
「ここは、俺がやる」
そして清治が伸ばした手を振りほどくように、英人は大きく一歩を踏み出した。
そこには、人外の化け物に対する恐れは微塵もない。死線に臨む覚悟と勇気があるのみ。
その佇まいを、清治はただへたり込んだ床から見上げるしかなかった。
「グウウウゥ……!」
対する『人狼』もこちらの存在に気付いたのか、低い唸り声を上げて近づいてくる。
相手の現在地は、ちょうどフロアの正反対側。
つまり彼我の距離は、およそ100メートルと少し。
そのことを確認すると、英人は静かな動作でポケットの中からあるものを取り出す。
「紐……と、石……?」
それは清治の呟きの通り、全長1メートル程の紐状の物体と数個の小石。
ただしその紐は、ちょうど真ん中あたりで幅が広くなっているというやや特殊なもの。
英人はそこに小石を一つ包み込み、二つに折ってそれを勢いよく振り回し始めた。
「ま、まさか……」
英人の横で回転する紐が、小石という重りを得て鋭い風切り音を鳴らす。
それは『投石器』。人類が持つ、最古の飛び道具の一つ。
古代から中世、場合によっては現代でも使用されるその「兵器」の仕組みはいたって単純、ただ紐の遠心力を利用して石を飛ばすだけ。
だがそれ故に調達も楽であり、時と場所を選ばない。事実、英人の持っているものも家庭科室に余っていた紐を拝借して編んだものだ。
「グウゥッ!」
発達した脚に力を込め、『人狼』が突進してくる。
人間なら10秒以上はかかる距離であるが、この化け物であればその10分の1ほどで充分。
まさに超常の速度で、英人との間合いを詰めに掛かった。
だが対する英人は、決して焦ることなく冷静に狙いを定め続ける。
「おい、やさ……!」
催促するような清治の叫び声も、今は耳に入らない。
そう、狙うはただ一点。外したら死が待っている。
そして彼我の距離が70メートルを切った瞬間。
英人は、紐を掴む手を緩めた。
「……ッガアァッ!」
「――命中」
それは、刹那の後の出来事だった。
『人狼』は英人たちの下へ到達することなく、廊下の途中で左目を押さえのたうち回る。
「ガ、ア、アァッ!
ヒダリ、左目がああぁっ!」
押さえる手の下からは、止めどなく血が流れてきているのが見える。
英人の放った小石は、みごと『人狼』の左目を潰したのだ。
「ま、マジか……」
その光景に清治は驚くが、英人は気にも留めずにすぐさま第二射の準備に入った。
「グッ、グウウウ……ッ!」
対する『人狼』は激痛を堪えながら、何とか立ち上がる。
そして今度は目のあたりを手で覆い隠しながら、前傾姿勢を取って走り始めた。
(まあ、次は当然そう来るだろうな)
時速100キロ近い速度で放たれる小石は確かに脅威ではあるが、それはあくまで人間相手での話。
分厚い毛皮と筋肉に覆われた肉体であれば、目のような急所以外に当たった所で問題はない――そう『人狼』が判断するのも、至極当然な流れと言えた。
詰まっていく彼我の距離。
そして英人は再び小石を放つ。それも今度は頭ではなく、『人狼』の足に向けて。
「あ……っ!?」
外した、とでも言いたいような声を清治が発する。
事実、重さ数十グラム程度の小石では『人狼』の発達した脚部にダメージを与えることは不可能と思われた。
しかし。
「――『再現』」
その声と共に『人狼』の右足の先端が、爆ぜた。
「ガアアアァッ!?」
廊下に響く、苦痛と驚愕が入り混じった悲鳴。
『人狼』は走った勢いのまま、床に激突するようにして倒れ込んだ。
一体、何が起こったのか。
『人狼』は込み上げる激痛を必死にこらえながら、自身の足元へと視線を移す。
そこには、血と肉片にまみれた一個のレンガが横たわっていた。
「……流石の『人狼』と言えども、3キロ以上もあるレンガは応えるだろ」
そして再び英人は投石器に小石をセットし、今度は第三射の準備に入る。
そう。たった今英人が放ったのは、正確に言えばただの小石ではない。それは細かく砕いたレンガのひと欠片。
つまり英人はまずその欠片を投石器で飛ばしそして着弾する瞬間、『再現』の力で元のレンガに戻したのだ。
ただの数十グラムの小石の弾丸が、一瞬にして3キロもの砲弾に早変わり。これこそが、対『人狼』において英人の出した結論であった。
因みにレンガは校庭の花壇から拝借したものである。
(そして投石の技量に関しては、『異世界』にいたアイツの技量を『再現』した。
現状の身体能力を差し引いても、この程度の距離なら外しはしない……!)
さらに『人狼』の目と爪先に正確にヒットさせることが出来たのは、『異世界』でも随一とされた投石の名人の技量があってこそ。
彼は数キロ先からでも標的に命中させるような腕を持ち、魔族相手にも数多の戦果を挙げてきた英人の戦友でもある人物。
本来なら魔力を含ませた魔石を使うことで威力を上乗せするのだが、今回はそれをレンガの欠片にて代用した。
そして今、それが『人狼』の爪先を粉砕したのである。
「グ、グ……!」
人間がそうであるように、爪先とは『人狼』にとっても脚を使う上で重要な部分。
自慢の機動力は半分以上削いだも同然であり、さらには激痛によって『人狼』自体の動きが鈍っている今こそ追撃の好機。
「……これで、終わりだ」
そして英人は、トドメの一撃を『人狼』の頭部目掛けて放った。