学校へ行こう!②『……何も!!! な゛かった……!!!』
「……とりあえず、ここまでくればもういいか」
「そ、そうね」
学生たちの視線から逃れる為、英人と瑛里華は校舎の外まで出ていた。
今二人がいるのは出入り口のちょうど脇の部分。
開かれた扉のお陰で外からはやや目立ちにくくなっている場所だ。
「しかしちょっとばかり大声が出てたとはいえ、少し話し込んでただけでこれとはな……。
夏休みを挟んだし少しは大人しくなると思ってたが、そうでもなかったか」
英人は周りを少し気にしつつ、その口を開く。
「ま、それに関してはしょうがない部分はあるわね。
昨年のミス早応が男子学生と言い合ってる訳なんだし。
春学期のことも考えたら、学生にとってはまだまだホットな話題でしょ。
むしろこの程度で済んで良かったと思うべきなのかもしれないわね」
瑛里華はやれやれといった仕草をする。
「お、意外と冷静なんだな」
「まあね。
多少はメディアに露出してる身分な以上、自分がどう見られているかには常にアンテナ張ってるもの。だからこれくらいは全然想定済みってわけ」
「なるほど、有名税ってことか。
……まさか、こっちでも払う羽目になるとは」
「ん? ここでも?」
ぼそりと呟いた言葉に、瑛里華は僅かに首をかしげる。
「いや、こっちの話」
「そ、そう……」
そして二人の間には少しばかりの静寂が流れた。
校舎の壁に背を預け、一緒に同じ風景をボーっと見つめる。
そこは校舎に囲まれたキャンパスの敷地。
先程の講義が早めに終わったこともあって、外をうろつく学生はまだ少ない。
通学時の混雑との対比からか、いつもより時間が遅く流れているような感じすらする。
「……なあ」
そしてその時間感覚に引っ張られるように、英人はゆっくりと口を開いた。
「……何?」
「別に無理して、俺と絡む必要はないんだぞ?」
「……!」
その言葉に、瑛里華は僅かに目を見開く。
「いくら想定済みと言ったって、あまり気分のいいもんではないだろう。
それにお前が将来何になるかは知らんが、ミス早応として名前を売ってるならあまり男関係の噂は立って欲しくはないんじゃないのか?」
「……確かに、その通りかもね」
「なら、『でも』」
瑛里華はその言葉を遮り、英人の方へと顔を向ける。
「私がこうしたいと思ったから、こうしてるの。
確かに周りの目はちょっと気になるけど……」
しかしバツが悪くなったのか語尾はしりすぼみになって、その顔は徐々に下を向き始めた。
「別にそこまでではないというか、別に無理というわけではなくて……。
そもそも無理をしているのは全く別の理由で……」
「……」
絡んだ思いを、纏まらないまま言葉に出していく瑛里華。
そして英人はそれを遮ることなく、黙ってその様子を見つめる。
「……ああもう! 考えが纏まらない!
つまり、つまりはね、こういうこと!
私はこの無理が嫌いじゃないし、したくてしているの! 以上!」
しかしそれも束の間、その絡まりを引きちぎるように瑛里華は大声で言い切る。
それはある意味、彼女らしい結論の下し方でもあった。
「お、おう。そうか」
その突然の変化とあまりの剣幕に、英人は少したじろぐ。
「そうよ……そういうことだから……――ッ!」
その一方で、見る見る内に顔を赤くしていく瑛里華。
「うぅ……そ、それじゃ!」
「あ、ああ」
そしてそのまま、英人に背を向けて去って行ってしまった。
さすがの彼女も、この空気に耐えられなくなったのだろう。
(なんかあいつと別れる時って、いつもこんな感じな気がするな……)
英人はそう思いながら、過ぎ行く嵐を見守るようにその背中を見つめる。
ぼんやりと小さくなっていく背中。
普段の彼女らしくもない雑な足取りが、ちょっとだけ面白い。
そして後ろ姿も見えなくなった頃、英人も部室に行くために歩き始める。
「しかし無理をするな、か……我ながら、よくも言えたもんだ」
その去り際に漏らした呟きは、自嘲であった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「やあ、八坂君」
ファン研の部室に入ると同時に、中性的な声が響いてくる。
その声の主はファンタジー研究会の代表である泉 薫。
銀髪のショートヘアーに白い肌。
まさに「王子様」という表現がピッタリな、ロシア人のクォーターだ。
サブカルサークルに不釣り合いな美貌とオーラを持った彼女は、今日も今日とて豪華な「代表席」に座って英人を出迎えた。
「やっぱり代表も来てたんですね」
英人はその声に返事をしつつ、部屋の中央にあるパイプ椅子に腰かける。
「そりゃあそうだろう。
なにせ今日は秋学期初日だからね。代表である私がいなくちゃ始まらないだろう?」
「そういうものですかね?」
「そういうものさ。
しかし君も初日から部室に顔を出すとは、感心感心」
薫はフフッと英人に微笑みかける。
サークルのいち代表としては、やはり部室に部員が来るのは嬉しいのだろう。
「たまたま講義が早く終わりましたからね。
バイトの準備がてら寄った次第ですよ」
「えぇー、じゃあすぐに出てしまうのかい?
せっかく集まったのだから、今日はこのまま飲みに行こうと思ったのだが……」
「残念ながらパスです」
「えぇー!」
薫は心底残念そうに机にうなだれる。
すぐに人を飲みに誘う癖(特に英人を)は秋学期になっても全く治っていないらしい。
「英人さん、こんにちは」
薫の様子を横目に英人が今日使う教材をバッグから取り出していると、机の向こう側からは澄んだ声が響く。
肩にかかる程度のしっとりした黒髪、そして長い前髪からは円らで妖艶な瞳が覗く。
ファン研メンバーの一人、秦野 美鈴だ。
「おう、美鈴さん」
英人は軽く手を上げ、挨拶に答える。
「フフッ……はい」
それを見た美鈴は満足そうに微笑んだ。
「……むむ?」
「あれ、カトリーヌはまだ来てないのか?」
「そうですね。まだ来ていないみたいです」
「ちょっと、ちょっとお二人さん」
「ということはまだ講義中か。
まあ今日は三限までって言ってたし、もう少ししたら来るか」
「ですね」
「ちょっとちょっとぉ!」
痺れを切らした薫が二人の間に割り込むように机に飛び出す。
「ど、どうしたんですか泉代表!?」
「び、びっくりしました……」
突然の出来事に二人は驚くが、そんなことはお構いなしとばかりに薫は続ける。
「いやいやいやいや。そう簡単には流されないよ私は!
八坂君、もう一度秦野君のことを呼んでみてくれ」
「え、えーとみ、美鈴さん」
「次、秦野君」
「や……じゃなくて英人さん、です……」
「ほう……」
薫は首を振り、交互に二人の顔を覗き込む。
中性的な美貌からか、その目つきは一層鋭く感じられる。
「あ、あの泉代表……?」
「……二人共、この夏に何かあったのかい?」
そして薫はぼそりとした声で二人に聞いた。
「え、えーとその……」
その迫力に、美鈴は思わず目を泳がせる。
まさか伊勢崎村での一件をそのまま薫に話すわけにはいかない。
「……えーとほら、あれです!
休み中にたまたま彼女とばったり会いまして!
そんでそのまま一緒に飲みに行ったんですよ!
その時に酒が入ったせいもあって名前呼びになったというか、なっ!」
「は、はいそうです!」
うろたえる美鈴に助け船を出す形で、英人がまくしたてる。
話のほとんどが嘘だが、一緒に飲んだというのは本当だ。
そしてその時にお互い名前呼びにするようになったというのも。
まあ自然にそうなったわけではなく、美鈴に頼まれたのが発端なのだが。
とはいえ、こういう嘘をつく時は少しばかりの真実を混ぜる位がちょうどいい。
「ふーん……」
しかしどうも効果は薄かったようで、薫は再びジト目で二人の顔を覗き込む。
僅かな静寂。
重苦しい空気が部室内に流れる。
「……あ、そうだ泉代表!
今朝カトリーヌと話したんですけど、今年の『田町祭』ファン研全員で行きませんか?
せっかくメンバーも増えたことですし!」
その空気をどうにか変えようと、英人は苦し紛れに話題を変える。
「『田町祭』に……?」
「ええ。特に出し物をするわけじゃないですし、だったら遊びに行くのもアリかなと」
やや強引だったか、と思ったが空気を入れ替えるにはこれ位はするしかない。
薫の様子を、英人と美鈴は固唾を飲んで見守る。
果たしてその結果は……
「……そうか、そうだな。確かにいいアイディアだ!
こうなったら一日だけとは言わず四日間全てに遊びに行こうじゃないか!」
満面の笑みで答える。
どうやら、薫の機嫌を直すことに成功したようだ。
((……ホッ))
その様子を見た二人は同時に心の中でホッと一息をつく。
本来休みであるはずの『田町祭』期間が全て埋まってしまったが、それは必要経費と思うしかない。
とにかく、一応はごまかすことに成功したのだった。
しかし――
「(ジー……)」
(や、やりづれぇ……)
その疑念までは払拭できたわけではなかったらしい。
結局バイトに出るまでの数十分間、英人の横顔は薫のジト目に睨まれたままだった。