神なるもの㉔『神成る者』
『神域』の奥には、小さな祠が建っている。
そこは山々に囲まれた所にあり、今は村人ですら直接目にする機会もない。
それが建てられたのは、ヒュドラ現れるよりもさらに前。
元々この地で昔から信仰されていた神が祀られている祠だった。
しかし『オオモリヌシ』が神と呼ばれるようになってから、村人その存在と歴史を徐々に忘れていったのだ。
「ここか……」
その祠の前に今、一人の男が立った。
それは二十代後半位の、やや体格のしっかりした暗めの青年。
名前は八坂 英人――つい数日前に、この地でヒュドラを倒した男である。
彼は自衛隊による封鎖をこっそり飛び越え、ここまで来ていた。
「この周辺だけ、綺麗に残ってるな。
なるほど……ヒュドラの奴、草木は消してもここだけは残したかったか。
曲がりなりにも『神』とよばれたものの矜持って奴かな?」
英人はそう呟きながら、祠の周囲をぐるっと見渡す。
綺麗に草木が生えているのは周囲数メートルほどだけ。
そこから一歩でも外に出てしまえば、およそ『生』と呼べるものが何もない死の土地が広がっている。
そのあまりのギャップに、まるでこの祠だけがどこか別の場所から転移してきたのかと錯覚してしまう程だ。
「結局、後処理やらなんやらで長居することになってしまったな。
本当は一泊してすぐ帰るつもりだったんだが。
ま、しょうがないか……でもおかげでこうして、」
英人は祠の前に一歩進める。
「本当の意味で墓参りすることが出来るわけだからな……なあ、鈴音さん?」
そして、ゆっくりと両手を合わせた。
これは団平に聞いた話だが、正式な鈴音の墓は今までなかったらしい。
一応建前としては『オオモリヌシ』に貢物を届ける巫女となるので、死んだ扱いにはなっていなかったのだ。
なので伊勢崎神社の記録には残っていたものの、世間的にはあくまで行方不明者として扱われていた。
となれば彼女は元々あった清川家の墓に入るのが筋。
でも英人にとってはこの場所こそが彼女の眠る場所にふさわしいと考えたのだ。
「墓、という表現は正しくないかもしれないけど……貴方はずっとここで村を見守る気なんだろ?
自分が生まれ育った、この村を」
英人は合わせた両手を下ろし、なお祠に向かって話続ける。
もちろん、その言葉に答える者はいない。
ただ土埃を含んだ風が静かに響くのみ。
この地に緑が戻るのは、一体何年後になるのだろうか。
「創二さんに大和、そして飛翔。
あっちで一緒に戦った仲間もいなくなって、結局帰ってこれたのは俺達二人だけになってしまった。
そして今生きているのは俺一人だけ……そう俺だけが、残ってしまった」
英人は目を瞑り、かつてのことを思い返す。
それは戦いの連続と、僅かな日常の記憶。
今なお鮮明に残る彼らの表情と言動は能力の賜物か、はたまた英人自身が強く心に刻んでいるからか。
それが分からないのが英人には少しもどかしかった。
「だけど残ったからこそ、出来ることがあるのだと俺は思いたい。
だから約束通り、俺は自分の好きなように戦い続けます。
この世界にも、守りたいものや大切なものがありますから。
だからどうか、俺の戦いを見守っていて欲しい」
『ま、危なそうな時は私がフォローするから安心してちょ』
英人の言葉に被せるように、ミヅハが念話で話かけてくる。
とっくに召喚を解いている状態だが、ちょくちょくこのように念話で喋ってくる時があるのだ。
『ミヅハお前……』
『まあいいじゃんいいじゃん。一応私は契約者と契約した神器なんだから。
使用者を守るのが本来の務めでもあるでしょ。
それに、私だって彼女らと一緒に戦った仲間なんだしね』
『そうか……いや、そうだな。悪かった』
そして英人は再び手を合わせた。
ミヅハも念話を止める。おそらく、黙祷を捧げているのだろう。
それは時間にしておよそ数秒。
その後に英人は両手を下ろし、目を開く。
少々名残惜しい気もするが、これ以上彼女に甘えるわけにもいかない。
「……さて! 俺たちはそろそろ行くよ、鈴音さん。
『異能』然り、『魔法』然り、俺にはまだまだ戦いが控えていそうだからな。
それで、その戦いに一区切りがついたら……もう一度ここに戻ってきます。
だからそれまで、さよならです」
『それじゃあねー!』
顔を上げ、英人が祠から去ろうとする。
その時。
「……あっ」
『わあ……!』
まるで二人の行く道を祝福するように、祠が僅かに光を放ち始めたのだ。
『すごい――』
逆巻く粉雪を思わせる、淡く、そして荘厳に輝く光。
『神域』という場所と相まって、それはまるで――
『本当の、神様みたいだ』
その地を守護する、神の様であった。
……………………
………………
…………
……
「あっ八坂さん!」
英人が『神域』から戻ると、清川家の前では美鈴が出迎えてくれた。
彼女も英人と同様に、取り調べやら何やらで数日この村に泊まることになっていたのだ。
「ああ、ただいま」
「はい、おかえりなさい。
……それで、大丈夫でしたか? 姉さんのお墓参りは」
美鈴は心配そうに英人の顔を覗き込む。
「ああ、ちゃんと済ませてきたよ。別れの挨拶も言ったし。
それより連れて行けなくてすまない」
「いえ、まだ『神域』の中が危険なのは分かってましたし……。
それに、姉との別れはあの時にしっかりとやりましたから」
美鈴は僅かに微笑んで答える。
「……そっか」
「さ、私の準備も済みましたし、そろそろ出発しましょうか」
「ああ、そうだな」
そして二人は共に歩き、玄関へと上がる。
美鈴が気をきかせてくれたのだろう、玄関には英人の荷物も纏めた状態で置いてあった。
あとはこれを持って出発するだけだ。
「あっ、待って待ってー!」
すると廊下の方から、元気な声が聞こえてきた。
トタトタと軽快な音を響かせながら走ってくるのは、清川 風音だ。
その後ろからは、政子が付いて来ているのも見える。
「あっ風音ちゃん」
「もーひどいよ!
私たちの見送りもナシに帰っちゃうつもり?」
ぷんぷんと怒る風音。
その姿はまだまだ子供……と言いたいところだが、身長が明らかに伸びてきている。
体格に関しては、数日前と比べて一回りは大きくなっているだろう。
例えるなら、会った当初を小学校中学年で、今の彼女は中学一年生。
そして性格の方も心なしか明るくなっているようだ。
「おっと悪い悪い……しかし背、伸びたな」
「うん! 鈴音お姉ちゃんの言ってたように、もう子供でいる必要はなくなったからね。
今まで子供でいた分、どんどん成長していきたいんだ!」
晴れやかな笑顔で風音は答える。
風音が今まで子供であり続けた理由――それは『変換』によるものだった。
おそらく、清川の血筋は代々この『異能』を受け継いでいるのだろう。
だからこそ藤太はヒュドラの毒を無効化できたし、鈴音に関しては言わずもがな。
そして風音は成長ホルモン等自身の成長に関わる物質を『変換』することで、十年近くに渡って子供の姿をキープし続けたのだ。
「ほう、それなら将来は鈴音さん似の美人になるかな?」
「まあなれたらいいな、とは思うけど……それよりも私、勉強がしたいんだ!
大学に行って、色んなことを学びたい!
もちろん第一志望は、二人の通ってる早応大学!」
「早応、ですか……」
「うん! 早応に行って、法律とか経営とかを勉強したい!
それで将来はこの村に対して何かできないかな、と思うんだ。
鈴音お姉ちゃんや英人お兄ちゃんが守ってくれた、この伊勢崎村に。
……それに、お父さんの帰る場所も守らなくちゃだしね!」
風音は真剣な目で、英人と美鈴を見つめる。
団平は既に地元の県警へと移送されており、現在は勾留中だ。
義堂の話だと、脅迫罪はほぼ確定らしい。
英人や美鈴に対する殺人未遂については現在議論中だが、あったとしても情状酌量の余地が認められれば執行猶予がつく可能性もあるとのこと。
まあそれはあくまで通常の事件での話ではあるが、こればっかりはその後の展開を待つしかないだろう。
「……そうか。
因みに我々ファンタジー研究会はいつでも入部を待ってるぞ」
「そうなの!? ありがとう!
私、もっとオカルト関係の本も読んでみたい!」
「――ッ!!?
でしたら横浜に戻ったらすぐに何十冊か送ります。
どれも面白いものばかりですから是非!」
美鈴は興奮したようにずいっと風音に顔を近づける。
「いや、そこまでは大丈夫かな……」
あまりの剣幕にたじろぐ風音。
その様子を見て、英人はフッと笑う。
そうだ。この姿こそが、この一家のあるべき姿だったのだろう。
「おーい、八坂ー!」
そして玄関の向こうから、義堂の掛け声が響いてくる。
いよいよ、この村を去る時が来たらしい。
「おう義堂お待たせって……うん?」
清川家の敷地の外に出ると、車の近くに数人の人影がいた。
身長から鑑みるに一人が義堂で、残りがこの村の老人たちだろう。
「ん、ああ八坂か。
どうやらこの方たち、お前に話があるらしくてな」
「話?」
「ああ来ましたか、八坂さんに美鈴ちゃん。
今日この村を去ると聞いたもんで、わしら急いでここまで来たんですじゃ」
老人の一人が英人に告げ、後ろの老人たちがうんうんと頷く。
その中には宴会で英人と飲んだ老人もいる。
「それで……話、とは?」
美鈴は怪訝な表情で尋ねる。
数日間の捜査の結果、桓本家ひいては『巫女参り』に密接に関わっていた一部の村人は逮捕されることとなった。
なので結局ほとんどの村民は数日の避難生活の後に自宅に帰されており、目の前の老人たちはその一部だ。
おそらくこの国の上層部としても、騒ぎがこれ以上肥大化する前にさっさとケリをつけたかったのだろう。
事件が事件である以上、情報統制のために村民全員を別の場所に隔離するという議論も義堂曰くあったらしい。
しかしむしろ外に出す方が危ないということで、この結論に落ち着いたのだ。
なにせこの伊勢崎という土地自体が外界から隔離された集落。
外に出ようにも、元々村外に大した伝手などない老人ばかり。
そもそも年齢的に今更新天地へと行く気力などあろうはずもない。
つまりこの村で生まれた老人は、もはやこの村で死ぬしかないのだ。
ならば拘束するよりも帰すほうが、国としても都合がいいということだろう。
「話っちゅうのはな……ワシら、お二人に謝罪しに来たんじゃ」
「ああぞうじゃ。
じゃから……本当に、すまんかった! この通りじゃ!」
そして老人たちは、一斉に頭を下げ始めた。
「えっと……」
突然の出来事に、英人は戸惑う。
「ど、どうしたの、英人お兄ちゃん」
玄関からは、騒ぎを聞きつけた風音と政子もやってきた。
「風音ちゃんも、本当にすまんかった!」
それを見ると、老人たちはさらに深く頭を下げる。
「こんな血生臭い風習に巻き込んじまって!」
「本当なら、ワシらが声を上げるべきじゃった!」
「なのにこの村をなんの関係もなかった八坂さんに全部やってもらっちまって……本当にすまねえ!」
次々に謝罪の言葉を述べていく老人たち。
そしてひとしきり言い終えた後、
「それと……ありがとうございますじゃ、この村を助けてくれて。
本当に、お礼のしようもない」
ゆっくりと顔を上げてそう言った。
「皆さん……」
「まだ村ん中にゃあ、今回の件の整理がついてない奴もまだ沢山おる。
『オオモリヌシ』様の正体が『卑奴羅』であることを認めん奴もな」
「それだけ、この村にとって『オオモリヌシ』様の存在は大きかったんじゃ」
「でも八坂さん、貴方が全てを暴いて『卑奴羅』を倒してくれたのは、正しい事だったと思うとる。
少なくとも、ワシらは」
「……」
美鈴はその様子を黙って見つめている。
「『巫女参り』がなくなっちまって初めて分かったんじゃ。
ワシら村人が、どれだけそれをやり過ごすことばかり考えてきたのかを。
本当は、他にも考えなきゃいかん問題がたくさんあったというのにな」
一人の老人が、しみじみと言う。
急速な高齢化に過疎化。
何もそれはこの村に限った事ではない。
全国の地方農村にて等しく起こっている現象だ。
なのに村人たちはそれら諸問題からずっと目を逸らしてしまっていたのだ。
それはヒュドラというより大きな問題に900年もの間注意を引きつけれらていたが故。
だからヒュドラ亡き後、今度はこの重い現実と戦っていかなくてはならない。
彼らの苦難は今後も続いていくのだ。
「でもどうにかして、ワシらも頑張っていこうと思います」
「そうそう。
風音ちゃんみたいな小さい子もまだいるんじゃ、年寄だからといって休んでばかりはいられませんわい。
文字通り、死ぬまで足掻いてみます」
「……そうですか、分かりました。
また来年、同じ日にこの村に来ます。
その時、この村が少しでも明るくなっていることに期待しますよ」
英人は少し微笑み、言う。
大きな時代のうねりにとって、彼ら老人の存在は非力に過ぎるかもしれない。
でも英人は少しだけ、彼らの強がりを信じてみたくなった。
「はい。任せて下さいですじゃ」
そしてその言葉に、老人たちは笑顔で答えたのだった。
「……っとすまない八坂、そろそろ電車の時間が」
「ん? ああそうか。確かそれ逃したら次は一時間後だったな。
というわけでそれじゃあ皆さん、俺たち二人はそろそろ」
「はい、そうですね八坂さん」
「うん! またね!
英人お兄ちゃん! 美鈴お姉ちゃん!」
「そして政子さん。風音ちゃんのこと、お願いします」
「……」
英人の言葉に、一瞬政子は伏し目がちになる。
元は登美枝の世話係であった彼女だが、今は団平の希望もあって清川家に住むことになった。
今後は風音の面倒を見つつ清川の家を守っていく予定だ。
そもそも桓本家に奉公していたと言っても『巫女参り』の運営そのものにはほとんどタッチしていない。
なのですぐに釈放されたわけだが、やはり罪悪感はあるのだろう。
「……政子さん」
そんな政子の手を、風音は優しく握る。
それは一緒に暮らしていこうという、想いの証。
「風音ちゃん……」
「ね?」
「……はい、分かりました。
私が責任を持って、面倒を見ます。
ですからどうぞ、安心して下さい」
そして政子はその想いに応えるように、力強く面を上げた。
その表情を見た英人は満足そうに微笑み、
「分かりました。
それじゃあ、また」
別れの挨拶を告げた。
「さようならですじゃ」
「さようならー!」
お返しとばかりに降りかかる声を背に、三人は車へと乗ったのだった。
「……ん? どうした義堂、何か嬉しそうじゃないか」
バックミラー越しに義堂の表情を見た英人が尋ねる。
「ん、そりゃあな。
相方が正当に評価されるのを見たんだから、そうもなるさ」
「ふーん、そんなもんかねぇ」
「そんなものさ。
さ、出発するぞ!」
「了解」
そして義堂はエンジンを入れ、車を出発させる。
「あっ八坂さん、後ろ」
「ん、ああ」
そしてその後ろを風音が手を振って追いかけてくる。
英人と美鈴は、消えるまでずっとその姿を見つめ続けていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
9月下旬。
伊勢崎村での事件から、はや二週間ほどが経った。
長かった夏休みも、もう最後の最後。
「『アルテミス』、か……店はここだな」
そしてその夜、英人はあるクラブの前に来ていた。
その名も『アルテミス』――美鈴がホステスとして働いているクラブである。
豪華の一言。
英人は眩しいくらいにライトアップされた階段を上り、店内へと入る。
「こりゃ……すごいな」
そして店内を一目見るなり、溜息交じりにそう漏らした。
それはまるで、ドラマや漫画の世界だった。
外観以上に豪華絢爛な空間の中で、見た目麗しい美女たちが、金持ちを相手に美酒を飲み合っている。
といっても下品な雰囲気はなく、どこを取っても洗練された気品を感じる。
これが、本物の高級クラブという奴なのだろう。
「――八坂 英人様ですね? お待ちしておりました。
私、当店のオーナーを務めております百花と申します」
英人がその景色に押されていると、前から一人の女性がやってきた。
それは英人がこれまで会ってきた女性の中でも、間違いなくトップクラスに入るであろう美女。
全身ゴールドという派手なドレスを身に纏っているが、本人の美貌もそれに全く負けていない。
顔、スタイル、気品――その全てがトップと言っていいような女性だった。
「ああはい、そうです」
英人はその美貌に押され、やや間の抜けた返事をしてしまう。
「では、こちらへどうぞ」
そんな英人の緊張をほぐすような声で、百花と名乗る美女はゆっくりと先導していく。
優雅な喧騒の中に、コツコツと響く足音。
一歩ずつ、非日常へと足を踏み入れているような気さえする。
「……八坂様は、こういった所へくるのは初めてですか?」
すると背中越しに、百花は尋ねてくる。
「ええまあ、そうですね。
見ての通りです」
「フフッ」
「えっなんか俺、おかしなことでも言いました?」
「いえ、失礼しました。
初めて当店にいらっしゃるお客様は、緊張からか変に背伸びをしようとする方も多いですから。
八坂様のような反応がかえって新鮮なんです。
お気を悪くされたら申し訳ありません」
百花はクスリと笑った表情で振り返る。
「いや大丈夫ですよ。
別に俺が初心者であることには変わりないですし」
「お優しいんですね。
あの娘が気に入るのも分かる気がします……さ、こちらのテーブルにどうぞ」
百花は立ち止まり、英人が座るテーブルを手で示す。
そこは、一段とシックな雰囲気漂う半個室の席。
そしてそこには――
「スズです。今夜は宜しくお願いします、八坂さん!」
ターコイズブルーのドレスに身を包んだ、美鈴の姿があった。
……………………
………………
…………
……
「しかし本当に高級クラブのホステスだったなんてな。しかも二番人気。
人は見かけによらな……いや、ここまで美人だったら当然か」
「ふふっ。八坂さん、お上手ですね。
他の女性もそうやって口説いてるんですか?」
美鈴は手の甲で口元を押さえながら可愛らしくクスクスと笑う。
「いやそんなことはないはずなんだが……というかグイグイくるな」
「当たり前じゃないですか。
だって今日の私は、ホステスなんですよ?」
美鈴は首をくいっと斜めに倒し、下から覗き込むような体勢で英人の顔を見た。
いつもの長い前髪はなく、姉譲りの円らな瞳が英人を艶っぽく捉える。
そんな仕草一つとっても、普段の彼女とは大違いだ。
今の美鈴はホステス「スズ」ということなのだろう。
英人がその姿に少し見とれている内に、美鈴は慣れた手つきでシャンパンをグラスに注いでいく。
英人は酒にそこまで詳しい訳ではないが、高いということだけは分かるラベルだ。
「今更だけど、本当に今夜はタダでいいのか?
俺学生だけど、バイトでそこそこ稼いでいるから出すぞ?」
「いえ、いいんです。
今日は私がお礼をしたくて呼んだんですから。
百花さんに事情を話したら快諾してくれましたし、今夜はたくさん飲んで下さい!」
そう言って美鈴はシャンパングラスを英人に差し出す。
「おおサンキュ……でも奢るにしても、どうしてここなんだ?
別に無理をしなくてもよかったんだぞ?」
「いえ、ここがいいんです。
あの日、貴方は全てを晒して私と家族のことを守ってくれた。
だから私も、全てを見せようと思ったんです……今夜、貴方一人に」
妖艶な微笑みを見せる美鈴。
大学での彼女と、クラブでの彼女。
正反対の二人だが、どちらも真実。
嘘はあっても、偽物はここにはいない。
「そっか……じゃあせっかくだし、楽しまないとな。
せっかく最上級のホステスがもてなしてくれるんだし……あ」
「? どうしました?」
「……こういう店って、どんな話題で話せばいいの?」
英人はまるで内緒話をするかのように、口に手を添えて話しかける。
「別に八坂さんのお話なら何でも大丈夫ですよ。自信持って下さい。
……あ、でもそれなら」
「お、なんだなんだ」
「あちらでの姉さんのこと、もっと教えて欲しいです。
他のお仲間のことも……もちろん八坂さん自身のことも」
美鈴はそっと耳打ちするように言う。
そして言い終えた後、英人に向かって柔らかな笑みを浮かべた。
おそらく、このテクニックで落ちてきた男性は数知れないだろう。
「……ああ、それなら問題ない。
むしろ、ありすぎて困るくらいだ。
今夜は長くなるぞ、大丈夫か?」
英人はシャンパングラスを上げる。
「望むところです……それでは」
美鈴もそれに続く。
「ああ」
「「乾杯」」
そしてカチン、と二つのグラスが鳴った。
~神なるもの編・完~
これにて第三部は完結です。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
第四部からは、ついに舞台が秋学期へと移っていきます!