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ロリータ グリモワール  作者: 蒼井茜


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ローリーとグリム

 グリムについて語るのであれば、彼と出会ってからの事を話さなければいけない。

 彼との出会いは、百に満たない出会いの中でも最悪の部類と呼べるだろう。

 途中で仲が悪くなった相手と言うのは何人かいる。

 正確にいうならば、途中で嫌われた相手であり、その大多数が「ローリーの事が嫌いだと言っていたぞ」というまた聞きだ。


 そしてほぼ確実に「お前何を言ったんだ」「お前また余計なこと言っただろ」というお説教が付いて回ってきたが、グリムに関しては初めから仲が悪かったと思える。

 仲が悪いというと言葉が強すぎるかもしれない、だから正確な表現を目指すのであれば『馬が合わない』というべきか。

 自分の半身であるという事を直感的に悟ることができる相手、それだけに好ましくない。


 人間的な言い方をすれば近親憎悪だろうか。


 これもまた、憎悪と言ってしまえば言葉が強すぎるだろう。

 たとえるならば自分と瓜二つな存在と相対したら同調するか煙たがるか、そして僕たちの場合は互いを煙たがったという事か。

 正確や外観で似通っているところは一つもないが、互いに持っていない物を持っているというだけでも遠ざけたいというのが人情という物だろう。

 ましてやそれが身内ともなれば、だ。

 だからこそ思う、僕たちはあえて互いを遠ざけるように作られているのではないかと。

 疑心、疑う心、僕に心があるのかどうかはさておき、疑いはある。


 もとより人の道理から外れた研究を行い、その結果生まれた僕だからこその疑い。

 この施設にいる者は疑わなければならないという思いがどこかに存在する。

 確信を持つ頃はできないが、その一点だけはグリムも同じなのだろう。

 むしろグリムに関してはこの施設にいる全員を疑っているとみるべきだろうか。


 それも決定的な何かを持って判断している。

 物理的な証拠など無くとも、グリムは全てを疑っているのだ。

 そして唯一の例外が僕なのだろう。

 彼に自動的に書き込まれていく記録は、僕の知っている事のみが書き足されていく。

 そこに僕の意見や意思が介入することはないが、それはつまり知っていることに関しては一切のウソがつけないという事だ。

 だからグリムと話すときは、隠し事はしない、できない。

 それ故に、彼は僕の言葉を信用している。


 裏付けがあるからだ。

 しかし裏付けの有無にかかわらず、研究所の人間を疑っているというのはどういうことかと尋ねたことがある。

 尋問ではなく、純粋な興味だ。

 その時彼が言った言葉は僕の中に深く刻み込まれた。


「気に食わないからだ」


 感情の問題、ただの本能、理性的にふるまおうとするグリムが唯一むき出しの本性で語ったその言葉は重かった。

 そして彼が、その言葉を僕に伝えてくれたことの意味を考えて、僕は彼を信頼しなければいけなくなった。

 僕は彼にウソがつけなくとも、彼が僕を騙すのは容易い。

 彼は僕の知識を記録するが、彼の知識はどこにも記録されない。

 そんな彼が、半身が、グリムが、着飾ることなく、思わずと言ったように漏らしたその言葉を信用しないわけにはいかなかった。

 それから彼との距離を縮めるのに時間はかからなかった。

 彼も僕も、本心をそのままぶつけて、そのまま聞き返し、そして互いに話し合う。

 納得いくまで、いくらでも語り合う。

 日が暮れても、夜が明けても、いついかなる時でも彼との議論は続いた。

 それがとても貴重な体験だったと思えるほどに、僕の中で彼との討論は心揺さぶられる物だったのだろう。

 それからだろうか。

 グリムは『いけ好かない奴』から別の何かとしか表現できない者として見るようになったのは。


 グリムと打ち解けてから、というと語弊があるかもしれないが、彼とまともに対話をするようになって分かったことがある。

 彼は非常に負けず嫌いだ。

 討論議論というのは必ずしも結論が出るわけではない。

 当然だ、互いの意見をすり合わせるためのものではなく、互いの主義主張を言葉という形で相手に伝えるものだから。


 しかし言葉というのは、情報伝達の手段としては不完全だ。

 齟齬が発生するのは当たり前、伝える側も全てを言語化できるわけではない。


「だから魔法という物は道理を捻じ曲げているわけでだな」


「けれど捻じ曲げられる道理というのは、すでに道理として成立していない」


「成立したものを捻じ曲げて、そこに新たな道理を植え付けているのだから成立している」


「していない、植え付けたものが成立するならば以後その道理は永続的な物となってしかるべき」


「道理が道理であるためにエネルギーは不要だが、それを上書きするならば魔力というエネルギーが必要

だというのが分からんのか」


「魔法に必要なエネルギーが魔力、燃焼には熱と酸素と燃やすための物質が必要、故に魔法も道理の一部である」


「だからその道理を乱すためのものが魔法であってだな」


 このように話が平行線になることもしばしばある。

 そう言った場合において僕たちがとる手段は、なにもない。

 互いに納得いくまで同じ話を延々と続ける。

 堂々巡りという物だ。

 双方無駄なことをしているという自覚はある。

 けれど譲れない部分という物もある。


「ええい、話の分からん奴め」


「グリムの半身が僕で、僕の半身がグリム、だから話が分からないのはお互いさま」


 譲れない部分が露呈するたびに、議論は口論にかわっていく。

 それもまた無意味な口論であり、互いに精神力や体力を無駄に消耗するだけだ。

 そして限界を迎えて疲れ果てて、ようやく口論は終わる。

 勝ち負けではなく、引き分けという形でだ。

 けれどほぼ毎日のように同じやり取りを続けている。

 理由は分からないが、このやり取りは悪い気がしないのだ。


 辛い思いをすることは多々ある。

 グリムに論破された時は歯噛みして彼を睨みつけたりもしたし、逆に僕が論破したときは丸一日無視されたりもした。

 だけどやめられない。

 中毒性という物なのかはわからないが、一部の研究員や兵士が嗜んでいる煙草や酒に近い物なのかもしれない。

 煙たいだけの葉や、目を回すだけの飲料がどうして彼らを引き付けるのかはわからないが、もしこの議論が同じ中毒という物ならば、その気持ちは理解できるかもしれない。


「この幼児め」


「このわからずや」


 ……案外僕達二人そろって負けず嫌いなだけかもしれない。

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